15 幕間 ユミエラ
幕間は三人称の別キャラ視点です。ということで今回はユミエラ視点。
バルシャイン王国王都。周辺諸国で最も栄えていると謳われていた都は、人の気配が全く感じられない。
王城のバルコニーから廃墟となった街並みを眺める少女が一人。
彼女の顔は長い前髪で隠されて表情が読み取れない。分かるのは、伸びすぎた黒髪を切る人間すらいないという事実のみ。
王都を見下ろす黒髪の彼女は、王国のみならず世界中の人類を滅ぼした張本人。その名はユミエラ・ドルクネス。
彼女は自嘲気味に呟く。
「……どこで間違えたのかしらね」
「間違えたという自覚はあるのか?」
応える者はいないかに思われたユミエラの呟きに反応があった。声はノイズ混じりで、声の主の性別や年齢も分からない。
ユミエラは姿の見えない声の主に驚いた様子もなく、平然と会話を続けた。
「……ま、私は間違っているでしょうね」
「魔物を操り、人間を駆逐したことを悔いていると?」
「今更、反省も後悔もする訳ないじゃない。選択を間違えたのは私だけじゃないし。私も周りの人たちも……世界の全てが間違っているのよ。その末路がこれ」
「そうだ! この世界たちは間違っている。だからこそオレが解放してやるのだ」
ユミエラの会話相手は声に力がこもる。
未だに得体のしれないコイツはこうなると長くなるのだと辟易しながら、ユミエラは自分の人生を振り返っていた。自他ともに間違いだらけの半生を。
最初の間違いは自分が生まれたこと。この世に生を受けたことを、生まれながらの容姿や境遇を、幾度となく恨んだ。
髪の色が黒以外だったら。貴族の家に生まれなければ。黒髪が忌諱されない国に生まれていたら。幾つもの「もしも」を夢想したが、全て覆すことは不可能だった。
「まあ、昔の私も愚かだったわね」
幼少期のユミエラは、両親に愛してもらうことに必死だった。物心が付いてから常に感じていた寂しさは、きっと父親と母親が解消してくれるものだと確信していた。物語の中でしか知らない、厳しくも優しい父と母が。
彼らにいつか会えると信じていた。再会したときは温かく抱擁されるものだと信じて疑わなかった。
そんな幻想を糧に、学園に入学するまではドルクネス領で勉学に励んだのだった。
決して叶わぬ願いを、学生時代も追い続けた。周囲にいいように操られる公爵令嬢に、内心で見下しながら媚びた。派閥内に残るために汚れ役を買って出た。それが原因で王族にまで目を付けられたので、すぐに尻尾切りされた。
希望の糸は全て断ち切られた。正確には、希望など初めから存在しなかった。
そんな当たり前の事実に気が付いたのは、学園三年目に入った辺りだ。丁度、その時分に魔王復活の報が王国を駆け巡る。
魔王、それはユミエラの新たな希望。きっと魔王なら。自分を虐げ続けた人たちを、この碌でもない王国を、存在価値のない世界を、魔王ならきっと全て滅ぼしてくれる。
「他力本願なところが駄目だったのかなあ」
ユミエラはまるで他人事のように、感情の籠もっていない声を出す。
また彼女の希望は無くなってしまったのだ。魔王は討伐され、新たな勇者と聖女が国を挙げて持て囃される。
ユミエラは心の底から確信した。誰かを頼りにしてはいけない。信頼できるのは自分だけ。
そして決意した。期待はずれだった魔王に代わり、世界を滅ぼしてやる。
自分の力が人より強いことを、強大な属性の魔法を扱えることを、ユミエラは昔から分かってはいた。実力を分かった上で隠していた。
更に嫌われることを恐れた彼女は、幼少期も在学中も、その力を振るうことをしなかった。今でこそ、散々疎まれて何をそれ以上恐れるのかと思えるが、当時は本気で怖がっていた。
かくしてユミエラは裏ボスへの道を歩きだした。
今も姿が見えない彼に出会ったのはその直後だ。
未だに怨嗟の言葉を紡ぐ彼に向かって、ユミエラはぶっきらぼうに言う。
「ねえ」
「――この世界を見下している存在は間違いなくいるのだ」
「ちょっと!」
「娯楽のつもりで鑑賞して悦に入って……ん? どうした?」
「……何でもないわ」
初対面からそうだった。この姿が見えない謎の人物は、人と話をする気が全く無い。一方的に言いたいことだけを言うだけ。
名前すら知らない。他に話す相手もいないので不便はしないが、ユミエラは内心で彼を邪神と呼んでいる。
ユミエラは一人で数ヶ月前を思い出す。初めて言われた言葉は「貴様、このままでは死ぬぞ」だった。今のままではアリシアたちに敵わずに殺されてしまうという忠告。
