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輪廻  作者: 代田さん
第三章 兄弟
133/203

5月31日 3

 殴り飛ばされた紺野は、灰色の床に赤黒い血のラインを引きながら三メートルも床を転がり、背中から壁にたたきつけられた。

 須藤は少しだけ息を乱しながら、壁際にうつぶせで倒れて動かなくなった紺野を見やり、わずかに眉をひそめた。

 先ほどから執拗しつように攻撃が繰り返されていた。部屋中の至る所に飛び散った血が灰色の床や壁を彩り、片隅には紺野の靴が、明日の天気を曇りと占って転がっている。

 須藤は全く手加減していない。その気になれば象さえも殴り殺すことのできるパワーを持つ、須藤。だが、さっきから何度殴り飛ばしても、最初ほどのダメージを与えられたような気がしていなかった。

 じっと目を細めて、倒れている紺野を注視する。微かに、白い輝きが体全体を覆っているような気がする。先刻から気づいてはいたが、首輪を装着されている紺野が防護シールドできるわけがないと、大して気にも留めていなかったのだ。

 須藤は倒れている紺野に速足で歩み寄ると、頭髪をわしづかみにしてその顔を引き上げた。

 紺野はもはやうめき声すらたてなかった。今にも止まりそうな呼吸を繰り返しながら、わずかに指先を震わせただけだった。血と汚物にまみれた顔は蒼白で、その目は開けられる気配もなく、意識があるかどうかすら定かではない。だが、確かに白く輝いている。

 須藤は首輪にじっと目をこらし、……息をのんで目を見開いた。

 首輪は真っ赤に帯電しながら、その表面に小さな火花を飛び散らしていた。紺野の首は度重なる電流の刺激で見るも無残に焼けただれ、破れた水泡から細く血が流れだしている。

 首輪はまだギリギリ作動してはいるが、その機能はすでに大幅に低下しているようだ。この状態を見ると、首輪の遮断能力を上回るエネルギー波がずっと放出されていたことになる。恐らく、防壁シールドという形で。


「おまえ、ずっと防護シールドしていたのか⁉ そんな状態で、首輪の遮断能力を超えて……」


 髪をつかまれた紺野は、目を閉じて弱々しい呼吸を繰り返していたが、須藤の裏返った声に、薄くその目を開いた。


「僕は、まだ……死ねない」


 荒い呼吸のはざまから、かすれた声を絞り出す。


「死ねない……んです」


 須藤はかっと目を見開くと、つかんでいた髪ごと紺野の頭を思い切り床にたたきつけた。頭と床が激突する鈍い音が、薄暗い部屋に反響する。その腹を、間髪を入れずに蹴り飛ばす。くの字に体を折り曲げて五メートルほど中空を飛んだ紺野は、反対側の壁にたたきつけられ、床に崩れ落ちた。

 防護シールドしているなら、それを上回る衝撃を与えるしかない。既に意識も朦朧もうろうとしている。あともう少し衝撃を与えれば、意識を失うはずだ。そうすれば、いくらなんでも防壁シールドは維持できない。時間の問題だ。

 須藤はそう確信すると、早足で倒れている紺野に近づいた。

 その時だった。

 銀色の光が、唯一この部屋に設えられている扉の隙間から、一直線に差し込んだのだ。

 次の瞬間、須藤がはっとする間もなく、扉は粉々に吹き飛んだ。巻きあがるほこりの向こうに浮かび上がる、二人の人影。逆光に目を細めた須藤は、驚愕に顔を引きつらせた。一人は高校生らしい長身の男。もう一人は、白衣を着た三十代くらいの、男……。


「神代、総代……」


「紺野!」


 ぼうぜんとつぶやいた須藤の脇を、寺崎が一瞬で駆け抜ける。倒れている紺野の側に駆けよると、そのぼろぼろの姿に息をのみ、言葉を失う。


「須藤さん、でしたか」


 抑揚のない亨也の声が響く。大津波の前の引き波に似たその静かな声に、須藤の足が思わず一歩後ろに下がる。


「あなたは確か、魁然廣政氏の秘書をなさってましたね」 


「……はい」


「これは、廣政氏の命令ですか」


 須藤は答えなかった。主を守るのが秘書としての務めなのだ。と、亨也の頬に薄い笑みが浮かんだ。


「私に黙秘は通用しませんよ」


 須藤は渇ききった喉に唾液を送り込んだ。亨也は刺すような目で須藤を見据えながら、一歩、彼に歩み寄る。


「あなたの記憶をのぞかせていただければすむことです。今、私はかなり機嫌が悪い。衝撃のないよう気を遣うことは多分しないので、結構な負担がかかるでしょうね」


 いったん言葉を切り、じっと須藤を見つめる。


「それよりは、話していただいた方がいいかと思いますが」


 須藤は指先が勝手に震え出すのを感じた。神代家の最高峰に位置する、神代総代。自分とは格が違いすぎることは、須藤も先刻承知の上だ。だが、主である廣政の名を出すことは、自殺行為に等しい裏切りだ。


