26 エピローグ
ユミエラ2号やら邪神やらの騒ぎから一週間。
しばらく体調の優れなかった私も、ようやく本調子に戻ってきたところだった。
あれ以来こちらは平和そのものだ。今日も元気溌剌なエレノーラが私の部屋に飛び込んできた。
「ユミエラさん、これお土産ですわ! クマさんのパン!」
「ありがとうございます。……どこから持ってきたんですか?」
「教会で子供たちを集めてパンを焼く催しがありましたの。教会の先生に誘われて、お手伝いをしてきましたわ」
「……参加側ではなく?」
「運営側ですわ!」
真偽の程はさておき、彼女は街の教会に頻繁に顔を出している。
ちなみに私は行ったことがない。領主として、エレノーラが先生と呼ぶ神官さんと会ったことはあるが、場所はこの屋敷だった。
先生と呼び親しまれているだけあって、その神官さんは本当にいい人だ。でも教会はなあ……。
いつか行かねばと思いつつも、何かと理由をつけて先延ばしを続け今に至る。
エレノーラは私の家族みたいな状態だし、彼女が政治と宗教の橋渡し役になってくれるのはありがたい。
ここは、最大限に労うべきだろう。エレノーラちゃんえらい!
「お疲れ様です。色々大変でしたよね」
「全然平気ですわ! 最初のちょっとを手伝っただけで、後は何もしていませんもの!」
「……具体的に何をしたんですか?」
「わたくし、材料を量る係でしたの! 先生が王立学園を卒業したエレノーラさんなら計算も容易いだろうって」
先生は王立学園に夢を見すぎかもしれない。あそこは貴族が強制的に行かされる、将来のための人脈を作る場所だ。学者になりたい人は学者に弟子入りするのが普通だし。
まあ、パンのレシピを見て、分量を計算するくらいなら大多数の生徒が出来るか。
少数派のお嬢さんはハイテンションに話を続ける。
「でもカイ君が……あ、カイ君というのは年長の男の子ですわ。カイ君は、お姫様は仕事をする必要がないから俺が代わると」
「カイ君よくやった」
「騎士らしく振る舞おうとする少年の申し出を無下に断ることは、できませんでしたわ」
「なるほど、それで後半は手持ち無沙汰だったと」
「わたくし、カイ君にお姫様みたいって言われちゃいましたわ」
そりゃあね。お姫様だよね。前より簡素なものとはいえ、そんなドレスは貴族しか着ないし。
あと、カイ君の言うお姫様には皮肉が混じっている気がするけれど……。現場を目撃したわけではないので何も言うまい。
相変わらずのエレノーラを見て安心した。サノンが彼女を気にかける理由も良く分かる。
エレノーラちゃんに癒やされるのもそこそこに、溜まった仕事を片付けないと。
屋敷の廊下を歩いていて、視界の端に入った影がどうも気になった。庭の木で出来た影が、窓から屋内まで伸びている。
「んー?」
何となしに手を突っ込んでみると、影の中に入った。
水面のように影が揺れる。影の中も水中のような感触だ。
「あ、見つけた」
お目当てを探り当てたので、掴んで引き上げる。
影から出てきたのは黒髪の少年。足首を掴まれて逆さまになっている。あ、手首だと思ってた。ごめん。
「はあ……ボクだけの領域だったのに。どうしてお姉さんは勘で無茶なことをしちゃうのかなあ」
「今度は何の悪だくみですか? レムン君」
「非道い! ボクが悪だくみなんて、したことあった!?」
「そりゃあ……あれ?」
言われてみると無いかも。腹黒畜生のイメージが強すぎて誤解していた。
彼は鬼の首を取ったような顔で笑う。いや、普通に不法侵入だからね。
床に雑に下ろしつつ、気にかかっていたことを聞いてみる。
「こっちに帰っていたんですね。2号の世界に置き去りにしちゃったのはごめんなさい」
「大丈夫だよ。時間が巻き戻ってからはお姉さんの影に潜んでいたから」
「人の影に勝手に入らないでくださいね。まあ、今度からは隠れていても対処できますけど」
「影はボクの領土だから、どの影にいようと文句を言われたくはないよ」
「……知っていますか? 領土って戦争で勝ったらぶん取れるんですよ?」
「ゴメンナサイ、お姉さんの近辺は配慮するね」
今までは誰にも察知されなかったということは、レムン君は人のプライベートを覗き放題だったということ。
彼は覗きの神だったのか。私のお風呂シーンも覗かれていたかもしれない。この変態。
「え? え? 配慮するって言ったよね? どうして蔑んだ目でみるの?」
