4-05 究極生命体ユミエラ
◆4-05 究極生命体ユミエラ
お互いに頭に血が上りすぎているのを感じたので、私は伝家の宝刀「実家に帰らせていただきます」を発動した。
結婚式関連で遺恨を残すと、後から絶対に揉めるからな。
例の親戚のお姉さんは、二年後に夫婦喧嘩の末に離婚したのである。喧嘩の発端は結婚式、予算の都合でお色直しができなかったから。
もちろん、それだけが理由ではなくて、細々とした性格や価値観の不一致があったのだろう。しかし、離婚の致命的な原因になることも事実。
あの地獄イベントを更に長引かせようとしていた彼女は理解できないが、教訓だけは素直に受け取るべきだ。
少し落ち着こう。そのため実家に帰ることもまた一つの手である。
私が荷物の準備を始めるため席を立とうとすると、パトリックは冷静に一言。
「ユミエラの実家はここじゃないか?」
「あっ」
ホントだ。私の実家ってここだった。
先程のケーキの件と言い、私がまるで変なことしか言わない人みたいだ。そんな人間の意見に耳を傾ける人はいない。
何とか、何とか間違いを認めずに、どうにかしなければ。脳を絞れ、存在しない私の実家を無理やりに作り出せ。結婚式を迫る貴公子を撃退するため、難題を――そうだ!
「月!」
「つき?」
「私はね、月からやってきたの。実家がある月に帰ります」
「……月に、人はいない」
窓の外に目をやると、丁度良く満月が輝いていた。
理由は不明だが、前世の世界のそれと同じ模様の月を指差して言う。
「見て、兎が見えるでしょう?」
「兎……は見えない」
「蟹に見えるタイプだった?」
「蟹も見えない」
パトリックは満月を凝視して、首を横に振る。
風情が無いなあ。確かに兎にも蟹にも見えないけれど。
「まあ、私は月に帰るから」
「ユミエラ、落ち着いて聞いてくれ。月には行けない」
「私には無理って話?」
「どんなに飛翔能力に優れていても、月まで行くのは無理ということだ」
いやいや、月には行けるよ。行った人も実際にいる。アポロ計画陰謀論なんてのもあるけれど、私はアームストロング船長を信じている。だって、アームがストロングな人が嘘をつけるわけないのだから。
パトリックはどのレベルで不可能だと言っているのだろうか。宇宙空間を三日も進むのは無理という科学的な意味なのか、天の神が吊るしている月までは行けないという概念的で宗教的な意味なのか。その辺を明確にしておこう。
「私が前いた世界ではね、月に辿り着いた人がいたのよ。それも複数人」
「……まさか」
「この世界、惑星は球体でね、その周囲を周っているのが月。とりあえず、物理的に高く飛べば月までも行けちゃうのよ」
「世界が球体という話は聞いたことがある。海で遠くから来る船を見たとき、確かに上が最初に見えた」
この世界に天動説以外認めない系の宗教は無い。
良く分からないけれど、船乗りたちは世界が丸いって言ってるみたいだよ……くらいの認識は浸透している。
何というか、異世界に転生して科学知識を披露するのはこれが初な気がする。もう少し有効活用できそうなものだけど、案外機会は少ない。
「ということで月に帰ります」
「待て待て、月までの道のりに危険は無いのか?」
「…………ないです」
「その間は絶対にあるだろ! ユミエラが危ないと感じるなんてよっぽどだぞ。おい、待て――」
パトリックの制止を振り切って、私は外に走り出す。
うーん。計画を練りに練って実行するべき月旅行を、ノリで始めてしまった。こういう機会でも無いと、いつかやると言ってやらないままになりそうだから、この際だ。月まで行ってしまおう。
問題は宇宙空間に酸素が無いことだけれど……なんとかなるっしょ。宇宙に空気がないのは都市伝説ってどこかで聞いた気がする。
科学と論理の申し子である私は、宇宙に酸素があることに望みを託して飛び出した。
「リューくん起きてる!? いい子は寝る時間だけどゴメンね」
いい子は寝る時間だが、不良ドラゴンのリュー君は起きていた。
さすが我が子。言いつけを守らずに夜ふかしするのは間違いなく私のDNAだ。
リューは翼を大きく広げて私を迎える。緊急事態を察して、一気に飛び立てる体勢になるとは、我が子とは思えない優秀さだ。
「私は月まで行くから、途中まで連れて行って。限界高度ギリギリまで」
私が背に飛び乗るやいなや、戸惑い気味にガウと吼えて、リュー君ロケットは飛び立つ。
リューも月に行くことには懐疑的らしい。本当に行けるの? 大丈夫? といった感情が伝わってくる。
リューが翼を動かすたびに加速しながら、すさまじいスピードで地表を離れる。
これは第二宇宙速度に到達できるんじゃないかな? 第二宇宙速度とは、物体が地球の重力圏を抜けるために必要な速度のことだ。
第一宇宙速度だと人工衛星のように地球の周りを回るだけなので間違えないように。第三になると太陽系の外に出てしまう。流石に怖いのでその速度は出したくない。
ちなみに、第二宇宙速度が何キロくらいなのかは全く知らない!
