21 邪神、現る
邪神が出てこなければいいという願い虚しく、2号が現れたときのように空間が揺らめく。私たちのすぐ近くだ。
「よもや貴様が裏切るとはな。人間の思考形態は分からん……やはり意思を奪って操り人形にするのが無難か。しかし、無駄なリソースを割くのは不本意だな……」
「あら? 裏切られたのは予想外? 自称上位存在が聞いて呆れるわね」
好戦的に挑発する2号は置いておいて、邪神の姿を確認する。
邪神は……見えないな。そこにいるのは分かるけれど見えないというか……。見えているのに認識できないという、2号の言葉は言い得て妙だと判明した。
モザイク……ともちょっと違うし、ブラウン管テレビの砂嵐のようでもある。
しかも、よく見ると影が出来ていない。光を遮らないのに不透明。理解できない。
輪郭も曖昧なら色合いも曖昧。成人男性ほどの大きさの人型であること以外は何も分からない。……私はなぜ人型だと認識した? 人の要素は感じられないのに、自然と脳が人型であると錯覚した。それほどまでに得体の知れない相手だ。
こんなものが、この世に存在して良いのか? 言い知れぬ不安に襲われた私は、邪神に視線を向けたままパトリックに尋ねる。
「パトリックはどう見えてる? 人型のゆらゆら?」
「俺も同じようなモノを見ている。人型の……ん? なぜ俺は人型だと思った?」
彼も私と同じ状況らしい。相当混乱している。
こんなヤバそうなのを呼び寄せるなら、一言くらい欲しかった。邪神に反旗を翻すとは口に出せなかったにしろ、装備を整えるよう伝えるくらいはできたはずだ。
「ねえ! こっちは準備もできてないし、家の庭だし、もう少し忠告してくれても良かったんじゃない!?」
「だから広めの場所を指定したんじゃない。時間あるかも確認したわよ?」
ユミエラ2号は平然と言ってのける。
大した用事じゃないテンションだったじゃん。ああ、すぐ近くにエレノーラもいるし、そろそろリューも帰ってくる。
どうしようどうしよう。まずは時間を稼ぎたい。謎多き邪神だが一応言葉は通じるようだし、会話を試みよう。
「えー、こんにちは。はじめまして邪神様」
「邪神、というのはオレを指して言っているのか?」
「あ、2号が勝手に邪神呼びしてるだけでしたか。お名前をお聞きしても?」
「ふふ、オレの名を聞くとは珍しい人間もいたものだ。聞くが良い、オレの名は繧。縺豁」
……え? なんて?
邪神は仰々しく名乗ったが、全く聞き取れなかった。声が小さいとか、滑舌が悪いとか、そんな理由ではない。確かに耳に入ったはずの音を、脳が認識できなかった感覚。
「……もう一度お願いします」
「繧。縺豁だ。ああ、下位の存在には認識すらできんか。唯一無二の存在であるオレにとって名など無価値だ。好きに呼べ」
改めて邪神の声に集中するが、やはり名前は分からなかった。どの母音も子音にも似ていない、人間に発音するのは不可能な音。二回しっかり聞いたが、脳内で反芻することすら不可能。
声質も良く分からない。声にノイズがかかっているようで、性別も不明。
彼……彼でいいのかな? 男っぽい口調だから彼でいいか。
好きに呼べと言われたので、いい感じの名前を考えよう。邪神では味気ない。無駄に難解な名前より、覚えやすい名前がいい。そうだな――
「では……ポチとお呼びしますね。ポチの性別は――」
「ポチ!? まさかオレのことか!? 数多の並行世界を束ねる、上位存在たるオレがポチだと!?」
ポチはお気に召さなかったらしい。好きに呼ぶよう言ったのはそっちじゃん。
オーソドックスだけど良い名前だと思ったのにな。じゃあ別のを考えよう。
「じゃあ……タマちゃん」
「タマちゃんだと!?」
「駄目ですか? 文句が多いですね……」
私の命名レパートリーがそろそろ尽きそうだ。彼は名など無価値と評したが、中々にこだわる。
そんなに酷い名前でもないはずだが……。ポチやタマちゃんを嫌がっているのは邪神の感性が独特だからかな。
私の命名を潔く受け入れた2号の様子を見ると、彼女は口を手で押さえて笑っていた。
「ふふっ、アンタ最高。タマちゃんね、私もこれからタマちゃんって呼ぶことにするわね」
「貴様! 上位存在たるオレを愚弄する気か!」
2号は笑いすぎ。
そんなに酷かったかな? パトリックに視線を向ける。
「あー、今まで通り邪神でいいんじゃないか? 本人次第だが」
「邪神で構わん。オレを指した言葉だと分かれば頓着はせん」
「それじゃ味気ないから、他の名前を――」
「貴様は口を挟むな!」
邪神に怒られた。
もう邪神でいいのかな。ポチタマ系統の名前を使えないとなると、別の引き出しを開ける必要がある。長らく封印していた命名引き出しはあるけれど、使用が難しいし。
