6月5日
6月5日(水)
「優ちゃん」
佐久間が顔をのぞき込むようにして頬に触れ、耳元でそっと声をかけると、彼女の目がはっきりと見開かれた。相変わらず視線は定まらないが、くるくると眼球を動かしながら小さく口も開ける。
佐久間はほっとしたようにほほ笑むと、裕子のベッドの上に備え付けてある天井走行リフトのリフティングシートを優子の体の下に入れ込み、スイッチを押した。リフトによって優子の体が持ち上げられ、隣に用意してあったバギーに移動される。シートを外し、体勢を直してベルトを止めると、佐久間は優子のひざに膝掛けをかけて、ゆっくりと部屋を出た。ようやく体調と覚醒が安定し、部屋を出ても大丈夫そうな状態にまで回復したのだ。
「十日ぶりね、優ちゃん」
優子は、目をくるくる動かしながらあちこちを見ている。佐久間から見ると、それはとても嬉しそうにしているように感じられた。
佐久間は居住施設を出て、通所者が集う集会棟に優子を連れて行った。
部屋にはいると、早速何人かの通所者が嬉しそうに駆け寄ってきて、横合いから優子の顔をのぞき込んだ。
「優ちゃん、元気になったの?」
「そうよ、やっとね。今日から、また音楽室にも行かれるわ」
「一緒に、できるの?」
「ええ。また、よろしくね」
佐久間がにこやかに通所者に答えていると、他の通所者の世話をしていた三島がやってきた。
「わー、優ちゃん、久しぶり!」
そう言って優子の顔をのぞき込んでから、佐久間に笑いかける。
「よかったっすね、優ちゃん元気になって」
「今回は長かったわ。一時はどうなることかと思ったけど、ほんと良かった」
嬉しそうに語る佐久間の言葉に三島も笑顔でうなずいていたが、突然何に思い当たったのか、「あ」と言って目を丸くした。
「ぎりぎり間に合ったじゃないですか、佐久間さん!」
「え? 何が?」
言いながら佐久間も気がついたのか、びっくりしたような笑顔になる。
「そうか、明日か!」
三島は笑顔でうなずくと、優子の顔をのぞき込んだ。
「優ちゃん、よかったなあ。明日だよ、高校生のお友だちが来るの」
優子は相変わらず、くるくると視線を動かしながらあらぬ方を見つめている。
「じゃあ、成田さんには悪いけど、同年代優先ってことでいいかしら」
「いいんじゃないですか。成田さん、がちゃがちゃした感じ、あまり好きじゃないし。感染も心配だから」
三島と佐久間はウキウキした調子で明日の予定について話し合っている。
その時、先刻までくるくるとあたりを見回していた優子の視線の揺れが、ふっと止まった。まるで笑ってでもいるかのように、かすかにその口の端が上がる。
だが、ある意味劇的とも言えるその表情の変化に、夢中で話している佐久間も三島も全く気がつかなかった。