白い人 黄色い人
まだ読んだことないと思って読み始めたら、既に読んだ事のある作品だった。俺が読んでないのは「海と毒薬」の方だった。間違えた。
彼の作品を読んでいてもあまり純文学であることを意識しないのだが、この作品に関してはそれを強く感じる。おそらく最初期のものだからだろうと思う。きっと「海と毒薬」も同じ匂いがすると予想する。変わるのはいつ頃からなんだろうか。一度、執筆された順に通しで読んでみたいものだが、純文学を読むのは大変体力を使うので、立て続けに読むのは難しい。学生の頃にやってしまうべきだったなぁ。
小説の最後には必ずと言っていいほど「解説」なるページがついている。大抵筆者を褒め称えて終わるが、極稀に批判とまではいかないものの、何か指摘がなされている事がある。この本は後者で、恐らく筆者と個人的な付き合いがあるからであろう批評が書いてあって興味深かった。
一番気を引かれたのは、遠藤がはじめ批評家としての活動を期待されていた事を明らかにした上で「氏の批評的労作としては、『カトリック作家の問題』があり、また『基督教と文学』があります。前者においては、文学のなかにカトリック的主題を導入したモーリヤックその他の小説の意味が解明され、後者にあっては、モーリヤック的傾向の批判の上に立って〜中略〜美とモラルの追求者として立っているクローデルの傾向が是認されています。」「彼の小説は前者の線の上に展開され、批評は後者への方向を目指している矛盾の中に在る」という指摘の部分だ。彼の小説としての課題は、この矛盾をどう昇華するかである、という言説は当時の遠藤にとって、とても痛かったに違いない。もしかしたら、嬉しくも思ったかもしれない。自身の巻末でこれだけハッキリと書かれたら、やる気も出るかもしれない。そんなことが想像できて楽しかった。