28 結界壊れる
認めよう、光属性の結界は私と同等以上だ。出し惜しみはしていられない。
杖はパトリックの方に投げてしまったので、剣を地面から拾い上げて構える。
剣術なんぞ知るか、野球のバットを振るように、力任せに剣を結界に叩きつけた。
「うう、手が痺れた」
雷が落ちたような轟音が鳴ったものの、結界には傷一つ無い。ついでに剣も無事だった。
こうなったら魔法か? ここは闇属性最上位魔法をお見舞いするのが礼儀というものだろう。
「ブラックホール!」
公爵もろとも消し去ってはいけないので、今回のブラックホールは幾分小さめにした。
人の頭くらいの大きさの黒球は、薄い光を放つ結界の一部を飲み込む。そして、ブラックホールが消えた後には……結界も無い! 結界は円形に穴が開いていた。
やった、やっぱり私は魔法使いなんだよなあ。巷では脳筋とか言われているけれど頭脳派の後衛なのだ。
穴の開いた結界を公爵は驚愕の瞳で見つめる。
「まさか、伝説級の魔道具だぞ!? ん?」
彼が何かに気がついたように唸った。釣られて私も彼の視線の先を見ると、穴が少しずつ塞がっている。
修復機能もあったなんて。結界の破損箇所を修復する速度はみるみる上がり、今にも完全に閉じてしまいそうだ。
頭を通せそうだった穴は、今はもう腕を何とか入れられるくらいの大きさになっている。
「ああ! 待って待って!」
私は思わず、塞がりつつある穴に右手を突っ込んだ。こうなったら力技でこじ開けてやる。筋肉を信仰せよ。
光の結界は、私の腕など意にも介さずに閉じきってしまう。
巻き込み事故が発生した。結界の中に取り残された肘から先は、ボトリと地面に落ちる。
「あ、こういう結界を切断攻撃に使うのってロマンありますよね。公爵様はどう思いますか?」
「うわあああ! おい、大丈夫なのか!? 腕が! 腕が!」
腕の切断面は綺麗な平面だった。今まで色々と怪我をしてきたけど、こんな断面は初めてだ。腕が鎌になっている魔物に切られたときも、もっとぐちゃぐちゃとした傷跡だった。
「これって押し付けたらくっついたりしませんかね?」
「おい! 血が! そんなに血が出たら!」
「ああ、体の右側だと血の量は気持ち少なめですよね。心臓が左にあるからか、私の勘違いか」
狭い結界の中、公爵はギリギリまで私の腕から距離を取る。背中を私の反対側の結界に預けている形だ。
そんなにビビらなくても……。まあ、彼が女性の手に欲情する変態で、私の腕を持ち帰ろうとしても困るのだけれど。
「すみません、そこまで怖がるとは思いませんでした。ヒール」
周囲に飛び散った血が、私の腕に吸い寄せられる。結界で分断されてしまった腕の先はそのままだ。治してくっつけるのではなくて、新たに手を生成するので魔力を激しく消費するのを感じた。
でも、これくらいなら慣れたものだ。回復魔法を発動して数秒後には、綺麗な右腕がニュルニュルっと生えてきて元通り。
被害は服の袖が、片方だけ七分丈というファンキーな感じになってしまったくらいか。
「……お前、本当に人間か? なんて奴の所に来てしまったのだ、私は」
公爵は気持ち悪そうに口元を抑えながら言う。
また人間扱いされてない。でも回復魔法の使い手は希少だから、天使と見間違えるのも無理はない。
魔物の方はパトリックとリューが何とかしてくれるから、後は目の前にいる自殺志願者を確保するだけだ。
我がライバル結界も、闇属性最上位魔法の前には無力だと判明した。一部を消しても再生するが、再生速度も目に見えている。
「これで終わりですね、ブラックホール!」
光を放つ立方体の、約半分を覆うように闇の球体を出現させる。公爵は結界に背中を預けているので、彼を巻き込まないようにするのは容易だった。
ブラックホールが消えた跡には、約半分ほどを欠損した結界が。あとは確保するだけと公爵に目を向けたところ、彼の胸元が燦然と輝きだす。
彼は作りの良い服を着ている。その上質な生地の上からでも分かる光量とは一体?
