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輪廻  作者: 代田さん
第四章 転落
159/203

6月16日 1

 6月16日(日)


 ビルの隙間から、重苦しい曇天が垣間見える。

 湿気を多量に含んだ生暖かい風を受け、出流は蒸し暑さを加速させる人混みの歩行者天国を歩いていた。

 先日上南沢で三須に選んでもらった、小花柄のふんわりしたヴィンテージドレスにサンダル。緩いウエーブのかかった髪が、歩くたびにふわふわと揺れる。小柄だが均整のとれたスタイルに、睫毛の長い大きな目。白い肌。すれ違う男性が、ちらりと彼女に目線を送る。

 出流はその視線を感じつつ、幾分身を縮めてドキドキしながら歩いていた。こんな賑やかなところに、一人で出てきたのは初めてだった。手元のバッグには、家から黙って持ち出してきた五万円が入っている。


「大丈夫かな、黙ってもってきちゃって……」


 出流が不安そうに呟くと、彼女の右手が微塵のためらいもなくOKサインを作った。


「これから、どこに行くの?」


 彼女の右手はしばらく考えているように動かなかったが、やがてゆっくりと左の方を指さした。

 そこには、最近新しくできたばかりのファッションビルが煌びやかにそびえ立っていた。



☆☆☆



 静かな病室は、生暖かい無音に満たされている。

 枕元の丸椅子に腰掛けた亨也は、ベッドに横たわる紺野の額に手を当て、ほのかに銀の光を放ちながら、目を閉じてじっと意識を集中している。沙羅は少し離れたところに立って、その様子を静かに見守っていた。もう三十分以上、こうしているだろうか。

 突然、先刻まで穏やかな表情で眠っていた紺野の頬が苦しげに引きつり、物言いたげにその口が開きかけた。

 沙羅ははっとして息を詰める。あの頭痛が襲ってきたのだ。

 頭を抱えて奥歯を噛みしめる紺野の周囲に、白い気が瞬く間に充満する。

 亨也は相変わらず先刻同様、眉一つ動かさずに目を閉じて、スキャンを継続している。

 次の瞬間。迸り出た白い気が部屋中を縦横無尽に駆けめぐり、激しい空震が部屋の空気をビリビリと揺るがした。頭を抱えて姿勢を低くした沙羅の頭上を、白い気が切り裂くように走り抜ける。

 やがて窓ガラスの振動音が止み、再び部屋に静寂が戻ると、沙羅は顔を上げた。

 亨也は、先ほどまでとまるで変わらぬ姿勢のまま、銀色の輝きを纏い続けている。頭痛の嵐が過ぎ去った紺野も、再び穏やかな表情を浮かべ、静かな呼吸を繰り返している。

 病室内は再び、無音の霧に包まれ始めた。



☆☆☆



 出流は店内に並ぶ色とりどりのシフォンドレスやワンピースに、うっとりと目を奪われていた。先日三須と歩いた上南沢とはまた違った雰囲気の服が、所狭しと並んでいる。


「凄い……あたし、こんなところに来たの初めて」


 すると、自分の右手に宿る優子も、うなずいたような気がした。


「優ちゃんって、どんなのが好き?」


 出流の右手はしばらく動かなかったが、やがてすっと右の方に流れた。ふわっとしたシフォン素材が軽やかな、淡い色合いのワンピースが下がっている。


「へえ、かわいいね」


 出流はしばらくそのワンピースをしげしげと眺めていたが、何を思いついたのか突然「そうだ!」と言って勢いよく顔を上げてから、恥ずかしそうに慌てて周囲を見回し、声を潜めた。


「優ちゃん、あたしこれ買うよ」


 出流の右手は、何のことだか分からなかったらしく無反応だった。


「優ちゃんにプレゼントする。いろいろお世話になったから、お礼」


 そう言ってにっこり笑う出流に、右手は戸惑っているようだった。しばらくの間無反応だったが、やがておずおずと人差し指が丸まり、OKサインが作られる。


「やった、決まりね。あの、すみません……」


 出流は近くにいた店員を呼び止めると、ワンピースを購入する旨を伝え始めた。


  

☆☆☆



 明るい表情で病院の自動回転式扉をくぐった寺崎は、鼻歌を歌いながら行き慣れた面会者用のカウンターに向かった。

 と、寺崎が入ってきたのとは反対側の入り口から、見覚えのある女性がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。制服のスカートから伸びるすらりとした長い足、栗色のふんわりしたミディアムヘア、意志の強そうな、まつ毛の長いくりっとした目……玲璃だった。

