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輪廻  作者: 代田さん
第四章 転落
158/203

6月15日 

 6月15日(土)


 切り裂くように頭上を駆け抜ける白い気を避けながらも、沙羅は感心したように紺野を見ていた。

 相変わらず頭痛は起こり、そのたびに抑えきれないエネルギー波がほとばしり出る状態は続いている。徐々に頭痛と頭痛の間隔は開いてきているようだが、その分一回の痛みが激しくなっているようだ。だが、脳の回復に伴い、紺野自身の理性や記憶が戻ってきたことで、影響を抑えようとする様子がそこかしこに見られるようになった。一度などは、沙羅に対して防護シールドする場面も見られたほどだった。


「……すみません、神代さん」


 頭痛がようやく治まったらしく、肩で息をしながら頭を下げた紺野に、亨也のシールドが破れて割れたコップを片付けていた沙羅は、床にかがみ込んだ姿勢で振り返ってほほ笑んだ。

 

「言ったでしょ、気にしないでいいって。あたしはあなたに借りがあるの。……それにしても、ずいぶん以前のあなたに戻ったわね」


 紺野は恥ずかしそうに目線を落とし、もう一度頭を下げる。


「記憶も、ほとんどはもどっているのかしら」


「はい。あの日のこと以外は、おそらく……」


 いささか自信なさそうにうなずいた紺野を見て、沙羅はいたずらっぽい笑みを浮かべた。


「じゃあ、私があなたにキスしたことも、覚えてる?」


 紺野は目を丸くして凍り付き、見る間に耳まで真っ赤になる。沙羅はくすくす笑いながら手をひらひらと振った。


「冗談よ。そんなこと忘れた方がいいわ」


 笑みをおさめると、点滴のボトルを取り換える手を止め、うつむく紺野をじっと見つめる。


「心配なのは、その頭痛よね。いったい何が影響しているのか……」


 滴の落ちる速度を調整すると壁に寄りかかり、腕を組んで息をつく。


「実際、傷ついたのは脳幹部だったけど、今回の頭痛はどうも前頭前野付近で起こっているらしいし。きっかけは脳挫傷だったにしても、原因は他にありそうね」


 沙羅はいったん言葉を切ると、一週間以上フロに入っていない紺野のボサボサ頭をじっと見つめてから、おもむろに口を開いた。


「……あなたって、自分の力の最大値、分かってる?」


 紺野は戸惑ったように沙羅を見ると、首を横に振る。


「考えたこともありません。どうやって抑えるか、出さずにいられるか、そればかり考えてきましたから……」


 沙羅は腕を組んで息をつくと、窓の外に目を向けた。


「私たち神代一族の顕性能力者は、ごく小さいうちに一度、全力で能力を出す訓練を受けるの」


 相変わらず梅雨の曇天が広がる窓の外からは、上空を通過するヘリコプターの音だけが、パラパラと脳天気に響いてくる。紺野はその音にも気づかない様子で、じっと沙羅の言葉に集中しているようだった。


「子どものうちなら、まだエネルギー量も小さくてすむから……そうして自分の能力の最大値を把握した上で、私たちはそれを制御する訓練に入るの。そうすれば、制御しきれないことも、逆にいたずらに制御しすぎることもなく、自分の力を把握しながらスムーズにコントロールすることができるから」


 真剣な表情で自分の言葉に聞き入っている紺野に、沙羅はいたずらっぽく笑いかけてみせる。


「でも、総代の時は……凄かったみたい。神代総帥を含む、大人三人がかりでようやく抑えたくらいで。わずか五歳の子どもよ。伝説みたいになって、神代家では語られてるけど」


 いったん言葉を切り、自分を見つめる紺野と目線を合わせる。


「あなたにも、それに匹敵する能力があってもおかしくないのよね」


 紺野は沙羅の視線から逃れるように、黙ってその長いまつ毛を伏せた。


「でも、その最大値を知らないまま、ここまできてしまった。ゆがんだ制御のしかたしか知らないまま……。もしかしたらそのゆがみが、なんらかのきっかけで今回、頭痛という形で表出しているのかもしれない」


 紺野は何も言わなかった。シーツの上で組んだ手元を見つめながら、じっと何か考えているようだった。

 その時、コンコンと軽いノックの音が響いた。

 

「はい」


 沙羅が横開きの扉を開けると、そこには車椅子に乗ったみどりと、その車椅子を押す寺崎の姿があった。

 寺崎とともに病室内に入ったみどりは、沙羅に頭を下げるのも早々に紺野の姿を捜す。ベッドに半身を起こしたその姿を視界にとらえた途端、半開きの唇が激しくけいれんした。


「紺野さん……」


 目からはたちまちのうちに涙があふれ、やつれた頬を次々に伝い落ちる。紺野はなにか言おうとするように口を開きかけたが、喉がこわばって何も言うことができない。みどりは車椅子を自走させてそんな紺野の枕元に近づくと、その頬を震える両手でそっとはさんだ。


