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輪廻  作者: 代田さん
第三章 兄弟
130/203

5月30日

 5月30日(木)


 あの事件から、五日がたとうとしていた。

 紺野は落ち着かなかった。襲撃の間が、五日も空くようなことはなかった。長くても三日から四日の周期で今までは襲撃があったのだ。しかし今回、これだけの間が空くということは、いったい何を意味するのだろう?

 平和な日々が続くことは本来ならば喜ばねばならないことだ。だが、紺野は気になって仕方がなかった。二十五日の襲撃。あれは、これまでで最大レベルのエネルギーを行使しなければ実現しえなかった。体が不自由なあの子どもにとって、それは相当な負担になったのではないか。その影響が、何らか体に表れているのではないか。そう考えるたび、紺野はそこはかとない不安を覚え、ジリジリするような焦燥感に苛まれるのだった。



☆☆☆



「優ちゃん……」


 佐久間はそっと部屋の戸を開けて、中をのぞいた。

 部屋の奥に置かれている少女の車椅子は空っぽだ。優子はベッドに横になっていた。じっと目を閉じ、口をほんの少しだけ開けて、死んだように眠っている。

 佐久間はため息をつくと、そっと扉を閉めた。

 お散歩のあとに、疲れて眠ってしまうことは今までもよくあった。だが、たいていは長くても一,二日たてば目を覚まし、いつもどおりの優ちゃんに戻る。だが今回、あの高校から帰った次の日から、彼女は眠りこんだきり、目を覚まさないのだ。時折うっすらと目を開けて周囲を見回している時もあるのだが、完全な覚醒ではないようで、またすぐに眠りについてしまう。医者の話では体に目だった異常はなく、恐らく疲れた脳を休めているとのことだったが、佐久間は自分があの高校に連れ出したことが原因のように思えて、不安でしかたがなかった。



☆☆☆  



「では、来週のボランティア体験受け入れ先を発表します。どこでやりたいか、自分の希望を考えながら見ていてください」


 担任教師はそう言うと、黒板に次々と施設の名前を書き連ねていく。


「なかよし保育園、青南保育園、真堂院幼稚園、慈光幼稚園、特別養護老人ホーム御子柴、デイホーム青南、ひかりの家、つどいの家、以上八カ所が今年の協力施設名です。幼稚園と保育園は分かりますよね。デイホームはご老人がご自宅から通われている老人福祉施設、ひかりの家は中度から軽度の身体障害者の支援施設、つどいの家は重度を含めた障害者支援施設です。この施設に各所四,五名ずつに分かれて行っていただきます。では、寺崎さん」


「あ、は、はい」


 じっと黒板に見入っていた寺崎は、慌てた様子で立ちあがった。


「ここからはお任せしますね。割りふりを決めて下さい」


「あ、はい」


 前に出て行きながら、寺崎はちらっと紺野に目線を送る。ひかりの家とつどいの家……このどちらかに、ひょっとしたらあの子どもがいるかもしれない。だが、どちらに行けばいいのか見当がつかない。紺野も難しい顔をしてじっと黒板を見つめたままだ。


「えっと……じゃあ最初、希望する施設に名札を貼ってってください。調整はそのあとってことで。こっちの列から順番にどーぞ」


 早口で言ってから、生徒たちが動き始めると、そっと紺野の側に行って耳打ちする。


「なあ、どっちだと思う?」


「分かりません。賭ですね」


「両方に名前入れとくか? どっちになってもいいように」


「寺崎さんと僕が分かれてってことですよね。それがいいと思います」


 話しているうちに、紺野の列もほとんどの生徒が貼り終えた。慌てて、紺野がひかりの家、寺崎がつどいの家にそれぞれ名札を貼り、着席する。

 見ると、特別養護老人ホームが誰もおらず、他は数人が余っているような状況になっていた。先輩から、特別養護老人ホームは重労働が多い上に下の世話までしなければならないという情報が流れ、敬遠した人が増えたらしい。