 寺崎は足を止めて玲璃を見つめた。玲璃も寺崎に気がついたのか、やはり足を止めてじっと寺崎を見つめている。

 二人は五メートルほど離れて向かい合ったまま、しばらくの間、まるでにらみあってでもいるかのような格好で見つめ合っていた。


「……この間は、会合に出てもらって、ありがとう」


 最初に口を開いたのは、玲璃だった。小さな声でつぶやくようにこう言うと、微妙に目線をそらす。


「あ、いえ……とんでもないっす。総代こそ、紺野の見舞いとか行ってもらって……ありがとうございました」


 寺崎もボソボソとこう言って頭を下げたが、それきり目線をそらして黙り込んだ。

 やがて面会者名簿に名前を書くことを思い出したらしく、玲璃はカウンターに行くとペンをとる。寺崎はその場に立ち尽くしたまま、黙ってその様子を見ていた。

 やがて名前を書き終え、バッジを手に取ると、玲璃は場所を空けるように三メートルほど離れた位置に下がり、そこでバッジを着け始めた。寺崎も面会者名簿に名前を書き始める。バッジを着け終えても玲璃は立ち去ろうとせず、その場に立って寺崎の様子をじっと見守っているようだった。

 名前を書き終えてバッジをつけながら、寺崎はちらっとそんな玲璃に目線を流した。


「お待たせしました」


 寺崎が言うと、玲璃は小さくうなずいてから、エレベーターホールに向かって歩き始めた。上向きの矢印を点灯させ、人気の少ないエレベーターホールで扉が開くのを無言で待つ。

 じっと階数表示を見上げる玲璃の横顔を寺崎はチラチラと盗み見ていたが、やがて思い切ったように口を開いた。


「あの、総代……」


 寺崎の言葉をさえぎるように、明るいチャイムがエレベーターホールに響き、扉が開いて人が何人か降りてきた。

 寺崎は再び口を閉じると、上向きの矢印を点灯させて先に玲璃を乗せ、それから自分もエレベーターに乗り込む。

 エレベーター内には、二人きりだった。

 微かなモーター音と、徐々に右へ移動する階数表示ランプ。それを見上げる玲璃の、長いまつ毛。寺崎は渇ききった喉に生唾を送り込んで湿らせると、意を決して口を開いた。


「総代、俺……」


「何も言うな」


 やっとの事で絞り出した言葉をさえぎられた寺崎は、黙り込んで玲璃を見つめ直した。

 閉ざされた扉の縦筋に目を向けたまま、弱々しさすら感じさせるほど小さな声で、玲璃は静かに言葉を継いだ。


「私は、別に怒ったりはしていない。でも……これ以上、何も言わないでほしい。お願いだ」


 寺崎は足元に目線を落とすと、うなずいた。


「分かりました。もう何も言いません」


 その時ちょうど、エレベーターが八階に到着した。

 玲璃が先にエレベーターを降り、後から無言の寺崎が続く。重苦しい沈黙を引きずりながらやけに長い廊下を歩き、ようやく二人は紺野の病室の前まで来た。

 病室に先にはいるのをためらうように玲璃が場所をあけたので、寺崎が前に進み出る。ノックをしようと、軽く握った右手を扉に当てかけた時だった。

 音もなく、病室の扉が開いた。

 気配を読み切れていなかった寺崎は、いきなり開いた扉に面食らい、目を丸くして扉の向こうにたたずむ人物の顔を見つめた。


「……神代先生?」


 沙羅は人差し指を口に当てる仕草をすると、中に入るよう手招きしてみせる。

 二人はおずおずと中に入り、……そこに展開していた光景に息をのんだ。

 病室内は滅茶苦茶だった。ブラインドはビリビリに破れ、スタンドは倒れ、鏡は割れ、吸い飲みは砕け、ゴミ箱は転がり……。ベッドには裂き傷だらけの布団をまとって横たわり、白く輝いている紺野と、その額に手を当ててじっとうつむき、やはり銀色に輝いている、亨也の姿。

 目を丸くして固まっている二人に、沙羅はこんな送信をしてきた。


【紺野さんの頭の中でいったい何が起こっているのかを調べるために、総代がスキャンしていたんだけど、その最中に何回も頭痛があって……。総代も、スキャンをしながらシールドを張るのが段々きつくなってきたみたい。もう一時間以上こうしているから、無理もないけど】