しかし、リュー君は第一ブースターだから、一定以上の高さまで連れて行ってくれれば十分だ。そこで第一ブースターは切り離して、第二ブースターの……第二は無いな。ブースター一個で宇宙って行けるもんなのかな。
少し空気が薄くなってきた。そろそろリューの限界高度だ。
そろそろ切り離しの準備をしなければと考えていると、後ろから音がする。聞こえるはずのない声に、思わず肩をビクリと跳ねさせてしまう。
「どこまで行く気だ!」
「え!? パトリック!?」
パトリックがリューに迫る勢いで、空を追ってきている。
私でもあのレベルの飛行は無理だ。空中で軌道を変えたり、落下中の減速などはやっているが、純粋な魔力を放出するのはとんでもなく燃費が悪い。
ブラックホールを連発するのと同じくらい、空を飛ぶのは疲れる行為だ。
使い勝手の非常に悪い闇属性魔法は置いておいて、空を飛べる魔法使いは一種類のみ。高位の風魔法使いだ。空を自在に飛べるのは中でも限られた人のみで……。
超高位の風使い。パトリックさん、要件にぴったりと合致している。結構前から飛べたはずだけど、彼って高い所が苦手だからな。
彼は更に距離を詰めつつ叫ぶ。
「リュー! 止まれ!」
「リュー! 止まらないで!」
育ての親である私と、血の繋がりがない親の恋人パトリック。リューがどちらの言うことに従うかは、火を見るより明らかで……。
リューはパトリックの言う通りに減速した。ナンデ。
「ぐう……リュー君ごめん!」
幸いなことに、今は雲よりずっと上。既に限界高度付近だ。
大気が薄くなれば、パトリックの風魔法も力を失っているはず。私はリューに謝って、彼の背を蹴った。
当然、加減はしている。かわいいかわいいリューを全力で蹴るような真似はできない。
「リューくん第一ブースター、切り離し!」
速度を僅かに上げて、私は更に高みへと飛び立つ。
魔力を下方向に向けて全力放出。大気が薄いこの場所に限り、ドラゴンの翼よりも風属性の魔法よりも効果的な加速方法だ。
リューの上昇力と私がジャンプした分で、相当の速度を溜められた。運動エネルギーを位置エネルギーに変換しながら、私は高く高くへと。
全力でブーストしているが、どんどん速度は削られていく。このままでは失速するか……?
