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輪廻  作者: 代田さん
第三章 兄弟
132/203

5月31日 2

 亨也は、沙羅の後ろ姿に、さっきからずっと視線を注いでいる。

 沙羅はその視線を背中の中央にじわじわと感じて、緊張していた。振り向いてはいけないということは分かっている。だが、針のように背中に突き刺さるその感覚は、指折りのテレパスとして鋭敏な感覚を有している彼女にとって、どうにも無視できないほどの強さを持っていた。その感覚に耐えきれず、沙羅はとうとうちらりと背後に視線を流してしまった。

 当然の帰結で、亨也の目線と沙羅の目線がぴったりと重なる。

 沙羅は慌てて手元に視線を移したが、亨也は目線を動かさず、じっと沙羅を見つめたままだ。


「沙羅くん」


「は、はい」


 沙羅は完全に動きを止めて答える。いくぶん声が上ずっていた。

 亨也はくすっと笑うと、小さく息をついた。


「君に隠し事は無理だよ」


 沙羅はおそるおそる振り返った。


「昔から、ウソのつけない人だったから。何をするにも真っ向勝負で……」


 沙羅は呼吸すら止めて、完全に凍りついている。亨也は立ちあがると、そんな沙羅の隣に立った。


「何があったのか、話してくれ」


「総代……」 


「さっき、遮断シールドしたのはどうしてなのか、教えてくれるね」


 いつもどおりの、穏やかで優しい声。沙羅は何も言わなかった。じっとうつむいて黙っていたが、やがて、ゆっくりと首を横に振った。


「……できません」


「どうして……」


 言いかけて、亨也は言葉をのみ込んだ。

 沙羅の目から、涙がこぼれ落ちていたのだ。

 横顔に際立つ長いまつ毛に押し出された水滴が、灰色の床に次々に滴り落ち、小さな丸い水玉模様を作っていく。


「沙羅くん……」


「お話できないんです。すみません、総代。私、……」


 沙羅は痙攣けいれんする喉の動きに言葉を奪われながら、切れ切れに言葉を絞り出した。


「私、総代に、ずっと今のままでいてほしい……」


 やっとのことでそれだけ言うと、うつむいた。

 亨也はしばらくの間言葉もなく、震える茶色い髪と、その髪の隙間から少しだけあらわになっている白い首筋を見つめていた。



☆☆☆  



 後ろ手に縛られ、首輪のような物を装着された紺野は、投げ捨てられるごみ袋のごとく乱暴に放り出された。

 コンクリートの床に頭を打ち付けた衝撃で、意識が戻ったらしい。紺野はよろよろと首だけを持ち上げてあたりを見回した。

 その四角くて薄暗い部屋には、何もなかった。扉だろうか? 取っ手のない長方形の形が対角の壁に張り付いている他は、窓はおろか、電灯も、家具も、何もない。コンクリートの壁だけだ。だが、十メートル四方の正方形のその部屋は電灯もないのに、天井全体がなぜか薄ぼんやりと明るかった。

 紺野は目の前に誰かが黙って立っているのに気がついた。スーツの裾からのぞく、なめるように一点の曇りもなく磨き上げられた黒い革靴。その靴の主が、先ほど駐輪場で遭遇したあの男だということは顔を見るまでもなく明らかだった。だが、確認はする必要がある。紺野は肘を使って体を起こすと、その顔を見ようと頭を上げた。


「ここは……」


 言葉は途中で失われた。

 スーツ男の右足が、紺野の腹にたたき込まれたのだ。

 紺野は血を吐きながら三メートルほども中空を飛び、背中からコンクリートの壁にたたきつけられた。後頭部をしたたかに打ち付けて、一瞬、意識が飛ぶ。

 壁際に崩れ落ち、激痛に声もなくあえいでいる紺野に、革靴の男が無言で近づいてくる。


――防護シールドしなければ。


 紺野はもうろうとする意識を必死で集中した。放出される白い気の感触が確かな手応えとともに感じられ、一瞬、張れたと思った。自分を守るために能力を使えたのは、初めての経験だった。

 だが、次の瞬間。

 首もとから発された強烈な電気的刺激が、紺野の脳を直撃した。


「……!」


 耳の中で大量の爆竹が弾けたかのような衝撃に、寸刻、紺野の意識がとぶ。

 男は倒れこんだ紺野の後ろ襟をつかみ上げると、今度は壁にたたきつけ始めた。紺野は必死に防護シールドしようと試みるが、そのたびに首輪から生じる強烈な刺激に意識が飛び、なかなか集中することができない。額が割れて血が噴き出したところで、つかんでいた後ろ襟が破れ、紺野の体は床に崩れ落ちた。

