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輪廻  作者: 代田さん
第二章 友達
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5月17日 2

 守衛室の丸椅子に腰掛けた守衛は、退屈そうに大きなあくびをした。

 今日も一日、暑くなりそうだ。五月も半ばを過ぎ、日中は照りつける日差しが相当に暑い。いよいよ、守衛の制服がつらい季節の到来だ。

 そろそろ見回りの時刻だ。守衛室から出て校門に立つと、固まったような腰の重苦しさを解消すべく、両手を挙げて体を伸ばす。

 そんな守衛の横を、車椅子よりひとまわり大きい、バギーと呼ばれている乗り物を押しながら、五十歳くらいの温和そうな女性がゆっくりと通り過ぎた。

 照りつける日差しを避けるためだろう、車椅子の主は大きなつば広の帽子を目深に被っており、顔は見えなかった。車椅子を押す女性もつばの広いの帽子を被ってはいるが、照り付ける日差しがきついのだろう、額にびっしり汗を浮かべている。

 河川敷へ向かう緩い坂道を上っていくその後ろ姿をぼんやりと見送りながら、守衛がまたひとつ大きなあくびをした、その時だった。

 突然、色のカーテンにくるまれたかのように、守衛の視界が赤一色に染まったのだ。


――何だ? これは……!


 頭をかち割られるかのような強烈な頭痛に息をのみ、守衛はがくりと膝をついた。歩き去るバギーと女性の後ろ姿が、壊れたテレビ画面を見ているかのように、奇妙にゆがむ。


「……暑くなってきたわねえ、優ちゃん」


 バギーを押す中年女性の声が、うずくまる守衛の耳朶じだをかすめて流れ去った。

  


☆☆☆



 数学の授業中だった。

 寺崎は、普段に輪をかけて授業に身が入らなかった。雑誌社やSNSのことが気になって、とてもじゃないが勉強どころではなかったのだ。紺野にはああ言ったものの、正直これからどんなことが起こるのか全く予想がつかず、寺崎は不安で仕方がなかった。


――紺野って、いつもこんな気分で過ごしてたんだろうな。


 自分の過去におびえ、気の休まる時などなかったであろう紺野の身の上に改めて思いをはせながら、寺崎が紺野の後ろ姿に何気なく目を向けた時だった。

 突然、紺野が椅子を鳴らして立ちあがったのだ。

 クラス中の視線が、一斉に立ち尽くす紺野に集中する。

 その時、紺野はほんの一瞬、ちらりと寺崎に視線を送った。寺崎はその視線に、ハッとしたように身を起こす。


「どうした? 紺野」


 おっとりした年かさの数学教師がゆっくりした口調で尋ねると、紺野は手短に体調不良を訴え、足早に教室を出ていった。

 あわてて、寺崎もわざとらしく大声を上げる。


「うわ、いってぇ……」


「ど、どうした寺崎。おまえもどこか悪いのか?」


「あ、は、はい。頭も悪いんすけど、急に腹が痛くなって……トイレ行っていいすか?」


 教室中がどっと笑いに包まれる。数学教師が渋い顔でうなずくと、寺崎も足早に教室を後にした。



☆☆☆



 人気のない昇降口に、紺野がたたずんでいた。追跡トレースしているのだろう、右手を頭に添え、じっとして動かない。


「紺野」


 声をかけると顔を上げ、ちらりと寺崎を見る。


「今、捜しています。この学校内にいます。恐らく、人間です」


 寺崎は緊張した面持ちでうなずくと、右手を軽く挙げた。


「ありがとな。教えてくれて」


 紺野は首を振ると、やはり緊張した面持ちで頭を下げた。


「……よろしくお願いします」


 その時、どこの教室だろうか? 女生徒の「キャーッ!」という甲高い叫び声が響き渡った。


「上です!」


 紺野と寺崎は、弾かれたように昇降口脇の階段を駆け上がった。



☆☆☆  



 教卓の前。普段は教師が立っているその場所に、守衛は立っていた。焦点の合わない虚ろな瞳を教室の右隅に向け、半開きの口から銀色に光るよだれの糸を垂らしつつ、ゆるふわロングヘアの女生徒を抱え込んでいる。左腕で腹の辺りを締め付け、右手に持ったサバイバルナイフをその首に突きつけながら。