見下ろせば、落下していくリューとパトリックが見えた。ある程度落ちたら、あとは飛行できるはずだ。
私は上へ、彼らは下へ、相対速度はすさまじく、瞬く間にパトリックたちは小さくなっていく。
ごめんね、私は月に行くの。
レベル99を超えた影響だろう。これだけ魔力を噴射しても、体内の魔力が減る感覚は少ない。
だが出力不足で速度はどんどん落ちていく。
間に合うだろうか、間に合え、間に合え、間に合え…………。
そして、私は、惑星の重力から解き放たれたのだった。
「 」
きれいと言おうとしたが、口をパクパクとさせただけだった。
やっぱり宇宙には空気が無かったようだ。そりゃあね。
今の私は恐らく、衛星軌道ってやつをグルグル回っている状況だ。第二宇宙速度には届かなかったが、第一宇宙速度には届いたというわけだ。
まあ、第一宇宙速度は高度ゼロでの初速、つまり途中で加速しなくても衛星軌道に行けちゃう速度なので、正確には違うのだが。
眼下に広がる惑星を見る。惑星はやはり青く、写真で見た地球ものよりずっと美しかった。
分かってはいたけれど大陸の形が違う。まさか別な世界の宇宙に来るなんて、人生は何が起こるか分からない。
本当に綺麗だ。いくら眺めていても飽きない。
「 」
飽きてきた……と言った。空気が無いことを忘れて、また口をパクパクさせちゃった。
んじゃあ、そろそろ帰るかな。月まで行くのは流石に無理だ。行って帰ってくるまで息を止めていられる自信が無い。
これは息を止める練習をしてリベンジだな。
「 」
これ、どうやって帰るの? ……と言った。学習しない私である。
地上に帰れなければ、死ぬまで衛星軌道を回り続ける悲惨な未来が待ち受けている。
しかし、レベル99を超えた生命力を持つ私が、空気がないくらいで死ぬのだろうか。
私はこのまま、永遠に宇宙空間をさまようのだ。そして死にたいと思っても死ねないので――
「 」
ユミエラは考えることをやめた……と言った。分かってはいるが、声に出して言いたかった。
まあ、普通に考えて上向きに魔力放出をすればいいだけだ。
出しているのが空気なら、凍っちゃって帰れなくなっちゃうんだろうけど。
それでは、ユミエラ落としの始まり。
私は少しだけ上向きに魔力を噴出して、地上に向かう。少しばかり力を加えてやれば惑星の重力に捕まって、みるみるうちに引き寄せられていく。
今度は下向きに魔力を。なんかロケットって、発射よりも大気圏突入で事故が起こるイメージだ。行くより戻る方が大変なのかもしれない。十分に気をつけて行こうと思う。
さてさて、落下しているうちに体が温かくなってきた。
大気圏突入のときの赤くなるアレは、大気との摩擦熱ではないらしい。私もずっと摩擦だと勘違いしていたが、宇宙船や隕石やモビルスーツが赤く燃えるようになるのは、断熱圧縮と呼ばれる現象だ。
超高速で移動する物体によって押しつぶされた空気の分子どうしがぶつかり合うことにより、熱が発生している。
教えてくれた人、ありがとう! などと考えながら、私は地表へと近づいていく。
まあ、余裕を装ってはいるが実際は一杯一杯だ。
減速しそこねて地表に激突。コロニー落としならぬユミエラ落としで地球人口の半分が死滅とか、冗談じゃない。
全力で減速しつつ落下を続ける。
減速に集中するあまり、落下地点について考えが及んだのは建物の屋根が目に入ってからだった。
ああ、これは間に合わない。というか、ここどこだ? ドルクネス領じゃないよね?
空から一望した限りでは、そこそこ栄えた都だ。バルシャイン王国の王都よりは小さいが、ドルクネスの街に比べるとずっと大きい。
人の居住地とそれ以外なら、圧倒的に前者が少ないはずなのに……。運が良いのか悪いのか。
私は知らない街の、知らない家の、知らない屋根に激突し、知らない天井も突き破り、知らない部屋でようやく停止したのだった。
滅茶苦茶になった家具の上に、手足を投げ出して座った状態で、しばらく放心状態になる。
すると階段を駆け上がってくる音が。爆音を聞きつけて、家人が様子を見に来たんだ。
部屋に飛び込んできたのは、灰色の髪をしている、酷く疲れていそうな顔の青年だった。
備え付けられた魔道具の明かりを灯し、彼は私の姿を確認する。
「君は、誰かな?」





