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輪廻  作者: 代田さん
第三章 兄弟
135/203

6月1日 2

 通りを行きすぎるトラックのエンジン音で、紺野ははっと目を覚ました。

 起き上がろうとした途端、全身を襲う激痛に息をのみ、たまらずベッドに倒れ込む。痛みが引くのを待つようにそのままの姿勢で横になってから、ややあって、今度はそろそろと体を起こすと、ゆっくりと周囲を見回した。

 簡素なライティングデスクの上に、雨にぬれたのか、湿っぽくなった空のリュックが平べったくなって置かれている。シンプルな遮光カーテンの隙間からさし込む明るい光が、グレーのカーペットの上に光の直線をくっきりと描いている。壁に掛けられた時計を見上げると、八時十二分だった。当然のことながら、神代亨也の姿はない。

 ベッドから降りて、頼りない両足に恐る恐る体重をのせ、ゆっくりと一歩を踏み出してみる。一足ごとに打撲による痛みが全身を駆けめぐったが、それ以上のことはなかった。例のごとく、亨也が完璧に治してくれているらしかった。

 そっと廊下から台所をのぞくと、寺崎が足を組んでコーヒーを飲みながら、テーブルいっぱいに広げた新聞を読んでいる姿が目に入った。気配に気づいたのか、寺崎は新聞から顔を上げると、ホッとしたような笑顔を浮かべた。


「紺野。気がついたか」


「昨日はすみませんでした。ご心配をおかけして……」


「何言ってんだ。いつものことだろ」


 そう言うと、隣に座った紺野を見やって恥ずかしそうに笑う。


「おまえのまねして新聞読んでみたんだけど、だめだな。何言ってんだか、さっぱりわかんねえ」


 新聞をたたみ直して紺野に渡す。紺野はそれを受け取りながら少し笑ったが、すぐに真顔に戻ってこう聞いた。


「神代さんは……」


「帰ったよ、始発電車で。少し休んでいったらって勧めたんだけど、忙しい人だからな。おふくろは今寝てる。俺はめんどくさいから起きてたんだ。腹減ってきたし」


 寺崎は立ち上がると、紺野の分のコーヒーをカップに注いで彼の前に置いてやった。


「何か食べるか? ついでに用意してやってもいいぞ」


 紺野は小さく首を横に振り、頭を下げた。

 寺崎もそれ以上無理には勧めず、朝食の準備を始めた。冷蔵庫を開けて食材を取り出しながら、ちらっと紺野に目を向ける。


「そうそう、神代総代からおまえに、伝言だ」


 紺野ははっとしたように顔を上げた。


「おまえが兄弟だってこと、当面はおおっぴらにはできないそうだ。だから、対外的には今までどおりの態度をとってほしいって……まあ、当然なんだけど」


 寺崎の言葉に紺野は深々とうなずくと、じっと何か考えているようだったが、やがてぽつりと口を開いた。


「……大丈夫でしょうか」


「え?」


 寺崎は目玉焼きを焼いているフライパンから目を離し、紺野を見た。紺野は両手を膝におき、硬い表情でコーヒーカップを見つめている。


「僕は単純に嬉しいだけですが、あの人にはいろいろと立場がある。僕はあの一族のことも、その目的も、まだしっかりとは理解できていません。でもきっと、僕が生きていることは、あの一族にとって大きなマイナスなんでしょう。そのマイナスを容認して、あの人は今まで通りやっていけるのかどうか。僕はひょっとしたら、大変なことをあの人に強いてしまっているのではないか……そんな気がして」