「助けて……」


 女生徒は目に涙をいっぱいにためながら、震える声でつぶやく。その視線の先、教室後方に固まっているクラスメートと中年の女性教諭は、無論その視線の意味を知っている。だが、誰一人動こうとする者はいない。当然である。不用意に動けば、守衛を刺激して女生徒を傷つけてしまう恐れがあるからだ。だが、このまま何もしないでいる訳にもいかない。教職について以来初めてと言えるこの恐るべき事態に際し、古文担当の中年女性教諭は、逃避しそうになる思考をやっとのことで引き留めながら、必死で事態解決の糸口を探っていた。

 だから突然、紺野と寺崎が前扉から教室の中に飛び込んできた時には、彼女はわけがわからず混乱した。どうやら一年生らしいその二人の男子を、口をぽかんと開けて見やることしかできなかった。

 ややあって、ようやく思考が回り始めたのだろう、女性教諭が必死で裏返った声を絞り出す。


「……あ、あなたたち、危ない! 早く逃げなさい!」


 だが、紺野と寺崎にその忠告は届かない。

 狂気にゆがむ守衛の顔を正面からにらみつけながら、寺崎は背後に立つ紺野に短く問う。


「催眠か?」


「多分。僕が抑えます。その隙に、お願いします」


「了解」


 寺崎が短く答えたのと、紺野の体から白い気がほとばしったのは同時だった。

 紺野の気が赤い気の能力発動を完全に封じた、次の瞬間。寺崎の姿がその場からかき消えた。

 教室の後ろにいた生徒たちが瞠目どうもくし、キョロキョロとその行方を捜し始めた時にはすでに、守衛の手からサバイバルナイフがたたき落されていた。ナイフの転がる涼しい音が教室内に響き渡り、あわてた守衛が女生徒から手を離し、ナイフを拾おうと身を屈めた、刹那。寺崎はその首筋に、流れるような動作で手刀を振り下ろした。


「……!」


 その間、わずか数秒。守衛は声もなく崩れ落ち、白目を剥いて床に転がった。

 入り口近くに立っていた紺野は、倒れた守衛に駆けよってその手を取り、深層意識を探る。赤い気の気配は、完全に消えていた。


「おっけい、か?」


 寺崎が問うと、守衛の側にひざまずいている紺野は、顔を上げて小さくうなずいた。寺崎が親指を立ててにっと笑うと、紺野もほっとしたようにほほ笑み返す。

 すると突然、さざ波のような拍手がわき起こった。


「……?」


 見ると、生徒たちと中年女性教諭が、感極まったように寺崎を見つめながら拍手をしている。中には、感激のあまり涙を浮かべている者の姿まである。


「……ちょっと、ヤバいかも」


 寺崎はつぶやくと、事態がまだよく飲み込めていない紺野の手首をつかみ、前扉から廊下に飛び出した。そのまま、全速力で走り始める。

 背後から追いかけてくる拍手がようやく遠ざかりかけた時、前方から他クラスの教師と数人の警察官が走ってくるところに出くわし、寺崎は慌ててスピードを落とした。


「やっべえなあ」


 走り去る警官たちの姿を見送りながら、寺崎はため息まじりにつぶやいた。


「なにがですか?」


 紺野は事態が飲み込めていないらしく、首をかしげて寺崎を見つめている。寺崎は肩をすくめた。


「今、おまえにしろ俺にしろ、あんまり目立つことすんのはヤバいだろ。また、SNSやら雑誌やらのくだらないネタになっちまう」


 言われて、ようやく気がついたらしい。表情を凍らせた紺野に、寺崎は苦笑いをしてみせた。


「こういうときの解決方法も、今度から良く考えねえとな」


「……そうですね」


 その言葉に、紺野も神妙な面持ちでうなずいた。



☆☆☆



「そうなんです。そうしたら、あの子たちが急に前から入ってきて……」


 メモをとるのを諦めたのか、興奮しきって機関銃のようにまくしたてる女性教諭の話を、警察官は顔を引きつらせながら聞いている。意識を取り戻したのだろう、訳が分からないといった様子でキョロキョロしている守衛の両腕を、二人の警察官が両脇から支えながら教室を後にする。教室の後ろにいる生徒たちは、興奮さめやらぬ様子で先ほどの大事件について語り合っている。

 その様子を見やりながら、つい先ほどまで守衛に拘束されていた女生徒は、ゆっくりと窓際に落ちているサバイバルナイフに歩み寄った。警官や教師に見つからないようにそれを拾い上げると、そっと制服のポケットにしのばせ、薄く笑った。

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