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輪廻  作者: 代田さん
第四章 転落
144/203

6月7日 2

 中休み終了のチャイムが鳴り、生徒たちの多くが教室に戻ってきたが、混乱は続き、授業は始まらなかった。名目上は自習という形で、生徒たちは廊下側の窓ガラス全部なくなって、やけに風通しのよくなった教室に放置されていた。

 紺野と寺崎は、教師がいないことを幸いと、机上に放置されていたボランティア体験の名簿を確認していた。


「つどいの家に行ったのは四名だな。福岡と下田だろ、それに相原と……」


 寺崎は言葉を止めた。紺野はけげんそうに名簿をのぞき込むと、そこに書かれていた名前を見て納得したようにうなずいた。


「村上さん、ですね」


 寺崎は振り返り、教室後方の出流の席に目を向ける。が、そこは空席だった。

 寺崎は、隣の席で勉学にいそしむ真面目そうな男子生徒に出流の行方を尋ねた。


「村上さんなら、さっきふらっと教室を出てったけど?」


 問われた生徒はけげんそうにそう答えると、すぐに参考書に目を落とす。寺崎は紺野にちらっと目線を送った。歩み寄ってきた紺野も、緊張をはらんだ表情でうなずき返す。

 その時だった。

 強烈な赤い気の気配が、二人の脳を突き刺した。

 二人は目線を交わしてうなずくと、弾かれたように教室を走り出た。



☆☆☆



 赤い気の気配は、いつにも増してはっきりしていた。ただその割に、肝心の出所はよく分からなかった。紺野は何か得体の知れない不安を感じながら、寺崎のあとに続いてその気配の方に走った。

 上履きを履いたままで校舎外に走り出て、気の気配をたどりながら校舎の裏手、百三十階段方面に向かう。少し先を走っている寺崎の姿が、校舎の角を曲がって見えなくなる。

 その直後、甲高い叫び声が薄暗い校舎裏の空気を切り裂くように響き渡った。

 校舎の角を曲がった紺野は、そこに展開していた光景に立ちすくんだ。

 異様な濃さの赤い気が、ゴミ置き場一帯に渦巻いていた。片隅に、気を失っているのだろうか、寺崎がうつぶせで倒れているのが見える。そして、目の前には、体全体を渦巻く赤い気に覆いつくされて、身動きすらとれなくなっている、出流の姿。

 紺野は急いで寺崎の状態をスキャンする。外傷はなく、脳波も心拍も異常はなく、どうやら気を失っているだけのようだ。ほっとする間もなく、出流の周囲に渦巻く赤い気の動向を読む。赤い気は、紺野の出方を探るようにその動きを止めていた。


【村上さんを離せ】


 紺野の送信に、答えはなかった。ただ、含み笑いの気配だけが感じられた。紺野は足元に目線を落とすと、震える拳を握りしめた。


【もう、関係のない人を巻き込むのはやめてくれ……頼む】


【なら、自分で何とかしてみなよ。できるでしょ、三百人も殺してるんだからさ】


 出流の意識を通して、あの子どもは語りかけてきているようだ。相原の時のような侵入の仕方だとしたら、出流の脳にもかなりの負担がかかっているはずだ。紺野は意識を集中した。一瞬でその体が、白い輝きに覆われる

 と、周囲に渦巻いていた赤い気が、出流の眼前に集まりだした。赤い気は球状に濃縮されたエネルギー塊となり、出流の眼前に集積する。

 その塊が銃弾さながらに紺野に向かって弾き出されたと同時に、紺野も白い気を放つ。紺野と出流のちょうど真ん中辺りで、赤と白の輝きが衝突する。相反するエネルギー同士が反発し合うたびに眼を開けていられない程の鋭いひらめきが放たれ、白と赤の輝きは薄暗いゴミ置き場一帯を、まるで互いを食らい合う二頭の竜のように絡み合いながら照らし出す。

 気は鋭い反応を繰り返しながら、徐々にその勢いを失っていく。

 紺野はエネルギー反応の影響を受けないよう、倒れている寺崎、出流、そして自分にも防壁を張った。異常を察知して他の人間が集まって来ないように、周囲一帯を広い範囲で遮断しながら。

 やがて赤い気は、白い気に飲み込まれるように消えていった。

 紺野は小さく息をつくと、すぐさま周囲の状況を確認する。赤い気の気配はすっかり消えうせ、校舎裏の空気は元の静かで穏やかな落ち着きを取り戻していた。

 出流が仰向けに倒れているのに気が付いた紺野は、急いで出流に駆けよると、肩を支えて上体を抱き起こす。気を失っているようだが、彼女の脳からは赤い気の気配は感じられない。紺野はほっと表情を緩めると、出流の深層意識に赤い気の気配が潜んでいないか確認するために、彼女の額にそっと自分の額を押しつけた。

