22話 その聖女は、腐っていた
「さて、結局強引に護衛を引き受けることになってしまいましたが……全然起きないねぇ聖女様」
「ただの疲労だろうってマゾ子は言ってたけど……」
次の日の朝、トンディとクレールは眠い目をこすりながらベッドの前でコーヒーを啜る。
アキたちはその後、護衛の任務を取り付けると早々にギルドへと帰還していき。
ベッドを占領された二人はソファで朝を迎えた。
もちろん二人で眠るように設計されたわけではないソファでは快眠というわけにはいかず。 トンディは巨大なメロンに追いかけられる悪夢にうなされ、クレールは首を寝違えた。
「……まったく、幸せそうな寝顔してる」
ズキズキと痛む首を抑えながらクレールはベッドを占領する聖女へとそう呟くと。
乱れた布団をかけ直す。
その様子はどこか優しい微笑みであり、今回の依頼について不満を持っているような様子は見受けられず、トンディは口を尖らせる。
「クレールはいいの? 今回の依頼……多分危険」
「え? 別にいいんじゃない? 人助けだと思えばさ。 聖女様たすけるなんて滅多にできることじゃないし」
「けど」
むすっと口を膨らませて呟くトンディにクレールは爽やかにそういってみせるが。
トンディは納得いかないと言わんばかりに頬を風船のようにさらに膨らませる。
「けど?」
「二人きりじゃ、なくなっちゃう」
「え?」
頬を赤くし、それでも口を膨らませるトンディは、コーヒーを置いてクレールへと迫る。
ほのかにトンディから香る百合の香水の匂い。
その言葉に思わずクレールまで赤面をする。
「二人きりが、よかった」
迫るトンディ、視界には柔らかい桃色の唇があり、クレールの心臓は早鐘を打つ。
「と、トンディ……それって……」
そう語りながら、クレールはトンディの肩に触れる。
びくりと、肩が震え、「んっ」という蕩けるような声がトンディから漏れ。
「ぶっふぅぉ……」
なにかを吐き出すようなその場の雰囲気に似つかわしくない音が、部屋の中に響く。
「ん?」
声……というよりも口から発せられた音に近いそれが響いた方向に二人は視線を移す。
そこには体を起き上がらせ、鼻血を垂らしながら二人に祈りを捧げる聖女の姿があった。
「あ、えと……」
その様子に、一瞬二人は言葉を失う。
ベッドの上に座る姿も、祈りを捧げる姿も、背中から差し込む光のなにもかもが絵画のように美しい聖女。
だからこそ、その両の鼻から溢れる鼻血が画竜点睛どころではなく彼女の威厳を貶めているし。
(というかなんで祈ってるんだこいつ)
という疑問が二人の頭上で社交ダンスを踊りだす。
そうして、二人が混乱に近い状態でその聖女の祈りを見つめていると。
やがて聖女は口を開く。
「……どうぞ続きを」
「へ?」
「私はただいま石にございます……祈り朱を垂らす石など危機怪怪かもしれませんが、ここはどうかお気になさらず‼︎ さぁ‼︎ 続きを‼︎ さあさあ‼︎ 大丈夫ですから‼︎」
「なにが大丈夫なんだか分からないけど、あんた……鼻血」
「お気になさらず‼︎ 尊さが鼻から溢れただけです‼︎ どうぞ続きを‼︎ 何卒‼︎」
「何卒って……よく分からないけど、とりあえず落ち着きなよ」
興奮気味に息を荒げる聖女に、クレールは水を渡そうとするが。
その手を払いのけ聖女は声を荒げる。
「お構いなく続きをどうぞ‼︎ このままくんずほぐれつするんでしょう‼︎? 女性同士の大人の時間が始まるのでしょう‼︎? 愛が‼︎ 燃え上がるように、エッチなことするんでしょう‼︎?」
「するか‼︎? ってか服を離せ、鼻血がつくだろ‼︎」
「恥ずかしがらなくてもいいんですよ‼︎ 聖女の名の下にアリアン様の教えのもとにその全てを許します‼︎ だから、エッチを、するのです‼︎」
「だから、しないって言ってんだろうが‼︎ ってか力強いなお前‼︎」
クレールを掴んで離さない聖女。その力は女性とは思えないほど強く、振りほどくことが出来ない。
「ふふふ、逃げようと思ってもそうはいきませんよ? これでも私、アリアン教会では一番の怪力と言われてまして、特に接近戦では無類の……あら、あらら?」
「怪力がなんだって?」
自慢げに語る聖女であったが、クレールにより手と襟を掴まれると、嘘のようにふわりと体が持ち上がる。
「う、嘘でしょう‼︎? 私これでも服の中に相当の鉄板が……」
「人投げ飛ばすのに、力なんて必要ないんだよ‼︎」
ズドンという音とともに家が揺れ、背中を強打した聖女は「きゅう」という声を上げてのびる。
「……いつ見ても、鮮やかな投げ飛ばし」
「まぁ……な。対人用の柔術だからこんなの使えても魔物相手には通用しないけどね」
「でも、ボディーガードとしてはすごい頼りになりそう」
「まぁBランククエストは要人護衛とか多いからね。 グレイグとアリサは魔物以外はからっきしだったから、私が覚えるしかなかったんだよ。ほら、どちらかというとレガシーって対人を想定した武器が多いし?」
「まぁ、冒険者で人と戦うってことはそんなにないもんね」
「そういうわけで、Bランククエストまでは私が一人で頑張るってことが多かったな。逆にAランクになると、今度は大型の魔物ばっかり相手するようになるからこういう技術はだんだん不要になるしね……」
クレールはやれやれとため息を漏らし、昔を懐かしむような表情をする。
「それよりも、この人どうしようか?」
「うーん……とりあえずしばらくは起きないだろうし、また暴れ出さないように縄で縛って」
「うーん……はっ、私は一体何を」
そう思案をするクレールをよそに、投げ飛ばされたはずの聖女は唸りながら体を起こす。
「嘘だろ、渾身の力で頭から落としたのに。 どんだけタフなんだこいつ」
呆れるようにそう漏らすクレールは、トンディを自分の後ろに隠すと、今度は少し離れたところから銃を構える。
「えぇと……一体ここは、そして私はどうしてここに? そしてなぜ私はこうして銃を向けられているのでしょうか? 頭も痛いし」
頭にたんこぶをこさえながらキョトンとした表情でそう語る聖女。
まるで現状がりかいできていないと言った様子だ。
「あなた、もしかして何も覚えてないの?」
その様子にトンディはふとそんな質問をこぼすと。
「……??? 昨日、司祭と夜の道を歩いていたところまではなんとか覚えているのですが」
「完全に記憶喪失……クレール、これどうするの?」
「え? これ私の所為なの?」
その言葉に、じとっとした目でクレールを見つめるトンディに、顔を青ざめさせるクレール。
そんな二人を眺めて、聖女マルゴーは不思議そうに首をかしげるのであった。
◇