4-08 不思議な家
◆4-08 不思議な家
ギルバートさんが出かけた後。あてがわれた部屋にいたのだが、暇で暇で仕方なかった。
何もない部屋で三日も過ごすのは無理だ。窓から外の景色を眺めつつ、考えてしまうのはパトリックのこと。
きっと、心配しているだろうな。しかしだ。今さら帰って、月に行けなかったと言えば、割と本気で怒られて流れで結婚式を強行されてしまうだろう。
パトリックが寂しくなって「こんなことになるなら、ユミエラの言う通り結婚式なんてやらなきゃ良かった。それと、彼女の買う変な物に文句を言うのは辞めよう。それとそれと、睡眠導入囁きボイスを録音してプレゼントしよう」
という感じで彼が反省するためには時間を空ける必要がある。
元を辿れば、私は月に行くことが目的ではなかった。結婚式について揉めたのでお互いに頭を冷やそうとしたのだ。そのために、私が実家に帰ると宣言して、何やかんやで大気圏を生身で突破して隣国の王都に落下するまで至る。
そう、パトリックだけでなく、私の方も頭を冷やすべきなのだ。
冷静に考えよう。こうやって静かな場所で考えに耽ると、別の考え方も受け入れられるものだ。
……結婚式中止のために、こじつけの理由を並べてしまったな。ウエディングドレスではカレーうどんが食べられないと発言したが、食べなきゃいいだけの話だった。この世界、カレーうどん無いし。
他の理由は……大勢の前に出たくないとか、気を使うので国王陛下に会いたくないとか、全ては私の感情が起因するものだった。私のワガママとも言えるが、しかしどうだろうか?
結婚式とは本来、新郎新婦のためにあるものなのだから、新婦が開催を望まないなら即刻中止にするべきだ。新郎パトリックが開催を望むなら、半分だけ結婚式をやるべきである。
ハーフサイズの結婚式とは。新郎新婦は半分、つまりパトリック一人。親族も半分、つまりアッシュバトン家の縁者のみ。来賓も半分、釣り合いを考えて国王陛下夫妻のみ参列。神父様も半分、神様か父様か……神様でいいか、レムン君を出そう。
アッシュバトン家のホームパーティーに招かれた国王様と王妃様、そして闇の神レムン。集結した謎のメンツが、ドルクネス領の男だけに祝われる。
うん、いいんじゃないの? 私は参加しないから知らないけど。
……と、パトリックは絶対に納得しないであろう折衷案を思いつくくらいには暇だった。
結婚式の回避方法を延々と考えていても気が滅入るだけだ。
さーてと、じゃあ家の探検でもしますか。家主のギルバートさんは家の中のものは好きに使えと言った。合法的に家を漁ることが出来るわけだ。
ちょっとテンションが上がる。ホテルに泊まるとき、部屋の引き出しなどを端から開けていくのと同じ楽しさだ。目覚まし時計の設定や金庫の使用方法が分からずに、右往左往するのもまた楽しい。
じゃあ始めるか。寝転がっていたベッドから飛び上がり、足音を潜めて部屋を出る。静かにする必要はないけれど、まあ気分だ。
廊下を歩き、まずは隣の部屋だ。鍵がかかっていることを考慮し、誤って鍵を壊して侵入しないよう、優しくドアノブを回す。
すんなりと扉は開いた。
私の目に飛び込んできたのは、荒れ果てた部屋。破壊され尽くしていることを除けば、家具は私がいた所とほぼ同じ物が揃えられている。
普通の家に、こんなビジネスホテルみたいな客間が複数あるものだろうか? しかも、この破壊の跡は何だ? 暴れん坊が定期的に泊まりに来るとでも?
壊れているのは家具だけではない。屋根も抜けており、青い空が見える状態で……。
「あ、私が落ちてきた所か」
隣に案内されたのは承知していたけれど、逆側だと思い込んでいた。初めての家って方向感覚がおかしくなるね。
暴れん坊な私はドアを静かに閉める。パタンという小さな音が近くで鳴ると同時、遠くで大きめの音がした。
玄関の扉が開く音だ。空っぽの箪笥のように、一箇所を閉めると別な所が開く仕様になっているかあるいは――
「帰ってきたんだ」
家主が帰宅したかのどちらかだ。間違いなく後者だろう。
ギルバート氏が出かけてから一時間くらいだろうか。考え事に時間を費やしたせいで、ほぼ家の探検は出来ていない。
いそいそと元いた部屋に戻り、家探しなんてしないで大人しくしていましたよ? という感じで椅子に座る。物憂げな表情で窓の外を見ていれば完璧だ。
足音は真っ直ぐに私の方へ。階段を登り終えてから程なくドアがノックされる。
「はい、どうぞ」
「……まだいたのか。消えていることを期待したのだがな」
「丸々三日居座るつもりです。お世話になります」
ギルバートさんは面倒な、とため息をつく。しかし今までのものと違い、しょうがないなあという感情も含まれているように見えた。パトリックが頻繁にするやつと似ているので分かったのだ。
「……食事は? 昨晩から何も食べていないだろう」
「すみません、いただきます」
「保存の効く物を備蓄してある。勝手にしてくれ」
この家に、彼以外の気配は感じられない。ギルバートさんは自分ひとりのために自炊するタイプにも見えないし、もしかしてずっと備蓄した食料を食べているのかな?
