6月17日 2
「どうしよう、優ちゃん」
三校時が終了し、四校時との間の慌ただしい五分休み。メモ帳を前に出流は、戸惑ったように問いかけた。
「男の子と二人で食事なんて……。あたし、何を話したらいいのかわからない。やっぱり、断ろうかな」
すると出流の右手は、さらりとこう書いた。
『大丈夫だよ』
「でも、あたしが好きなのは寺崎くんだし……」
『案外、他の人と付き合ってるってわかったら、興味持ってくれるかも』
「え?」
出流は目を丸くしてその文字を見つめた。
『だって他の子に見向きもされない女より、他の子からも人気のある子の方が興味わくでしょ』
出流は眉をひそめて黙り込んだ。言われてみればそんな気もするが、果たしてそれが正しいのかどうかよく分からなかった。第一、自分は寺崎以外の男とどうにかなる気などさらさらない。すると出流の右手は、こんな事を書いてきた。
『あたしが、その役引き受けようか』
「え?」
『あの子と付き合う役。ただし、体は借りるけど』
出流は目を丸くしてその文字を見つめた。
『どうしたらいいかわからないんでしょ』
おずおずとうなずく出流に、右手は何のためらいもなく、すらすらとこんな言葉を書き連ねる。
『だったら、あの子と付き合う時は、あたしがいずるちゃんの役になる。その間、いずるちゃんは眠ってて』
「大丈夫? そんなことして……」
不安げな出流に、優子はあっけらかんとこう書いて見せた。
『二面性のある女の子って、ミステリアスで結構いけるかもよ。ヤバくなったらやめればいいから。気楽にやってみようよ。その日にあったことは、必ず夜に送信するから』
出流はその文字を見つめながら、不安なような、でも、それでいて渡りに船のような、不思議な気分になっていた。
☆☆☆
約束の学食前で出流を待つ黒川は、落ち着きなくあたりを見回していた。本当に現れるかどうか、少々不安だったのだ。
やがて廊下のはるか向こうに、ふんわり揺れるゆるふわウエーブヘアを見つけると、黒川はほっとして思わず笑みをこぼした。
「村上さん!」
ぶんぶん手を振って自分の居場所を知らせる。と、出流もそれに気がついたのか、少し足を速めて駆けよってきた。
「ごめんね、待った?」
そう言って自分を見上げた出流に、黒川はドキッとした。
普段教室で見かける彼女は、どこか不安げで、はかなげな、どちらかといえば守ってあげたくなるようなキャラだった。が、なぜだかこの時の彼女は、不思議なオーラを放っているような気がした。まっすぐに自分を見つめる目にも、凛とした力強さを感じる。眼鏡からコンタクトに変えたせいだろうか。黒川はなんだかドギマギしながら、それでも笑顔を浮かべた。
「ありがとう、来てくれて」
出流は艶やかにほほ笑むと、ゆっくりと頭を振る。
「こっちこそありがとう、誘ってくれて」
黒川は出流の笑顔にしびれながら、彼女を誘って確保していた席に座らせた。
「何食べる?」
出流はにっこり笑うと、黒川を見上げながらこう言った。
「あなたと同じでいい」
黒川は背筋に電流が走ったかと思った。慌てて壁に掲示されているメニューに目を移す。
「ええと……じゃあ、日替わりランチセットでいい?」
取りあえず生徒の一番人気のメニューを選ぶと、出流がにっこり笑ってうなずいたので、黒川はふわふわする足取りでセルフコーナーへ注文しにいった。
セットを注文し、席まで持って行こうとすると、そこに出流が立っていた。
「ありがとう、一つ持つね」
ちょっと首をかしげてほほ笑むと、自分の分のお盆を持って席に向かう。その後ろ姿に、またも黒川はぞくぞくするような感覚に襲われていた。
「いくらだっけ?」
席に着いてそう言った出流に、黒川は慌てて手を振った。
「いいよいいよ、僕が無理に誘ったんだから。今日はおごらせて」
すると出流は、驚いたようにその大きな目を見張り、やがてにっこりとほほ笑んで見せた。
「ほんとに? ありがとう!」
黒川はもうノックアウト寸前だった。誘ったのはもちろん興味があったからだったが、こんなにかわいらしい人だとは思ってもみなかった。取りあえずかわいい外見になったので、試しに付き合ってみるか。そのくらいの軽いノリだったのだ。
「ところで話って、なあに?」
出流がランチのオムライスをつつきながら聞いてきたので、黒川はフォークを置くと居住まいを正した。
「……村上さんって今、付き合ってる人とか、いる?」
出流は上目遣いに黒川を見つめながら小さく首を横に振る。
「じゃあ、ぼ、僕と……付き合ってみる気、ない?」
「え?」
出流はびっくりしたようにその大きな目を見開いて見せた。長いまつ毛に彩られたその澄んだ瞳が、まるで宝石か何かのように美しく感じられて、黒川は吸い寄せられたように目が離せなくなる。
やがて出流は恥ずかしそうにその目を伏せて、遠慮がちにうなずいてみせた。そして小さい声で、こんなことを言ってみせる。
「あたし、男の子と付き合ったりするの、初めてなの。いろいろ、教えてね」
黒川はそう言って自分を見上げた出流の瞳に吸い込まれるような気がした。背筋がぞくぞくして、心臓が早鐘を撃つ。なんだか倒れそうになりながら、黒川は勢いよく頭を下げた。
「ぼ、僕の方こそ、よろしくお願いします!」
やっとの事でこれだけ言うと、黒川はおそるおそる目線を上げてもう一度出流を眺めやった。
顔周りを華やかに彩るゆるいウエーブ。白い肌に、はっきりした二重の大きな目。細い首、細い腰。きゃしゃな肩に、しなやかな手足。見れば見るほどかわいらしい。黒川はいち早く出流に目をつけた自分の先見性を自画自賛しながら、勢いよくランチのオムライスをかき込んだ。