 紺野は必死で目線を上げ、かすんだ視界の焦点を男に合わせた。スーツ姿のその男は息ひとつ乱さずに、冷然と紺野を見下ろしている。


――殺される。


 紺野は確信した。この四角い部屋……どうやらこの部屋には、強力な防壁シールドが張り巡らされている。しかもこの防壁は、人工的に作られたもののようだ。そして、自分の首にはまっている首輪のようなもの。これも能力発動を封じる道具らしい。能力発動を感知すると、脳の特定部位に電磁波を流して意識を拡散させる仕組みのようだ。以前も同じようなものを装着された覚えがあるが、それとは比べ物にならないほど強烈な電気的刺激だ。


――いったい、誰が。


 男から、赤い気は一切感じられない。これはあの子どもの仕業ではない。そしてこの男は、どうやら寺崎並みのパワーを持っている。


――魁然家?


 紺野がその目を見開いたのと、男の蹴りが空を切ったのは同時だった。

 腹を直撃したその蹴りは、肋骨を粉砕し、内臓を破壊するほどの衝撃だった。五メートルほど空を飛んで左側の壁に背中から激突した紺野は、血を吐きながら床に崩れ落ちると、二,三度微かに痙攣けいれんしてそのまま動かなくなった。


『死んだか?』


 その時、放送だろうか? 部屋全体にくぐもった声が反響した。スーツの男はかしこまったように直立すると、慇懃な態度で口を開く。


「もうまもなくです。能力を発動したようですが、首輪リングに封じられたようです」


『当然だ。その首輪リングは最新型。能力発動に反応して旧来型の十倍以上の電磁波を発する。神代総代のエネルギーを想定して能力影響遮断処理も施してあるから、首輪を壊すのも電磁波発生を止めるのも不可能だ。無理やり能力を発動すれば、脳が焼き切れて死ぬだけだ』


 放送のような声は、鼻で笑ったようだった。どこかにカメラが仕掛けられているのか、部屋の様子もよく見えるらしく、その何者かは、スーツ男にこんなことを言ってきた。


『しかし、先日の会合の時も思ったが、本当によく似ているな。ちょっとこちらに顔をむけてもらえるか』


 紺野を殺れると確信しているのだろう。嗜虐の快感に酔いしれているような、余裕に満ちた声だった。スーツ男は言われるままに、血反吐にまみれて意識を失っている紺野の髪をわしづかみにして高々と差し上げ、血と汚物にまみれた顔をカメラがあると見られる方向に向ける。紺野は意識が戻ったのか、低くうめいた。


『……気味が悪いほどそっくりだな』


 その何者かは、ふうと息をついたようだった。

 紺野は気づかれない程度に薄く目を開けると、眼球だけを動かして周囲を見回した。紺野から見て右端の壁には、ドアらしき四角い形が見える。だが、ノブも取っ手もなく、どうやって開閉するのかさえ分からない。見える範囲には、どこにもカメラらしい物は見あたらない。スピーカーもない。一体どこからどうやって中の様子を見ているのか、半分意識のとんでいる彼にはさっぱり分からなかった。


『私は、若い頃の神代総代をよく覚えているが……うり二つと言ってもいいくらいだ』


 放送の声は自分の考えに気をとられているようだ。この隙に、なんとか脱出方法を見いださなければならない。だが、方法を考えようにも、全身を絶え間なく襲う激痛のために、少しでも気を緩めると意識を失いそうになる。とても集中して考えていられる状態ではなかった。

 と、放送のような声の主が再びため息をついた。

 次の瞬間、紺野の耳に、思いもかけない言葉が飛び込んできた。


『やはりこいつは義文さんの言われるとおり、神代総代の弟なのだろう』


 紺野は大きくその目を見開いた。

 遠くなりかけた意識が一瞬で引き戻され、ただでさえ困難な呼吸が、寸刻完全に停止する。


――弟?


 脳裏に、先日の神代亨也の姿が過ぎる。一緒にみどりの作った弁当を食べながら、たわいのない話をして笑っていた、彼の笑顔が。


――僕が、神代さんの?


