05 エレノーラ、追い出される。
レベル99を超越することは現実的ではないという、絶望的な現実を突きつけられた。
ここまで落ち込んだのは、大好きなゲームの新作に一番好きなキャラが出てこなかったとき以来だと思う。それくらいに多大なショックを受けた。
ベッドに逆戻りし、ゆっくりと座る。ベッドはわずかに沈み込んだ。私の心はもっと沈んでいる。
私のどよんとした雰囲気を感じ取ったパトリックとレムンは、そこまで落ち込むのかと引き気味だ。
そのとき、場の陰鬱な空気にそぐわない明るい声が聞こえる。エレノーラだ。
「ユミエラさーん? お部屋にいらっしゃいますの?」
いつも寝坊する彼女が目覚めるくらいの時間になっていたようだ。だいぶ話し込んでしまった。
私は立ち上がり、ドアの向こうに返事をする。
「ここにいますよ」
「ユミエラさんが朝寝坊なんて珍しいですわね」
「早朝から起きてはいたのですよ。それが……」
待てよ。このままだとエレノーラとレムンが対面することになる。何だか面倒な事態になる予感。「え! ユミエラさんに弟さんがいましたの!?」という彼女の驚く声が、脳内で再生された。
そういうのは、レムンから諸々の話を聞き終わった後でゆっくりとやっていただこう。
「影に」
私がそれだけ言うと、レムンはすぐさま動いた。また床に叩きつけずに済んで、そこだけは安心だ。
彼が手近にあったパトリックの影に隠れた直後、部屋の扉が開く。
「朝ごはんが冷めて……あら?」
エレノーラは口元を抑えて、私とパトリックを交互に見る。そしてみるみるうちに顔が赤く染まってしまった。
何だろう。黒髪の神様はちゃんと隠したはずなのに。
立っている私と、椅子に座ったパトリック。違和感のない光景のはずだ。
不自然な態度を疑問に感じていたところ、エレノーラは絞り出すように、か細い声で言った。
「あの……お取り込み中でしたら、そう言って欲しかったですわ」
「何の話です?」
「お二人は恋人同士ですから、そういうことをするのも分かりますが……鍵をちゃんと掛けるべきだと思いますの」
「……いや、違いますから」
彼女はとんでもない勘違いをしている。それよりもエレノーラが「そういうこと」を知っていることがショックだ。
嘘だ、嘘に違いない。薄汚れた私が思い浮かべたことと、純真無垢な彼女が思い浮かべたことは全く別だ。魂を賭けてもいい。ついでにパトリックの魂も賭けよう。
「どちらにしろ違います。パトリックとは少し話していただけです」
「で、でもっ! ユミエラさん、そんな格好で殿方といるのはちょっと……」
そんな格好? 自分の服装を確認するが、いつもと変わらぬパジャマ姿だ。
水玉模様のズボンにシャツ。それと三角形のナイトキャップ。起きてから今まで、ずっとこの服装だ。至って健全な寝間着姿のはずだが……。
「そんなに変ですか?」
「寝るときの格好で人前に出るのがはしたないと言いたいのですわ。あと、その帽子は絵本以外で初めて見ましたわ」
なるほど。寝間着で異性と会うのが駄目ってことか。
でもなあ、前世で散々パジャマのままでゴミ出しとかに行ってたしなあ。パジャマと言っても高校のジャージだけど。
誤解を解くのも面倒だ。レムンに聞きたいこともあるし、エレノーラには出ていってもらうことにしよう。
「すみませんでした。ではこれから鍵を掛けて続きをしますね」
「つっ、つづき!?」
「はい。今までしていたことの続きを始めます。見ていきますか?」
「あ、そんな、あの、えっと……わたくし! しばらく出かけてきますわ!」
予想通りだ。エレノーラは顔を真っ赤に染めて部屋から走り去る。
隙あらば私たちの恋愛模様を覗こうとする彼女だが、いささか刺激が強すぎたらしい。足音が遠くまで行ったのを確認した後、念のため部屋の鍵を閉めた。
「よしっ」
「ユミエラは上手いこと追い出したつもりかもしれないが、後で余計面倒なことになるだけだと思うぞ」
「パトリックからも否定すれば誤解は解けるでしょ」
「もう手遅れな気がするなあ」
彼は頭を抑えながらボヤいた。そんなに気になるならその場でさっと否定すれば良かったのに。
