4-06 謎のお兄さん
◆4-06 謎のお兄さん
私が墜落した家の住人、灰色の髪をした青年は再び言う。
「君は誰だろうか?」
「……まあ、そう深く考えずに。突然に妹ができたとでも考えてください」
「訳ありか。僕には弟がいるが、妹はいないし、欲しくもない」
妹作戦は失敗か。ある日突然に可愛い妹が降ってきたら嬉しくなるという、男性心理を突いた妙案だと思ったのに。
雰囲気だけで判断するに、この人は警戒心が高めのようだ。ごく一般的な男性ならば、今頃「イモウトチャンカワイイヤッター」と万歳している場面だろう。
さてさて、中身のない会話で時間を稼ぎつつ、今後の行動を考える。
まず、目の前にいる彼はどう動くか。屋根と家具の修繕費は請求されるとして、衛兵に突き出されるかもしれない。
それと、ここはどこなのか。バルシャイン王国の中か外か。外国だと面倒だ。一応これでも伯爵なので、突然他国に現れては国際問題に発展する可能性もある。
「妹はいらない……と。ではお姉ちゃんと呼んでいただいて構いませんよ」
「はぁ……。君はなぜ、うちの屋根に登っていた?」
「この家に用事があったわけではありません。屋根伝いに移動していたら、偶然ここに行き着いただけです。私はここがどこかも分かっていません」
「危険な真似を……怪我が無いのが奇跡だな。西の露店街に鐘があるだろう? あそこから西に入って、二本目を右に曲がった通り……で理解できるか?」
彼は地名を言わずに、詳細な場所を説明する。私が大気圏外からやって来て、街の名前すら知らないとは想定外なのだろう。
下手をしたら街の名前を聞いても、どこの国か分からないことすらあり得る。
ここってなんて国ですか? なんて聞くのは怪しすぎるので避けたいな。
自然な感じで、それとなく情報を引き出そう。
「あー、すみません。この辺りに来たのは初めてなので、ちょっと分からないです」
「そうか。普段は王都のどの辺りに?」
王都? 彼はいま、王都と言ったか? 上空から確認した限りでは、王都バルシャインではなかった。見間違うはずがない。
ということは、外国の王都か。危ないなあ。バルシャインの近隣諸国だと余計に危ない。ユミエラ・ドルクネスの存在は知れ渡っているので、国の偉い人がパニックになる可能性が大きい。
別な大陸であるとかして、ユミエラ? 誰それ? って状態の方がまだマシだ。帰るのが大変だけれども。
最悪なのはレムレスト王国だろうか。パトリックの実家である辺境伯家に行ったとき、そこの軍隊さんと一悶着あったのだ。
内心の焦りを表に出さないようにしつつ、私は更に探る。
「王都に来たのも初めてです。結構遠くから来ました」
「遠く? まさか、レムレストの国外と言い出したりはしないだろうな?」
「まさか。生まれてから外国に行ったことなんてありませんって」
嫌な予想というのは、得てして現実になるもので……。ここはレムレストらしい。しかも、その王都だ。
まずいな。夜闇に乗じて国境越えを強行するべきだろうか。休憩なしの走りっぱなしで、ドルクネスの我が家まで帰ることは出来るはずだ。
明らかに怪しい私の処遇を決めかねているのだろう。彼は私を見つめて、しばし黙考する。
いざとなれば、首の後ろをトンッてするやつを使い、彼を眠らせて逃げよう。トンッはやったことがないので、力加減が分からない。強すぎたら死んじゃうし、弱いと眠らない。
アレってどういう原理で眠らせているんだろう。首の後ろ……神経を刺激しているのかな? 後遺症とか残ったりしない?
