番外編06 茶碗蒸しはそこまで恋しくない
悪役令嬢レベル99のコミカライズ1巻が発売されました。こんな小説読んでる場合ではないですね。
活動報告でコミカライズの描き下ろしや特典など、色々と紹介しています。
コンビニに行きたい。
流石の私も高校のジャージで行けるのはゴミ捨てまでだ。ズボンを履き替えて、上にカーディガンを羽織って、コンビニまで歩いていきたい。
人っ子一人いない夜の住宅街を歩いて、明かりが溢れ出るコンビニに行きたい。
頭から離れなくなるメロディを聞きながら、自動ドアをくぐりたい。
面倒そうに出てきた夜勤の店員さんを見て、申し訳なくなりたい。
かごを持って、一番奥側にあるお弁当や紙パックの飲み物コーナーの並びへ行きたい。コンビニスイーツを買いたい。
何にしようか悩みたい。期間限定のロールケーキに手を伸ばしかけたい。思いとどまってまた長考に入りたい。ロールケーキも良いけれどモンブランも……生クリーム系は確定として……と、考えながらスイーツコーナーで仁王立ちしたい。
最終的に、豪華めのプリンを選びたい。プッチンしない、上にクリームが乗ったやつをかごに入れたい。
紙パックの紅茶を悩まずに手に取り、レジに向かいたい。足と手が勝手に動いて、買う予定のなかった細長いチョコのお菓子とメロンパンも買いたい。
店員さんがレジを打っているあいだ、ホットスナックと睨み合いたい。人が来ない時間帯なので一個だけ取り残されたチキンと見つめ合いたい。でもゴメン、色々と買ってしまって財力が限界なので、君を連れて帰ることは出来ないんだ……と心の中でチキンに謝罪したい。そして、廃棄になる前にいい人に買われるといいねと励ましたい。
お会計はICカードでスマートに済ませたい。あらかじめ財布から出しておいたカードを見せて、カードバトルのように堂々と使用を宣言し、指定の場所にかざしたい。
袋を受け取り、お礼を言って、颯爽と店内から飛び出したい。
「あー、プリンが恋しい」
ここは、コンビニの無い世界。いわゆる異世界。
異世界転生して、風土も文化も違う場所に放り出された私だが、あまり不満は無い。貴族という身分や魔道具を使える環境が無かったら、また違ってくると思うけれど。
ドルクネス領の屋敷。あまり眠くならなくて、深夜まで起きてしまっている。
真っ暗な部屋で、私はベッドに腰掛けていた。
小腹が空いてきたと同時、前世日本でのコンビニの記憶がフラッシュバックしてしまったのだ。
私は今、猛烈にプリンが食べたい。プリンプリンプリン。プリンが恋しい。愛しの恋人と再会したい。
前世にて、恋人が最期までできなかった……訂正、あえて作らなかったのは、プリンの存在があったからかもしれない。いや、嘘。
手に入らない物について考えるのは精神的によろしくない。もうプリンのことは忘れよう。昔の男だ。
プリンを記憶から消し去ることに難儀していると、足音が聞こえた。静まり返った夜の館で、歩く音が響く。
足音は私の部屋の前で止まり、続いてノック、返事を待たずにゆっくりと扉が開く。
「ユ、ユミエラさん……? もう寝てしまいました?」
「こんな時間に珍しい。どうしました?」
ドアの隙間から顔を覗かせたのはエレノーラだ。健康優良児の彼女が、こんな時間に起きているのは初めて見た。
私が起きていることが分かると、エレノーラは安堵の表情になり部屋に入ってくる。
「どうしても眠れなくなってしまいましたの」
「お昼寝のし過ぎとかですか?」
眠れないと聞けば、悩み事とかストレスから来る不眠症を疑うところだが、エレノーラに限ってあり得ない。
パジャマ姿の彼女は暗い中を慎重に進み、私の隣、ベッドに座った。そして、頬を膨らませて言う。
「わたくし、お昼寝をするほど子供じゃありませんわ」
「そう言えば、今日は教会までお手伝いに行っていましたね」
宗教施設に寄り付かない私に代わり、エレノーラはドルクネスの街にある教会へ頻繁に行っている。
思い出した。彼女は今日の午後一番に出かけて、帰ってきたのは夕方だった。
昼寝をしていないのだとしたら、彼女が眠れない原因は何だろう。まさか、悩み事が? 教会で何かあった?