そこで彼が提案してきたのは、常識外れのレベル上げ方法だった。常人が、命ある者が思いつくとは思えない、過酷な鍛錬方法。
そこでユミエラの不機嫌さを察知したのか、声は気遣うような言葉を発する。
「どうした? 隣の世界に乗り込むのは明日だぞ?」
「はあ……それはちゃんと行くわよ。本当アンタって人の事情を考えないわよね。あの頭のおかしいレベル上げ方法を思いついただけあるわ」
「違うぞ。貴様に伝授した方法はオレが考えたものではない」
「はあ? アンタ以外に誰がいるのよ?」
「アレを実行してのけたのは貴様だぞ。並行世界の貴様だ。明日、貴様が戦う相手でもある」
ユミエラが戦う相手とは並行世界の自分自身。前々から聞いていたことだったが、そんな相手だとは思ってもいなかった。どうせ自分と同じように陰鬱とした人生を送っている人間だと考えていたのだが……。
ユミエラは、今までは微塵も興味がなかった別な自分に興味が湧いてきた。
「その別な私ってどんなやつ? 私とは違うの?」
「全く違うな。人間の区別が付かないオレが言うのだから相当だろう。やつは貴様よりもずっと強い」
「何よ、それ。じゃあそっちの私に、私を殺させればいいじゃない。アンタはレベル上限を解放した手下が増えればそれでいいんでしょ?」
「ふむ……そうもいかんのだ。向こうの貴様は付け入る隙が無い。貴様のように世界を憎んでもいない。やりづらい相手なのだよ」
世界を憎まない自分を、ユミエラは想像することができなかった。過去に戻って人生をやり直せたとしても、自分はこの世界が嫌いなままだろう。
「何でそんな私がいるのかしらね」
「その理由は簡単だ。オレが仕組んだ」
「具体的には?」
「オレは貴様に目を付けていたのだよ。能力は人間の中で圧倒的だ。手駒に欲しくてしょうがなかった。だが、貴様は死ぬのだ。オレが幾らか干渉しても結末は変わらない」
ユミエラはアリシアたちとの戦いを思い出す。あの四人との死闘はギリギリだった。あの頭のおかしいレベル上げをしていなければ、間違いなく死んでいたのは自分の方だった。
それくらいに彼らは強く、ユミエラにとっては相性が最悪だった。
そこで声の主は何をしたのか、ユミエラは話に耳を傾ける。
「そこで物は試しと思ってだな、貴様の中に別な魂を入れてみた。次元の狭間を漂う弱々しい魂だ。まず駄目であろうが、それを試すほどには悩んでいたのだ」
「そいつが私の相手ってわけね?」
「その通り。思いがけない拾い物だった。しかも、オレの失せ物すら見つけてのけた。驚愕すべきことだな」
「その私は、どう生きているの?」
「領主? とやらになって何もせずに生きている。本当につまらない人間だ」
「ふーん。興味ないけどね」
領主になったということは父親から伯爵位を継いだのだろうか。何をどうすれば、そんな結果が訪れたのかユミエラには想像がつかなかった。
ユミエラはもう一度、自分の人生を振り返る。
必死に見えないふりをしていたが、自分が救われる道はあったはずだ。救いの手はすぐそばまで来ていたはずだ。
まずは自分の力だけで生きる道。この強さがあれば、どの国に行ってもある程度はやっていけたはずだ。
次に周囲の人物に助けを求める道。
散々嫌っていたエレノーラは周囲に踊らされていただけで、悪い人間ではなかったように思う。恥も外聞も無く助けを求めれば、何かが変わっていたのかもしれない。
ユミエラが最後に思い出したのは、学園でたまに話しかけてくれた彼だ。
困りごとは無いかと気にかけてくれた彼は、間違いなくユミエラの希望だったはずだ。しかし、その救いの手を払い退けたのは、他でもない自分自身。彼が辺境伯の生まれだからと、王国中央への影響力が少ないからと、親しくすることはなかった。
「中央みたいにドロドロしてなさそうだし、辺境伯領なら平和に暮らせたのかな……ねえ――」
彼の名前を言いそうになって口を押さえる。詳細は分からないが、彼も魔物の波に飲み込まれて死んだはずだ。自分が殺したのと同然であると、ユミエラは思う。
「どうした? また戦意が落ちているようだが?」
「そんなはず無いでしょ。もう私は後戻りできない。気に入らないやつは全員殺すって決めてるの」
平和に生きる並行世界の自分について知れて、ユミエラは良かったと思った。
自分とは違いすぎる自分を知って、決意が固くなった。
倒すべき存在は、たった一つ。