さてと。エレノーラのことは後で考えるとして、今は闇の神様だ。私はしゃがみ込んで自らの影に話しかける。
「じゃあ続きの話を聞きましょうか。レムン君、出てきていいですよ」
「ふう、もうお姉ちゃんはいなくなった?」
「お姉ちゃん……? ああ、エレノーラ様のことですか」
「そう。あの過保護なくらいに愛されているお姉ちゃん」
私がお姉さんで、エレノーラがお姉ちゃんか。識別しづらいので、やはり彼女に離席して貰って正解かも。
過保護、というのは父親のことかな。私はそこまで彼女を甘やかしてはいない。ただエレノーラの望みは出来る限り叶えてあげたいと思っているだけだ。
さてと。レムンから他に聞いておきたいことは何だったかな。まずは入手した情報を整理して……レベル上げ関連の話しか覚えてない。
その前に確か、パトリックが質問をして……そうだ思い出した。ドルクネス領に闇の神信仰が復活したのだった。我が領内に怪しげな宗教が発生しているのは見逃せない。
「とりあえず、レムン君が信仰されているという場所に行ってみましょうか」
「そうだね。ボクの巫女さんは神殿を建ててくれるんだっけ?」
「はい? そんな変な物、建てるわけないじゃないですか」
神殿を建てると言ったのは、レムンがレベル上げを司る善なる神だと勘違いしたからだ。レベル上げの方法をちらつかせて天国から地獄に突き落とす邪悪な神だと分かった今、そんなことをする義理は無い。
シュンと落ち込むレムンを無視していると、パトリックが椅子から立ち上がる。
「出かける前に朝食にしないか?」
「そうだね。じゃあレムン君は影に入ってて」
「ボクは食べさせて貰えないの?」
「エレノーラ様に見つかりますから」
神様ってご飯食べるんだ。レムンを蹴ったり押したりした感触は、人間よりも魔物のそれに近かった。推測だが、彼の体はほぼ全てが魔力で構成されている。
リューも嗜好品として食べ物を食べるし、レムンが朝食を要求するのは自然なことかもしれない。
しかし、エレノーラを含め屋敷の人たちにレムンを見られるのは避けたい。彼には影に入ってもらい、ダイニングへと向かう。
パトリックと並び廊下を歩いていると、向こうからリタがやって来た。
「おはようございます。ユミエラ様、パトリック様。朝食の準備は整っております。只今お呼びに向かうところでした」
「おはよう、リタ。エレノーラ様はもう食べてる?」
「それが……何も食べずにお出かけになったようでして……」
リタが窓の外に目を向けたので私もそちらを見ると、この時間はひなたぼっこをしているはずのリューの姿がなかった。
エレノーラは「しばらく出かける」と言っていたが、本当に遠出するとは。部屋から離れてくれればくらいに思っていたのに……。悪いことをしてしまった。
「外でお腹を空かして……大丈夫かな?」
「リューを連れて行かれましたので、安全は確保されていると考えます」
「ああ、リューがいれば平気だろう」
「そうだね。リューが一緒なら大丈夫だね」
三人の考えは一致した。エレノーラが一人で出歩くのは危険だが、リューが同行しているのなら安心できる。
「へえ、お姉ちゃんいないんだ。じゃあ出てきて大丈夫だね」
窓から差し込む日光を遮り、形作られる私の影。そこから声がする。同時に影から現れた黒髪の少年を見て、リタが目を見開いて固まった。
「あー、この子はね」
「おはようメイドさん。ボクは闇の神レムン。気軽にレムン君って――」
「この子は悪い神様だから、言うこと聞いちゃ駄目。屋敷のみんなにも伝えておいて」
「はっ、かしこまりました」
私の声を聞くやいなや、リタは足早に離れていく。
言葉を遮られたレムンは不満げだ。
「ちょっと! ボクが本当に悪い神だと思われたらどうするの!? あのメイドさん、本当にみんなに伝えに行ったんじゃない?」
「まあまあ、細かいことはいいじゃないですか。あ、ご飯食べます?」
「食べる!」
神殿建築を仄めかしてからの悪神扱い。これが因果応報というやつだ。私と同じ絶望を味わうが良い……と思っていたが、ご飯を食べさせると言った途端にレムンは上機嫌になる。
この神様、チョロいぞ。





