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輪廻  作者: 代田さん
第三章 兄弟
123/203

5月25日 5

 寺崎とみどりが自宅に帰ってきたのは、時計の針が正午をまわった頃だった。

 結局あの後、生徒も保護者も流れ解散のような形で学校から出されてしまった。教員にも多数の被害者が出ていたので、致し方ないだろう。魁然側の計らいか、警察からは簡単な事情聴取を受けただけで解放され、玲璃は騒ぎを聞きつけた魁然家の黒塗りベンツに乗せられ、柴田もつきそって安全に下校していった。だが、その間も寺崎はずっと気になっていた。あれからようとして行方が知れない、紺野のことが。


「紺野……帰ってねえか?」


 寺崎が玄関扉の隙間から顔をのぞかせて恐る恐る声をかけたが、薄暗い室内はしんと静まりかえっているだけだった。


「紺野さん、帰ってないわね」


「……だな。どこへ行っちまったんだろう……」


 靴を脱ぎながら、寺崎は深いため息をついた。


「……ったく、こういうとき、俺に送信能力テレパシーがあればな」


 着替えもせず、居間のソファにどさっと腰掛けると、惰性でテレビのスイッチを入れる。小さな音とともに電気が流れ、何かの臨時ニュースが流れてきた。


『先ほどもお伝えしましたが、今日午前十一時二十分頃、犬吠埼沖合四百キロメートルの太平洋上で、爆発のような現象がありました。詳しい原因はまだ分かっていません。この爆発に巻き込まれた船舶は、今のところない模様です……』


――爆発? 海の上で、何で爆発があるんだ?


 ぼんやりした頭で聞くともなく聞いていた寺崎は、突然、何に思い至ったのか、はっとしたように体を起こした。


「どうしたの? 紘」


 コーヒーをわかす準備をしていたみどりが、寺崎の様子に気づいて声をかける。だが、寺崎は無言でチャンネルをまわし続け、他にも同じ情報が流れていないか捜しているようだった。


『爆発の後、約四十センチの津波がこの海岸にも押し寄せませした。今のところけが人などの情報は入っていません。当該時刻に近辺を飛行していた航空機の乗務員が、爆弾がさく裂したような閃光せんこうを目撃しており、現在、自衛隊が掃海艇の出動を調整しています。繰り返しお伝えします……』


「おふくろ、これ、まさか……」


「え?」


 言いかけて、寺崎は口をつぐんだ。みどりにはあの時、何も見えていなかったのだ。


「まさか、な……」


 寺崎がそこはかとない不安を覚えつつテレビのスイッチを消した、その時だった。

 薄暗い玄関に、呼び鈴の音が鳴り響いた。

 弾かれたようにソファから立ち上がった寺崎は、ダッシュで玄関扉に走り寄る。


「紺野か⁉」


 勢いよく扉を開け放った寺崎は、ノブに手を添えたままの姿勢で硬直した。

 そこに立っていたのは、神代亨也だったのだ。

 亨也は頭のてっぺんから足の先まで全身ずぶぬれで、髪や腕から水が音を立てて滴り落ちていた。彼がその腕に横抱きに抱えている男もやはり完膚無きまでにびしょぬれで、しかも意識を失っているらしく、ぐったりとして動かない。つんと、強い潮の香りがする。

 その男は、行方知れずだった紺野秀明に違いなかった。

 寺崎は玄関に亨也を通すと、びしょぬれの紺野を受け取った。状況を察したみどりが、慌ててタオルを何本も膝に乗せて奥から出てくる。

 寺崎は腕に抱えている紺野の顔を見た。潮垂れた茶色い髪を青白い頬にはり付けて、ほんの少しだけ口を開けて黙っている。かろうじて微かな呼吸の気配はするが、そこから意味のある言葉が紡ぎ出されることは当分なさそうだった。


「これは、いったい……」


 寺崎がぼうぜんとつぶやくと、享也はみどりから受け取ったタオルで紺野の体をふきながら、つらそうに目線を落とした。


「紺野さんは溺れたんです。爆発の衝撃で気を失って、海に投げ出された。さがすのに時間がかかってしまって……」


 その言葉に寺崎は、ハッと顔を上げて亨也を見た。


「じゃあ、あのニュースで言っていた、爆発ってのは……」


 享也は寺崎に目を向けると、うなずいた。


「鬼子のエネルギー弾です」


 寺崎は言葉を失うと、意識のない紺野に目を移した。長時間海中を漂っていたのだろう、唇は紫で、顔は紙のように白く、冷え切った体は冷蔵庫から取りだしたばかりの肉さながらに冷たい。


