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輪廻  作者: 代田さん
第四章 転落
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6月13日 2

 能力発動を感知した亨也と沙羅が駆けつけた時には、すでに紺野の病室の扉は固く閉ざされていた。

 病室の前には、点滴のボトルを片手に途方に暮れたような顔をした若い看護師と、扉を開けようと奮闘しているやせ気味の担当医師、その担当医師とともに扉を引っ張るがっしりとした中年女性看護師の姿があった。


「何があったんですか?」


 亨也は点滴のボトルを片手にぼうぜんとたたずんでいる看護師に声をかけた。看護師が事の次第を手短に話すと、亨也は眉根を寄せて担当医師らが奮闘している病室の扉を見つめた。そこから数メートル離れたあたりの壁に歩み寄ると、壁に手をあてて意識を集中する。


「……凄まじい遮断シールドだな」


 ほのかな銀の輝きを放ちながら、亨也はつぶやいた。


「総代、これはいったいどういう事なんですか?」


 心配そうに問いかける沙羅にちらっと目を向けると、享也は周りの人間に聞かれないよう送信でその問いに答えた。


【紺野の能力が、暴走しているようだ】


 驚いたように目を見はると、沙羅は振り返って扉の方を見た。相変わらずやせ気味医師と筋骨隆々の看護師が、横開きの扉に手をかけ、体を斜めにして踏ん張っている。


【恐らく脳挫傷の影響だとは思うが……彼は看護師を傷つけてしまったショックで、部屋を遮断シールドして閉ざしてしまっている。これを突破するには、かなりの物理的攻撃を同時にかけなければならない】


 壁にもたれかかり、亨也は小さくため息をついた。


【まだ意識が戻って間もないから、記憶はもちろん、思考力も理解力も完全に戻ってはいない。短絡的な行動に走ってしまっても無理はないが……】


【どうなさいます?】


 心配そうに白い壁を見上げながら、つぶやくように沙羅が問う。


【投薬も点滴もできないままでは、あの男自身が危険です。命にかかわるかも……】


【協力してくれないか?】


【え?】


 寄りかかった姿勢のままで、亨也は壁を見上げた。


【私一人ではこの遮断シールドを突破して送信することはできないが、君が協力してくれれば、多分届かせることができる】


 沙羅は戸惑ったように目線を泳がせたが、すぐにうなずくと亨也の傍らに寄り添った。遠慮がちに差し出された沙羅の白い右手を、亨也の左手がそっと包み込む。

 入り口の方では、やせた担当医師に代わり、たくましい男性看護師らが一緒になって扉を開けようと奮闘している。その喧噪けんそうから五メートルほど離れた壁際で、亨也と沙羅は寄り添いながら、静かに目を閉じた。



☆☆☆



 紺野はベッドの上で、頭を抱えて震えていた。

 部屋の中は、滅茶苦茶だった。カーテンはびりびりに破け、鏡は粉々に割れ、布団の中身がフワフワと中空を舞い、静まりかえった部屋の中には、破壊され尽くした手洗い場の蛇口から水が噴出する音だけが、やけに景気よく響いている。あれから何度か頭痛に襲われたが、何をどうしたらいいのかも分からないまま、紺野はただひたすら外部から他人が侵入してくるのを防ぐため、必死で遮断シールドを張り続けていた。

 目を閉じていると、暗黒の視界にさっきの看護師の恐怖にゆがんだ顔が浮かんでくる。消そうにも、網膜に焼き付いて離れないのだ。

 

――自分が傷つけてしまったんだろうか? あの人を……。


 髪の間に差し込まれた指が、端から見てもはっきり分かるくらい震えている。


――自分は何なんだ? 何でこんな力があるんだ? どうして人を傷つけるんだ? いったい自分は、どうすればいいんだろう?


