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輪廻  作者: 代田さん
第四章 転落
152/203

6月12日 2

 出流を長いすに座らせた瞬間、寺崎は赤い気の気配を感じて息をのんだ。気の気配は、紺野の病室からびりびりと感じられる。


「紺野!」


 寺崎は慌てて病室のドアを引っ張った。びくともしない。既に遮断シールドが張り巡らされているようだ。長椅子に座った出流が目を丸くして寺崎を見ているが、今はそんなことに構っている暇はない。寺崎は必死でシールドを突破しようとドアを引く手に満身の力を込める。

 その時、廊下の向こうから駆けてくる人物の姿に気づき、寺崎は動きを止めた。


「神代総代!」


 寺崎の叫びに亨也はうなずいてみせると、場所を空けた寺崎に代わってドアに手をかける。

 その途端、はっとしたように目を見開いた。


「……神代総代?」


 動きを止めた亨也を見て寺崎が不審げに声をかける。すると亨也は、扉に触れていない左手で寺崎を手招きし、いぶかしげに歩み寄ってきた寺崎の右手をとった。

 同時に、寺崎の足元が溶解する。


「……!」


 仰天して思わず亨也の手を離すと、そこはもとどおり、薄暗い病院の廊下だった。


【鬼子は、紺野さんの意識世界インナースペースに入り込んだようです】


 出流に聞かれては困るからだろう、キツネにつままれたような表情でぼうぜんとしている寺崎に、亨也は送信で概要を伝える。しかし、言わんとすることが理解しきれず、寺崎は困ったように亨也を見つめた。


意識世界インナースペースというのは、紺野さんの無意識下の内的世界です。今、彼は意識がはっきりしない状態なので、外部と接続しやすい状態で露出していたのでしょう。紺野さんも鬼子も、位相の近いエネルギー波を持っているので、引き寄せ合ってしまった。意識世界インナースペースから脱出しない限り、鬼子は紺野さんに手出しはできません。……少し、様子を見ませんか】


 亨也は送信すると、再度左手を寺崎に差し伸べる。

 寺崎は緊張した面持ちでうなずくと、恐る恐る亨也の手を取った。

 その途端、足元が砂でできていたかのように崩れ落ち、寺崎は真っ暗な空間に浮遊しているような感覚にとらわれた。



☆☆☆  



 三須は目を細めて周囲を見渡した。意識世界インナースペースなら、どこかにこの空間の主であるあの男がいるはずだ。目を凝らすと、遠くに小さな明かりが見える。三須は赤い輝きを放ちながら、その光の方へ一直線に進んでいった。

 そこは工事現場のようだった。大きなビルの骨組みが、裸電球の明かりに照らされてぼんやりと浮かび上がっている。遠くには光る大きなビル。三須……というより、彼女を操っている優子は、その風景に見覚えがあった。


――あの場所か。


 三須の姿を借りた優子はフンと鼻で笑うと、バカにしたようにつぶやいた。


「たかだか三百人やそこら殺したことが、そんなにショックなものなのか。あたしには分からないね」


「そうかもしれない」


 優子はゆっくりと後ろを振り返った。誰かがむき出しの鉄骨の上にたたずんで、じっとこちらを見つめている。

 優子はその男の方に体の向きを変え、射るような目でにらみつけた。


「確かにおまえには、分からないかもしれない。人を殺すことの罪深さは」


 長袖の白いワイシャツに、グレーのズボン。見慣れた制服姿のその男は、紺野だった。茶色い髪を緩い風になびかせながら、鉄骨の上にたたずんで、じっと優子を見つめている。悲しい目だった。

 優子はその視線を正面から受け止めながら、考える。意識世界インナースペースから抜け出すには、この空間を破壊しなければならない。そのためには、ショックを与えることが必要だ。このシチュエーションで、この男に最大のダメージを与える出来事は……明白だった。

 優子は紺野の怒りをあおるように、片頬を引きつらせながら薄笑いを浮かべた。


「ああ、分からないね」


 傲然と紺野を見下ろしながらあざ笑う。


「実際に殺してみないと分からないよ、そんなのは……。分かれって言うんなら、やってみようか? あんたが入院してるこの病院をふっ飛ばせば、三百人くらい簡単に死ぬだろう?」


 そう言って、挑発するように右手にエネルギーを集積させ始める。

 しばらくの間、紺野はそんな優子を悲しそうに見つめているだけだったが、やがてぽつりと口を開いた。


「……申し訳ない」


 思いもかけないその言葉に、虚をつかれたように黙り込んだ優子に、紺野は小さく頭を下げた。


「僕の責任なんだ」


「何のことだ」


 いぶかしげなその問いに、紺野は足元をに目線を落としたままで、つぶやくように答える。


「おまえが、そういうことを理解できないのは当然なんだ。だって僕はおまえに、何もしてやっていないのだから」


 優子はじっと紺野を見つめながら黙りこんだ。


「父親として、僕はおまえに何をした? ただ、産まれたばかりのおまえを追い詰め、攻撃し、殺そうとしただけだ。その後ずっと、おまえは一人で生きてきた。あんな体で、たった一人で……」


 紺野の目のあたりから、何か滴のようなものが光りながら風に流れていく。


「一人で生きることのつらさは、誰よりも分かっていたはずだったのに。……僕はあの時、若すぎた。あんなことを、するべきじゃなかった。あとで起こりうる事の後始末もできないくせに……。でも、そんなことは今さら、おまえに言ってもどうしようもないことだよな……すまない」