「紺野、……紺野!」


 薄暗い室内にはさっきから、寺崎の声が響き渡っている。意識を失いかけた紺野に、必死で呼びかけているのだ。亨也は目だけを動かして紺野を見る。全身の打撲に骨折、内臓破裂に、場合によっては脳や頸椎、脊椎を損傷している可能性もある。一刻も早く診てやらないと危険だ。

 亨也は黙っている須藤に目を移すと、小さくため息をついた。


「こんなに腹の立つ思いをしたのは、久々です」


 銀色に輝き始めた亨也を見て須藤はもう一歩後じさったが、突然くるりときびすを返し、弾かれたように走り出した。


「……許さない」


 低く絞り出すようなつぶやきとともに、銀色の鋭利な輝きが、部屋の隅々にまで一瞬で満ちる。

 享也の後ろに回り込む形で出口にたどり着こうとした須藤の全身を、その輝きが包み込んだ。刃物のように意識に突き刺さる鋭いエネルギー波に、須藤の目がぐるりと裏返る。


「ぎゃあああああ!」


 この世のものとも思えぬ断末魔の叫び声がこだました。

 潮が引くように銀色の輝きが消え、もとの静けさを取り戻した薄暗い部屋の片隅に、須藤は泡を吹いて倒れていた。半分ほど開いたままの白目には、涙が浮かんでいる。恐らく半日は目が覚めないだろう。

 たった今読み取った事態の顛末に、亨也は重苦しい思いで小さくため息をついたが、すぐにきびすを返すと、壁際に倒れている紺野の側に駆けよった。

 紺野は仰向けに寝かされていた。両手を拘束していた縄は寺崎が引きちぎって外したようだが、こすれて血がにじんだ手首には、千切れた縄が結び付けられたままだった。擦り傷とあざだらけの顔は血反吐と吐物で汚れ、かろうじて呼吸はしているものの、閉じられたその目が開けられる気配はない。ぼろぼろに裂けた血らだけのワイシャツからのぞく胸は紫色に腫れあがり、靴を履いていない右足は折れているのか、あり得ない方向に曲がっている。どんな恐ろしい目に遭っていたか、一目で分かる惨状だった。

 寺崎が立ちあがって場所を空けると、亨也は紺野の傍らに座った。銀色に輝く手をかざし、まずは脳の様子を診る。脳に損傷がないことを確認すると、頸椎と脊椎の様子も診る。

 首元に目を留めた亨也は、その目を見開いた。首輪は焦げ臭い白煙を立ちのぼらせながら、完全にその機能を停止していた。紺野の首はその影響か、痛々しいほど真っ赤に焼けただれている。


防護シールドしていたんですね、ずっと……」


 亨也がつぶやくと、紺野はうっすらとその目を開けて、微かにうなずいた。亨也は本当に、何とも言えない表情でそんな紺野を見つめると、銀色に輝く手をその首にかざした。機能を停止した首輪は瞬時に分子結合が破壊され、砂でできていたかのように跡形もなく崩れ去った。


「申し訳なかった。こんな思いをさせてしまって……」


 絞り出すようにこう言って、紺野の顔から目をそらす。寺崎も何も言えず、亨也の後ろで何かに耐えるようにじっと下を向いていた。


【神代さん……】


 その時、微かな送信テレパシーが亨也の頭に届いた。寺崎もそれを傍受して、紺野の顔に目を向ける。紺野は薄くその目を開いて、亨也をじっと見つめていた。


【僕は、あなたの……】


 亨也は優しい、でもどこか悲しいまなざしを紺野の顔に向けている。対照的に寺崎は、はっとしたようだった。呼吸すら止めて紺野の次の言葉を待つ。


【……あなたの、弟なんですか?】


 寺崎は息をのむと、亨也の背中をまじろぎもせず見つめた。

 寺崎の視線を感じながら、亨也は黙って治療を続けていた。が、やがて唇の端に、ほんのかすかな笑みをうかべた。


「分かりません」


 寺崎は亨也の茶色い後頭部を、まじまじと見つめ直した。亨也は再び黙り込むと、銀色に輝く手を患部にかざしながら、しばらくは黙々と治療を続けていたが、ややあって、静かに口を開いた。


