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輪廻  作者: 代田さん
第一章 邂逅
13/203

4月10日 2

 放課後になり、にぎやかな声が教室内外に響き渡り始めた。

 部活動にまだ入っていない一年生も、この一週間は自由に見学をして入りたい部活を選ぶことができる。おおかたの一年生は、お目当ての部活の見学へ行くために、友達同士誘い合ったり、部活紹介のビラを眺めたり、すぐに下校する様子はない。

 そんな級友たちを横目で見つつ、寺崎はさっさと帰り支度を済ませて立ち上がった。

 寺崎は部活に入る予定はない。魁然玲璃の護衛役として、生徒会に入る予定だからだ。運動神経抜群の彼なら運動部での活躍は間違いないだろうが、仕事があるのだから仕方がない。ということで、見学の予定もない寺崎は、紺野のあとをつけてみようと思い立ったのだ。

 寺崎はカバンを手に教室を出ると、壁際に張り付いて気配を消し、窓の隙間から紺野の様子を窺い見る。帰り支度をしているところを見ると、どうやら紺野も部活見学には行かないらしい。

 と、後ろの方から宮野達の大きな声が響いてきた。


「清水ぅ、おまえ、まさか部活見学なんて行かねえよな?」


「そうそう、俺たちと放課後は行くところがあるもんなー。行くわけねえよな」


――また、いじめか。


 寺崎は不愉快そうに眉をひそめると、その様子も併せて窺った。


「したら、そろそろ行こうぜ。今日はゲーセンに付き合ってくれる約束だよな」


「小腹も空いたな。そのあとみんなでなんか食おうぜー」


 宮野たちはどうやら清水におごらせる魂胆らしい。清水はというと、曖昧な笑みを浮かべたまま目線を泳がせて返答に窮している。はっきり断れない性格らしい。


――しょうがねえなあ、今日は紺野は諦めるか。


 寺崎は鼻でため息をつくと、踵を返して後ろ扉に向かった。


「やあやあ、清水くん。お待たせ!」


 勢いよく後ろ扉を開けて入ってきた寺崎は、ギョッとして固まった宮野たちと清水との間にほとんど無理やり割り込むようにして入り、清水の腕をむんずと掴んだ。


「な、何だ? おまえ……確か」


 突然のことに、宮野は目を白黒させながらやっとのことでこれだけ問う。


「あ、ども。同じクラスの寺崎っす」


 そんな宮野には全くお構いなしに、寺崎はあっけらかんと答える。


「清水くんと部活見学に一緒に行こうって約束してたんだけど……、あれ? 宮野さん達は?」


 宮野と山根は一瞬口ごもったが、平静を装った。


「……え、俺たちも、これから清水と一緒に帰ってやることがあんだよ」


「あれ? おっかしいなあ。清水くん、約束と違うじゃん」


 清水は何が何だか分からないらしく、口をもごもごさせてうろたえている。


「とりあえず、俺の方が先の約束だったんだ。悪いけど、優先してくんねえ?」


 寺崎はそう言うと、上方から睨むような目つきで宮野たちを見下ろした。体格がよく背も高い寺崎が睨むと結構な迫力があるらしく、宮野と山根は言葉を飲み込んだ。


「……しょうがねえなあ」


 渋々引き下がった宮野たちに、寺崎は先ほどの表情がウソのような屈託のない笑顔を向けた。


「サンキュ、すまねえな。じゃ、清水くん、行こうぜ」


 寺崎は強引に清水の腕を掴むと、引きずるようにして教室を出て行った。

 無理やり引っ張られて清水はつまずきそうになりながら歩いていたが、昇降口までくると寺崎はぴたりと足を止め、清水の腕から手を離した。おずおずと目線を上げた清水を、いささか怖いくらいの表情で睨みおろす。


「あ、あの……」


 気おされて口をもごもごさせている清水の様子に、寺崎は小さくため息をついた。


「おまえさ、とりあえずこのこと、教師でも相談員でも、助けてくれそうなやつに伝えといた方がいいよ」


「え、……」


「自分じゃやめろって言えねえんだろ? 一昔前に比べれば、今は大人も社会もいじめには敏感になってるし、多少は変わるんじゃねえか? 証拠が必要なら、俺も証言してやれるし」