わざわざ眠らせないでも、脱出だけなら可能か。失敗したときが怖いから、首の後ろをトンッてやるやつはまたの機会にお預けだ。
私が逃げ出す算段をつけていると、意識外から大きな声が聞こえた。これは……家の外かな。
「大丈夫か!? すごい音が聞こえたぞ!?」
落下音を聞いた近所の人が、心配して様子を見に来たようだ。
あまり多くの人に目撃されるのは避けたいな。当然、彼は変なのが屋根を突き破ってきたと言うだろうし、そのまま衛兵を呼ばれて牢屋コースかも。
一度くらいは黒白ストライプの囚人服は着てみたいと思っていたけれど、一貴族が仮想敵国で捕まっちゃうのは駄目だろう。
灰色の髪をした彼は、舌打ちをしてから小声で言う。
「動かず、静かにしていろ」
そして、不機嫌そうな顔で私に背を向け部屋から出ていく。
耳を傾ければ、階段を降りる音が聞こえ、立て付けの悪い扉を開ける音、彼とご近所さんの話し声。
「おおっ、無事だったか」
「夜分にお騒がせして申し訳ありません。荷物を運んでいたら階段から落としてしまいまして」
「怪我が無いなら何よりだ。……でもそういう力仕事を夜にやるのは止めてくれよ」
「すみません。明日、改めてお詫びに伺います」
「いや、そこまでしなくていいんだよ。しっかし、若いのにしっかりしてるなあ」
「短い間ですが叔父さんから家を任されていますから。ご近所の方にご迷惑をお掛けするわけにはいきません」
家人と隣人が話しているうちに逃げちゃおうと思い、空いた屋根から飛び出す準備をしていた。だが、思わず会話に聴き入ってしまう。
家人の愛想が良すぎて怖い。そりゃあ人によって対応が変わるのは普通だけど、先程までの神経質そうで不機嫌な青年は何処へ行ったのか。やり取りを聞く限り、模範的な好青年だ。
それに加えて、彼は嘘をついてまで私の存在を隠してくれた。どうして? 私に都合が良すぎる。
匿ってくれた理由は置いておいて、人の家を荒らして逃げ出すのは良心が痛む。
逃げるのはいつでも出来る。ひとまずは保留にして、彼に誠心誠意の謝罪をしよう。
外の方は穏便に済みそうだ。近所に気を使ってか、小声での会話が聞こえる。私じゃなかったら聞こえてないだろうな。
「いいんだいいんだ。何か困ったことがあったら言ってくれよ」
「心配していただきましてありがとうございます。では、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ。暗くなったら寝るに限る。兄ちゃんもちゃんと寝ろよ」
扉の閉まる音。隣人のおじさんが歩く音。家人のお兄さんの舌打ち。
……こっわ。ご近所さんに猫かぶりすぎ。あの好青年が別れた途端に舌打ちしたなんて知ったら、隣人さんが人間不信に陥ってしまうに違いない。
謝るって決めたけれど、ちょっと怖くなってきたなあ。
自分で言うのは恥ずかしいけれど、私ってシリアスな場面でも平気でふざける。やらない方がいいかなと考えつつも、思いついたことはすぐに行動に移しちゃう。
今も思いついてしまった。土下座のワンランク上と言われている土下寝、それを更に発展させて、逆立ちするのが誠意を表すのに一番だ……みたいなことを思いついた。
平常運転の私だったら、本当にやっただろう。この部屋に戻ってくる彼を逆立ちで出迎えただろう。
でも今日ばかりはやめておこうかなと、たまには真面目にやろうかなと考えてしまった。
怖い人だとは思っているけれど、萎縮してしまうなんてことは全く無い。殴り合いになれば絶対に勝てるという精神的アドバンテージがあれば、大体の場面で緊張することは無い。
なぜだろう。隣の国の知らない人、一度別れてしまえば二度と会わないであろう人なのに、彼に変な人だと思われてはいけないと、おおよそ外れることで有名な私の勘が囁いている。
彼が階段を上がってきた。早足だと、響きで分かる。
ドアが静かに、でも素早く開かれた。灰色の髪の、パトリックにちょっと似てなくもない気がしたがやっぱり似ていない彼は、こちらを確認してまた舌打ちする。
その様子から察するに、私がまだいたことに対して不機嫌になったようだ。どちらかと言えば、逃げられなかったことに安堵する場面だと思うのだが、彼は確かに私を見てから舌打ちした。
壊れた物品の諸費用を請求したいはずなのに、私が消えていた方が好都合といった雰囲気だ。
「まだいたのか」
「すみません。色々壊してしまった弁償なのですが……」
「気にする必要はない。君に出来るのは、ここを出ていくことだけだ」
「そんなわけには……」