 その時だった。

 閉じられていたはずの出流の目が、ふいに見開かれた。

 同時に、出流の右手が禍々しい緋色の輝きを放つ。

 紺野がはっとして顔を上げたのと、彼の腹部を鮮烈な激痛が襲ったのは、同時だった。

 紺野はぼうぜんと、上体を抱き起こしている出流を見下ろした。

 出流の右手は、紺野の腹部に手首まで潜り込んでいた。出流の腕を伝って流れ落ちた鮮血が、折り曲げられた肘の先から、重い音をたてて地面に滴り落ちていく。


「村……」


 紺野は何か言いかけたが、その口からも血があふれた。血は顎を伝い、抱えている出流の胸に音を立ててしたたり落ちる。出流は不快そうに表情をゆがめると、腹に差し込んでいた右手を抜き取り、紺野を突き飛ばして立ちあがった。紺野は手で腹を押さえながら、丸まった姿勢で地面に転がった。

 出流は返り血を一切浴びていなかった。顔や胸に滴り落ちたはずの血は跡すら見えず、腹に突き入れたはずの右手にも、一滴の血すら付着していない。防壁シールドを張っていたのだろう。

 出流は冷然と、倒れている紺野を見下ろした。

 紺野は横倒しになって固く眼を閉じ、言葉もなく震えながら裂けた腹を押さえている。腹圧で飛び出しかけた内蔵を押さえる右手の、その隙間からあふれた血が次々に地面にこぼれ落ち、見る見るうちに周囲に血だまりが広がっていく。出流はその様子を冷ややかに見下ろしていたが、ふとその視界の先に百三十階段を捉えると、倒れている紺野にすっと右手を差し出した。

 右手に集積した赤い気が衝撃波となって紺野にたたきつけられ、紺野は鈍い音ともに十メートルほど先の百三十階段まで一瞬ではじき飛ばされた。重力に引かれるままに階段を転がり落ちる彼のあとを、血の跡が筋を描いて追いかけていく。

 出流はゆっくりと百三十階段の降り口に歩いていくと、はるか下方を見下ろした。階段の一番下に、仰向けに倒れている紺野の姿が小さく見えた。


「……これで、いいの?」


 出流が小さい声で、自分の右手に問いかける。すると彼女の右手の親指と人差し指がゆっくりと弧を描き、OKのサインを作った。

 出流はうなずいたが、体中の震えが止まらないことに気がついた。慌てて左手で自分の体をきつく抱きしめる。


「寺崎くんは、大丈夫なんだよね」


 右手が再びOKサインを作ったので、出流は少しだけほっとしたように息をついた。


【ジャア、チョット我慢シテネ】


 突き刺すような頭痛とともに、出流の頭に優子の声が響く。衝撃で気が遠くなった瞬間、左腕に鋭い痛みが走った。熱く火照る腕に生ぬるい液体が流れ落ちる感触を覚えた気がしたが、それを視認する間もなく出流の視界は暗転した。

  


☆☆☆



 亨也は速足で手術室へ向かっていた。

 担当医として亨也を指名する患者は多く、亨也が手がける手術は数カ月待ちの場合もある。この日は、一カ月半ほども待ってようやくその日を迎えた患者の手術に入るところだった。

 廊下を歩いていた亨也は、ふいに意識を貫いた赤い気の気配に、ハッとして立ち止まった。それは非常に微弱な気で、何かに夢中になっていれば気がつかないほどのレベルだった。

 亨也は眉をひそめると、急いで紺野の意識を捜す。非常に忙しかったのと、不審な動きが感じられなかったため、この日はまだ一度も同調シンクロしていなかったのだ。

 だが、なぜか紺野の気は見つからなかった。いつもなら、同調を開始して数秒で彼の意識にたどり着けるのに。二人は似通った周波数の気を発しているため、捜しやすいのだ。それが、全く行き当たらない。

 亨也は嫌な予感がした。行き当たらないということは、紺野が眠っているなどで、意識のない状態の可能性があるということだ。

 亨也は急いで寺崎の気を捜索する。いつもは大体この方法で様子を知ることができる。だが、こちらにも行き当たらない。

 何かあったのだと亨也は確信した。赤い気は微弱にしか感じられなかったが、相手はあの子どもだ。自分の気の存在を隠す方法を編み出したのかも分からない。

 しかし、今のこの状況が、手術を待つ患者を置いてこの場を離れるほどの緊急事態だとは、さすがの亨也も思い至らなかった。

 亨也は沙羅の気配を捜した。


【沙羅くん、今、大丈夫かい?】


 沙羅は担当患者のカルテを整理していたところだった。この日は夜勤あけだったので勤務自体は終了していたが、残務整理を行うために残っていたのだ。


【はい、今日はもうあがれますが】


【申し訳ないが、紺野の気が感じられないんだ。様子を見てきてもらえないか?】


 紺野の名を聞いて、沙羅はどきっとした。先週、自分のために大ケガをさせてしまった相手だったからだ。


【は、はい。もちろんです。先日のことも、謝りたいと思っていたので……】


 亨也はくすっと笑ったようだった。


【じゃあ、申し訳ないけど、頼むよ。夜勤明けなのに、すまないね】


【とんでもないです。状況はお知らせしますか?】


【そうだね、これからはいるオペはそんなに難しくないから、知らせてもらって構わないよ】


【分かりました。彼らの場所は?】


【恐らく、この時間は高校だと思う】


【わかりました】


 沙羅は急いで必要な荷物をまとめると立ちあがり、他の医師や看護師たちにあいさつをしながら部屋を出る。速足でトイレに向かい、一番手前の個室に入る。

 次の瞬間、沙羅の姿はその場から消失した。


               