『おや、気がついていたみたいだな』


 バカにしたような放送の声が響くと、スーツ男は乱暴に紺野の髪をつかみ直した。中空で体が揺れ、崩れた骨と内臓に筆舌に尽くしがたい激痛が走る。髪が引きつる痛みなど比ではない。苦痛にゆがんだ紺野の口の端から、黒ずんだ血が流れ落ちた。


『じゃあ、聞こえただろう。冥土のみやげに教えてやろう。おまえは恐らく、神代総代の双子の弟だ。どうやって出産の事実を隠したのかはわからんが、三十三年前、恐らく神代総帥によって東京駅に捨てられたのだ』


 紺野はその目を大きく見開き、息を殺してその声を聞いていた。


『総代の地位に就く者は、ただ一人。もし双子が産まれた場合、総代としての能力を受け継ぐのは兄だけだ。そこまでの力をもたない弟は、即座にその命を絶たれる掟になっている。それが、一族の安寧には必要不可欠なのだ。つまり……』


 男はひと呼吸おくと、低い声で言い放つ。


『どのみち、おまえは死ななければならない運命なんだ。気の毒だが、従ってもらおう。その部屋は全体を防壁シールドで覆ってある。唯一おまえの側にいる須藤は男だ。おまえの再生の可能性はないから、安心して死ね。……須藤』


「はい」


 スーツ男……須藤は紺野の髪をつかんだまま、畏まって居住まいを正す。


『殺れ』


 くぐもった声が短くこう言うと、須藤は部屋の一角に向かって恭しく一礼した。



☆☆☆



「沙羅くん、教えてくれ。何があったんだ?」


 亨也は先刻から、同じ質問を繰り返していた。だが、廊下の端にたたずむ沙羅は、泣きはらした目を窓の外を向けたきり、一言も言葉を発しようとはしない。形のよい唇を真一文字に結び、かたくなに無言を貫き通している。

 亨也も沙羅とは長いつき合いだ。彼女の頑固さはよく分かっている。これは長丁場になるかもしれないと、享也が小さなため息をついた、その時だった。

 誰かが、あり得ないスピードで廊下を駆けてくるのが見えたのだ。

 雨にぬれた前髪を額にはり付けて、リュックを二つ抱えたその男が走り過ぎると、灰色の床にずぶぬれの制服から水滴が飛び散る。 


「神代総代!」


 大声で叫びながら血相を変えて駆けてきたその男は、寺崎だった。

 そのただならぬ様子に、異変が起きていることを察知した享也は、すぐに寺崎のもとに駆け寄った。


「寺崎さん、どうしたんですか?」


「総代、助けてください!」


 全速力で駆けてきたのだろう、珍しく息を切らしている寺崎は、荒い呼吸の合間から必死の形相で言葉を継いだ。


「紺野が、……紺野が誰かに連れ去られたんです! 俺、どうしたらいいのか……」


 亨也は大きくその目を見開いた。

 ゆるゆると目線を移し、廊下の端に立つ沙羅の後ろ姿に目を向ける。向こうを向いているので表情は分からなかったが、背中には息詰まる緊張がありありと感じられた。


「沙羅くん、君は……」


 沙羅は黙ったまま、堅く両手を握りしめた。

 亨也は何を思ったのか、沙羅に歩み寄ると、その手首をつかんだ。ハッとして何か言いかける沙羅を引きずるようにして、自分の診察室に向かって早足で歩き始める。


【寺崎さんもきてください】


 短い送信に呼ばれ、寺崎も慌てて二人のあとを追う。

 診察室に入るや否や、享也は部屋全体を遮断シールドした。緊張に顔を引きつらせている沙羅の肩をつかみ、強引に自分の方に顔を向ける。力強い腕に抱きすくめられ、沙羅がハッとした時にはすでに、亨也の整った顔が目の前数センチの距離にあった。息をのんで硬直する沙羅に構わず、亨也はその額に自分の額を押しつける。

 二人の姿が銀色の輝きに包まれて見えなくなり、やがて、部屋全体が目映い光に覆い尽くされる。

 その輝きが収束した時にはすでに、沙羅は享也の腕の中で意識を失っていた。訳が分からず立ち尽くす寺崎を横目に、亨也は沙羅を抱き上げると、隣にあった簡易ベッドにその体を横たえる。


「何が起きているのか、大体分かりました」


 厳しい表情でそう言うと、亨也は寺崎に向き直った。嵐の前の静けさに似たその威圧感にのまれ、寺崎は思わずつばを飲み込む。


「行きましょう」


「は、はい!」


 銀色の輝きをまとい始めた亨也の白衣の裾を、寺崎は慌ててつかんだ。

 次の瞬間、簡易ベッドの周囲に引かれたカーテンの向こうに揺れる二人の影が、その場からこつぜんと消えた。

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