結界の中に飛び込もうとしていた私は、咄嗟に踏みとどまった。
その野生の勘とも言える判断で助かった。結界は先程とは比べ物にならない再生速度を発揮して、一瞬で元に戻ったのだ。
もし止まらなかったら、上半身と下半身がさようならするところだった。危ない。
腕とか足なら失っても何とかなる回復魔法でも、半身となると厳しいかもしれない。試したことが無いので、本当に分からない。
公爵も何が起こったのかを理解できていないようで、不思議そうに懐から光り輝く宝玉を取り出す。それを見て、ニヤリと笑って言った。
「もう駄目かと思ったが……そうか、やはり伝説級の魔道具だな」
「もしかしてそれは……」
「ああ、結界魔道具の本体だ。盗み出すのには苦労した」
あの宝玉が結界の正体か。動力は不明だが、いつかは限界が来るはず。そのときまで結界を消して再生されてを繰り返せば……。
結界全体を消してしまえば片がつくけれど、一緒に公爵も消滅してしまう。やはり根比べをするしかないのか。
などと作戦を考えていたが、結界が防げるのは闇属性魔法と物理的な攻撃のみ。他の属性の魔法は素通りなはずだ。
街のほうが落ち着くのを待って、パトリックに公爵を風で吹き飛ばして貰えばいい。
結界ちゃんとの決闘は後からでもできる。今は我慢のとき。
「我慢比べになりそうですね」
「……忘れていないか? 私の目的はお前に魔物の相手をさせることではない」
足元に放置されたままの腕にも慣れたのか、公爵は調子を取り戻して悪い笑みを浮かべる。そして続けた。
「お前に後悔の念を残して死ねればそれで良いのだ。少しばかり印象が弱いかもしれんが、まあいいだろう」
そう言って、彼は短剣を取り出した。そして自分の首元に当てる。
「え、ちょっと、待ってください」
そんな死に方されたら、絶対に夢でうなされるじゃん。
咄嗟に出たのは左手だった。生えてきたばかりの右手は、まだ本調子ではない。
結界に触れる直前、伸ばした左手が目に入る。薬指に輝くは、パトリックの瞳と同じ色をした宝石。
ギリギリで手を引き戻す。
「危なっ」
危ない危ない、婚約指輪が壊れるところだった。やっぱり普段は仕舞っておいた方がいいのかな?
これは私の宝物。見るたびに、風属性の魔力を込めてくれたパトリックを思い出して……風?
「……ありがとう、パトリック」
今にも首を掻き切ろうとするヒルローズ公爵、彼に向けて左手をかざす。
「娘は、エレノーラだけは、あの子だけは頼んだ」
「遺言を言うには早いですよ。あと娘さんなら今、私の家で眠っています」
「な!? あの子はロナルドの所に――」
「風よ!」
私の言葉に呼応して、彼のくれたリングが緑の光を強くする。
突然、吹き荒れる風。
それをもろに受けた公爵はたたらをふんで後ろに倒れ込む。
「くっ、さらばだ」
彼は握りしめた短剣だけは手放さなかった。己の首に突き立てようと、持ち直すのに手間取っている。
やはり短剣を第一にしたか。それでいい、彼はもう片方の手で掴んでいた物を手放している。
「私が狙っているのはもう片方ですよ」
私の意思通りに動く風は、小さな竜巻を作り出し、地面を転がる宝玉を宙に浮かせる。
ごめんね、結界ちゃん。君の本体を壊さなきゃいけない。強い君も、ブラックホールなら消せる。公爵がいなければ、結界全体を本体ごと消滅させられる訳だから、私の勝ちってことでいいよね? ね?
魔法の風に乗って、宝玉が結界の中を吹き飛ぶ。それがぶつかったのは、皮肉にも展開されている結界だった。
自分が発生させている光の障壁に衝突し、宝玉は砕け散ってしまった。
「何っ!」
本体が砕けたことで、一瞬にして結界は消え去る。
驚愕で目を見開く公爵の首に、刃は食い込みつつある。
地面を蹴って彼の前まで跳んだ私は、短剣を弾き飛ばす。
「遅かった……ようだな……」
ヒルローズ公爵は首から血を吹き出していた。虚ろな目でそう言って、口元を歪める。
「いいえ、間に合いましたよ? ヒール」
私は腕だって生やせるのだ。掻き切られた首元を治すことなど、実に容易い。
傷が完全に塞がった公爵は、だんだんと目の生気を取り戻す。すぐに意識がはっきりとしたようで、私をハッと見つめる。ははは、命の恩人の天使様を称えてくれ。
「……くそっ、この悪魔め」
「酷すぎません?」
「ふん、無駄な労力を使ったな。計画は既に明るみに出たのだ、王家に反逆したのだから処刑は避けられまい」
「あー、それなんですけどね? お宅の娘さんは、ロナルドさんの所に行かないでうちに来てしまったようでして……」
「何!? 本当にエレノーラがいるのか?」
王都では今頃、過激派の貴族たちが決起集会に公爵が来ないことを不思議に思っているはずだ。彼の計画の最大の穴は、大事な書類をエレノーラに託したことかもしれない。
「それでですね、今なら内密に事態を収めることができると思うのですが……」
「そんなこと……できるはずがない! 公爵家の役割なのだ、我々の宿命なのだ」
「王国のため、ですか? もう十分やったと思いますけどね」