「……それはともかく、レムン君は並行世界の自分と連絡が取れるんですよね?」
「そうだけど……どうして?」
「向こうで2号が元気にやっているか気になってて」
ユミエラ2号はあの後、どんな行動を起こしたのか知りたい。
時系列的には魔王討伐戦が終わったくらいのはずだ。学園を卒業するつもりなのか、はたまた新天地に旅立とうとしているのか。
でもまだ一週間だからな。さしたる変化は無いかもしれない。
「あー、向こうね。色々大変みたいだね」
「大変? まだ一週間ですよ?」
「……あっ」
レムンはあからさまに、しまったという顔をする。
この短期間にどんな事件が発生したのか。彼の言う「大変」なのはユミエラ2号か世界全体か。この闇の神様の性質的に後者な気がする。
「やっぱり様子を見に行ったほうが……」
「違う違う! 無闇矢鱈と、時空を歪めないでよ!」
「でも事件は発生したんでしょう?」
「この短期に事件があったわけじゃないよ。並行世界同士の時間は均一になろうとする力が働くんだ。相対的に向こうは早く、こっちはゆっくりと時間が流れて……もうほぼ同じ時間軸かな」
2号世界で戻した時間は約一年。それが元に戻っているということは……向こうではもう一年経過しているのか。
落ち着くようにと、私を手で制しながらレムンは言う。
「だから、向こうはもう落ち着いているんだ。お姉さんが行く必要は無いよ? ね?」
「一年経っているなら2号が何をしているか見に行きたいです」
今度は上手くやると2号が言って一年。彼女はどこで誰と何をしているのだろうか。
別に心配だからとか、そういうんじゃなくって……そう、からかいに行くのだ。ちょっかいをかけて笑いに行くのだ。
善、ではないな。悪も急げ。今すぐ出発だ。
「いくらお姉さんが並行世界に行きたくても無理だよ。剪定剣はボクが預かっているんだから」
「返すつもりは……無いみたいですね」
剪定剣イキテミナは、そこら辺にぶん投げといては駄目な代物だった。管理する自信の無い私は、またレムンに預けることにしたのだった。
私用では絶対に返してくれないけれど、世界規模の危機となれば必ず彼は剪定剣を持ってきてくれる。腹黒だけど、そこだけは信頼していた。
アレが無いと並行世界への扉を開くことができない。剣なしでは無理だよね。無理かな?
代用品があればいいけど。世界を切り取りし神の剪定バサミに代わるもの……私の素手とか? ワンチャン、素手で出来ない?
「……出来たわ」
「お姉さんの体ってどうなってるの?」
目の前の何もない場所をこじ開けるように両手を動かすと、空間の歪みが発生した。
やっぱり、困ったときは腕力だけでどうとでもなるんだな。
屋敷の中で作っちゃったのは少し失敗。こんなの彼に見つかったら、と都合の悪いタイミングで現れるのがパトリックだ。
「どうして家の中にソレがあるんだ」
「向こうはもう一年経ってるんだって! 2号の様子を見に行こう」
こういうときは勢いで押し切るに限る。思惑を理解した上で受け止めてくれるのがパトリックのいいところ。
どうせ彼も、2号の近況について気が気じゃないのだ。絶対に乗ってくるね。
「……彼女には彼女の生活があるだろう。あまり俺たちが介入するのも良くないんじゃないか?」
「えっ? 行かないの? 喫茶店を開いたのに誰も来なくて、しょんぼりしている2号を笑えるかもしれないんだよ!?」
「どうして素直になれないんだ?」
「素直? 何のこと? 私は2号をあざ笑いたいだけなんですけど」
素人が突然喫茶店を開いたところで、経営が上手くいくはずがない。あー、意外と普通な2号ちゃんはお洒落な喫茶店のオーナーとかになりたがりそう。素人の店に、素人の私がダメ出しをしてやろう。
当然、ついて来てくれると思ったパトリックは首を横に振った。
「また喧嘩になるだろうから行かないほうがいいな。心配なのは分かるが彼女なりの人生計画があるだろう」
「……止めても行くよ。そういう、ブレない強い心が好きだって言ったのはあなただからね」
「ああ、言わなきゃ良かった」
パトリックは嘆きつつも一緒に来てくれることになった。そうやって甘やかすから私が調子に乗るんだぞ。
着の身着のまま空間の歪みに飛び込んで2号世界に移動する。
見慣れた景色だろうと、ここは別の世界。油断しては……あれ?
