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輪廻  作者: 代田さん
第三章 兄弟
112/203

5月22日

5月22日(水)


 石黒の報告書を、須永はまばたきもせず食い入るように読み込んでいる。

 昼休み。二人は出版社近くのカフェで昼食をとるついでに、先日須永が石黒に依頼した調査の結果を見せてもらうことにしたのだ。

 ようやく須永は顔を上げると、コーヒーを啜る石黒ににっこりと笑いかけた。


「ありがとう、石さん。大変だったでしょう」


 石黒はちょっと笑って首を振ったが、すぐにまじめな表情になると報告書に目を落とした。須永も報告書に目を移すと、口を開いた。


「あの時の乗客で、先頭車両に乗っていた人……よく八人も見つけられたわね。その八人が八人とも、あの棒が取れかかっていた様子はなかったと言っているのね」


 石黒も頷いて、手にしていたコーヒーカップを皿に置いた。


「しかもそのうちの一人は、しばらくの間そこにつかまって進行方向を見ていたが、何も変わった様子はなかったと断言しています。あの少年の話とは、つじつまが合わない。しかも今回、面白いというか、凄い話も聞けました」


「この部分よね」


 須永も頷いて、報告書を繰った。


「電車が停車した時に加重がかかり、あの子と一緒にいた車椅子の女性……寺崎さんよね。彼女も勢いで前方の扉に激突しそうになった。その瞬間、忽然とあの少年が現れて、寺崎さんの後ろのハンドルを握ったと」


 石黒は少し青ざめて頷いた。


「車椅子は運転室の扉に向かって進んでいた。なのに、少年はその反対側にあるハンドルを突如現れて握った。運転室から彼が出てきた様子もなかった。じゃあ彼は、一体どこから現れたのか」


 石黒は再びカップを手に取ると、コーヒーを一口啜る。微かにその手が、震えているようだった。須永もそんな石黒を見ながら、幾分声を潜める。


「あの子、かわいいだけじゃない。何かとんでもない秘密を持ってるわ。私たちの常識では、計り知れない秘密を……」


「そう考えると、先日の渋谷での出来事。あれも彼の話は信用できませんね」


 石黒の言葉に須永は頷くと、自分のカバンから報告書を取り出した。


「実は、それに関しては私の方で調べを進めていたの。こっちもかなり面白いことが分かったわよ。あの時カフェのテラス席にいた客、何人か割り出して話を聞いたんだけど、」


 話しながらページを繰り、石黒に差し出す。


「ここのところ読んで。この、女性客の証言」


 しばらく黙って報告書の文字をおっていた石黒の目が、大きく見開かれた。


「須永さん、これって……」


 須永は頷くと、緊張したような面持ちで石黒を見つめた。石黒は震える声で、報告書を読み上げる。


「車が突進してきたのに気づいて、コーヒーを手にしたまま自分は動けなくなってしまった。その時、凄い頭痛とまるで地下鉄にでも乗っているかのような耳鳴りがして、一瞬目をつぶった。そして目を開くと、自分はコーヒーカップを持ったまま、その席から十m以上離れたところに忽然と立っていた」


 石黒はそこまで読むと、心持ち青ざめて須永を見た。


「しかも、自分の周りには他にも何人か、明らかにテラス席から突然移動して来た人たちがいて、みんな戸惑ったように辺りを見回していたと……」


 須永は頷くと、緊張した面持ちで静かに口を開いた。


「あの時、車の正面に残っていたのはあの紺野という少年一人きり。まるで自分だけ、あの車に立ち向かうために残ったかのように。そして、車は彼の手の先で、停車した。中の運転手にも、殆ど影響のないまま」


 そこまで言うと須永は、徐に冷めたコーヒーを一口啜る。


「石さん、その次のページも見てくれる?」


 石黒は頷いて、ページを繰った。しばらく黙って目を落としていたが、やがて大きく息を呑み、真剣な表情で須永を見やる。


「ガラスの落下状況、ですね」


 須永は頷いた。


「私も、あの時ちらっと現場を見て、何か違和感を感じていたのよね。上階から落下したガラスが、まるで車を避けるかのように突き刺さっていた。お陰であのアルファロメオはあんな事故を起こしたにも関わらず全くの無傷。しかももっと面白いのは、上階のガラスは、二回落下したんだそうなの」


 それを聞いて石黒は、更に驚いた様子で目を見はった。


「そんなにたくさんのガラス、落ちてましたっけ?」


 須永は首を振ると、鋭い目つきで前方を見据える。


「ガラスは十八階と十七階、各四枚分ずつ割れて落下したそうよ。でも、一回の落下はみんな知っていたけど、もう一回の落下があったことを、テラスにいた客の誰も知らなかった」


 そう言って須永は、再び冷めたコーヒーを口にする。


「ただ、一人の客が面白いことを言ってたわ。車が突っ込んでくる前、急にテラスにいた高校生が、友だちにこう叫んだそうよ。伏せて下さいって。彼は上の方を見上げてそう言った。でも、結局何も落ちては来なかったって……」


 須永はそこまで言うと、口の端を上げて笑った。


「その高校生はおそらく……」


「彼、ですね」


 石黒もそう言うと、ふーっと腹の底から絞り出すようなため息をついた。


「じゃあ、ガラスの破片は一体どこにいっちゃったんでしょうね」


「分からない。消えた、としか言いようがないわね。今のところ」


 須永も石黒も、しばらくの間何も言わず呆然と目の前を行き過ぎる人と車に目をやっていた。


「やっぱり、大権現様のご加護、なんでしょうかね」


 しばらくの後、まじめな顔で石黒が呟いたので、須永は思わず吹き出してしまった。


「やだ、石さん。マジでそう思ってるの?」


 すると石黒は、幾分青ざめた顔で須永を見た。


「だって、あまりにもおかしすぎますもん。説明のつかないことが多すぎる」


「説明のつかないことなんて、ないわよ」


 須永は断言すると、カバンから茶封筒を取り出した。中から何枚か写真を取り出すと数枚を石黒に渡し、自分もそのうちの一枚をじっと眺める。


「いつか必ず、説明はつくわ。秘密の鍵は、多分この子が握ってる。この、王子様がね」


 石黒も渡された写真に目を落とした。それは、先日寺崎宅で撮影された紺野の写真だった。


「ねえ、石さん。今週の土曜日、この子の高校で体育祭があるらしいの。その日、何か予定入ってる?」


 石黒は手帳を取り出して予定を確認していたが、首を振った。


「今のところ、何も。……須永さん、もしかして」


 須永は深々と頷いた。


「行ってみようと思ってる。石さんも、もしよかったら、どう? 何か面白いことが分かるかも知れない」


 石黒は、ごくりとつばを飲み込んで頷いた。


「当然です」


須永はそれを聞いてちょっと笑うと、幾分緊張した表情で遠くを見つめながら、冷めたコーヒーを口にした。

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