「気にするな。そして、二度とうちに来るな」
お咎めなしで出ていって良いなんて、またしても私に都合が良すぎる。
彼がただの優しい人なはずないから、明確な理由があるはずだ。……が、今はそんな推理をするつもりも無い。
家人の気が変わらないうちに、さっさと逃亡しちゃいますかね。
私は深々と頭を下げる。土下座ならぬ土下逆立ちはしない。
「本当に申し訳ありませんでした。では、失礼します」
頭を上げて、いそいそと歩き出す。
玄関に向かうため彼の横を通り抜けようとしたところ、腕で進路を塞がれてしまった。
「待て。行く当てはあるのか?」
「大丈夫ですよ。なるようになりますので」
「無いのか。……この時間に出歩いて、君が事件に巻き込まれても面倒だ。そうだな……夜の間だけだ。ここに滞在することを許そう」
「……ありがとうございます?」
どうしてまた、急に優しくなったのか。頭の中が疑問でいっぱいになりつつも、一応お礼を言う。
彼の言動は一貫していない。私の存在を隠匿し、出ていけと迫り、弁償を断り、夜は危ないから泊まっていけと言う。
宿泊しろと言われるまで、面倒事を引き込む厄病神扱いされていると思っていた。例えば、謎の組織に追われている……みたいな想像を彼がしていると。
知らない人の追っ手が家に来るのは、誰でも嫌だろう。だから私がいることを外部に漏らしたくなかったし、すぐに出ていけと言った。可能な限り早く消えて、今後は一切近づいてほしくないから、破壊した物品の代金も請求しなかった。
そこまでは筋が通っている。しかし、ここに来て夜間の外出を心配しだした。
隣人を騙すくらいに、安くはない修繕費を諦めるくらいに、私を家から追い出したがっていたはずだ。私が素直に去ろうとしたのだから、黙って見送るのが普通だ。
腑に落ちないなあ。彼はどういう人なんだろう。
しかし、正体が露見して困るのは絶対に私の方だ。あまり突っ込まずにしておこうかな。
今すぐにでも飛び出して国に戻るのが良いのだろうけど、宇宙まで行って少し疲れた。ここで休めるのは助かる。
「お世話になります。それで、先ほどの件なのですが……」
「弁償の話だろう? 気にするなと言ったはずだ」
即座に断られてしまったけれど、やはり弁償はした方がいいよな。屋根に開いたユミエラ一個分の穴は、修復作業が大変そうだ。
後は家具。倒れただけの物もあるが、私がクッション代わりにしてしまった棚などは完全に壊れている。その他、細々とした物を含めればそこそこの額になりそうだ。
お金持ちな私だけれど、何の用意もなく出てきたので持ち合わせがない。幾らかの額はポケットに忍ばせているが、これは突発的に買い食いがしたくなった用に常備しているものだ。銀貨と銅貨が数枚ではとても足りそうにない。
破壊した物の代金を払うと自分で言い出しておきながら、支払い能力が無いとは恥ずかしい。
後日に改めてというのは、彼が間違いなく嫌がるだろう。私も隠れて国境越えをするリスクは何度も負いたくない。国を往来する商人に頼んで……というのも危ないかも。
「今はお金の持ち合わせが無くてですね……」
「話が通じないな。僕は何も請求しないと言っているだろう」
視線を自らの体に向けて、換金できそうな物を探す。
左手。風属性の魔力が込められた指輪。パトリックから贈られた大事な婚約の証だ。とてもじゃないが売っぱらうなんて出来ない。
他に何かないかと、全身を見回して探すが見つからない。日常的に宝飾品を身に着けていればと、生まれて初めて思った。
私が常に持ち歩いている物なんてほぼ無いので……あ、あった。これなら換金もできるし、手放すのも許容できる。
これを渡すのは気が引けるけれどしょうがない。予備はあったけれど、予備の予備は持っていないのだ。
私が取り出したのは例の水晶。いつでもどこでもレベルが測れるように常備している。
「私の気が収まりませんので。代わりにこれを。換金すれば、屋根の修理費くらいは補えるはずです」
「……どこに隠し持っていた? どこから取り出した?」
「些細なことは気にしないでください」
「それと、これは……?」
「レベルを測れる魔道具です。魔道具を取り扱っているお店ならだいたい買い取ってくれるはずですよ」
この水晶は一般に出回っていないので分からなかったのだろうと説明するが、彼はそうじゃないと首を振る。
「これが何かは知っている。なぜ、君はこんな物を持ち歩いている? レベルに常人ならぬ執着でもして……その黒い髪、まさか君が!?」
 