「えっと、何人か御子柴に移ってもらわないとまずいんすけど、誰か率先して移ってくれる人は?」


 しんと静まりかえるクラス内。寺崎はため息をついた。


「じゃ、公平にじゃんけんってことで、いいっすか?」


 特段不平も出なかったので、順番にじゃんけんで行く先を決めることになり、人数がはみ出ていたなかよし保育園から決めていく運びとなった。


「あー、うっそぉ! 保育園行きたかったのにぃ!」


 頭を抱えたのは三須だった。不承不承御子柴に名札を貼る。

 次は慈光幼稚園。ここで負けたのは、清水だった。だが、宮野や山根と別れられたので、こちらはどこかほっとした表情だった。


「次は、ひかりの家っすね」


 言ってから、絶対負けんなよ、とでも言いたげにちらっと紺野に目配せする。紺野は自信なさげな表情で、小さくうなずいた。


「じゃ、いくよ! せーの……」


 かけ声とともに一斉に出された手は、五人がグー、一人だけチョキ。そのチョキの顔を恐る恐る見て、寺崎はあんぐり口を開けた。それは他ならぬ、紺野だったのである。


「おまえなあ! なんで思いっきり負けんだよ!」


 ひそひそ声で文句をつける寺崎に、紺野はすまなそうに小さくなって頭を下げた。


「すみません、昔からじゃんけん弱くて……」


「何言ってんだよ! こういう時こそテレパシーでも何でも使って勝つんだろ!」


 すると紺野は思ってもみなかったことだったらしく、本当に驚いた顔をした。


「そんな不公正な……。寺崎さんだけでも、せめてがんばって下さい。お願いします」


「分かったよ。ったく、しょうがねえなあ」


 いよいよ最後の勝負、つどいの家である。寺崎は昔からよくやるように手を組み合わせて裏返し、次の手を占った。


「よっしゃ、いくぞ! せーの……」


 勢いよく出された、六人の手。紺野は身を乗り出して、勝負の行方に目を凝らす。

 五人がパー、一人だけグー。そのたった一人のグーは……何と、寺崎だったのだ。


「うっそぉ! マジかよ!」


 寺崎は叫んで、試合で負けたプロボクサーさながらにがっくりと膝をついた。やがてゆらりと立ち上がると、肩を落としてうつむいたまま、名札を貼り替える。


「……では、そーゆーことで、行く先が決まりました。皆さんがんばりましょう。先生、お願いします」


 ロボットのように抑揚なくこう言うと、寺崎は意気消沈して自分の席に座り、机に突っ伏した。隣の席の三須がくすくす笑いながら、寺崎の肩を突っつく。


「寺崎、じゃんけん超弱かったね」


「うっせーな。三須ちゃんだって同じだろ」


「紺野くんもね。何か笑っちゃう……」


 そのまましばらく、声を潜め肩を震わせて笑っている。


「でもまあ、一緒でよかった。リレー選の延長ってことで、よろしくね」


「え?」


 寺崎は体を起こしてもう一度黒板を見た。


「あ、そっか。三須ちゃんと一緒なのか」


「あたし、超ラッキーかも。紺野くんとまた一緒だし」


「俺らは超アンラッキーだけどな……」


 その言葉に、三須はむっとした様子で寺崎をにらんだ。


「何それ。どういう意味?!」


 寺崎は慌ててぶんぶん首を振る。


「あ、違う違う。三須ちゃんとどうこうってことじゃなくて、ただ、ちょっと訳あって、障害者施設にいきたかっただけだから」


 見ると、斜め前の席に座る紺野も、明らかに意気消沈しているのが分かった。


「俺たちって、肝心な時に運がねえなあ……」


 寺崎はため息まじりにつぶやくと、再び机に突っ伏した。



☆☆☆



「総代、資料をこちらに置いておきます」


「分かった、ありがとう」


 亨也は顔を上げずに早口でそう言うと、また一心にパソコンのキーボードをたたき始めた。

 沙羅は机に書類を置くと、そんな亨也をじっと見つめてから廊下に出た。

 昨日のことが、ずっと頭から離れなかった。紺野が、神代総代の双子の弟……。もしそれが事実だとしたら、紺野を殺さない限り、組織の、ひいては亨也自身の身の安全が保証できない。


――でも。


 沙羅は思い出す。紺野の話をする時の、亨也の優しいまなざしを。亨也は恐らく、それを望んでいない。亨也自身がその事実に気づいているかどうかは分からないが、彼は紺野に対して悪い感情を抱いていない。

 しかし、「双子が生まれたら即刻もう一人を消す」という一族の習わしは、長い年月をへて培われた先達の知恵と経験から生まれたものだ。双子を生かしておくことは、継承者の身の安全を揺るがす危機につながる。つまり、紺野を生かしておくことはすなわち、亨也自身の安全が脅かされる可能性を秘めているのだ。それを踏まえた上で、この事実を知ってしまった自分はどう行動するべきなのか……昨日からそのことばかりをぐるぐる考えていて、いつにも増して睡眠不足の沙羅は、半分ぼーっとしながら廊下を歩いていた。

 と、廊下の向こうから、きちんとスーツを着こなした、三十代くらいの背の高い男性が歩いてくるのに気がついた。きびきびした身のこなしに身体能力の高さにじみ出ているその男性に、沙羅はどこかで会ったことがあるような気がして目を凝らした。

 男性は沙羅の前で立ち止まると、慇懃いんぎんにかしこまり、深々とお辞儀をした。


「神代沙羅先生でいらっしゃいますか」


「え、ええ。……そうですが?」


「申し遅れました。私はこういう者です」


 男は名刺を取り出すと、沙羅に渡した。名刺には、『参議院議員 魁然廣政 秘書 須藤俊文』とある。沙羅はハッとしたように目を見開いた。


「廣政さんの秘書の方が、私に何のご用ですか」


「申し訳ありません。ご自宅に何度かご連絡を入れさせていただいたのですが、お忙しかったようで。少々急いでおりましたため、ご迷惑かとは存じましたが、仕事場にお邪魔させていただいた次第です」