「紘、だいたい拭けたら、部屋にあがっていただいて。紺野さんのベッドにタオルを敷いておいたから、そこに紺野さんを寝かせて、きれいに拭いて着替えさせてあげて。あと、先生の着替えになりそうなもの、何か貸してちょうだい」


 みどりの声でようやく電源が入った寺崎は、速足で奥の部屋へ紺野を運んでいった。



☆☆☆  



「ありがとうございました。おかげ様で落ち着きました」


 首からタオルをさげ、寺崎の服に着替えた亨也は、居間のソファで温かいコーヒーを飲みながら、ようやくほっとしたように頭を下げた。


「とんでもありません。こちらこそ、何とお礼を申し上げたらよいか……」


 みどりが深々と頭を下げた時、ちょうど寺崎が部屋に入ってきた。


「紘、紺野さん、着替えられた?」


「うん。全部拭いて、着替えさせた。冷え切ってるから、毛布かけてある。今、洗濯機まわしてくるから」


「そう。ありがとう」  


 不安そうに紺野の部屋の方を見つめているみどりの様子に、亨也は表情を曇らせた。


「シールドを張った直後に爆発に見舞われ、その衝撃で意識を失ったようで、溺水時も無意識下で微弱なシールドが張られ続けていました。そのおかげでかろうじて呼吸はできていたんですが、三十分以上見つけられなかった。もしシールドが途切れていたらと思うと、ゾッとします。ご心配をおかけして、本当に申し訳ありませんでした」


 みどりは表情をこわばらせたが、気を取り直したように問いかける。


「……でも、紺野さん、今はもう大丈夫なんですよね」


「ええ。今は心拍も呼吸もしっかりしています。体が冷え切ってしまったのでちょっと風邪をひくかもしれませんが、それ以外は恐らく」


 みどりはほっとしたように表情を緩めると、紺野の顔を見てくると言って奥の部屋に入っていった。

 洗濯機を回して居間に戻ってきた寺崎は、神代亨也が一人でいるのを見て気おくれしたように足を止めたが、意を決したように居間に入ると、ソファの前に正座した。

 亨也は緊張した面持ちで座る寺崎に向き直ると、頭を下げた。


「今日は、ありがとうございました」


 唐突な礼の言葉に面食らった寺崎が、あわてて返す言葉を探していると、亨也は静かに言葉を続けた。


「寺崎さんたちが動いてくれたから、この程度の騒ぎで済んだんです。でなければ恐らく、何人も死者が出ていたでしょう。本当に、ありがとうございました」


「いえ、とんでもないっす。俺なんて、何も……」


「紺野さんが今回、あれほどの力を発揮できたのは、恐らくあなた方の存在があったからこそなんですよ」


 その言葉に寺崎は、驚いたように目を丸くした。


「今日の紺野さん、今までのような不安定な感じ、しましたか?」


「そういえば、全然……」 


 寺崎は紺野の様子を思い出す。指示にしても、行動にしても、迷いがなくはっきりしていた。心理的に負担になるようなことを言われても、確かに少しも動じる気配がなかった。


「あなた方を守らなければと、そう強く思っていたんでしょう」


 寺崎は、なんだか胸が締め付けられるような気がした。


「人は、守るべき相手がいる方が強くなれる。紺野さんは今日、あなた方がいたからあれほど強くなれた。私はそう思います」


 目頭が熱くなって、慌てて目のあたりを腕でこすっていた寺崎だったが、ふとその動きを止めると、じっとテーブルの上を見つめた。


「……でもあいつは、結局最後は自分一人で抱え込んじまうんだよな」


 その言葉に亨也も、暗い表情で目線を落とした。


「あのエネルギー弾は、放出されたエネルギーをギリギリまで凝縮し、シールドで抑え込んだものです。凝縮した分、弾けたときの影響がものすごい。あの高校で弾けさせれば、恐らくあの一帯が消滅するくらいの破壊力だったでしょう」