「ここどこ?」
「知らない場所だな」
そうだった。同じ世界地図の並行世界なのに、移動すると場所は変わるのだった。
ドルクネスの街近くにある草原で扉を開いて、王城のテラスに繋がった。家の中から移動して辿り着いたここは……どこだろう?
開けた屋外。見える範囲に建築物は無い。
幸いなことに、整備された道に馬車の轍を発見した。どこかの街道だろう。
「道沿いに歩いてみるしかないかな?」
「しばらく歩けば人の住む場所に辿り着くだろう」
私たちは並んで街道沿いを歩く。
道の感じを見るに、そこそこ往来は多そうだ。しかし、人と出会うことはなかった。
人がいない? まさか、ユミエラ2号はまた同じ過ちを……。
「お、荷馬車が来たぞ」
……普通に人いたわ。
二度も世界滅亡を願うほどに失敗するほど、2号は不器用じゃないよね。せいぜい喫茶店が倒産して、借金返済のためにダンジョン通いの日々を送っているとか、それくらいだろう。
彼女は別れ際に言った。強さ、社会的地位、恋人において私に勝つと。
どれも無理だと思うけどな。レベル上限の無くなった私より強くなれるはずないし、私はこれでも女伯爵だし、恋人はパトリックだし。
荷馬車が近づいてきた。行商のおじさんが一人、のんびりと手綱を握っているのが見える。
平和そうで良かった。彼から2号の情報を……いや、その前にここがどこかを聞かないと。
行商さんは、荷物を持たずに街道の真ん中にいる私たちを不審そう見たものの、すぐに笑顔を作って馬を止める。
「こんにちは、こんな所でどうしたんだい?」
「あー、ちょっと訳ありで……」
「ここを真っ直ぐ行けばリースダミアだよ。あそこなら二人で住む場所も、彼の仕事も見つかるはずだ」
「……仕事?」
「まあ、何だ、大変だろうけど頑張って。支え合えば新天地でも大丈夫さ。リースダミアなら君たちを引き離そうとする大人もいないしね」
これ、駆け落ちだと思われてない?
旅装もなしに街道を黙々と歩く若い男女。確かに愛の逃避行っぽい。私もそう思う。
まあ、行商さんの勘違いは丁度いい。話を合わせて色々と聞いてみよう。
彼が言ったリースダミアという地名は聞き覚えがある。ドルクネス領からは離れているものの、バルシャイン王国の地方都市だ。そこそこ大きな伯爵領だったような。
自信が無いし、別な国の同じ地名かもしれない。無知を装って確かめてみよう。
「お気遣いいただきありがとうございます。一つ聞きたいのですが、リースダミアもバルシャイン王国の街で間違いないですよね?」
「ははは、当たり前だろう。バルシャイン王国の……あ、違う。バルシャイン王国ではなくなったんだった」
王国領ではなくなった? リースダミアは国境線沿いの領ではないはずだぞ。国を分ける線がそんなに移動するなんて、この世界は乱世になっているのか?
一気に気持ちが張り詰める。パトリックからも緊張している気配が感じられた。
して、どこの国になったんだ? 彼は人の良さそうな笑みを浮かべて続けた。
「同じようなものだがね。神聖ドルクネス帝国、バルシャイン州のリースダミアだ」
「神聖……ドルクネス……帝国?」
「おや? 大陸を駆け巡った世紀のニュースを知らないのかい?」
「……すみません、世情には疎くて」
え? え? え?
混乱する私たちを置き去りにして、行商さんは芝居がかった仕草で語る。
「栄えある、ユミエラ・ドルクネス唯一皇帝陛下は前人未到の偉業を成し遂げられた! この大陸にある五つの大国と数多の小国、その全てを支配下に置かれたのだ! 過去の為政者たちが切望した、大陸統一国家の誕生である!」
すっごーい! なにそれー! なにそれー!
