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19 月下の酒宴

 あの正気の沙汰とは思えない私の駄々こね事件以降、屋敷で働く使用人たちがどこか優しい。

 リューとじゃれ合うのを微笑ましい様子で見られたり、パトリックには内緒だよと飴玉をくれたりと、完全に子供扱いされている。どうしてこの年齢になって施しを受けなければいけないのか、飴玉を口に入れながら考える。


 使用人たちの間で何が起こっているのかを確かめるために、リタに話を聞くことにした。アレ以来、リタは良い意味でも悪い意味でも変わっていない。私の醜態を見て忠誠心とやらが霧散しないものかと期待したが、今日も平常運転だ。


 私は甘いクリームの入ったパンを頬張りながら言う。


「どういうことなの? お菓子とか貰っても困るだけなんだけど」

「飲み込んでから話してください」

「ちょっと待ってて、あと五個あるから。あ、リタも食べる?」

「……まあ、幾らでも待ちますけれど。いらないです」


 一分もかからずに食べ終えた私はリタに改めて尋ねる。


「それで、どうしてみんな私に優しくするの?」

「切っ掛けは先日のアレですね。寝転んで暴れるユミエラ様が最後のダメ押しになりました」

「原因はアレだけじゃないの?」

「パトリック様です、暇を見つけてはユミエラ様のお話を皆に聞かせています。私がここに来る前から継続していたようですね」


 パトリックと使用人たちが仲良く歓談しているのは知っていた。しかし、私の話をしているなんて全く知らなかった。

 こんなことは前にもあったな。私に魔王疑惑が浮かんでいた在学中、彼はエドウィン王子に私の話をし続けていたらしい。


 彼の意図は分かっている。私がされている諸々の勘違いを解いて回っているのだ。本当に感謝していると同時に、自分がどんな人間なのかを周りに伝えられない己が情けない。

 そういうことだったら、この状況も納得できるかな……。


 そのとき、部屋の前の廊下をメイド二人が通りかかった。彼女たちの雑談は不可抗力で私の耳に入ってくる。


「え? じゃあ窓を壊して飛び出したのは恥ずかしかったから?」

「そうなんだって、パトリック様も大変ね」

「でもこの前のあれより恥ずかしいことってあるの? あんなことができるなら何でもできそうだけど」

「まあ、そこは、ユミエラ様だから」


 窓を突き破ったこと、床で大暴れしたこと、私の恥ずかしい記憶たちがフラッシュバックする。

 やっぱり納得できない。もう酒でも飲まないとやってられない。

 お酒か、そういえばアルコールを飲んだことは一度もない。学園のパーティーではジュースも用意されていたし、先日の公爵家では飲み物すら口にしていない。



 途端に未知の飲み物への興味が膨らんだ私は、パトリックを探して尋ねる。


「パトリックはお酒って飲んだことある?」

「あるが……突然どうした?」


 飲酒経験のある未成年を発見してしまった。しかし、この国の法律に飲酒可能な年齢を定めるものはない。もちろん幼子が飲むことは良くないとされている。


「ちょっと飲んでみようかなって思って」

「……分かった俺が準備する、今夜だ」


 表情が僅かに鋭くなったパトリックはいそいそとその場を立ち去る。準備って……お酒を買ってくるだけじゃん。


       ◆ ◆ ◆


 その日の夜、私はパトリックに連れられて屋敷を出ていた。ドルクネスの街を二人でゆっくりと歩く。

 どこかお店を予約したのだと思っていたが、このままでは街の外まで行ってしまいそうだ。


「ちょっと、どこに向かっているの?」

「いいから、付いてこい」


 いつもより強引な彼は、私に向かって左手を差し出す……?


「何も危ないものは持っていないけど」

「……だろうな」


 不可解なやり取りをしつつも夜空の下を歩く。

 遂には街の外まで出て、風に揺れる草原を進む。

 そして辿り着いた場所は――


「……綺麗」


 何もない草原にぽつんと、丸いテーブルと椅子が二つ。

 卓上には氷で冷やされたボトルとグラスが並び、簡単につまめる料理が載った皿もある。

 それらをかざすは、真円の月と数多の星々。

 世界が切り取られたような光景は何とも幻想的だった。


「ユミエラが初めて呑むからな、これくらいはさせてくれ」


 彼はどこまでもロマンチストだった。ロマンの欠片もない私だけれど、こんな彼がどうしようもないほどに……。

 夢のような幻のような円卓に釘付けになっていた視線を、パトリックの方に動かす。彼は、私の大好きな優しげな微笑みを浮かべて言う。


「これなら酔って暴れても、物を壊す心配がない」


 ……は?