「分かりませんが、私はそう思っているんです。勝手な思いこみで申し訳ないんですが……あなたは、私の弟だと」


 そう言って、ちょっと笑う。


「兄かもしれませんが、肉体年齢的に弟の方が無理がないでしょう?」


 亨也は口を閉じた。それ以上は語ろうとせず、黙々と治療に専念している。

 その後ろ姿を見下ろしながら、寺崎は自分の想像がほぼ的中していたことに対する驚きと、その事実の重さに頭がくらくらしていた。

 紺野は三十三年前、神代順也として生をうけた。いきさつは不明だが、彼は東京駅に捨てられ、東順也として孤独な幼年期を過ごす。やがてその事実を何らかの形で知った魁然裕子に復讐の道具として利用され、その結果何百人もの人を殺害する。その重い十字架を背負い、紺野秀明として美咲を殺して再生し、ひたすら死ぬことだけを考えて生きる。やがて鬼子と再会し、何度も殺されかけた上にその人生を背負い、あげく今度は一族から、邪魔者として抹殺されようとしている……。

 寺崎はあまりのことに目をかたくつむり、右手で顔を覆った。


「何でなんだよ。何で……」


 絞り出すようにつぶやいて、奥歯をかみしめる。亨也はそんな寺崎の気配を背中に感じながら、黙って銀色に輝く手をかざし続けていた。


【申し訳、ありません……】


 ふいに、ぽつりと紺野が送信してきた。亨也はいぶかしげに紺野を見やる。


「何がですか」


 紺野は、ともすると遠のきかける意識を引き留めながら、途切れがちに答えた。


【僕は、今は死ねないんです】


 亨也は患部にかざしていた手の動きを止めた。


【あいつのことが、落ち着くまでは、見届けなければならないから……それが落ち着いたら、すぐにでも殺していただいて、構いません。でも、このままあいつを置いて死ぬことは……できないんです】


 亨也は何も言わず、紺野の顔をじっと見つめた。


【僕が生きていると、ご迷惑なんでしょうが……すみません。今だけは……見逃してください。お願いします……】


「お断りします」


 きっぱりと言い切ったその言葉に、寺崎は目を丸くして亨也を見た。紺野も、その目を薄く開いて亨也を見つめる。

 亨也は紺野の患部に手をかざしながら、震える声を絞り出した。


「……なんで、あなたを殺さなければならないんですか」


 寺崎ははっと目を見開いた。紺野の患部にかざしている亨也の手が、微かに震えているような気がしたのだ。


「いらない命なんて、ないんです」


 紺野は途切れがちな意識を必死で引き留めながら、じっと亨也の声に耳を傾けていた。恐らくこの世界で唯一の、血を分けた兄弟であろう男の声を。


「この世に生まれたからには、どんな命にも生きる権利も、意味もある。その命を、組織の勝手な都合で消し去ろうなんていうことが、許されていいはずがない。そんな組織は、なくなってしまった方がいいんだ。消えるべきはあなたじゃない。あの組織と、ばかばかしい目的の方なんです!」


 普段の穏やかな亨也からは考えられないような、激しい口調だった。吐き捨てるようにこう言ったきり、亨也は口を閉じると、黙々と治療に専念している。

 紺野はうっすらと目を開けて、そんな亨也を見つめ続けていた。

 その目の際からあふれた涙が、こめかみを伝って流れ落ちる。


【僕は……】


 寺崎にはもう感受できないほど微かな、つぶやくような送信テレパシー。亨也は手の動きを止めると、紺野の顔に目を向けた。


【僕は、本当に、嬉しい……】


 紺野は目を閉じた。長いまつ毛に押し出された涙が、幾筋もこめかみを伝い落ちていく。


【僕に……僕のような人間に、あなたのような……兄弟が、いたなんて……】


「私も、本当に嬉しいんです」


 亨也は優しい、それでいて悲しげなほほ笑みを浮かべながら、そんな紺野を見つめた。


「私に、こんな弟がいたなんて。頭がよくて、足も速くて、本当に優しくて……。あなたは私の、自慢の弟ですよ」


 閉じられたままの紺野の目から、あとからあとから、止めどなく涙が流れ落ちる。

 寺崎もその場に立ちつくしたまま、先ほどとは違った意味で涙が止まらなかった。同時に、何ともいえない怒りも感じていた。こんな兄弟を引き離した、組織。紺野がこんな人生を歩む原因を作った、神代総帥。こんないいやつに理不尽な苦しみを与え続けた、運命に……。


――絶対に、許せねえ!


 寺崎は堅く手を握りしめ、流れ落ちる涙をぬぐいもせず、そこに立ちつくしていた。

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