 寺崎は何も言わなかった。いくぶん青ざめているようだった。


「だから紺野さんは、爆発させても影響の少ない海上にとんだ。ただその時、自分が無事で帰ることまで考えていたのかどうかは分かりませんが……」


 寺崎は無言のまま、しびれた足をくずして膝を抱えると、腕に顔をうずめて絞り出すようなため息をついた。



☆☆☆



 眠っている紺野の枕元に車椅子を寄せ、みどりは冷え切った手をとってさすっていた。だいぶ温かみが戻ってきた。顔色も、先ほどよりはずいぶんよくなってきている気がする。

 手をさすりながら、みどりは紺野の長いまつ毛を見つめた。よく似た人を、どこかで見たような気がずっとしていた。通った鼻筋、心持ち白い肌、茶色いさらさらの髪……。

 その人物の面影が、みどりの頭におぼろげに浮かんだ、刹那。


【忘レロ!】


 突然、何者かの声……声ではなかったが、声のようなもの……が、みどりの頭いっぱいに響き渡った。

 同時に、まるで脳を石うすで挽きつぶされているような、経験したことのない激しい頭痛に見舞われ、みどりは息をのんだ。激痛で視界がゆがみ、腹の底から津波のような吐き気がこみあげてくる。たまらずみどりは紺野の手を離し、頭を抱え込んでその背を丸めた。


――誰?


 みどりの脳裏をよぎる、大きなバギーにのせられたあの少女の面影。


――優、ちゃん?


 みどりはハッと紺野に目を向ける。穏やかな表情で眠る紺野の、茶色い髪、白い肌、長いまつ毛……。


――そうだ。優ちゃんだ! 紺野さんとそっくりだったのは……。


【消シ去レ!】


 思考を拡散するかのように脳を揺さぶる、何者かの激烈な意識。あまりの頭痛に意識が遠のくのを感じながら、みどりは必死に叫んだ。


「やめて!」


 その時。濃厚な赤い気の気配に加え、みどりの叫び声に意識を引き戻されたのだろう。紺野の目がハッと開いた。その途端、赤い気に包まれて身動きすらとれなくなっているみどりの姿が映り込み、紺野は一瞬で覚醒した。ついさっきまで意識を失っていたとは思えない身のこなしでベッドを降りると、頭を抱えるみどりの肩に手を置いて揺すぶる。


「みどりさん!」


 みどりは震える両手で頭を抱えながら、まるでうわごとのようにつぶやいた。


「紺野さん、あの子は、優ちゃんは……」


――優ちゃん?


 紺野は首をかしげたが、そんなことを考えている場合ではない。すぐさま、赤い気の残照を消去すべく意識を集中する。紺野の体から放出された白い気がみどりの体を覆い尽くすと、周囲に渦巻いていた赤い気は溶けるように消失した。

 みどりは車いすの背に体を預け、力尽きたように気を失った。


「どうした、おふくろ!」


 赤い気の消滅と同時に、かけられていた遮断シールドが解けたのだろう、異常に気づいた寺崎と亨也が部屋に駆け込んできた。車いすの背もたれに体重を預けてぐったりとしているみどりの姿に、寺崎は息をのんで立ちすくんだ。すぐさま亨也がみどりの側に駆け寄り、体の状態を確認する。


「鬼子の、残留思念ですね」


 享也の問いに、紺野は小さくうなずいた。


「僕が気を失っていたので、防護シールドが弱まっていたんでしょう。徐々に、侵入していたみたいです」


「命に別条はないと思いますが、何らか影響が出る可能性はありますね」


 亨也は立ち上がると、申し訳なさそうに頭を下げた。


「すみませんでした。こんなに近くにいながら、全く感知できなかった」


 紺野は慌てて首を横に振ると、自分も頭を下げる。


「とんでもないです。僕の方こそ、またご迷惑をおかけしてしまったみたいで……」


 寺崎は車椅子から軽々とみどりを抱え上げると、紺野のベッドにそっと寝かせた。

 みどりの枕元に座り込み、じっとその顔をのぞき込んでいる寺崎の背中を見やりながら、紺野は居たたまれないような表情を浮かべていた。

 その肩に、ぽんと亨也が右手を載せた。


「あなたのせいじゃありませんよ」


「神代さん……」


「今日あなたは、本当によくやったと思いますよ。反省すべきは私の方です。結局、ギリギリまで病院を出られなかった。今も、鬼子の気を感知できませんでしたしね。力不足で、申し訳ない」


