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輪廻  作者: 代田さん
第三章 兄弟
129/203

5月29日

 5月29日(水)


「どうしてですか? 編集長!」


 朝の編集室に、須永の甲高い声が響き渡った。

 ひげ面の編集長は大きな肘掛けつきの回転椅子に背中をもたれ、いつもにも増して苦虫をかみつぶしたような顔で黙っている。


「この記事にはちゃんとした裏付けがあります! 高校での事件に至っては、私と石黒さんが実際にこの目で見ている。月曜におうかがいした時は、編集長も乗り気だったじゃないですか! それが、どうして今日になって……」


「しかも、取材した電車の乗客や暴走車事故に遭遇した人の中には、顔と名前をふせれば、目撃者として証言してもいいと言っている人が何人もいるんですよ? 納得できません」


 石黒の言葉に編集長はため息をつくと、二人の目の前に一枚の文書を差し出した。


「……これは?」


 須永がその文書を手に取ると、石黒も横合いから顔を突きだす。

 「五月二十五日(土) 西南高校で発生したガス爆発事故および火災の報道について、以下の通り要請します」という表題が掲げられたその文書の発信者名を見て、須永も石黒も目を丸くした。「民主自由党 報道局長」という肩書が記されているのだ。


「……なんで、民主自由党が?」


「あの学校は都内でも有数の進学校だ。公立学校ながら、民主自由党の大口献金者の子弟が通っている。その有力者たちから、騒ぎを大きくして子どもたちの学習の妨げになるような報道を控えてほしい」という要請が入ったんだそうだ。それに加えて、あの学校には魁然警視総監のお嬢さんも通学している。警察トップの娘が通う学校の事件に関し、警察が把握していないような事実を暴きたてられたらまずいということなんだろう」


 そう言うと編集長は、底光りする目で須永を見据えた。


「警察を敵に回したら、こんな弱小雑誌社はすぐに取り潰される。過去の取材で、うちもそれなりにヤバい橋を渡ってきているのは、須永くんが一番よくわかってるだろう?」


 思い当たることが山のようにあるのか、言葉に詰まる須永を横目に、編集長は厳しい表情で言葉を継いだ。


「それらに警察が目をつむってくれているのは、いざという時に素直に言う事を聞いて口をつぐんでもらうためなんだよ。そして、民主自由党の幹事長と警視総監は、どちらも同じ、あの特殊な名字の一族だ。それがどういう意味かは、この仕事を長くやってる人間ならわかるだろう」


 そう言うと編集長は、須永の報告書にじっと目を落とした。


「ただ、須永くんの報告書を見るに、民自党や警察幹部がこの件を隠したがっているのは、恐らく、子どもたちの学校生活なんていうふわっとした理由じゃないな。渋谷の暴走車事故の際も、また、地下鉄の事故の際も、警察の捜査は中途半端に打ち切られている。そして、今回の件に至っては、マスコミの関与までもが強引に断ち切られた。この三件の事件に共通して関わっているのは、須永くんの言うとおり、あの紺野という少年だ。彼がこの件のキーパーソンであることは間違いないだろう」


 編集長のその言葉に、須永は目を輝かせて身を乗り出した。


「ですよね! だったら、民自党から差し止めの要請のない、あの二件に関してだけでも……」


 その須永の短絡的な思考に、編集長はやれやれと肩をすくめる。


「だからこそ、それらの事故に関しても、これ以上触れるのは危険ということだろうが。この業界でこれからも食っていくつもりなら、もう少し忖度そんたくを覚えろ」


 目を丸くして言葉を飲み込んだ須永を、編集長は鋭い目でにらむように見上げた。


「今後、あの紺野という少年が関わる案件に関しては、うちの雑誌には一切記事を掲載しない。もしどうしても発表したいというなら、うちの社をやめてフリーの記者になり、ネットにでも個人掲載しろ。ただ、果たしてそれで何人の読者がつくかは知らんがね。多少ついたとしても、あの内容では、トンデモ都市伝説として消費されてされてすぐに読者の記憶から消えるのがオチだろう。この雑誌社を去ることは、きみらの人生にとっても大きなマイナスになると思うが、まあ、あとは君らの判断に任せる。私からは以上だ」


 須永は何も言わなかった。言う事が出来なかった。編集長のはげあがった頭を見つめながら、じっと拳を握りしめ、足の震えを止めようと必死だった。


「須永さん……」


 石黒は口を開きかけたが、そんな須永に何を言いようもなく、奥歯をかみしめて足元を見つめた。



☆☆☆  



「失礼します」


 民自党中凹区支部。広々としたデスクの前でタバコをくゆらせていた魁然廣政、民主自由党幹事長は、入ってきた背の高い男に目を向けた。


「須藤くんか。どうだ? 報道規制の方は」


「はい。大手マスコミはもちろん、中小の報道機関、雑誌、メディアにも要請文書を出しておきました。あの事件に関する報道は、最低限に抑えられるものと思われます」


「そうか。よかった。ではその旨、魁然総帥に報告しておいてくれ」


「分かりました。早速お伝えします。ところで、先生にお客様がお見えなんですが」


「そうか。誰だ?」


「経団連会長の魁然義文様です」


 廣政は眉を上げて体を起こすと、吸っていたタバコを消した。


「わかった。すぐ入っていただきなさい」


 須藤は恭しく一礼すると、部屋を出た。程なく須藤が開けた扉の向こうから、立派なあご髭を蓄えたかっぷくのいい初老の男性が、悠然と入ってきた。


「これはこれは、義文さん。わざわざおいでいただいて……」


 廣政が勧めると、義文は一礼してソファにどっかと腰を下ろした。


「すみませんな。突然お邪魔して。お忙しかったのではないですか?」


「いえ、大丈夫です。義文さんの方こそ、お忙しいのに」


「それが、突然予定が一つキャンセルになりましてな。ぽっかりと時間が空いたうえに、ちょうど近くにおったもので。ご都合も確かめず、つい立ち寄ってしまった次第で。いい大人が、申し訳ない」