「ちなみに、今日は教会で何をしたのですか?」
「到着してすぐ、お昼ご飯が終わっていたので、洗い物のお手伝いをしましたわ。わたくしは木製の食器担当ですの」
洗い物と聞いて即、食器を割ったりしない? と口を挟みそうになったが、向こうの対策が万全だった。
彼女の話を聞いていると手伝いどころか、余計な仕事を増やしているエピソードが頻出する。しかしまあ、領主である私と、身寄りの無い子供の世話をしている教会と、二つの繋ぎ役なのでいいんじゃないかな? 前まで来なかった支援の要望が来るようになったので、エレノーラは十分に役割を果たしていると考える。
「木製の食器はちゃんと乾燥させないとカビが生えたりしますからね。重要なお仕事です」
「あっ! 向こうでも同じことを聞きましたわ」
「……向こうさんも慣れてますね。その後は何を?」
「小さい子たちのお昼寝の時間になりまして、寝かしつける係でしたわ。それで……それで…………」
エレノーラは首をひねって、話を途切れさせる。まさか、その後に嫌なことがあったのか? それで眠れなくなってしまったのか?
彼女が言いたくないなら、無理にでも聞き出す方がいいのかな。
私が迷っていると、エレノーラは続きを喋ってくれた。
「小さい子たちを寝かして、それで、気がついたら……」
「気がついたら?」
「ふと気がついたら、夕方でしたわ。そのお部屋に、わたくし一人になっていましたわ」
……バリバリ寝てるじゃん。子供がみんな起きた後もスヤスヤじゃん。
事実を指摘して良いものか決めあぐねていると、彼女は続ける。
「それで、夕方なので帰ることにしましたの。帰る前に、リリちゃんに口元を拭いていただきましたわ」
……よだれかな? よだれが垂れていたのかな?
お姉さん気質のリリちゃんが、エレノーラの口元を拭う様子を想像する。
「リリちゃん、という方はしっかり者ですね」
「違いますわよ? リリちゃんは気が弱くて、よく泣いていて……でもとても優しい子ですの。みんなリリちゃんが大好きで、みんなの妹みたいな存在ですの」
みんなの妹に妹扱いされてない? 大丈夫?
エレノーラが幼児に世話を焼かれていたことはさておき、不眠でも何でも無かったのは喜ばしい。
ふと横に目をやれば、ウェーブのかかった金髪が視界に入ってくる。それはまるで、プリンのような美しさで……。
「ああ。思い出しちゃった」
「どういたしましたの?」
まさかエレノーラの髪を見て、忘れかけていたプリンを思い出すとは。
この世界、というかこの文化圏にプリンは存在しない。世界中をくまなく探せばあるかもしれないけれども。
プリンという単語を知らないであろう彼女に、プリンを言い換えて説明する。
「昔の恋人を思い出してしまいまして。また会いたいな……と」
「え……えぇ!!」
「夜なんで、静かに」
「ごめんなさい。てっきり、ユミエラさんはパトリック様一筋だと思っていましたわ。会いたいということは……その方のことはまだ、好きですの?」
「好きですよ。今も変わらず愛しています」
驚いたエレノーラが、また大声を出しそうになり自分で口元を抑える。そして、あわあわしながら必要以上に小さな声で言った。
「今のユミエラさんにはパトリック様がいますわよね? 二人の殿方を同時に好きになるなんて、そんな……」
「いま好きなのはパトリックですよ。比べようにも、昔の彼にはもう会えませんから」
「もしかして、もう、その方は……」
「はい。遠い所に」
ちなみに、遠い所に行ってしまったのはプリンではなく私の方だ。
エレノーラは明らかに悲しい想像をしている。全くの勘違いなのだけれど、壮絶な恋愛経験アリと思われるのは無性に楽しい。
「まあ、昔の恋人というのは食べ物のことなんですけどね」
パトリックとプリンを比べるのもおかしな話だ。どちらが好きかなんて……どっちだろう? パトリックは甘くてなめらかじゃないからなあ。
彼がプリンになれば万事解決だ。私の幸福のためには、パトリックをプリンに変身させなければいけない。
自覚が無くとも、幸福は他人の不幸の上に成り立っている。嗚呼、人とは業深き生き物よ。
……違うか。パトリックがプリンになる必要は全く無いか。
たまに、極めて稀に、私の思考回路は少々おかしい方向に突っ走ってしまう。パトリックとプリン、どっちが大事? みたいなところから思考がスタートしたせいで、人をお菓子に変えてしまう魔人や悪霊のようになってしまった。
至極当然の話ではあるが、プリンの原料は人間ではなく、卵とかだ。卵と……牛乳? あとは砂糖とかも入ってそう。原材料自体はこの世界にも普通に出回っているので……。
「作ればいいんだ! エレノーラ様、プリンを作りますよ。……エレノーラ様?」
そう言えば、エレノーラは昔の恋人についてネタバラシをした辺りから一言も喋っていない。悲しい過去を捏造したのを怒っているのかも?