「じゃあ邪神とお呼びしますね。あと思いつくのはシャーデンフロイデとかクーゲルシュライバーとかしか無いので」
「……む? それは良いな。貴様らにも理解できる名は必要だと思っていたところだ。これからは邪神クーゲルシュライバーを名乗ることにしよう」
あっ、気に入られちゃった。しかもダサい方。クーゲルシュライバーはボールペンのドイツ語だ。中学時代の私の必殺技名でもある。
自分の名前が筆記具のことだって分かったら、絶対にこの人怒るよなあ。秘密にしとこ。
邪神ボールペンさんは、私を真っ直ぐと見て……こっち見てるはず。どこが正面か分からん。
「して、貴様」
「私ですか?」
「ああ、塵芥の如き下位存在の頂点に立つ者よ。オレの軍門に下るが良い」
「勧誘ですか?」
この邪神は私を手下にするつもりか。
裏切られて2号が駄目と見るや私に鞍替え。見境が無い。
「遠慮しておきます。何をさせられるかも分かりませんし」
「貴様には初めから目を付けていたのだ。並行世界の貴様……2号だったか? 彼女に声を掛けたのは、彼女が御しやすかっただけのこと。貴様が2号を殺すプランに変更でも構わんのだ」
「はあ? 私が御しやすいですって? 結局裏切られた癖に何言っちゃってんのよ!? あと私がコイツに殺されるわけないじゃない!」
「見返りは……そうだな――」
邪神クーゲルシュライバーは2号の声を無視して言う。彼にどんな提案をされようと、私は絶対に心揺らいだりはしない!
「――オレの手下になれば無限に強くなれることを保証しよう」
「え?」
「まずはレベル99の枷を外すところからだ。それからも絶え間ない戦いの日々が続く。また新たな上限が見えたならば、それを突破する方法を模索していこうではないか」
無限にレベルが上がるのか。ふーん。別に興味ないけどね。
ただ、ほんのちょびっと詳細を聞いてみるのもありっちゃあり。敵の情報をなるべく引き出すためだ。他意は無い。
「詳しく」
「ほお、興味があるか。こんなに簡単なら、初めから貴様に声をかけるべきだったな」
「仮に99の上限が無くなったとして、その後のレベル上げ方法は?」
「レベルを上げるには魔力を体内に取り込むしかない。一番効率が良いのは全てを魔力で構成された疑似生命体。いわゆる魔物を倒し続けること。貴様が今まで成してきたのと同じだ」
やることは同じか。更に強くなって、更に強い敵を倒してねえ……更に強い敵って何だろう? 邪神は共闘もするみたいなニュアンスで私を誘ってきたけれど、敵って誰?
あまり強くなる方法を聞きすぎても、隣のパトリックから感じる視線が痛くなるだけだ。邪神の敵について質問する。
「具体的に……クーゲルシュライバーさんは誰と戦っているのですか? 並行世界全ての管理者に敵なんていないですよね?」
「他の世界の連中だ」
「……他の世界全部を管理してるんですよね?」
「ふむ……何と言語化したものか……。オレは、樹のように分岐する並行世界の全てを手中に収めている。その樹の枝の一本がこの世界だ。枝が一本ではないように、樹もまた一本ではない。オレは別の樹に攻め入ろうとしているのだよ」
別の樹、この世界とは類似性の無い法則すら違う世界。つまり異世界。
彼は、この世界だけでは飽き足らず、異世界にまで侵略の手を伸ばそうというのか。
「異世界という認識で合ってますか?」
「なるほど、異世界か。短く言い表せて丁度よい。貴様、分かっているではないか」
「その異世界にも管理人はいますよね?」
「ああ、奴らに対抗するための貴様だ。そしてオレの真の目的は異世界だけではない」
まだ野望は続くらしい。彼は熱の籠もった様子で続ける。
「オレはある時、思った。この世界は本当に樹なのか?」
「はい?」
「オレが樹だと思いこんでいるだけで、更に大きな樹の一部ではないのか? 更に大きな世界の存在に作られた、箱庭のような世界の可能性は捨てきれない。想像してみろ、その世界の連中は、この世界を上から眺め、娯楽として楽しんでいるのだ!」
「……あっ」
何を馬鹿なことを、と考えかけて思い出す。この世界は乙女ゲームの世界だった。
この世界を上から眺めて楽しんでいる人は間違いなく存在する。私もその一人でした。
思わず変な声が出てしまい、邪神に訝しがられる。
「どうした?」
「いえ、続けてください」
「その世界の奴らから見れば、オレは小さな箱庭で遊んでいる矮小な存在に過ぎない。まさに道化ではないか!」
ここは乙女ゲームの世界ですよって教えたら、この人憤死しそうだな。
あとついでに、私が住んでいた世界もピンチだ。力を蓄えた邪神は日本に攻め込むだろう。乙女ゲームの世界から侵略を受けた日本は……ん? そこまで危機的でもない?