 寺崎は焦げた目玉焼きの火を止めると、黙って皿に取った。食パンをトースターにかけると、皿を持って紺野の隣に座る。


「いいんじゃねえの?」


「え?」


 驚いたように目を丸くして顔を上げた紺野に、寺崎はちょっと笑いかけた。


「そのくらいしてもらえ。おまえ今まで、散々な目にあってきたんだから。これからは少しくらい、他人に迷惑かけてもいい」


「そんな……」


「たぶん、神代総代はそうしてやりたいんだと思う」


 そう言って、にっと笑ってみせる。


「……ていうか、俺が兄貴だったらそう思うな。かわいい弟のために、何かしてやりたいって思うのは当然のことだろ」


 戸惑ったような表情を浮かべている紺野の頭を、寺崎はぐしゃぐしゃとなで回した。


「受け取ってやれよ、総代の気持ち」


 紺野は乱れた髪もそのままに、じっと寺崎の顔を見つめた。


「あの人は自分の立場をある意味捨てて、おまえを選んだんだ。その決断をおまえが受け止めてやんねえで、誰が受け止めんだよ」


 紺野はテーブル上に目線を移すと、じっと考え込むように動きをとめていたが、やがて深々とうなずいた。


「寺崎さんの、おっしゃるとおりですね」


 顔を上げると、寺崎を見てにっこり笑う。


「ありがとうございます、寺崎さん」


 焦げた目玉焼きをほおばりながら、寺崎は恥ずかしそうに笑い返した。


「何だかおなかが減ってきました。僕も食べていいですか?」


「マジ? じゃ、俺が作ってやる。同じのでいいか?」


「いいですよ、自分でやるので……」


「何言ってんだ、まだ体痛えくせに。いいから座ってろ。寺崎くん特製の焦げ玉食わせてやっから」


 寺崎は立ち上がりかけた紺野の腕を引っ張って強引に座らせると、さっそく冷蔵庫から卵を取り出す。


「最後に水入れてふたをすると、焦げませんよ」


 くすくす笑いながら紺野が言うと、寺崎は振り返っていたずらっぽく笑う。


「いいのいいの。この焦げがたまんねえんだから」


 油が弾けるにぎやかな音と、卵の焼ける香ばしい香りが、温かい台所いっぱいに広がった。



☆☆☆  



「申し訳ありませんでした」


 窓から差し込む眩しい光に目を瞬かせながら、須藤は深々と頭を下げた。

 ネクタイはひん曲がり、ワイシャツのボタンは外れ、ボサボサに乱れた髪が顔の半面を覆っている。いつもシャキッとスーツを着こなしてさっそうと歩いている彼の姿からは想像もつかないようなそのやつれように、革張りのソファに腰掛けて葉巻をくゆらせながら、廣政は大きなため息をついた。

 

「……致し方ない。神代総代に気づかれてしまった以上は」  


 ここは、箱根にある廣政の別荘だ。広大な雑木林に囲まれたこの別荘の地下には、昨日紺野が拉致されたあの地下室があるが、表向きは政治家の別荘らしく豪奢な作りで、あんな恐ろしい部屋の存在などみじんも感じさせない。


「神代側からこの件に関してあれこれ言ってくることはないとは思うが、総代にこちらの思惑を悟られてしまった以上、今後、動きが取りにくくなるのは確実だな」


「本当に、申し訳ありませんでした……」


 廣政はため息とともに紫煙を吐き出すと、小さく頭を振った。


「おまえのせいではない。総代に情報をもらしたのは、協力を要請した神代のテレパスだ。病院に潜り込ませている看護師から、神代総代の診察室で気を失っている神代沙羅医師が発見されたと報告を受けている。恐らく、不審な態度をとったか、もしくは能力発動を感知されたかで、精神攻撃を受けたんだろう。状況からして積極的に情報をもらしたわけではなさそうだが、神代家随一のテレパスでも歯が立たないとなると、神代総代のトレースをやり過ごすのは不可能かもしれんな……」


 廣政はそう言うと、ポケットから携帯を取り出し、着信メールを確認し始める。


「とにかく、この件は私から直接義文さんに報告する。まあ、焦らずとも、遺伝子検査の結果が今月中には出るはずだ。その結果を待てば、この件に関してはおのずと答えは出る。処分は、それからでも遅くは……」


 言いながらふと須藤の顔を見た廣政は、目を丸くして言葉をとめた。


「……鼻血がでているぞ」


「え」


 須藤は慌てて鼻に手をやり、流れ出している生暖かい液体の存在に目を丸くした。


「し、失礼しました」


 慌ててハンカチを取り出して鼻を押さえている須藤の様子に、廣政はため息をついた。


「おまえは今日はここまででいい。帰って少し休め。相当に重い精神攻撃を受けているはずだ。後遺症がでるかもしれん」


「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて、失礼いたします」


 須藤は、鼻を押さえながら一礼して部屋を出ていく。廣政はゆっくりと葉巻を吸って紫煙を吐き出すと、底光りする目で天井を見つめながら、つぶやいた。


「神代総代はひょっとすると、全てをご存じなのかもしれんな……」

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