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輪廻  作者: 代田さん
第三章 兄弟
119/203

5月25日 1

5月25日(土)


 明るい日差しの照りつける歩道を、電動車椅子は一定のスピードで小さく揺れながら走る。そのあとを、くっきりと濃い影が遅れまいとついて行く。弁当だろうか。大きな包みと水筒が、かごからあふれそうになりながら電動車椅子の振動にともなって揺れている。

 快晴は結構なのだが、ここまで日差しがきついと熱中症でも起こしそうな勢いだ。そのあまりにもまぶしい日差しに、つばの広い帽子をかぶっていながら、みどりはたまらず目を細めた。

 校門の前は、すでに大勢の人でごった返していた。腕時計に目をやると、十時。午前中の競技はもう始まっていて、校庭からはにぎやかな応援の歓声が響き渡ってくる。みどりは通路脇に立ち止まっている人々に頭を下げながら、ゆっくりと車椅子を校庭に進み入れた。

 トラックの方では何か競技をしているようだが、目線の低いみどりからはその様子は全く見えなかった。


――もう少し、早めに来ればよかったかな。


 みどりは小さくため息をつくと、敬老席のあるらしい校舎側に車椅子を進める。借り物なのでいまひとつ操作になれていないこともあり、牛の歩みで人混みを抜けると、入退場門だろうか、ようやく少しだけ運動場の見渡せる場所に出たので、もう一度身を乗り出してトラックに目を凝らした。

 と、見覚えのある人物に目を留めて、みどりははっとした。

 人垣をかき分けるようにして最前列に出てきた、髪をひっつめた眼鏡の女性と、無精ひげを生やし、カメラを手にした男性……。


――あの、記者だわ。


 みどりはいくぶん緊張した面持ちで、しばらくの間二人の動向をじっと見守っていた。



☆☆☆



「石さん、見える?」


「いや、まだ見つかりません。たしか、一年B組でしたよね」


 須永は手元のプログラムにもう一度目を落とす。


「B組白はバスケットゴールの前あたり、赤は砂場の前あたりね。どっちかにいるはずなんだけど」


 バスケットゴールの方に目をこらしていた石黒が、はっとしたように須永の肩をたたいた。


「あれ、寺崎っていう子じゃないですか」


「え? どれどれ」


 須永が石黒の目線を追って目をこらすと、列の一番後ろ、バスケットゴールに寄りかかって何人かの友人と談笑している、背の高い男の姿が目に入った。


「……そうだわ。あの、生意気な子」


 須永はにやっと笑うと、小さな声でつぶやく。


「王子様の姿がないってことは……王子様はきっと、赤ね」


 須永と石黒は、急いで砂場側に目を移す。じっと人混みに目をこらしていたが、程なく最前列に、心持ちうつむき加減で座っている茶色い髪の男を見つけた。

 須永は右頬を上げてにやっと笑い、石黒は望遠レンズをつけたカメラのファインダーをのぞき込む。


「いたいた、王子様。石さん、私にも見せて」


 須永は石黒のカメラを借りると、紺野に焦点を合わせる。膝に両腕を預け、うつむいた姿勢で動かない。表情は分からなかったが、さらさらの茶色い髪が緩やかな風に揺れ、日に透けて金色に光っている。何だか知らないが、須永は背筋がぞくぞくした。


「いいじゃない、普通の高校生してるって感じで……」


「須永さん、ほんと、あの子にご執心ですよね」


 苦笑しながら石黒が言うと、須永はファインダーから目を離さずに答えた。


「だって、あんな子なかなかいないわよ。あれだけのルックスで、あれだけの謎を持ってる子なんて……」


 須永はハッと言葉を止めた。ファインダーの向こうにいる紺野が、ふいにうつむいていた顔を上げたのだ。

 須永の視線と、射るように鋭い紺野の目線が、ファインダー越しにしっかりと合う。

 思わず勢いよくカメラから顔を離した須永に、石黒がいぶかしげに声をかけた。


「どうしたんすか? 須永さん」


「え? ううん、……まさかね」


 知らず鼓動が早まってくるのを感じながら、須永は恐る恐るファインダーをのぞく。

 先ほどの席に、紺野の姿はなかった。


「須永さん?」


 カメラを下ろして、須永はぼうぜんと前方を見つめた。石黒の問いかけも耳に入らなかった。これだけ距離があり、これだけの人間がいるのだ。しかもカメラのレンズ越しに、視線を感じられる訳がない。普通の人間に……。


――そうか。普通じゃないものね、あの子は。


 須永は口の端を引きつったように上げると、けげんそうな表情の石黒に無言でカメラを返し、腕を組んでトラックを見つめた。



☆☆☆

  