どうも危機感が足りない。電子世界の神が~と言えば緊迫感が出るのに、乙女ゲームの神が~と言い換えると、急にショボく感じる。
というか邪神はあんなに偉そうにしているけれど、ここって恋愛シミュレーションの世界だぞ?
そんなわけで、ここは物語の世界だ。でも、ここで暮らす人たちは間違いなく生きているし、自分で選択をすることが出来る。十分だと思うけれど。
付け加えれば、私がかつて住んでいた世界も、完全にオリジナルの世界とは限らない。私が知らなかっただけで、裏では陰陽師と妖怪のバトルが繰り広げられる漫画の世界だった可能性だってある。その漫画を読んでいる世界は……と無限に想像が続く。
「仮に、この世界を見ている世界を支配したとして、その世界も物語や箱庭のような世界かもしれませんよ?」
「ならば、上の上の世界すら支配するまで」
「上の上の……更に上があるかもしれませんよ?」
「無限に続こうとも、オレは高みに登り続ける」
きりがない。多層的な世界を無限に登り続けたところで、一番上に、樹の根元に辿り着いた保証は誰がしてくれるんだ?
とても付き合ってられない。というか、彼は日本……私がいた日本がある世界を観測できているのかな?
「その……上の世界は本当にあるんですか?」
「理論上は存在する。観測は出来ていないが間違いなく存在するのだ。オレや貴様を見て、悦に浸っている連中に目にもの見せてやろうではないか!」
「申し訳ないですけど、興味ないです」
すごいどうでもいい。確かに私を高みから見て、可愛いだとか頭がおかしいだとかゴリラだとか、好き勝手に言ってる人たちがいるのは嫌だ。でも、並行世界やら異世界だけでお腹いっぱいなのに、上の世界とか構ってられない。
今が幸せならそれでいい。その幸せはこの世界の内側だけで十分すぎるほどにまかないきれる。
あーあ、邪神の誘いを断っちゃったよ。ここから争わずに帰ってもらえないかな。
内心で焦っていると隣から声が。パトリックだ。
「ユミエラ……俺は信じていたぞ」
え? 私がボールペンの手下になると思っていたの?
信じていたという言葉が、多少は疑っていたことの証明だ。私が異世界を征服して回るわけないじゃん。
流石に酷い。ショックですよと視線を送ると、彼は続けた。
「あ、いや、ユミエラは強さのことになると見境がなくなるから、万が一ということも想定して……」
「強くなるために何でもするなら、私は真っ先に2号を倒すんだけど。私をバトルジャンキーみたいに言うのやめてよね」
「すまない」
素直に謝るパトリックだが、少し首を傾けたのは見逃さないからな。
この件は後回し。今は邪神に集中せねば。すごい神様なんだから簡単に怒ったりしない……よね?
「そういうわけですので、お力になれそうにありません」
「貴様は勘違いしていないか? オレは手下にならないかと質問したのではない。オレの軍門に下れと命令したのだ」
「……ちなみに命令違反するとどうなります?」
「消すしかあるまい」
すごい怒ってた。
邪神の野望は、この世界だけで収まる話ではなくなっている。いつかは戦うことになるかもしれない。でも今は嫌だ。家の近くだし。そろそろリュー君帰ってくるし。
ここはおだててお茶を濁そう。そして帰ってもらおう。
「あー、邪神クーゲルシュライバー様はすごいお強いんですよね?」
「当たり前だ」
「ならば、私ごときが手下になってもお役に立てるかどうか……」
「いくら力を溜め込もうとも、オレの力は有限だ。限りがある以上、些事にリソースを割くのは避けたい。こうして世界に現れているだけでリソースは食われるのだ。力を振るうとなれば尚更。だからこそオレは強い部下を欲している。認めよう、貴様は強い。オレのため存分に力を振るうが良い」
いや、そういう方向に行っちゃうのか。
力を出し惜しんでいるのだったら、勧誘を断られたくらいで怒らなきゃいいのに。……そこを攻めてみるか。
「リソースは大事ですよね。ですので、ここは何もしないで帰るのが最上の策かと思います」
「その通り。よく分かっているではないか。ならば命ずる、オレに代わりこの場にいる者どもを消し去れ!」
「いい加減しつこい! 部下にはならないって言ってるでしょうが!」