 そう言うと、男は周囲に素早く目線を走らせた。


「緊急にご相談させていただきたいことがあります。三十分ほどで構いませんので、どこかでお時間をとっていただけないでしょうか」


 沙羅は腕時計に目を落とした。


「一時半ごろでしたら、昼食をとりながらお話をうかがえると思いますが……。お待ちいただいても構いませんか」


「当然です。ありがとうございます」


 沙羅は須藤と名乗るその男と、一時半に会う約束を交わし、別れた。


――魁然廣政が、私に何の用だっていうの?


 廊下を歩きながら、沙羅は胸の内に何とも形容しがたい重苦しい不安が広がっていくのを感じていた。



☆☆☆  



「お時間を取っていただいて、ありがとうございます」


 須藤は改めて深々とお辞儀をした。

 病院の外にある、小さな喫茶店。その窓際の席に、二人は向かい合って座っていた。時刻は一時五〇分。予定より遅くなってしまったのだが、病院内ではまずいことでもあるのか、須藤が病院外に出たがったのだ。


「で、廣政先生が私に何のご用ですか」


 沙羅が問うと、須藤はカバンから一通の手紙を取り出した。


「詳しくは、廣政先生からのお手紙を読んでいただければと思います。私の話はそれからということで」


 沙羅は手紙を受け取ると、封を開けた。縦書きの、流れるような行書体でしたためられた手紙に目を通し始めて数分。無言で手紙を読んでいた沙羅の手が、小刻みに震え始めた。


「須藤さん、これは……」


 須藤はうなずくと、重々しく口を開いた。


「読んでいただいて分かるとおりです。その件に関して、ご協力を願いたいのです」


 こわばった顔で自分を見つめる沙羅を尻目に、須藤は無表情にコーヒーを飲んだ。


「でも、こんなことを神代側に通告なしで行うのは……」


「廣政先生、それに魁然義文氏も、その件に関しては問題ないというご判断です」


 抑揚なくそう言うと、目を見開いて息をのむ沙羅に、冷え切ったまなざしを向ける。


「神代総帥は、その件に関して反論することはできないだろうと、お二人とも判断されています」


 目の前に置かれたコーヒーに手を付けることもせず、沙羅はカラカラに渇いた喉に唾液を送り込んだ。須藤はコーヒーカップを置くと、さらに声を潜めて言葉を継ぐ。


「ただ、相手は能力者ですから、魁然側だけでことを行うには少々不安があります。特に、神代総代……」


 亨也の名前が鼓膜を震わせた瞬間、沙羅は思わず呼吸を止めた。


「あの方に計画を気づかれては、水の泡です」


 須藤は営業スマイル、というやつだろうか、やけににこやかにほほ笑んだ。


「あなたには、拉致の瞬間を総代に気づかれないよう、トレースを妨害していただければいいのです。あなたのテレパスとしての高い評価は存じ上げています。それを見込んで、お願いに上がった次第です」


 そう言うと、須藤はその目に氷のような冷たい光を宿して沙羅を見据えた。


「もし、ご協力いただけるのであれば、今回、神代啓子氏……お母さまにかかっているある嫌疑に関しても、穏便に取り計らう用意が魁然側にあることも、申し添えておきます」


 沙羅は弾かれたように顔を上げて須藤を見た。


「……母にかかっている、嫌疑というのは?」


「啓子氏には現在、城崎梓という魁然家の流れをくむ女性に犯罪的な精神攻撃をかけた疑いがかかっています。まだ十分な証拠が集まっていませんが、恐らく魁然側が本気で捜査をおこなえば、証拠は簡単に集められるでしょう。もし今回、この件にご協力いただければ、その代償として捜査を凍結し、証拠不十分で不問にする用意がある、ということなのです。決して悪い取引ではないと思うのですが」


 沙羅はコーヒーカップを持ち上げたが、ひどく手が震えて少しこぼしてしまい、諦めたように受け皿に戻した。


「少し、考えさせていただいてもよろしいですか。あまりにも、急なお話なので……」


「分かりました。では、明日の朝、再度メールでご連絡をさせていただきます。その時までにお返事をお願いいたします。メールアドレスをうかがってもよろしいですか?」


 須藤は沙羅のアドレスを登録すると席を立ち、深々と礼をして立ち去った。


 須藤が立ち去った後も、沙羅は冷めたコーヒーに手をつけることもなく、膝の上に縫い付けられて細かく震える自分の両手を見つめていた。視界の端には廣政がしたためた恐ろしい手紙が、黒いテーブルの上でその白さをやけに際だたせている。


――どうしたらいいの?


 沙羅は目を堅くつむり、震える両手で顔を覆うと、腹の底から絞り出すような深いため息をついた。

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