「いいや、駄目だ。もう話すことはない、娘を頼む。あの子はああ見えて寂しがりだから気を使ってやってくれ、たまにとんでもないことを始めるがすぐに飽きるから見守ってやってくれ、あとは……」
彼は公爵家の破滅を見越して息子を他所に預けていた。どうしてエレノーラは違うのか不思議に思っていたが、ただ単に可愛い娘を手放したくない、というのが真相のようだ。
「そんなにエレノーラ様が大事なら、一緒にいればいいじゃないですか」
「お前に頼んでいいのか? 駄目なのか?」
人の話、ちゃんと聞いてよ。
まあ、公爵家と同じことをするのは嫌でも、エレノーラの面倒を見るくらいならやってもいいかな。
「はあ、まあいいですけど。貴族ではなくなるわけですし、ある程度は戦えるようになった方がいいですよね」
「あの子に冒険者まがいのことをさせるというのか!?」
「大丈夫ですよ、私がしっかりとレベル上げを手伝います。あ! 魔物呼びの笛の大きいやつ、私が頂いてもいいですか? レベル上げに使いたいです」
「お、お前はエレノーラに何をさせる気だ!? 死ぬわけにはいかん、エレノーラを守らねば!」
いや、今のは完全な親切心なんだけど。これなら娘を頼める、と彼に信頼されたら困るなあと思っていたのに。
何をそんなに不安がっているのか分からないが、結果オーライと思おう。
「それが嫌なら生きてください。そして、エレノーラ様とまた会ってください。あの人、お父さんのこと好きすぎますからね」
ヒルローズ公爵はぐぬぬと唸って、肩の力を抜いた。こうして彼の起こした騒動は一応の幕引きを迎え……。
「何だ、この気配は」
ヒルローズ公爵は身震いして言う。言われてみれば場の空気が変化した気がする。
「どこか懐かしい感じがしますね」
「いや、もっとおぞましい……あれは?」
辺りを見回していた彼は、ある一点に釘付けになって言う。
その方向を見ると、騎士が一人。
大きな馬に立派な鎧、黒い瘴気を漂わせている。そして人馬両方に、頭部は存在しない。
「デュラハン……実在したのか」
死を振り撒くと語り継がれるその魔物は、闇ダンジョンの最終ボス。あの笛の音は、ダンジョンの中にいる魔物すら引き寄せるのか。
デュラハンに率いられた魔物たちが続々と姿を表す。どれもダンジョン深層にいる強敵ばかりだ。総戦力で考えたら魔王より強いかもしれない。
濃密な死の気配に当てられて、公爵は腰が抜けていた。
「私は置いて行け! アッシュバトンの倅と協力しなければ厳しいはずだ」
「大丈夫ですって」
「何を根拠に!」
「とりあえず大将だけ倒してきますね。公爵様はその後で安全な場所に」
私は首なし騎士に向かって走り出す。後ろで公爵が騒いでいるのは気にしない。
身一つで最強クラスの魔物と相対する。
騎士の左手に抱えられた顔と目が合った気がしたが、目は兜で隠れているので確証は持てない。
気のせいだったかなと思った次の瞬間、悠然と歩いていた馬が嘶く。前脚をこれでもかと振り上げたせいで、背に乗る騎士は振り落とされてしまった。
「え?」
主人を振り落とした頭のない馬は、全力で走りだし、みるみるうちに距離が離れていく。
デュラハンは取り落とした首を拾い上げ、私に向き直った。あ、今度は絶対に目が合った。
知らない仲じゃないし、一応挨拶だけしておくか。
「お久しぶりです。昔は何度もお世話になりました」
ああ、本当に懐かしい。私は終盤のレベル上げを闇ダンジョンで済ませている。レベル99に到達するまで、何度このデュラハンを倒したことか。数えるのも億劫になるほどの付き合いだ。
そんな首なし騎士は、私に背を向けて全速力で駆け出した。
「あれ?」
「……逃げているのか?」
デュラハンに怯えていた公爵が呟く。まさかね、死を振り撒くとか言われている魔物が逃げ出すなんて……。
「ちょっと、待ってください」
私が追いかけると、騎士はさらに走る速度を上げた。まさに必死な走りで……あ、転んだ。その拍子に手放した首がコロコロと転がる。
過去、戦いを重ねるうちにデュラハンは機敏さを増し、最後の方は攻撃を当てるのに一苦労するほどだった。あれはもしかして、必死に逃げようとしていたのだろうか。
少し可哀想になったが、パトリックですら苦労しそうな魔物を野に放つわけにはいかない。
起き上がって首を探して右往左往しているデュラハンに、私は魔法を放ったのだった。
「ほら、大丈夫だったでしょう? あ!」
トドメを刺した私が振り返ると、公爵は複数の魔物に襲われているところだった。失念していた、現れた魔物はデュラハンだけではないのだ。
先ほど公爵に言われた言葉が脳裏をよぎる。私の能力は防衛にとことん不向きだ。
デュラハンを追いかけたせいで、彼との距離は相当離れてしまった。遠距離攻撃ももちろんできるが、公爵を巻き込んでしまう。今から走っても間に合わない。
ヒルローズ公爵に殺到する魔物の群れ、私はそれを黙って見ているしかなかった。
その日、騒動の首謀者であるヒルローズ公爵は、死亡した。
(追記)最後の一文、思ったより反応がありました。次回エピローグ、後味良好、色々といい感じに終わります。