「紺野さん、私のこと……わかる?」


 紺野ははっきりとうなずいた。


「申し訳ありませんでした、ご心配をおかけして……」


 その言葉を聞いた途端、みどりの目からどっと涙があふれ出した。みどりは車椅子から身を乗り出すと、紺野の肩に手を回し、その体を少々無理な姿勢で抱き寄せた。


「良かった。紺野さん、本当に……!」


 ベッドから離れた位置でその様子を見ていた沙羅は、寺崎に目礼すると、邪魔にならないようにそっと病室を出た。


「本当は毎日でも来てあげたかったんだけど、体調を崩しちゃって。やっと昨日、熱が下がって出てこられたの。でもよかったわ。本当に、よかった……」


 紺野は目を丸くして入り口近くにたたずむ寺崎を見る。寺崎はそんな紺野に、肩をすくめてみせた。


「おふくろ、疲れとか心労とかでダウンしちゃってさ。俺もがんばったんだぜ。病院に寄った後は家のこと全部やって、おふくろの看病してさ」


「そうだったんですか……」


 身を縮めてうつむく紺野を見て、寺崎は慌てたように付け足した。


「おまえが気にすることじゃねえよ。取りあえず今は熱も下がったし、おまえも以前のおまえにずいぶん戻ったし。おまえは余計な心配はしないで、ゆっくり体を戻せばいいからさ」


 みどりもようやく涙を拭うと、紺野の手を握ってにっこりと笑った。


「そうそう。今日はそのために来たのよ」


 きょとんとしてみどりを見つめる紺野に、みどりは明るく笑いかける。


「紺野さん、いっしょに歩きましょ。私の車椅子につかまって」


 紺野は戸惑ったようにみどりを見つめ、それから心なしか不安そうに寺崎を見る。寺崎が笑顔でうなずくと、紺野はその笑顔に押されるようにみどりに向き直り、遠慮がちにうなずいた。



☆☆☆  



 亨也が病棟の長い廊下を歩いていると、廊下の突き当たりに車椅子の女性と、それを押す茶色い髪の男、壁際でそれを見守る若い男の姿が目に入った。


「紺野さん、ずいぶん押せるようになってきたわね」


 みどりが声をかけると、紺野は車椅子を押しながら恥ずかしそうに笑う。


「そうでしょうか。まだみどりさんに連れて歩いていただいている気がしますが」


 みどりは紺野の歩調に合わせるように車椅子の車輪を回しながら、後ろを振り返ってほほ笑んだ。


「そんなことないわよ、回すのが楽だもの。でも、速すぎたり、疲れたりしたら言ってくださいね。あなた、すぐに無理をするから」


「はい」


 うなずいて頭を下げる紺野を、寺崎は廊下の壁にもたれながら、感無量で見守っていた。

 つい数日前まで本当に目が覚めるのか、たとえ目が覚めても、以前の彼には戻れないんじゃないか、そんな思いが頭から離れず、不安で不安で仕方がなかった。その彼が目覚めて、自分たちのことも思い出して、果てはみどりの車椅子を押して歩いているのだ。しかも、ごく当たり前に話をしながら。寺崎は神の存在など信じてはいなかったが、この時ばかりは何かに守られているような気がして、大いなる何かに感謝をささげたくなる気持ちが分かるような気がしていた。

 その時だった。

 車椅子を押す紺野の足が、ぴたりと止まった。

 寺崎はハッとすると、弾かれたように体を起こす。

 

――あの頭痛だ! 


 紺野が息をのんで頭を抱え、崩れ落ちるようにその場にしゃがみ込む。

 能力耐性のないみどりを守るために、寺崎は瞬時にみどりに走り寄り、その体に覆い被さった。

 目の前でうずくまる紺野の体に集積した白い気が、花火のようなひらめきを放ちながら放射され始める。

 廊下には、見舞いに来た家族や友人と会話する入院患者や、医療機器を押しながら歩く看護師の姿が見られる。自分の判断の甘さを痛感し、寺崎の背筋に寒気が走った、その時だった。

 廊下の向こうから走り寄ってきた誰かが、白い気を放射しながらうずくまる紺野の体を、背後から包み込むように抱え込んだのだ。

 同時に、二人の体は銀色に輝く気で覆い尽くされた。ほとばしった白い気は、銀の輝きに瞬く間に吸収され、かすみのように消え失せる。

 体全体を波打たせるような激しい呼吸をしながら、紺野はおずおずと目を開けた。自分の体を誰かが背中から抱き留めている事に気付き、ゆるゆると首を巡らせてその男の顔を見て、大きく目を見開いて息をのむ。


「……神代、さん」


 その言葉を耳にした途端、紺野を抱え込んでいた亨也は、乱れた髪もそのままに、嬉しそうに目を見張った。


「紺野さん。私のこと、思い出せたんですか?」


 みどりに覆い被さっていた寺崎は体を起こすと、享也に向かってあわてて深々と腰を折り曲げた。


「す、すみませんでした、総代。つい、紺野を連れ出しちゃって……」


 立て膝をついて紺野の体を抱き留めながら、享也は寺崎を見上げて首を横に振った。


「よかったです、たまたま近くを通りかかった時だったので……。でも、もう中に入った方がいいでしょう。もう少し頭痛が落ち着くまで、練習は部屋の中でした方がいいかもしれませんね」


「申し訳ありませんでした、神代先生」


 エネルギー波が見えないみどりも、何かよからぬ事が起きたのだということだけは分かったらしく、神妙な表情で深々と頭を下げた。


「つい、紺野さんが元気になって、嬉しくて……」


「分かりますよ。本当に、心配されてましたからね」


 享也はそう言うと、抱えている紺野の顔に優しいまなざしを向けた。


「私も嬉しいです。紺野さんが私のことを思い出してくれて」


 紺野は口を開きかけたが、何を言えばいいかわからなかったらしく、結局無言で頭を下げた。亨也は小さく笑ってから、紺野を支えて立ち上がらせると、病室に向かってゆっくりと歩き出した。

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