 紺野は、自嘲気味に笑ったようだった。


「僕も、最近まで、人を殺すことの本当の意味は分かっていなかった。いや、もしかしたら、今でもまだ分かっていないのかもしれない。ただ、多分、以前よりは分かっていると思う。僕は、あの人たちに会えたから。人から愛される経験を、することができたから」


 紺野は顔を上げた。まっすぐに、優子の目を見る。


「人から愛される経験をしたことがなければ、それがどんなに大切なものか、分かりようもない。僕は一番、おまえを愛してやらなければならなかったのに、愛してやれなかった。本当に……申し訳なかった」


 優子は、どこかぼうぜんとした表情で、しばらくは何も言わずに紺野を見つめ返しているだけだったが、微かに唇を震わせると、目線を落とした。握りしめた拳が、わずかに震えているようだった。


「……今さら、遅いんだよ」


 振り絞るようなその言葉が耳に突き刺さり、紺野は黙って下を向く。


「あたしは十六年間、独りぽっちで生きてきた。もうその時間は戻らない。それに、間違った血か何かしらないけど、神代と魁然の血のバランスが崩れたせいで、魁然側の力が一気に噴出したあと、あたしの身体能力はゼロに等しくなった。こんな体に、誰が産まれたかったもんか! あたしには何もないんだ。普通の、こいつら高校生がやっているようなことは何ひとつ、できない。だったら、あたしはあたしのできる方法で、おまえらみんな壊してやる。幸せなやつらをみんな、あたしと同じにしてやるんだ!」


「もう、一人にしないよ」


 優子ははっとして顔を上げた。その視線に答えるように紺野はゆっくりと顔を上げると、どこか悲しそうにほほ笑んだ。


「僕が、側にいる」


「おまえ……」


「殺したいなら、殺しても構わない。死んでも、僕はおまえと一緒にいる」


 優子は驚愕とも畏怖ともつかない表情を浮かべながら、静かに語る紺野の顔を瞬ぎもせず見つめた。


「ただ、その時に、他の誰かを使うのだけはやめてほしい。これは、僕とおまえの問題だ。他の誰かを巻き添えにするような事じゃない。殺すなら、おまえが直接、僕を殺してくれ」


 そう言うと紺野は、何とも言えない優しいまなざしを優子に向けた。


「ただ、死ぬ前に、おまえの顔だけは見せてほしい」 


 優子は息をのみ、中空で一歩後じさる。


「おまえの名も知りたい。何ていう名で呼ばれているんだ? すまなかったね。本当は親である僕が、名前をつけてやるべきだったのに」


「……やめてくれ」


 優子は頭を抱えながらもう一歩、後じさった。


「男なのか、女なのか、そんなことすら知らないまま、十六年も一人にして……本当に、すまなかった」


「やめろぉ!」


 優子の叫びが響き渡ると同時に、建設途中のビルも、遠くにそびえるマンションも、映像をコマ送りで見ているように、音もなく崩れ去り始めた。



☆☆☆ 

 


 亨也は、そこで受信を止めて意識を戻した。静かに寺崎の手を離すと、黙ってその顔を見つめる。

 寺崎も無言で亨也を見つめ返す。二人とも何も言えなかった。たった今見たものの重さの前には、言葉はいかにも無力だった。

 亨也が再び扉に手をかけ、少しだけ力を込めると、扉はいとも簡単に開いた。ゆっくりと横に滑る扉の隙間から、少しずつ中の様子が見えてくる。長椅子に座っていた出流も慌てて立ち上がると、寺崎の後ろから首を伸ばして恐る恐る中の様子をのぞいた。

 薄暗い、静かな病室の真ん中で、紺野は相変わらず穏やかな表情で眠っていた。その足元には、誰かがうつぶせに倒れている。


「三須ちゃん!」


 寺崎が三須を抱き起こすと、亨也がすぐに体の状態をスキャンする。大丈夫というように寺崎にうなずいてみせると、立ち上がり、今度は紺野の状態を診る。


「大丈夫。何ら変わりありません」


 吐き出した息とともにそう呟くと、亨也はじっと紺野の寝顔を見つめた。

 鬼子――あの子どもの親である紺野。その思いに、今の今まで思い至らなかった自分がふがいなかった。他人から見ればただの化け物でも、紺野にとっては血を分けた自分の子どもなのだ。彼は、自分が背負わされた重い枷も、最愛の人を殺されたことも、全てを度外視してあの子どもを愛そうとしている。あの子どもの気持ちにより添い、ともに生きようとしている。その清廉な心根に、圧倒される思いだった。そんな思いにも気づかず、ただ紺野を傷つけられた憎しみのみにとらわれていた自分が、情けなかった。

 一方、寺崎も、紺野のあの子どもに対する思いを改めて見せつけられ、粛然とする思いだった。こんな目に遭わされても、この男は毛筋ほどもあの子どものことを憎んでいない。ただ純粋にあの子どものことを思い、愛そうとしている。何という男だろう。紺野は確かに他人に対しては臆病なほどに気を遣う。気が弱いと思う者もいるかも知れない。だが、これほどまでに深い愛情を持って人に接することのできる人間がいるだろうか。紺野という人間の真価を見せつけられた気がして、寺崎は静かに眠るその顔を黙って見つめることしかできなかった。

 ただ一人、出流だけは愕然としていた。死んでいないのだ。目の前で、この男は確かに呼吸を繰り返している。優子の気配も途絶えた。いったい何があったのか分からないが、優子が失敗したということだけは理解できた。出流は震える拳を握りしめ、小雨の降りしきる小さな窓をぼうぜんと見つめていた。

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