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輪廻  作者: 代田さん
第一章 邂逅
11/203

4月9日

4月9日(火)


「CDはこれで全部か?」


「そうです。あ、あと、式次第を貼るんで、脚立と画びょうを持ってきてくれっていわれてます」


「わかった。じゃあ柴田は脚立を持って行ってくれ。陸川は画びょうと式次第を頼む」


「わかりました!」


 陸川と柴田が教材準備室の方へ走り、玲璃と岸田と滝川がマイクやCD、コード類を抱えて体育館へ走る。

 今日はこれから一年生に部活動を紹介する集会が行われる。会の進行を務めるのはまたしても彼ら生徒会役員であり、五人は早朝から生徒会室に集まってその準備に追われていた。全く、新学期早々休む暇もない慌ただしさだ。

 三人は、体育館へ続く長い渡り廊下をほぼ走りながら渡る。

 渡り廊下からは、朝日に照らされた校庭がぐるりと見渡せる。昨日ギリギリ満開だった桜並木から一斉に舞い落ちる花びらが、雪のように校庭中に降りそそいでいる。

 駆け抜けざま、そんな桜の木々にふと目を向けた玲璃の脳裏を、昨日のあの少年の姿が過ぎる。

 満開の桜を見上げていた少年の、日に透けて金色に輝くサラサラの茶色い髪。

 刹那。

 玲璃のつま先が、渡り廊下のちょっとした段差に引っかかった。


「……あ!」


 反射的に体勢を立て直したので転びこそしなかったものの、両手いっぱいに抱えていたCDが派手な音を立てて渡り廊下に散乱した。衝撃で、ケースから中身が飛び出してしまったものまである。運動神経抜群の玲璃らしくない失態だった。


「ありゃ、魁然にしては珍しいな」


 岸田の言葉に苦笑すると、玲璃は荷物を足元に置いて散らばったCDを拾い集め始めた。


「ごめん、二人は先に行っててくれ」


 その言葉に、両手いっぱいにコード類を抱えていた岸田は頷いて体育館の中へ消えたが、岸田の後ろにいた滝川は持っていたマイクスタンドを廊下の端に置くと、かがみこんでCDを拾い始めた。

 無言で眼前に拾い集めた数枚のCDをつき出され、玲璃は面食らったように滝川を見た。


「あ、ありがとう……」


 滝川に対してあまりいい感情を抱いていなかった玲璃は戸惑いがちにそのCDを受け取り、軽く頭を下げた。滝川はそれに対して何を言うこともなく再びかがみこむと、黙って散らばったCDを拾い集めてくれている。


――案外いいやつなのかな。


 玲璃がそんなことをちらっと思った時だった。

 廊下を飛び出して校庭の方に転がっているCDを拾おうと手を伸ばした滝川の動きが、突然止まった。腰をかがめた中途半端な姿勢のまま、校庭の右端に顔を向けて固まっている。

 さっきまで素早く動いていた彼が急に動きを止めたので、玲璃は訝しげにその目線の先を追った。

 滝川の視線の先にあるのは、彼らから二十メートルほど離れた校舎脇に立つ例の桜の木だった。赤みがかった軸が目立ち始めた枝が緩やかな春風に煽られる度、花びらが一斉に中空を乱舞する。

 その木の根元に、花びらに囲まれて誰かがたたずんでいる。舞い散る花吹雪に煽られてサラサラ揺れる、その人物の茶色い髪と線の細い背中。

 玲璃ははっと息をのんだ。


――あの子だ。


 昨日の少年だ。昨日と同じように、またあの桜の木の下にいる。あの木に何か特別な思い入れでもあるんだろうか? 玲璃が首をかしげて少年を見つめ直した、その時。

 まるで二人の視線を感じたかのように、少年がゆっくりと首をめぐらせて彼らの方に顔を向けた。

 長い前髪に見え隠れする、どこか虚ろな少年の目。

 その目を見た瞬間。玲璃のつま先から頭まで、まるで電流に貫かれたかのような感覚が一気に走り抜けた。


「……!」


 頭の芯がじんと痺れ、全身の体毛が一本残らず直立するようなその感覚に、思わず息を呑んで凍り付く。


――何? これ……。


 戸惑いながらも、まるで吸い付けられたかのように少年の顔から目が離せない。

 彼は意外なほど整った顔立ちをしていた。通った鼻筋に、長いまつげに彩られた涼やかな目元と、形のよい眉。肌はどちらかと言えば白く、サラサラの茶色い髪が日の光に透けて金色に輝いている。うまくすれば一部の女子からは熱烈な支持を集めそうな容貌だが、どこか暗い雰囲気が漂っており、あまり友人はできそうにないタイプに思えた。

 にもかかわらず玲璃は、少年から目を逸らすことすらできずにいた。その間も、絶えず背筋を貫くあの感覚に襲われ続ける。生理的反射のようなその感覚に、たまらず自分で自分を抱きしめる。

 刹那。プラスチックが叩きつけられる尖った音が、渡り廊下に鳴り響いた。

 その音ではっとわれに返った玲璃が慌てて目線を移すと、渡り廊下の真ん中にぼうぜんと立ち尽くしている滝川の姿が視界に入った。彼が拾い集めていたCDは大半が足元にぶちまけられ、手元に残った数枚のCDが、震えているのだろうか? さっきからカチャカチャと小さな音をたてている。 


