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輪廻  作者: 代田さん
第三章 兄弟
116/203

5月23日 4

 神代亨也にとっては、久しぶりの休日だった。

 このところ、休みなしで勤務し続けていたので、十日ぶりの休日である。明日からは土日も含め、またいつ休みが取れるかも分からない。今日のうちにやりたかったことをある程度済ませておきたかった彼は、まずは図書館に行って借りた本を返し、必要な本を借りるところから始めた。

 休日なので、亨也は縁のある眼鏡をかけている。黒いTシャツに落ち着いた色味のジーンズ。何でもない出で立ちなのだが、頭が小さくスタイルのいい亨也が歩いているとまるでモデルか何かのようで、すれ違う人が思わず足を止めて振り返る。

 その亨也が紺野の送信を受け取ったのは、図書館で借りる本を検索しようとパソコンの前に座った直後だった。


【珍しいですね。あなたの方からアクセスがあるなんて】


 亨也の驚いたような送信に、紺野は見えないと分かっていながら中空に向かって何回も頭を下げた。


【すみません、お休みの所……どうしても治していただきたい人がいるんですが、助けていただけないでしょうか】


 亨也は即座にパソコンの電源を落とすと、椅子から立ちあがった。


【分かりました。すぐに行きます】


 早足で図書館のトイレに向かうと、前を歩いていた男子学生を追い越して中に入る。その後から、扉の隙間から漏れる銀色の輝きに気づく様子もなく男子学生が入り口の扉を開ける。彼は先に入った男の姿が見えないのでけげんそうに室内を見回したが、それ以上は特に気にする様子もなく、さっさと用を足して手も洗わずにトイレを後にした。



☆☆☆



「本当にすみません。わざわざ来ていただいて」


 こつ然と目の前に現れた神代亨也の姿を口を半開きにしてぼうぜんと眺める寺崎の隣で、紺野はさっきから申し訳なさそうに頭を下げ続けている。亨也はそんな二人の様子を見て、くすっと笑った。


「元気そうじゃないですか。よかった」


 その言葉にはっと目を見開くと、紺野は再び鋭角に腰を折り曲げた。


「先日も、たいへんお世話になったそうで……その節はお礼にもうかがわず、申し訳ありませんでした」


 亨也は小さく首を振ると、倒れている老婆の側にかがみこんだ。


「この人ですか?」


「はい。先ほどまで、あの子どもに意識を乗っ取られて……右足を骨折しているようです。脳の方にも、影響があったかもしれません。診ていただけますか?」


 亨也はよほど驚いたのだろう、目を丸くして振り返り、背後に立つ紺野を見上げた。


「本当ですか? 私は何も感じ取れなかったが」


「多分、この方は許容範囲が狭かったので、非常に抑えた状態で使っていたんだと思います。微弱だったので、いつものようには感じとれなかったのではないかと……」


 亨也は小さくため息をつくと、再び倒れている老婆に目線を落とした。


「だとしたら、私も感知できるレベルをもう少し上げておく必要がありますね。助かりました、知らせていただいて」


 言いながら、倒れている老婆の頭にそっと右手を添え、うつむいて目を閉じる。

 享也の手がほのかに銀色の輝きをまとい始め、治療が始まったのを確認すると、寺崎は隣の紺野の背を人差し指でちょんちょんとつつき、耳元に口を寄せた。


「なあ、紺野。おまえが呼んだのか?」


「え、ええ……まずかったでしょうか?」


「いや、まずいっていうか……」


 寺崎は治療を施す亨也に目を移す。神代家の最高峰に位置する、神代総代。寺崎にとっては雲の上の人であり、先日紺野を助けに来てくれたことだって、正直言って信じられないことだった。その神代総代をこんな所に呼び出すこと自体、寺崎にとってはあり得ないことだったのだ。