この世界、保存食とか手間のかからず食べられる物は総じて不味い。彼の食生活が心配になってきたぞ。よっしゃ、ここは私が一宿一飯の恩義を返しますか。
「よろしかったら、私が何か作りましょうか? 一人分も二人分も一緒ですから」
「余計なことはするな。他人の作った物を口に入れたくないし、火事でも起きたら困る」
今なら美味しく出来るはずなのに……もったいない。
ちょっと前に料理をしたときは、毒ガスが発生したと思われて騒ぎになったりもしたが、私も成長している。屋敷の厨房を出禁になったせいで腕を振るう機会に恵まれないが、今なら美味しく出来るはずなのだ。根拠はない。
あと、火事って……。そんなエキセントリックな料理はしないって。何でも黒焦げにしちゃう系ヒロインはとっくの昔に絶滅したと聞き及んでいる。
流石にキツく言い過ぎたと思ったのか、彼は私から視線を逸して言う。
「それに、ここには野営で使うような調理器具しかない」
野営で使う調理器具? どうしてまた、そんな物だけがあるのだろうか。
あまり突っ込んでも嫌がられそうなので、料理は断念しよう。暇つぶしも兼ねていたのだが……もう観光に出るしかないかな?
「分かりました。別で一つお聞きしたいのですが、私がこの家を出るのは問題ありませんか?」
「うん? 三日は出ていかないんじゃなかったのかな?」
「ちょっと周りを見て回って、すぐに帰ってきます。ええっと……王都は初めてですので」
「……君は、家出中ではなかったのかな?」
「ここまで捜索の手は及んでいません。探されているかも謎です」
うーん、必死の捜索をされていても嫌だが、全く心配されていないのもそれはそれで嫌だ。私が危ない目に遭うかもしれないなんて、誰も考えないからな。放っておくと人様に迷惑を掛けるからと探されているなら納得できる。
現在進行系で迷惑を掛けまくっているギルバートさんは、しばらく悩んでから口を開いた。
「問題ない。この家に不特定多数の人間が出入りするのはいつものことだ。君が余所者だからと目立つことはないだろうが……」
彼がそう言って視線を向けたのは、私の頭だった。ああ、黒い髪はやっぱり目立つよね。
魔王伝説の本場であるバルシャイン王国に比べ、ここレムレスト王国は黒髪に対する偏見が少ないと聞いている。とは言え、珍しいことに変わりはない。目立ってしまうのは致し方ないだろう。
「やっぱり目立ちますかね?」
「もちろん。特にレムレストの王都だ。運が悪ければ、衛兵に通報されるかもしれない」
え? 流石にバルシャインでも通報まではされなかったぞ?
隣国では、魔王の伝承がどういう形で伝わっているのだろうか。
「通報までされます?」
「王都の人間は噂話に敏感だからな。君がユミエラ・ドルクネスと誤認されるのは仕方ない」
ああ、そういうこと。魔王さんごめんなさい、貴方の悪行は全く関係ありませんでした。
私かあ。私が私だと思われたら通報されちゃうのか。そりゃそうだよね。隣国の最終兵器と性別年齢髪色が同じ人物が現れるんだもん。
「あの伯爵様に間違えられるなら仕方ないですね」
見よ。この自然な、ユミエラじゃありませんアピールを。やっぱり私って演技派なんだよなあ。
私の儚い悲しげな演技に心を打たれたのか、ギルバートさんは柔らかい声色になる。
「僕は、君があのユミエラだとは思っていない。そんなに怒るな。君はレムレストを焦土にしようとしたことなんて無いだろう?」
いや、怒ってはないです。あれ? 仕方のないことなんです、これも私の悲しき運命なのですから……みたいな雰囲気を醸造したつもりだったのだけれど。
あと、本物のユミエラもレムレストを焦土にしようとしたことはない。
「帽子を被れば大丈夫だろう。丁度いいものがあったはずだ」
ギルバートさんはついてこいと言って階下に向かう。
怒ってると思われても結果オーライならいっか。
帽子と言っても、サイズが合うかな。男性用の帽子だと髪を隠すのは難しかったりするし。
少し不安になりながら彼の後ろをついて歩く。辿り着いたのは一階の玄関に近い部屋。
ギルバートさんは思案するように立ち止まる。そして言った。
「ここはプライベートな部屋だ。中は――」
「分かりました。あっちに行ってますね」
彼は言い終わる前に、私は廊下の離れた場所まで行く。
ここで好奇心を出して、帽子を貸してもらえないのが一番困る。
ギルバートさんはポケットから鍵を取り出して秘密の部屋に入る。
私に家の物を自由にして良いと言ったのは、大事な所には鍵が掛けてあるからか。でも鍵って、ふとした瞬間に壊しちゃわない?
……危ない。危ない。ユミエラの一面がひょっこり出てきてしまった。今の私はユミエラに非ず。鍵を壊すなぞという、ユミエラのように野蛮極まりないことはしないのだ。
ギルバートさんは程なく出てきて、すぐに鍵を掛け直す。
もう良いだろうと、廊下を歩いて彼に近づく。すると、彼が手に持っていたのは、鍔の広い真っ白な帽子。
……どう見ても女性用のそれだった。
「ああ、プライベートってそういう……。いや、いいんですよ。服装は個人の自由ですから」
趣味は人それぞれだ。ギルバートさんがギルバートちゃんに変身しても……まあ、直視できるかはともかくとして、他人が口出しすることではない。
素敵な白い帽子をかぶって、スカートから生足を見せながら、彼が砂浜を走る様子を思い浮かべる。すると射殺さんばかりの視線で睨まれた。
「何を勘違いしている? ここは、女性の私室だぞ? しばらく空けているから、これくらいなら勝手に使ってもいいだろう」
ああ、そういうこと。この家の家族構成が全く見えてこないけれど……今はお出かけが優先事項だ。
ギルバートさんから帽子を受け取り、深めに被る。背中に掛かっている髪を、服の中にしまえば完璧だ。
「ありがとうございます! あ、女装癖があると勘違いしてすみません!」
ギルバートさんの苦虫を噛み潰したような顔に見送られて、私は家を飛び出したのだった。