 混乱する紺野の頭に、突然、一条の光が差し込むように、ある考えがひらめいた。


――自分が、消えればいい。


 紺野は目を開き、じっと目の前の白いシーツを見つめた。


――そうだ。自分に向けよう。今度あの変な頭痛がきたら、自分に向けてあの力を出せばいい。そうすれば自分は消える。あの変な力で、これ以上、他人を傷つけないですむ。


 やるべきことが分かったおかげか、急に気が楽になった。紺野は目を閉じると、穏やかな表情で頭痛が襲ってくる瞬間を待った。

 その時だった。


【紺野さん!】


 突然、音声ではない、誰かの意識が頭に響いて、紺野ははっと閉じていた目を開いた。慌てて周囲を見回したが、誰もいない。


遮断シールドを解いてください、紺野さん!】


 誰だろう? この声を以前もどこかで聞いたような気がするが、誰だったか思い出せない。


【だめです】


 誰だか分からないまま、紺野はその相手に向かって送信した。


【変な力が、頭痛がするたびに出てしまって……もう少しだけ、待ってください。そうしたら、解けますから】


【いつまで待つんですか?】


【次に頭痛が起きるまで……そうしたら、あの力を自分に向けるので】


 息をのむ気配が感じられ、沈黙が流れる。


【……やめてください。そんなことは、絶対にしてはいけない】


【どうしてですか?】


 紺野はぼんやりとシーツの白いうねりを眺めながら、悪意のかけらもなく送信する。


【もう少し待てば、僕は消えます。僕が消えれば、誰も傷つかないですむ。遮断シールドも自然に解けます。もう少しだけ、待ってください】


 紺野がずっと心の奥底に抱き続けてきた自殺願望。自分自身に対する不信感、自己信頼感の欠如。そういったものが何の理性的な抑えもきかない今、ストレートに現れてしまっているようだった。


【ダメだ!】


 体全体を揺さぶられるほどの、強烈な送信だった。焦点の合わない目でシーツを眺めやっていた紺野は、その衝撃ではっと目を見開く。


【絶対に死んではダメだ! 死なないでくれ……頼む】


 紺野は意識の奥底に沈んでいる記憶をたぐり寄せながら、手掛かりを見いだそうとしていた。


――どうしてそんなことを言うんだろう。一体彼は何者なんだろう。彼にとって自分は、何なんだろう……。


【あなたが死んで、誰も傷つかないだなんて、とんでもない。あなたが死んだら、傷つく人も、悲しむ人も、たくさんいるんだ】


――僕が死んだら、悲しむ人間? そんな人間が本当にいるんだろうか。それはいったい、誰のことなんだろう……。


【思い出してくれ、紺野さん! 寺崎さんやみどりさんのことを。玲璃さんだってきっと悲しむ。あなたが病院に運ばれてから、彼らはずっと病院の廊下で待ち続けていた。あなたが回復することを、ただひたすら祈りながら】


――寺崎? みどり? 玲璃? いったい誰のことだろう? 病院に運ばれた? 僕が?


【それに、あなたは死ねないんだろう? あの子のために生きるって決めたはずだ。それを思い出してくれ!】


――あの子? 


 その時。突然、まるで電光がひらめいたかのように、紺野の頭にあの時の光景がよみがえった。

 自分の体の下で、片頬を引き上げて笑っていた、誰かの顔。

 同時に、……夢だろうか? 真っ暗な空間で聞いた、誰かの言葉が脳裏に響く。


『あたしは十六年間、独りぽっちで生きてきた。……あたしには何もないんだ。おまえらみんな壊してやる。幸せなやつらをみんな、あたしと同じにしてやるんだ!』


 紺野は呼吸を止め、大きく目を見開いた。眼前で、その焦点がしっかりと合う。

 例の頭痛が紺野を襲ったのは、それと同時だった。頭をたたき割られるような衝撃に、紺野は両手で頭を抱え込むと、声にならない叫びを上げる。

 次の瞬間。病室の全ての窓ガラスが、外側に向かって一気に吹き飛んだ。

  


☆☆☆



 ベッドの上で頭を抱え、丸まった姿勢のまま、紺野は気を失っていた。凄まじい痛みだったのだろう。涙が一筋、その頬を伝っている。

 滅茶苦茶の病室には、骨組みだけになった窓から、湿った生暖かい風が吹き込んでいた。

 ベッドサイドにたたずむ亨也と沙羅は、しばらくは言葉もなく、気を失った紺野を見下ろしていた。

 ややあって、享也が独り言のように、ぽつりと口を開いた。


「本当に、深い傷を負っているんだな。彼は……」


 沙羅は黙って亨也の横顔を見上げた。


「あの子どもに寄り添い、ともに生きようとする気持ちは持っている。自分が死んではならないことも知っている。だが、彼が受けた傷は癒えようもない。それほどまでに深い傷なんだ。だからこそ彼は、これまでなかなか自己防衛ができなかった。彼は決して自分を許していない。自分の存在自体、許してはいないんだ」


 沈痛な面持ちで語る亨也の、その端正な横顔から、沙羅は目をそらした。なんだか胸が張り裂けそうな気がして、それ以上正視できなかった。


「循環器科の病棟に移そう」


 亨也の言葉に、沙羅は黙ってうなずいた。


「これ以上、脳外においておくことはできない。院長も否とは言わないだろう。うちの病棟の方がわれわれの目が届きやすい。彼はしばらく監視が必要だ」


「総代。私が監視役を引き受けます」


 亨也は驚いたように目を見張る。


「この状態で、普通の人間をそばにおくのは危険でしょう。私なら多少は自己防衛もできる。彼の状態が落ち着くまで、そうさせてください。院長も賛成されると思います」


「……いいのか?」


 沙羅はうなずくと、少しだけ目線を上げて恥ずかしそうに笑った。


「私はこの間のことで、この男に借りがありますから。借りが返せそうで、私もほっとしているんです」

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