「何かおまえ、ある意味すげえなあ」


 寺崎が思わずそうつぶやいたとき、亨也の輝きがすっと消えた。


「幸い、脳に異常は見られないようですね」


「そうですか。よかった……」


「後は右足、ですね」


 ほっと表情を緩める紺野を横目に、亨也は触診で様子を見る。


「ああ、これなら大丈夫。二十分もあれば元通りに治せます」


 亨也がうなずきながらそう言った時、三人の頭上に三校時開始のチャイムが鳴り響いた。亨也は言葉を止めて、傍らに立つ二人を見上げた。


「行っていいですよ。あとは私の方で何とかしますから」


 さらっと言うので、紺野も寺崎も、目を丸くして慌てた。


「そんな、とんでもないっす。神代総代に丸投げして行くなんて……」


「なんて言って、さぼりの口実にしないでくださいよ」


 亨也はくすっと笑うと老婆に目を移し、再び治療を開始した。老婆のすねを包むように覆う右手が、銀の輝きをまとい始める。

 目線を老婆に向けたまま、亨也は再び口を開いた。


「本当に行ってください。学生は勉強が本分ですから」


 すると紺野は、突然寺崎の方にくるりと向き直った。


「神代さんの言うとおりです。寺崎さんは行ってください」


「おまえはどうするんだよ」


「僕は……残りますけど」


 その言葉に、寺崎はあきれかえってしまった。


「おまえだって学生だろ。俺が行くんなら、おまえも行かなきゃ」


「……僕は、実質三十三ですから」


「おまえなあ、こういうときだけ実質使うんじゃねえよ」


 掛け合い漫才のような話しぶりに、治療に専念していたはずの亨也がぷっと吹き出したので、二人は赤くなって黙り込んだ。


「……ああ、おかしい。二人はいつもこんな調子なんですか?」


「え、ええ。まあ、そうっすね。大体こんな調子で……な、紺野」


「え? あ、はい。……そうですか?」


 くすくす笑いながらも亨也は休みなく治療を続けているようで、強くなったり、弱くなったりを繰り返しつつ、その手は銀色の輝きをまとい続けている。


「紺野さん、ずいぶん明るくなりましたね」


 そう言って、亨也はちらっと寺崎を見上げた。


「寺崎さんのおかげなんでしょうね。ありがとうございます」


「あ、いや、おかげっつーか、影響……てか、とんでもないっすよ」


 照れながらこう言ってから、寺崎は何か不思議な気がして黙り込んだ。


――どうして神代総代が、紺野のことで俺に礼を言うんだ?


 寺崎は隣に立つ紺野を横目で見た。紺野はさっきから、骨折を治す亨也の手元を真剣なまなざしで見つめている。


――本当に似てんな。この二人。


 二人の顔が割合と近いところにあるので、よりはっきりと分かる。さらさらの茶色い髪も、ちょっと白めの肌も、長いまつ毛も……兄弟と言ってもすんなり通ってしまいそうなくらい、よく似ている。


――兄弟?


 ふと思い浮かんだその言葉に、寺崎ははっと息をのんだ。

 確か、神代亨也はこの五月で三十三歳になったはずだ。紺野の実質年齢も三十三歳。これは偶然なのだろうか。

 その時ふいに、寺崎の頭にとんでもない考えが浮かんだ。


――三十三年前、東京駅に捨てられた紺野。彼を捨てたのはもしかして、神代総帥、ということはないのだろうか?


 次第に激しさを増す拍動にこめかみを揺さぶられつつ、寺崎は紺野の茶色い髪に目を落とす。

 それならば紺野が神代の血を引き、しかも高い異能を有することに、何の不思議もないではないか!


――紺野が、神代総代の双子の兄弟?


 寺崎は、渇ききった喉にごくりと唾を送り込んだ。もしそれが本当なら、組織が丸ごとひっくり返るくらいの恐るべき事態なのだ。


――でも、神代総代は、もしかして。


 寺崎は、先刻の亨也の言葉を思い出す。


『寺崎さんのおかげなんでしょうね。ありがとうございます』


――もしかして総代は、そのことを承知の上じゃないんだろうか?


「興味あるんですか? 紺野さん」


 自分の手元をじっと見つめている紺野に、亨也が治療を続けながら声をかけると、紺野は深々とうなずいた。


「はい。こんな使い方ができるなんて、びっくりしました」


「細胞同士の接合ですから、ナノレベルの世界ですよね。ただ、今回はただの骨折ですし、そこまでしなくても、もっと大ざっぱなやり方でできますから簡単です」


 紺野は驚いたようにその目を見張った。


「これで簡単な方なんですか?」


「そうですよ。いつぞやのあなたの肺なんて、滅茶苦茶でしたから。あれは本当に大変だった」


「申し訳ありませんでした。お手数をおかけして……」


 紺野が恐縮しきった様子で頭を下げると、亨也はくすっと笑って頭を振った。


「今後はあんなケガをしないように、気をつけてくださいね」


 亨也は仕上げにかかったようだった。銀色の輝きは強くなったり弱くなったりを繰り返しつつ、老婆の脛の周囲をゆっくりとうねりながら螺旋らせん状に周回する。紺野はそんな亨也の手元を、本当に感心しきった様子で口を開けて見つめている。


――紺野は、気づいてもいないみたいだな。


 寺崎は思い出していた。確かあの会合の時、紺野を玲璃の護衛にする提案をしたのは、神代総代だった。紺野が神代総代の弟である可能性に、神代家側が気づいていないわけがない。ならばどうして、紺野を生かしておくのだろう? 殺してしまった方が、組織としては都合がいいのではないか?

 悪寒が背筋を一気に駆け上がり、寺崎はぞくっと体を震わせた。紺野を護衛に任じたその裏側に、何か恐ろしい画策が潜んでいるような気がしたからだ。

 再び目線を移すと、何の疑いもなく一心に亨也の手元に見入る紺野の姿が目に入る。もとより自分自身というものに対し、まるっきり無頓着な男なのだ。

 ビオトープを渡るさわやかな風を胸一杯に吸い込んで、寺﨑は抜けるような青空を見上げた。


――なら、守ってやるしかねえな。


 溜め込んだ息を吐き出しながら、その目を鋭く細める。鳥が一羽、その視界を横切っていった。

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