恐る恐る隣を確認すれば、先程までお目々パッチリだったエレノーラが、ベッドに倒れて寝息を立てている。
さっきまで普通に会話していたのに、ウトウトしたりなどの兆候もなく眠ってしまっていた。
えぇ……。散々お昼寝したんじゃなかったの?
幸せそうに眠っているのを起こすのも悪いので、部屋まで運ぶか。私は、そっと、両手で彼女を持ち上げる。
◆ ◆ ◆
そして、翌日。
私はプリンを作るためにキッチンに来ていた。
「師匠! 来ました! 緊急事態です!」
「材料を隠して! あと包丁も隠すんだ! 食材も刃物も、全部ダメにされる!」
この屋敷に勤めるコックさんと、そのお弟子さんの会話だ。私を見た途端にこれである。
何度か訓練でもしたかのように手慣れた様子で……いや、本当に訓練してそうな速さで食材の退避を終えた彼らは、私をキッチンに立ち入らせまいと入り口を塞ぐ。
「何のご用事でしょうか。ユミエラ様は入室禁止になっています。無理に入ろうとするならパトリック様を呼びますよ」
「……いつものお礼がしたかっただけ。美味しい食事を毎日ありがとう」
「こちらこそ過剰に反応して申し訳ありません。主人に褒めていただけて嬉しい限りです」
彼は拍子抜けといった表情で頭をかく。
私ほどの交渉上手が、いきなり本題に入るわけないじゃないか。まずは友好的に世間話から。仕掛けるタイミングは……ここだ!
「そこで相談なんだけど――」
「ダメです」
「……ああ、そう」
ここじゃなかった。タイミングが悪かったのか、交渉自体不可能なのか。
あーあ、せっかくプリンを作ろうと思ったのにな。
改めて考えると、前世の知識をレベル上げ以外で活用するのは初めてかもしれない。もう少し頭使えよと思われるかもしれないが、意外と現代日本で得た知識を役立てるのは難しい。
数学などの学問は、スーパーコンピューターなどがある前世の方が進んでいたと思う。しかし、私が知っている数学II・Bくらいは、この世界の学者さんも当たり前のように使っている。
商品なども上手くいきそうにない。類似品があったり、様々な理由から開発不可能だったりする。
あと、この世界の文化に悪影響が出ては困るという理由もあったが……プリンくらいで世界が変わったりはしないだろう。
しかし、世界は変わらずとも、菓子業界には激震が走るはずだ。
私が一流パティシエになって、大人気パティスリーを開く日も近い。
ちなみに、パティシエが洋菓子職人、パティスリーは洋菓子を作って売る店のことだ。
パティスリーという言葉、私は最近になって知った。リタが言っているのを聞いて「いや、それを言うならパティシエでしょ」と恥ずかしいツッコミをしてしまったのだ。
女子力で負けたみたいで悔しい。知らない言葉を聞いたら小まめに調べる癖をつけようと思った。
さて、「異世界スイーツ恋愛譚 ~畏れよ、戦場を紅に染める羅刹を~ 1巻 蠢く死霊編」という本を執筆するためにも、私はプリンを作らなきゃいけない。
力ずくでもキッチンに押し入ろうか。しかし、パトリックを呼ばれたらすごい怒られるのが目に見えている。私の手料理を食べて三日寝込んで以来、パトリックは料理関連の出来事にはとても厳しい。
「お願い。どうしても食べたい物があるの」
「我々が作りますから! ユミエラ様は何もしないでください」
「プリンって言われても分からないでしょう? この世に存在しない物を作りたいのよ」
「前にお作りになったシチューは、この世に存在してはいけない物でした」
押し問答は埒が明かないし、ユミエラシチューの悪口まで言われてしまった。
プリンの作り方は私しか知らないのだから……ああ、そうか。レシピを口頭で伝えて、それを作ってもらえばいいのか。
彼はたまにお菓子も作ってくれるので、作り方さえ分かればプリンも完成するはず。
「分かった、私は何もしない。レシピを教えるから、それを作って欲しいの。お願い」
「まあ……それくらいなら、いくらでもやりますけれど。その、プリンでしたか? どのような物ですか?」
「プリンっていうお菓子はね、材料は卵と牛乳と……砂糖も入ってて、まずは全部を混ぜるの」
「小麦粉は入れないのですか?」
「入れない……と思う」
クッキーの生地を想像しているのだろう。でも、粉っぽいプリンなど見たことないので、小麦粉は入っていないはずだ。入っていない……と思う。
「無難な材料ですね。混ぜた後は?」
「…………焼く?」
あれ? 始めちゃえば流れで出来るの精神で進めてきたプリン作成だが、あれって焼いてるの? オーブンを使うイメージがあるけれど……どうなんだろう?
