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輪廻  作者: 代田さん
第三章 兄弟
124/203

5月26日 1

 5月26日(日) 


 寺崎は、苦しそうな声で目が覚めた。

 時計を見ると、深夜二時。声は、どうやら紺野の部屋から聞こえてくるようだ。寺崎はそっとベッドを抜け出すと、紺野の部屋へ向かった。

 扉を開けて中をのぞくと、紺野がひどくうなされていた。うめき声を上げながら首を左右に振り、汗だくになっている。そのあまりにも苦しそうな様子に、寺崎は思わず声をかけた。


「紺野、……紺野!」


 肩をつかんで揺すぶりながら、大声で呼びかける。と、程なく紺野は目を覚ました。


「……寺崎さん?」


「大丈夫か? 紺野」


 紺野はぼうぜんと周囲を見回すと、ゆっくり体を起こした。


「ずいぶんうなされてたな」


「そうでしたか。すみません……」


 紺野は目を閉じると、深く、ゆっくりと息をつく。と、寺崎がうつむき加減の額にそっと手をあてた。


「やっぱ、熱出してんな」


「え?」


「かぜひいたんだよ。待ってろ。体温計取ってくる」


 寺崎はそう言って部屋を出ると、程なく奥の部屋から体温計を取って戻ってきた。


「ほら。測ってみろ」


 紺野は頭を下げて素直に体温計をわきの下に挟み込むと、しばらくそのままの姿勢で、黙って手元を見つめていた。


「……寺崎さん」


「ん?」


「僕は……」


 何をか言いよどむと口をつぐみ、再び目を閉じて息をつく。


「何だかずっと、変な気分なんです」


「変な気分?」


 紺野はうなずくと、遠い目をした。


「僕は、今まであの子どものことを、ただ単純に危険な存在としてしかとらえていなかった。出生直後、裕子の腹からはい出してきたあのおぞましい記憶のまま、それはずっと変わらなかった」


 寺崎はじっと、静かに語る紺野の横顔を見つめた。


「でも、今回、僕は間近にあいつの存在を感じて……何だか、本当に変な気分なんです。何と言ったらいいのか、ちょっとよく分からないのですが……」


 その時、体温計がピピッと鳴った。


「見せてみな」


 紺野から体温計を受け取ってその表示を見やり、寺崎は納得したようにうなずく。


「熱のせいだよ、それは」


 黙って体温計を差し出す。表示は、「三十九,八」となっている。


「寝てろ。今、水と着替えと冷えピタ持ってくるから。明日の朝は起きてくるんじゃねえぞ」


 寺崎はそう言いおいて、部屋を出て行った。

 紺野は申し訳なさそうにその後ろ姿を見送っていたが、寺崎の足音が遠ざかると、小さく息をついて天井を見上げた。

 紺野の頭の中であの時、催眠をかけた男を通して語られたあの子どもの言葉がリフレインする。


『同じ血が流れていて、この差は何なんだ。おまえは自由に動いて、高校に行って、結婚もできる。それなのにこちらには、何もない』


『ここにいるやつらは、みんな死んでしまえばいい。幸せなやつらなんか、いなくなってしまえばいいんだ!』


 紺野はあの時、その言葉からあの子どもの生に対する執着を感じた。いつも死を望んでいた自分は絶対に感じることのなかった、執着を。執着があるからこそ、他人をうらやみ、ねたみ、憎む気持ちが生まれる。だから紺野は、あの時、あの子どもを脅迫したのだ。あの子どもが絶対に、自分が死ぬようなことはしないとふんで。そしてそれは成功し、あの場をおさめることはできた。

 だが今になって紺野は、あの言葉から全く別の感情を感じて戸惑っていた。

 それは自分も確かに感じたことのある感情だった。激しい疎外感、とでもいうのだろうか。自分だけ見捨てられたような、孤独な、悲しみの感情を。

 あの子どもは車椅子に乗っていた。自由に動ける体ではないのだろう。年齢からすれば、恐らく十六歳。本来なら、高校に通っている年齢だ。だが、障害のためなのだろう、それもしていないようだ。

 紺野は大きく息をつき、目を閉じた。

車椅子越しに見えた、あの子どもの頭。茶色い、ふわっとした髪だった。どんな顔をしているのだろう? 障害の程度は、どんな感じなのだろう? 男なのか、女なのか……。何という名前で呼ばれているのだろう?

 今までと全く違う感覚で、紺野はそれを知りたいと強く思った。紺野があの子どもを、一人の人間としてとらえた瞬間だった。



☆☆☆  



 玲璃はなかなか眠れなかった。うとうと微睡んでは、目を覚ますのを繰り返している。

 目を閉じても、体育祭での出来事が頭に浮かんできてしまい、どうにも気持ちが落ち着かないのだ。

 輾転反側てんてんはんそくを繰り返している玲璃の頭に、ふとあの時の紺野の横顔が浮かんだ。

 いつもの穏やかで優しい、それでいて揺るぎない強さを秘めた、あの静かなまなざしを。


――やっぱ、あいつって、大人なんだよな。


 若干十八歳の自分には出せそうもないあの雰囲気に、普段の紺野からは想像もつかない頼もしさと心強さを感じて、玲璃はなんだかどきどきした。昼過ぎに寺崎から紺野が無事に戻ってきたという報告をもらったときには、心底ほっとした。明日、顔を見にいかなければ……玲璃はそう思いながら、もう一度寝返りをうった。

 じっと目を閉じていると、今度はあの時、鬼子に操られていた男が送信してきた、あの言葉が頭をよぎる。


『同じ血が流れていて、この差は何なんだ。おまえは自由に動いて、高校に行って、結婚もできる。それなのにこちらには、何もない』


――同じ血? 一体どういう意味だ? 自分に、あの子どもと同じ血が流れている?


 玲璃はハッと目を見開くと、跳ね起きた。


――そうだ。私の母親は裕子。そして、あの子どもの母親も、裕子……。


 今まで全く思い当たらなかったが、言われてみれば確かにそうなのだ。父親は違うが、あの鬼子と、自分は……。


「……きょうだい?」


 玲璃はその恐るべき事実に、呼吸すら忘れてぼうぜんとしていた。

 父親違いの、きょうだい。弟か妹かは分からないが、あの子どもは、自分にとって血を分けたきょうだいなのだ。しかも鬼子の父親は、他ならぬあの男……紺野秀明。

 玲璃は布団に潜り込むと、固く目をつむった。あまりのことに頭がゴチャゴチャして、思考の整理がつけられそうになかった。

 悶々とする玲璃の部屋にはすでに、明け方の薄い光が差し込んできていた。

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