 清水は言いにくそうに口をもごもごさせていたが、やがて呟くような声でボソボソと言葉を返した。


「……無理だよ」


 寺崎は眉をひそめて清水を見下ろした。


「大人は何もできない。中学からずっとあの調子で……告げ口すると、三倍くらいひどいこと、されるんだ。多分明日も、ひどい目に遭うと思う」


「だったら、なおさら第三者の助けが……」


 寺崎は口を噤んで目を見開いた。口論する彼らの脇を、カバンを手にした紺野が無言で通り過ぎていったのだ。


「……とにかく、まずは誰かに相談しろ! とりあえず、明日、もしなんかされたら俺も助けっから! じゃあ、あいつらが来ないうちに部活見学でもなんでも行っておけよ!」


 まだ口をもごもごさせている清水にそう言い捨てると、寺崎は慌てて靴を履き替えて昇降口を飛び出した。



☆☆☆



 寺崎は校門を走り出ると大慌てで辺りを見回した。見失ったかと思って焦ったが、一つ先にある十字路の信号で立ち止まっている紺野の茶色い髪が目に入り、ほっとしたように息をつく。


――よかったぁ。


 寺崎は気配を消すと、紺野のあとを追って歩き始めた。

 三十メートルほど先を歩いていく彼のあとを、寺崎は完全に気配を消して追う。見事な尾行である。魁然家は並外れた身体能力を有する一族であり、その遠戚にあたる彼も、一般人よりははるかに優れた運動能力を有する。そのため、こうした行動も得意中の得意なのである。


――それにしても、随分歩くな。


 寺崎は首をかしげた。紺野が駅に向かわなかったので近所に住んでいるとばかり思っていたが、歩いても歩いても家に着かない。もうかれこれ、五十分近く歩いているだろうか。これでは、四駅分以上だ。


――何で電車で通わないんだろう?


 寺崎の疑問は、程なく解けた。

 紺野は河川敷から狭苦しい路地をくねくねと抜け、ようやく彼の住居らしいアパートに入っていった。

 そのアパートを見て、寺崎は思わず凍った。

 今にも倒れそうなぼろぼろの波板の壁に、今どきめったに目にしないひびの入ったすりガラス。外置きの洗濯機すら置かれていない家がほとんどで、鉄製の外階段は今にも崩れ落ちそうなほど錆びついている。紺野はその朽ち果てた階段を登り、一番手前の部屋に入っていった。


――こんなとこに住んでんのかよ。


 寺崎はぼうぜんとボロボロのアパートを見上げた。

 寺崎も決して裕福な育ちではない。母一人子一人でつつましく暮らしてきている。だが、一族からの支援のおかげでそれなりに生活は整っている。一族の支援がなければ自分たちもこうなっていたかもしれないと、寺崎は今日の彼の質素な弁当を思い出しながら、社会保障も満足に行き届かない昨今の国の衰退に思いをはせていた。


「あんた、何だ?」


 いきなり背後から声をかけられて、寺崎は縮み上がった。彼にしては珍しく、気配に全く気づいていなかった。かなりぼうっとしていたらしい。

 慌てて振り向くと、汚らしい上着を着た背の低い老婆が、後ろ手に手を組んで上目遣いに寺崎を睨み付けている。


「なんか、用でもあるんか?」


「あ、いえ、あの、俺はですね、あそこに住んでいる紺野ってやつの友だちでして、……そう、一緒に帰ってきたとこなんです。怪しい者じゃありません」


 しどろもどろに寺崎がそう弁解すると、老婆は目を丸くして、ああと頷いた。


ひでちゃんの? そうなの。わたしゃてっきり不審者かと思って……すまんね」


「いえいえ、こちらこそすみません。驚かせて」


 寺崎はほっとしてにじみ出た汗を拭った。


「わたしゃね、秀ちゃんの隣に住んでる、石川っちゅうもんだで。よろしくな」


「あ、は、はい。よろしくです」


「ところであんた、秀ちゃんの友だちかい」


 とりあえず頷いてみせると、老婆は嬉しそうに顔をほころばせ、何やら勝手にしゃべり始めた。


「そうかい。あの子もやっと友だちができたかい。中学ん時は一人も友だち連れてこんかったけど、高校になってやっとできたんだねえ。よかったよかった」


「紺野って、ずっとここに住んでんですか?」


 その言葉に、老婆はいやいやと首を振った。


「そりゃあんた、中学になってからだよ。でも、中学で一人暮らしすんのだって偉いと思うよ、わしは。最近の若いもんに比べたら、あの子は立派だよ。ほんとに」


「……一人暮らし?」


 寺崎が聞き返すと、老婆は驚いたように眉を上げた。


「何だ、あんた、知らないんかい? 秀ちゃんはね、親いないんだよ。生まれたときかららしいよ。ずっと施設で暮らしてたって大家が言ってたもん」


 寺崎は二の句が継げず、老婆のよく動く皺だらけの口元を黙って見つめた。


「高校もさ、国から金もらってさ、……奨学金だっけねえ。あの子優秀だから。それでやっとこ行けたらしいよ。でも、さすがに大学は無理だろうけどねえ。もったいないねえ。あの子、ほんと優秀なんだよ。うちの孫とは比べものにならないよ。うちの孫も高校生だけどねえ、ろくろく通ってないらしいんだ。やっぱり母親が働いてて家にいないから……」