固めるために、熱を加えているのは確かだろう。茹でるわけないし……焼いてる……のかな?
「それだと、甘いスクランブルエッグが出来ますよ」
「あれ? ……炒めるわけじゃなくて、形は整ってるのよ。こんな感じ。カップか何かにいれてから固めるのかな?」
「オムレツのような?」
「あれ? 違う違う……もっと、こう、あのね」
どうにも雲行きが怪しくなってきた。焼いてしまったらスクランブルエッグとかオムレツみたいな感じになるよね。
じゃあプリンってどう固めてるんだ? 化学薬品とかで無理やり成型してるのか? あ、ゼラチンとかが入ってるとか?
プリンの製法がここまで謎に包まれていたなんて。原材料も合っているのか怪しくなってきた。
そこで、絶望的な状況に一筋の光が。お弟子さんが控えめに口を開く。
「あの、もしかして、フライダグじゃないですか?」
「フライダグ?」
「北の方で食べられている郷土料理です。甘みのある卵料理で、焼きながら端っこを回していって、形を作るんです」
「それ!」
フライダグをプリンと自動翻訳するよう脳内で設定する。
なるほどね、焼きながら回すのか。なーんだ。もうこの世界にはプリンがあったのか。希少な材料でもないのだから、ドルクネス王国でも広まればいいのに。
師匠も北方の郷土料理プリンを認知していたようで、明日の朝にでも出すと約束してくれた。
私は何度もお礼を言って、明日の朝食を楽しみにするのだった。
◆ ◆ ◆
「玉子焼きだコレ!」
はい。玉子焼きでした。高校のお弁当を思い出しますね。
甘みがあって美味しい。ただ、ナイフとフォークを出されることに違和感があった。玉子焼きを食べる正式な食器は、安っぽいプラスチックの箸である。
そうか、玉子焼きかあ。プリンが食べられると思ったのにな。
昨日に引き続き脳内辞書を改定。フライダグの自動変換をプリンから玉子焼きに変更。
「玉子焼きか。名前は聞いたことがあったが、初めて食べた。味が既についているのはいいな。これくらいの甘さなら食事で出ても許せる」
「わたくし、これ大好きですわ! 玉子焼きって言いますの?」
パトリック、エレノーラ両名にはそこそこ好評のようだった。
しかし私は、悲しみに包まれていた。だってさ、おやつはプリンだよとお母さんに言われて、出てきたのが玉子焼きだったら暴動が起こるじゃん。兄弟姉妹が結託してレジスタンス化するじゃん。
「ユミエラは、あまり口に合わないか?」
「ううん。美味しいよ。すごい美味しい。しょっぱい味付けのやつも美味しいと思うよ」
私は力無くパトリックに答える。
これ以降、我が家の朝食では玉子焼きが出てくるようになった。しょっぱい方が好きという要望にも応えてくれて、しょっぱいのも出る。
◆ ◆ ◆
後日談。この「しょっぱい方が好き」という情報は負の遺産となる。
「カップに入れて蒸す」という、ほぼ正解であろうプリンの作り方に思い至った私は、さっそく作ってもらうことにしたのだ。「甘くて冷たい」という情報を抜きにして。
出てきたのは熱々の茶碗蒸し。しょっぱい出汁の旨味に、卵のさり気ない甘さがとてもマッチしている。ご丁寧にシイタケっぽいキノコが入っているし、銀杏っぽい豆も入っている。
茶碗蒸しの銀杏はホクホクしていて結構好きだ。……はあ、茶碗蒸しなんだよなあ。
合う出汁を取るのに苦労しました。具材を入れても良いかなと思ったら、思ったとおりに美味しく仕上がりましたよ。
こう笑顔で語るコックさんとそのお弟子さん。私は「これじゃない」とは口が裂けても言えなかった。
ああ、プリンが恋しい。