「とんでもない。私もちょうど、義文さんとお会いせねばと思っていたところです」


 コーヒーを運んできた女性が去るのを待ってから、義文は、おもむろに口を開いた。


「土曜日の件に関しては、廣政さんにご尽力いただいたおかげで、なんとか大ごとにならずにやりすごせそうですな。いつもながら、廣政さんのマスコミ掌握力には頭が下がります」


「いえいえ、これはある意味日常業務の一環ですし、そう難しい事でもないので。ただ……」


 そう言うと廣政は、表情を改めた。


「例の件については、もうお聞きになりましたか」


 義文も深々とうなずいた。


「私も、今日はその話をしに参ったところです」


 カップの縁を立派なあご髭の間に差し込むようにしてコーヒーを口に運ぶと、ふうとため息をつく。


「ある「重要な事実」の証言者として、魁然総帥が警護をつけて身柄を保護していたという、城崎梓という女性……その彼女が先日、神代側の精神攻撃をうけたと」


 廣政は固い表情でうなずいた。


「精神攻撃を行った人間に関しては、護衛にあたっていた魁然側の警備員の記憶が抹消されているのでわかりませんが、あの能力レベルからして、おそらく相当の高位能力者だろうと推定されます。魁然総帥の方でも総力を挙げて調べを進めていますから、ある程度割り出せるとは思いますが、下手人が誰と言うより、問題は」


 義文はコーヒーを口にすると、静かに同意を示す。


「彼女が知っていた「重要な事実」とは何だったのか、という事の方でしょうな」


 廣政はうなずくと、自分もコーヒーで乾いたのどを潤した。


「彼女がどういう事実を知っていて、なぜ警備が必要なのかについては、われわれには知らされなかった。ただ、城崎梓という人物が、神代京子総帥が通っていた産婦人科に時を同じくして通っていたという事実は、ある程度の調査力があればわれわれでも把握できます。そして、魁然総帥はもう一人、藤代産婦人科という医院の院長の身辺警護もしている。城崎梓と藤代産婦人科。この二つに共通して関わっているのは、神代総帥です。そして、関わっていたのは、三十三年前。これが何を意味するかは、通達がなくてもわれわれ一族であればすぐに察しがつく。そして、その人物が神代側から精神攻撃を受けたとなれば、その疑いにかなりの信ぴょう性が出てくるわけで」

 

 そこまで一気に語ってから、廣政は目線を挙げて義文を見た。


「……どう思いますか? 義文さんは、あの男について」


 義文は重々しくうなずいた。


「あの、紺野とかいう男のことですな」


 義文はうなずきながらあご髭をなでていたが、その手を止めると鋭い目をして廣政に向き直った。


「あの男は、組織を不安定にする要因になる」


「不安定に?」


 再びゆっくりと顎髭を往復する義文の手元を、廣政は緊張した面持ちで見つめる。


「あの男が現れてから、魁然総代の身辺が明らかに騒がしくなった。鬼子があの男を狙って攻撃を仕掛けているのは明らかでしょう。それに加えて、あの男の容貌……神代総代とうり二つの容貌に、相当に高いレベルの能力。それだけでも十分に嫌な予感がしていたところに、今回の城崎梓の件で、私は確信を持つに至りました」


 義文はそう言うとあご髭をなでる手を止めて、じっと鋭い目で前方を見据えていたが、やがて静かに口を開いた。


「神代総帥が、おそらく全てをご存じだろうと」


 廣政は瞬きすら忘れたかのように、義文の口元をまじろぎもせず見つめている。


「そしてそれは、神代総帥自らが、決して白日の下にさらすことはできない。そういう事実を含んでいると、私は思う」


「おっしゃるとおりだと……思います」


 廣政はこれだけ言うと、耐えきれなくなったように下を向いた。

 義文はあご髭をなでながら、口の端を片側だけ引き上げ、剣呑けんのんな表情を浮かべた。


「明らかにできないのなら、われわれが独自に動いても差し支えない……そうは思いませんか」


 廣政はぎょっとしたように目を丸くして義文を見つめた。ある程度予想してはいたものの、こうもあからさまに断言されるとは思ってもいなかったのだ。

 義文はゆっくりとあご髭をなでながら、遠い目をした。


「何百年もの間、連綿と受け継がれてきた、われわれ一族の悲願。その悲願の達成を一身に背負っている、魁然総代。彼女に危険が及ぶような事態は、われわれはなんとしてでも断ち切らねばならんのです。神代総帥はその事実を明らかにできず、なおかつ立場の重い魁然総帥が思うように動けないなら、ある程度自由に動けるわれわれが独自に動くしかない。……違いますか?」


 義文の言葉にうなずきつつも、廣政はカラカラに渇いた喉にごくりとつばを送り込む。


「あの男を、消しましょう」


 義文はあご髭から手を離すと、きっぱりと言いきった。


「それがわれわれ一族の安定にとって、必要なことなのです」

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