☆☆☆  



 沙羅が出現したのは校庭の裏手、人気のないビオトープだった。

 高校に到達する瞬間、沙羅はこれまで感じたことのない違和感を覚えた。薄膜をくぐり抜けるような感触と、肌がピリピリするような不快感。だが、どちらもすぐに消え去った。いぶかしく思ったが、取りあえず今は状況の確認が先だ。校庭に出ると、不審な気配がないかトレースしながら走る。このくらいの至近距離なら、意識が弱まっている相手でも沙羅の能力なら気配を感じ取れるのだ。

 すぐに、寺崎のものと思われる意識と、誰かもう一人、女性と思われる弱った意識を感じ取る。沙羅は校庭を突っ切り、校舎の裏手に駆け込んだ。

 その途端、ゴミ置き場らしきその場所に、うつぶせで倒れている寺崎の姿が目に入った。傍らに駆けより、急いで体の状態をスキャンする。どうやら、気を失っているだけらしい。


「寺崎くん!」


 大声で呼びかけながら、その頬を平手で軽くたたく。


「……ん?」


 程なく、寺崎が薄くその目を開いた。しばらくは周囲をぼんやりと見まわしていたが、突然はっとしたようにその目を見開いて跳ね起きると、焦ったように首を巡らせた。


「あ、あれ? 俺、いったい……」


「気を失ってたのよ」


 目の前にいたにもかかわらず、声をかけられて初めてその存在に気づいたらしい。寺崎は驚いたように目を丸くして沙羅を見た。


「神代先生⁉ どうしてここに……」


「総代に頼まれたの。気配がトレースできないから、様子を見てきてくれって。いったい、何があったの?」


「なにって言われても、俺にも何が何だか。……あ、いずるちゃんは⁉」


 寺崎は慌てて立ちあがると、忙しく周囲を見渡していたが、程なく自転車置き場に倒れている出流の姿を発見すると、息をのんでその側に駆けよった。


「いずるちゃん!」


 出流の左腕は、出血で赤く染まっている。寺崎は大声で呼びかけながら、軽く頬をたたいて意識を確認した。体の状態を、沙羅もすぐさまスキャンする。


「大丈夫、左腕の裂傷だけよ」


 その言葉に、寺崎はほっとしたように頬をたたく手を引いた。沙羅が万が一のために持参してきた医療用品の入ったバッグから包帯やガーゼを取り出してケガの処置を始めると、出流が小さくうめいて目を開いた。


「いずるちゃん、気がついた?」


「あ……、寺崎、くん?」


 寺崎の顔が、いきなり超至近距離にあったので、出流は真っ赤になると、慌てて体を起こした。自分の腕に包帯が巻かれているのに気付き、傍らで医療器具を片付ける沙羅に、戸惑いながらも小さく頭を下げる。


「いずるちゃん、いったい何があったんだ?」


 寺崎の問いに出流は目線を落とすと、小さく首を振った。


「……覚えてない。誰かに呼ばれたような気がして教室を出たんだけど、そのあとのことは、何も……」


「無理もないわね。それより寺崎くん、紺野くんは?」


 寺崎ははっとしたようにあたりを見回した。


「そうだ。あの子どもの気を感じて、紺野とここに走ってきたんだ。俺が先にここについて、たぶん、着いた途端にやられた……」


 言いながらあたりを見回していた寺崎は、五メートルほど先を見た途端、凍り付いたように動きを止めた。

 何かが、自転車置き場の前の地面を赤く染め上げているのだ。

 血だ。それもかなりの量の。

 寺崎は弾かれたように立ちあがると、その場に駆けよった。後から駆けてきた沙羅も、その血痕を見て表情を凍らせる。


「これ、まさか……」


 寺崎は頬の筋肉が強ばるのを感じながら、血の跡が筋を引いて続いている方向に目を向けた。

 そこにあるのは、百三十階段。


「……紺野」


 震える唇から、かすれた声がもれる。恐ろしい予感に、胸が張り裂けそうだった。意志とは関係なく指先が震え出すのを感じながら、彼はものも言わず、階段の降り口に走り寄った。

 筋のような血痕が、大きくなったり小さくなったりを繰り返しながら、階段の下に向かって一直線に続いている。

 その線をたどった先、階段の一番下に、誰かが倒れているのが見える。仰向けの顔を覆う茶色い髪が、緩い風に頼りなく揺れている。その人物の腹から流れ出した血が、ワイシャツを階段上からもはっきりわかるほどの鮮烈な赤に染め上げ、周囲の地面までも同じ色に染め始めていた。

 寺崎は出流が見ていることなど、もうどうでもよかった。無言で勢いをつけると、百三十階段を一気に飛び降りた。

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