「そんなこと……」


 その時、みどりのうめき声が聞こえて、亨也と紺野はハッとみどりに目を向けた。みどりは苦しそうに頭を左右に揺らしていたが、やがてはっと目を覚ますと、天井を見つめながらぼうぜんとつぶやいた。


「……ここは?」


「おふくろ!」


 至近距離で響き渡った寺崎の声に目を見張ると、みどりはゆるゆると首を巡らせた。


「紘……? どうしたの? 変な顔して……」


 その言葉に、寺崎は泣き笑いのような表情をうかべた。


「変な顔はねえだろ、そういう風に産んどいて……。おふくろ、どこか痛えとことかないか?」


「痛いところ? そういえば、さっき、ものすごく頭が痛くなって、……あら、紺野さん?」


 紺野が「はい」と答えると、みどりはほっとしたように表情を緩めた。


「よかった。あなた、気がついたのね」


 よろよろと半身を起こすみどりの背に、慌てて寺崎が手を添える。


「それにしても、何だったのかしら? 突然、頭が割れるように痛くなって……気を失ってたのかしら」


「みどりさん、ちょっと見せていただいてもよろしいですか」


 亨也はみどりの傍らに片膝をつくと、右手をそっととった。みどりはそれこそ真っ赤になりながら、言葉もなく右手を亨也に預けている。

 ややあって、亨也はみどりの手を離すと、ため息をついた。


「ど、どうだったんですか、総代……」


 寺崎が心配そうに尋ねると、亨也は安心させるようにほほ笑んで見せた。


「体の方は心配ありません。紺野さんの気が、肝心なところはしっかり守ってくれていたようですから。……ただ」


「ただ?」


「恐らく、鬼子に関する記憶が全て、抜け落ちています」


 寺崎も紺野も、その言葉に表情をこわばらせた。


「私は紺野さんの意識と同調シンクロしてトレースをしていたので、鬼子の姿は紺野さんと同様にしか見ていません。あの時、確かにみどりさんは鬼子と並んでテント下にいた。みどりさんの記憶を確認すれば、鬼子の正体が明らかになったはずだったんですが」


 目線を落として、もう一度深いため息をつく。


「鬼子もそれは命取りだと分かっていたんでしょう。だから、みどりさんの周囲に気づかれない程度の残留思念を残し、紺野さんのシールドが弱まった隙をついた」


「いったい、どうしたんですか?」


 みどりが不安そうに聞いてきたので、亨也は気を取り直したような笑顔をみせた。


「いえ、とにかくみどりさんが無事でよかった。体に異常は感じられませんよね」


「は、はい。全く」


「それならばいいんです。本当によかった」


 その言葉に、紺野も深々とうなずいた。


「そうですね。それが何よりです」


 隣に立っていた寺崎は、そんな紺野を横目でにらみつける。


「何よりです、じゃねえだろ。心配かけやがって……」


「え?」


 ドキッとしたような表情を浮かべた紺野の首を抱え込むと、寺崎は右腕で締めはじめた。


「このタコ! マジで心配したんだからな! 出かけるときは、行く先と帰る時間くらい言ってから出かけろっつーの!」


 寺崎は言いながら紺野の首をホールドし続ける。紺野は驚いたのと苦しいので目を白黒させながら、必死に頭を下げた。


「すみませんでした。シールドを維持するのに精一杯で、転移したのもギリギリだったんです。以後、気をつけますから……」


「絶対だぞ! また心配かけやがったら承知しねえからな!」


 その言葉を聞いて、みどりは苦笑しながら肩をすくめた。


「全く、自分だってできていないくせに……あなたも同じなのよ、紘。必ず、行く先と帰る時間は言ってから出かけてちょうだいね」


 ぎくっとした寺崎が、紺野を抱えて動きを止める。みどりと亨也は同時にぷっと吹き出した。


「ああ、おかしい。とにかくよかったわ。みんな無事で……。じゃあ、遅くなったけどお昼にしましょうか。神代先生、よかったらご一緒にいかがです? 先生のお洋服、まだ乾いていませんし」


「え、いいんですか?」


「もちろんです……って言っても、体育祭で食べようと思ってたお弁当ですけど。ちょっと作りすぎちゃってどうしようかと思ってたところだったんです」


 亨也は嬉しそうにうなずいた。


「ありがとうございます。お言葉に甘えて、ご一緒させていただいてもよろしいですか?」


「当然です!」


 寺崎と紺野は声をそろえてこう言うと、同時にうなずいた。

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