……もう思考が追いつかない。私たちのポカンとした反応を受けて、彼は恥ずかしげに頬をかく。
「っていうの、聞いたことない? 少し前までどこでも聞いたんだけど」
「…………初めて聞きました。その……ユミエラという方が、皇帝になったんですよね?」
「その通り。あ、もしかして君たちの故郷の人は皇帝陛下の容姿を知らなかったんじゃないのかい? ドルクネス皇帝はお嬢さんと同じ、黒い髪の持ち主なんだ。歳も性別も同じくらいかな? その、もし、髪色を理由に交際を反対されていたのだとしたら……」
「へ、へー……陛下の髪も黒いのですね。ちょっと考えてみます」
同姓同名の別人説を立てる前に崩された。絶対に2号じゃん。何やってんの!?
それで、その……神聖ドルクネス帝国とやらはどんな国なのだろうか。2号ちゃん、恐怖政治とかやってない? 強制労働させて巨大な墳墓を作らせたりしてない? 膝の横辺りを刺されちゃうぞ。
それとなく情勢を聞いてみる。
「帝国ができて、色々と変わりましたよね?」
「うーん……僕の周りはそこまで変わらないかなあ……。実質的に政治をしているのは旧バルシャイン王家だし」
「ああ、前の王様たちはご健勝でしたか」
「変わったのは各国の国境線沿いかな。今までの気分で下手に戦争なんて始めようものなら、皇帝陛下に目を付けられるからね。あ、同じ帝国だから、戦争じゃなくて紛争って言うのかな? 昔の国境を越えた往来が増えて、そっちの方は景気がいいらしい」
前に本で読んだ話。バルシャイン王国において領同士の紛争は過激化しづらいらしい。何故なら余り派手に地方貴族同士がやり合うと、王家が介入して、両者にペナルティが課せられるからだ。王家の持つ中央軍が大きな戦力を持っているからこそ出来ること。
ユミエラ2号は、それを大陸規模でやってのけたのだ。多分、身一つの戦力だけで。
民には好かれど、各国の王や貴族たちには恨まれるだろう。この世の全ての支配欲と、彼女は死ぬまで戦うことになる。
一人で帝国のシステム全てを担っている。それはもう、人間ではなく機関に近い。
今、彼女は本当に幸せなのか? 寂しい皇帝が支配する帝国ならば、私が滅ぼしてやる。
まずは2号に会いに行こう。その前に、彼女個人の評判を聞いてみる。
「帝国はすごいですね。皇帝陛下はどんな方なのでしょう」
「最近の話題だと、そうだな……恋人オーディションかな?」
「……はい?」
「皇帝陛下が大々的に恋人を募集しているんだ。大陸中の美男を集めて、その中から夫を選ぶらしい。ああ、おじさんも陛下の旦那になって、楽して暮らしたい」
……あー、2号ちゃんはアレだ。ただ好き放題しているだけだ。権力を手に入れて欲望の限りを尽くしているだけだ。馬鹿! もう知らない!
その後、お礼を述べて行商さんと別れる。少し会話しただけなのに、すごい疲れた。世界を巻き戻したとき以上に疲れた気がする。
小さくなっていく荷馬車を、呆然と突っ立って眺める。
自分の考えをまとめるのに精一杯で気づかなかったが、パトリックが一言も喋ってないな。多分、私よりも色々と考えて、私以上に気疲れしてるんだろうな。
はあ、そうか、神聖ドルクネス帝国か。
「……どこらへんが神聖なんだろうね?」
「まず気になるところはそこか?」
「もっと色々あるけどさあ……」
2号のやつ、とんでもないことをしでかしてくれた。
もう彼女と会う元気も無い。まずは一旦帰ろう。帰って眠って、出来ることなら忘れたい。
無言の時間が続き、どちらともなしに、もと来た方向に歩き出す。
「……帰ろうか」
「ああ」
しかしまあ、ユミエラ2号がしっかりとやっているようで何よりだ。
……何よりなのか?
悪役令嬢レベル99~私は裏ボスですが魔王ではありません~3章完結です。
3巻の発売まで10日ほど。書き下ろしポイントなど詳細は活動報告で告知しております。
時期が時期なので、無理に買わないでください。大部分はなろうで読めちゃうから。
開始時期は未定ですが、4章もやります。
 