 老婆は寺崎の反応などお構いなしに、もはや一人で勝手にべらべらしゃべっている。寺崎はそれを聞き流しながら、ぼうぜんと紺野の部屋を見上げていた。



☆☆☆



「ただいまあ」


 寺崎は古びたマンションの鍵を開けると、頭をぶつけないように軽く身をかがめて中へ入った。


「お帰り、紘」


 台所から女性の声が返ってきた。同時に、ほんのりと漂ってくる甘辛い匂い。寺崎は目を輝かせ、鼻をひくつかせた。


「お、今日はひょっとして、肉じゃが?」


 寺崎が台所に入ると、寺崎の母親、寺崎みどりが料理をしているところだった。小ぶりの車椅子に乗ったみどりは、実に器用に調理をしたり、テーブルに皿を並べたり、くるくると忙しく動いている。調理台は、特別な仕様で車椅子でも楽に調理ができる高さに調整してあるらしい。


「正解。手を洗って着替えたら洗濯物を取り込んでちょうだい」


「おっけい」


 洗濯は主に寺崎の仕事である。みどりは両足の膝から下がない。この家は段差や仕切りの壁を極力減らすなどバリアフリーに改造してあるのだが、さすがに車椅子のままではベランダに出たり高いところに手を伸ばしたりすることは難しい。なので、寺崎が夜の間に干しておき、朝外に出して、帰宅後取り込んで畳むという一連の仕事を請け負っている。

 掃除も、朝学校に出かける前に寺崎がしている。その代わり、みどりは特注の調理台で料理を主に受け持つ。買い物も、電動車椅子で行ってくることができる。そんな感じで、寺崎家では日々の生活を二人で協力して行っているのだ。

 毎日の仕事なので、寺崎の手際はいい。あっという間に洗濯物を畳み、それぞれにしまった。その間に、夕食もすっかりでき上がったようだ。テーブル上でおいしそうな湯気を立てる夕食に、台所に戻ってきた寺崎は目を輝かせた。


「やったあ、俺肉じゃが大好き〜」


「何なの? 子どもみたいに」


 みどりがよそったみそ汁を渡すと寺崎がそれを受け取ってテーブルに並べ、あっという間に配膳して席につくと、二人は手を合わせた。


「いっただっきまーす」


 早速肉じゃがをほおばる寺崎の様子を、みどりは苦笑しながら見やった。


「紘、高校はどんな感じ?」


「ん、いい感じ」


「総代とは会ったの?」


 寺崎は頬張ったジャガイモで口をいっぱいにしながら大きく頷いた。


「今日会った。話もしたよ」


「何だって?」


「うん、何か俺のクラスに気になるやつがいるっていうから、今日はそいつのことちょっと調べた。」


「そう。誰なの?」


「紺野とかいうやつ。静かで目立たないやつなんだけど。頭もいいし」


 そう言うと寺崎はちょっと箸を止め、遠くを見るような目つきをした。


「驚いた。そいつ、親いないんだって」


「え、そうなの?」


 みどりも目を丸くしてそんな寺崎を見つめ直した。


「うん。今日、そいつのあとをつけて家まで行ってみたんだけど、それがうちなんかより遙かにひでえアパートでさ、そいつの隣に住んでるばあちゃんがいろいろ話してくれたんだけど、そいつ中学のときからそこで一人で暮らしてるって。高校も奨学金でなんとか入れたけど、電車も乗らねえで学校まで五十分かけて歩いて通ってるらしい」


 目を丸くして頷きながら話を聞いていたみどりだったが、やがて感心したようにため息をついた。


「なんか話だけ聞いてると、すごく偉い子のようだけど」


「けど、総代はそいつのことなんでだか気にしてた。生徒会で気になるやつがいて、そいつが紺野のこと妙に気にしてたって。なんのことだかよく分かんねえけど、とりあえずしばらくはこいつを見張ってようかと思って。それくらいしか、今のところ仕事ねえじゃん」


 その言葉に、みどりはくすっと笑った。


「そうね。護衛って言っても、何かおおっぴらに危険があるわけでもないし」


 そうそう、と寺崎も頷いてみせる。


「だからおいしいんじゃん。これで月二十万もらえんだぜ。給料日いつだっけ」


「さあ。二十五日とかその辺じゃない?」


「初給料でさ、何か買ってやるよ」


 みどりは驚いたように目を丸くして息子を見つめたが、優しい笑顔を浮かべて(かぶり)を振る。


「何言ってんの。私のものより、あなたの好きな物買いなさい」


「いいからいいから。考えといてよ」


 寺崎はそう言って屈託なく笑うと、肉じゃがを口いっぱいほおばった。

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