「……滝川、どうしたんだ?」


 恐る恐る声をかけると、滝川は夢から覚めたかのようにはっと目を見開いてから、おもむろに足元にまき散らしたCDを拾い集め始めた。


「大丈夫か? あの子がどうかしたのか?」


「……いえ。すみません。何でもありません」


 何でもないとはとても思えない様子だったが、それ以上追求するのもなんとなく気が引けて、玲璃も口をつぐむと、滝川に倣ってCDを片付け始めた。

 片付けながら、横目で桜の木を見やる。そこに少年の姿はなかった。


――一体何なんだろう。


 滝川の様子もさることながら、玲璃はさきほどのあの感覚に戸惑っていた。快感なのか不快感なのか、あんな異様な感覚を味わったのは生まれて初めてだった。あれはいったいなんだったのか。あの少年を見たことであの感覚が生じたのかどうかすら定かではない。

 疑問符を満タンにため込みつつも、全てのCDを集め終えると、玲璃は滝川とともに体育館へと急ぐ。渡り廊下を走りながら、玲璃は後ろ髪を引かれるようにちらりと背後へ目線を流した。だが、誰もいない校庭には、舞い落ちた花びらが雪のように散り敷かれているだけだった。



☆☆☆



 あれこれと仕事をすませた玲璃が帰宅したのは、八時頃だった。

 高級住宅街の一角にあるひときわ大きな邸宅。玲璃はその門をくぐると、見事な日本庭園を横切り、邸宅の指紋認証の鍵を開ける。


「ただいま戻りました」


 そう言うと静かに引き戸を開け、中に入った。

 靴を脱いでいると、奥の部屋から上品そうな中年女性が足早に出てきて、玲璃に向かってやけに恭しく頭を下げた。


「おかえりなさいませ、総代。今日はずいぶんと遅かったようですね」


「すみません。生徒会の仕事が立て込んでしまって。食事は先に済ませてくれていますよね」


「はい、私は先ほど。珠洲は今日は外食すると連絡が入っております。総帥は間もなくお帰りとのことです」


「では、私も総帥と一緒にいただきます。準備をお願いできますか」


「かしこまりました」


 カバンを受け取った中年女性が一礼して奥へ下がっていくと、玲璃は靴を脱ぎながらふうとため息をついた。

 あの女性は召使いではない。魁然珠子(たまこ)という、戸籍上はれっきとした彼女の母親である。しかし玲璃に対しては、ごく小さい頃から珠子はああいう姿勢を崩していない。外部から見れば非常に特殊なこの状況も、玲璃にとってはごく当たり前の日常である。彼女は魁然家にとって、「総代」という特別な存在なのだ。

 制服を着替え明日の支度をしてから、玲璃はダイニングルームに入った。食事の支度がもうすっかり調ったダイニングテーブルの一席に座ると、程なくして背が高く体格のよい、堂々たる風格の男性が入ってきた。玲璃は居住まいを正すと、その男性に一礼する。


「お帰りなさいませ、総帥」


 「総帥」と呼ばれた男は鷹揚に頷くと、中央に用意されていた席に座った。男の名は魁然義虎(よしとら)。玲璃の父親にあたる。


「おまえも今からか?」


「はい。生徒会の仕事が長引いてしまいました」


「生徒会か。あまり根を詰めるのもよくないな。人に任せられる部分は任せてしまうといい。おまえは今年、大事なことを控えているのだから」


「……はい」


 玲璃は頷きながらも、父親の顔からわずかに目線を逸らした。

 義虎はそんな娘の様子を気にするそぶりもなく、カレイの煮付けをつつきながら口を開く。


「そうそう、日取りが決まったぞ」


「え、目通りのですか?」


 義虎は、満足そうな笑みをその厳つい顔に浮かべて頷いた。


「おまえの誕生日、四月十五日だ」


 珠子から飯を受け取りながら義虎がそう言うと、玲璃は驚いたように顔を上げた。


「え、でも、その日は確か、平日では……」


「あちらの都合がその日しかつかなかった。仕方がないだろう、土日は休日診療にあたらなければならないそうだ。いいじゃないか。別に何もまずいことはなかろう」


 玲璃は答えなかった。学校を休むことなど、父親にとっては全くたいしたことではない。だが、玲璃にとって、学校は大切な場所なのだ。できれば休みたくはなかった。


「……父様のお仕事は、大丈夫なのですか?」


「私か? 大丈夫だ。その日一日くらい何とでもなる」


「でも、大事なお仕事ですのに……」


「一族にとってもおまえにとっても大事な日だ。一日休むくらい何のことはない」


 義虎はさらっとそう言うと、イカと里芋の煮物を口に運んだ。

 彼は警視総監として重責を負い、多忙な日々を過ごしている身である。簡単に休める身分ではない。そんな彼が、四月十五日はあっさり仕事を休むというのだ。目通りは、彼にとっても一族にとってもそれほどに大切な日なのである。

 玲璃はそのことについてはそれ以上言っても何も変わらないと悟り、カレイの煮付けをつつきながら話題を変えた。


「ところで、新しい護衛がつくそうですね」


 義虎はああ、と頷いた。


「そうそう、そのことも言わなければいけなかったな。末端の者だが、どうしても役職に就きたいと強く希望してきていたんだ。おまえと同じ高校に入るのが条件だったんだが、がんばったようだな。名前は前にも言ったかな。寺崎……ひろ、とかいうやつだ」


「何組なんでしょうか?」


「一年B組だったかな。面通ししておくといい」


「分かりました。私の方でやっておきます」


 玲璃は頷きながら、父親に気づかれないようにそっとため息をついた。

 義虎の言うことには、結局いつも逆らえない。義虎が責任ある仕事を休んでまで優先させようとしている、目通り。それほど大切な日ということなのだ。学校を休みたくないなどと言う玲璃の甘えた望みなど、その目的の前にはなんの価値もない。そんなことは彼女自身も分かりすぎるほど分かっている。

 玲璃は気を取り直したように顔を上げると、大皿の揚げ物に箸をのばした。

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