 沙羅は送信しながら、音をたてないように鏡の破片を拾い集める。寺崎も入口の脇に荷物を置くと、転がったゴミ箱を片付け始める。玲璃もそれを見て、慌てて荷物を置いて手伝い始めた。

 その時、亨也がふうっと息を吐く気配がした。

 見ると、亨也が紺野の額から手を離し、息を整えている。


「総代」


 沙羅がおずおずと声をかけると、亨也はゆっくりと顔を上げた。


「……あれ、来てたんですか」


 この時初めて、二人の存在に気づいたらしい。少々疲れたような表情だったが、亨也がほほ笑んでこう言ったので、玲璃と寺崎は慌てて頭を下げた。


「総代、お疲れ様でした。……いかがでした?」


 沙羅の問いかけに、亨也はいくぶん暗い表情で小さくうなずいた。


「おおかた、君の予想どおり、……かな」


「じゃあ、やはり制御に問題が」


 亨也はうなずくと、眠っている紺野にちらりと目を向ける。


「今回の脳挫傷がどう関わっているかまではさすがに分からなかったが、彼の頭痛の原因が、どうやらそれらしいということは分かった」


 それから、寺崎と玲璃の方に向き直った。


「今、スキャンをかけていたんです。彼の頭痛の原因が、いったい何によるものなのかを調べるために」


「……で、分かったんですか? 原因が」


 寺崎の言葉に、亨也は沈んだ表情で小さくうなずいた。


「どうやら、今まで過分にかけていた抑制の反動が出ているらしい」


「抑制の、……反動?」


 玲璃が聞き返すと、それには沙羅が答えを返した。


「彼は今まで、不必要に自分の力を抑えつけてきました。一度もそれを全力で出し切る経験をせず、自分の力の最大値を知らないまま。そのゆがんだ抑制の反動が、今回の脳挫傷をきっかけに出てきてしまっているらしいんです」


「脳挫傷がどこにどう作用したのか、までは分からなかったけどね」


 亨也は深いため息とともに、沈痛な面持ちで続ける。


「とにかく、彼の能力は抑制を失いつつある。頭痛が起きるたび、彼の脳細胞は少しずつ破壊されているようだ。このまま今の状態を放っておけば、最悪彼は廃人になってしまうかもしれない」


 玲璃も寺崎も、あまりのことに言葉を失っていた。


「彼の能力を、一度解放してやる必要があるだろう。ただ、いったいどれほどのエネルギーなのか、予測がつかない。一度解放して、果たして収束が可能なのかどうかも……。かなり危険だな」


 亨也は膝に肘をつき、震える両手で目元を覆った。


「どうして彼ばかりが、こんな目にあわなければならないんだろうな」


 背中を丸めて、かすれた声を絞り出す。


「代われるものなら代わってやりたい。もうこれ以上、彼にばかりつらい思いをさせるのはたくさんだ」


 吐き捨てるようにこう言ったきり、享也は黙り込んだ。薄暗い病室に、重苦しい沈黙が降り積もっていく。


「……俺、何でもします」


 黙り込んでいた寺崎が、おもむろに口を開いた。

 亨也はゆるゆると顔を上げて、入口近くにたたずむ寺崎に目を向ける。


「俺にできることがあったら、何でも言ってください。こいつのためなら、俺、何でもやりますから。マジで、何でもやりますから!」


 やっとの事でそれだけ言うと、寺崎は唇を引き結んで下を向いた。固く握りしめた拳が、微かに震えている。


「支えてあげてください」


 亨也はそんな寺崎を優しい目で見つめながら、まるで自分に言い聞かせるように言葉を紡いだ。


「一番つらいのは、紺野さんです。その紺野さんが一番頼りにしているのは、たぶん……あなたなんです」


 寺崎は、心底驚いたように享也を見た。享也は心なしか寂しそうなその目を、じっと曇天の広がる窓の外に向けていた。


「だからそばにいて、支えてあげてください。私も、私にできることをしますから……」


 そこまで言うと亨也は、ゆるゆると視線を寺崎に戻し、それから深々と頭を下げた。


「彼を、よろしくお願いしますね」


「神代総代……」


 寺崎は何も言えなかった。両手を爪が食い込むほど堅く握りしめながら、うつむく亨也のサラサラ揺れる茶色い髪を、いつまでも黙って見つめていた。

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