 友人たちと何やら大笑いしていた寺崎は、観覧席の後ろに立つ紺野の姿を見つけると、人混みをかき分けその側に近寄った。


「どした? 紺野」


「寺崎さん……」


 紺野は無言で校舎側のテントの方を指さした。寺崎はその先に目をこらし、程なく須永と石黒の姿に目を留めて、その目を大きく見開いた。


「……あいつら、性懲りもなく」


「今日は、目立つ行動は控えましょう。リレーでも、あまり本気は出さない方がいいかもしれない」


 寺崎ははっとした。ゴール前三十メートルからのデッドヒート。あんなことをすれば、紺野ばかりでなく玲璃や自分たちまでも標的にされかねない。


「わかった。俺、総代にそのことを伝えてくる」


「お願いします」


 三年の応援席に向かって走っていく寺崎の後ろ姿を見ながら、紺野は嫌な予感がしてしかたがなかった。

 その胸の奥がちりちりするような、焦燥感にも似た感覚は、朝からずっと感じていたものだった。須永たちの姿を見て、一瞬そのことかとも思ったが、どうも違うような気がする。それよりもはるかに恐ろしい、得体の知れない大きな危険が自分たちのすぐ側に迫ってきている気がして、紺野は息苦しいような圧迫感と不安感に、いてもたってもいられない思いがしていた。



☆☆☆



 ようやく敬老席にたどり着いたみどりは、ほっと大きく息をついた。

 近くにいた教員に声をかけると、すぐに敬老席の一部が広く開けられたので、みどりは会釈しながらそこに車椅子を止めた。

 少し身を乗り出して右前方に目を凝らすと、例の記者たちが首を伸ばしてトラックの向こう側を見つめている。その目線の先には、案の定、紺野の姿があった。


――やっぱり、あんな程度じゃ諦めないか。


 みどりはため息をつくと、トラックに目を向ける。二年生らしき一団が、綱引きの真っ最中である。


――まあ、いいわ。別に隠すようなことはしていないんだから。


 みどりがそう思い直して手元のプログラムに目を落としたときだった。

 教師と数人の生徒によって、周囲の椅子が再び片付けられ始めたのだ。きょとんとして見ていると、もう一台車椅子がくるらしく、教員がみどりに端に寄るように頼んできた。みどりが快諾して詰め合わせると、ややあって五十代くらいの女性が、車椅子よりも大きいバギーを押しながら、ゆっくりとテントの下に入ってきた。


「すみません、ご一緒させてください」


「ええ、もちろんです」


 にこやかにそう言って頭を下げた女性に笑顔で会釈すると、みどりはバギーに乗せられている人物――リボンのついた帽子の感じからして、少女だろうか――にも、顔をのぞき込んで頭を下げた。少女は大きな目をくるくるさせながら、テントの上の方を見やっている。


「ご兄弟がおられるんですか?」


 みどりの問いに、少女の帽子を脱がせていた女性は首を横に振って笑った。


「いいえ、実は散歩のついでに寄ってみただけなんですよ。優ちゃん、にぎやかなところが大好きなので……そうしたら、ご丁寧にこちらに案内していただいちゃって、恐縮してるんです」


「優ちゃんとおっしゃるんですか」


「ええ、石川優子っていいます。うちの施設で暮らしてるんです」


「そうなの。優ちゃん、よろしくね」


 みどりが手を優しくさすりながらあいさつすると、少女はちょっと口を開いた。


「あら、優ちゃんごあいさつできたの。偉いわねえ」


 女性はそう言って笑いながら、バッグから首もとを冷やすための細長い冷却剤を取り出し、少女の首に巻いてやった。


「今日は暑いですからね。体温が上がってきたら、失礼させていただきます」


 体温計を当て、表情に目をこらしながら、女性は言った。


「生まれて数カ月で、脳の障害でこういう状態になってしまって……体温調節が難しいんですよ。暑くなると外に出るのが難しいので、お散歩は、今くらいまでが限度なんです」


「そうなんですか」


 みどりはうなずきながら、少女の顔を見つめた。つややかな白い肌に、さらさらの茶色い髪、大きな瞳を彩る長いまつ毛。よくよく見てみればかなりの美少女だ。みどりはなぜだかその顔に見覚えがあるような気がして、目をこらした。


「美人さんですね。おいくつなんですか?」


「十六歳です」


 みどりはあら、といいながらほほ笑んだ。


「じゃあ、うちの息子たちと同じ年ですね」


「お子さん、一年生なんですか?」


「ええ。男の子が二人。一人は遠戚の子なんですけれど、まあ、うちの子みたいなものですね」


 中年女性も、談笑するみどりも気づかなかった。バギーに乗せられている少女の目が、大きく見開かれたことに……。

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