 それはそれとして酒宴は進む。

 彼は私の悪い酔い方を心配しているけれど必要ないと思った。アルコールとは有り体に言ってしまえば一種の薬物毒物の仲間だ。その辺の耐性が強い私は酔わないのではなかろうか。



 椅子にちょこんと腰掛けて縮こまっていると、数種類あるグラスの中から一番細いのを渡される。

 木の樽を小さくしたみたいなジョッキで冒険者ごっこがしたかったのに。でもビールとかエールとかは苦いと聞くので、これで良かったかも。

 パトリックはボトルを一つ手にとって封を開けようとする。


「それってなんていうお酒?」

「シャンパンだ、飲みやすいから初めてでも――」


 シャンパンという単語を聞いた瞬間、テーブルの下に体を潜り込ませる。

 危なかった、シャンパンなら事前に注意してくれてもいいだろうに。アレは封を開けると同時、栓が弾丸の如く飛び出し、中身が噴水のように吹き出ると聞く。


「……今度は何を始めたんだ?」

「シャンパンって爆発するヤツでしょ? 地震のときとシャンパンを開けるときは、机の下に潜りなさいって学校で習わなかったの?」

「習ってない」


 程なく頭上からポンという軽い音が聞こえたので、机の下から恐る恐る這い出る。するとパトリックがグラスにシャンパンとおぼしきものを注ぎ終えていた。


「もしかして警戒しすぎだった?」

「ああ、でももう慣れた」


 慣れた、というのはシャンパンにビビる人のことか。なるほど、私みたいな人は珍しくなかったと一安心する。

 座り直した私はグラスの中身、月明かりで金色に輝く液体を鑑賞する。

 風流な場所で、洒落たお酒を、好きな人と……何と優雅なことだろう。こんなに幸せでいいのかな。


「それじゃあ乾杯」

「乾杯」


 そっと口づけを交わすようにグラスを打ち合わせて、小気味の良い音を響かせる。

 グラスを傾ければ、甘美な液体が口の中に流れ込み――


「げほっ、ごほっ、うげっ」


 盛大に咳き込んだ。慌てて立ち上がったパトリックは、私の横に来て背中を撫でてくれる。受け取ったハンカチで口元を拭いながら思った。

 私、炭酸って飲めないんだよな。


「大丈夫か? 酒が体に合わないのだったら――」

「違うの、シュワシュワが駄目なの」


 私の淡いお酒の思い出は、二酸化炭素のせいで台無しになった。やはり削減しておくべきだったか。


 気を取り直して別なお酒に挑戦しようと思うも、彼は不安げだ。


「大丈夫だって! ワイン、ワインは炭酸が無いでしょ?」

「ワインなら白にしておくか?」

「赤で」


 ワインと言えば赤に決まっている。

 グラスで揺れる美しい真紅、退廃的な花の香りが広がる。

 蠱惑的な神の血液を体に注ぎ込み――


「うえぇ」


 盛大に顔を渋めた。何これ、渋くて酸っぱい、腐ってやがる。生憎、私は腐っていないし腐敗したものを飲む趣味もない。


「これ、腐ってない?」

「そういう物だ。料理を摘みながら一緒に飲むといい」


 そう言いながらパトリックはチーズを食べつつワインを飲み干す。

 私も倣うが、味は変わらなかった。チーズと葡萄ジュースの方が絶対に美味しい。ポーションと比べればワインの方が不味くないけれど、ワインを飲んで回復するものはない。


「うーん、飲めと言われれば飲めるけど」

「飲みやすい銘柄を選んだつもりだったんだがな、白の方が口当たりはいいぞ」


 パトリックに白い方のワインを勧められる。やはり白か、常温な辺りで赤は信用ならないと思っていた。アカは腐敗している。


 シャンパンより落ち着いた黄金色、香りは爽やかな果実のよう……これやめよう。どうせ口に合わないオチが待っている。

 どうせ味は楽しめないのだから、グビッと勢いよく飲む。白ワインはのどごしだ。


「……あれ? 普通に飲める」


 美味しい……のかな? 良く分からないので半分ほどになった残りをチビチビと飲んでみる。

 ハムが乗ったクラッカーを口に放り込み、その後ワインに口を付ける。


「これ美味しいかも」

「そうか、良かった」


 改めて乾杯をした私たちは静かな時間をゆっくりと楽しむ。

 酔うという感覚は未だに分からない。やはり私の耐性はアルコールを毒物と認識したようだ。記憶を消すという当初の目的は達成できそうにないけど、こんなに素敵な時間を過ごせるのなら満足だ。

 三杯目の催促をしたところストップがかかる。


「初めてだし、そろそろ辞めておいたらどうだ? ジュースも用意して――」

「酔ってないから大丈夫」


 不安げながらもパトリックはおかわりを注いでくれた。心配性だなあ、そんなところも好きだけど。あ、何だか楽しくなってきた。テンションアゲアゲだ。


「えへへー、ねえパトリック」

「どうした?」

「なんでもない、呼んでみただけー」


 それにしても無性に楽しい。気分がふわふわ高揚して、口角が勝手に上がってしまう。生きていたのか、私の表情筋。

 ニコニコしながらパトリックをじっと見つめる。緑色の瞳がほんの少しの光を反射していた。

 彼は恥ずかしそうに目を逸して言う。


「俺たちも、出会って結構経つな」

「うん、私ね、パトリックに会えて本当に良かったと思っているの」

「……そうか、それでだな、その、なんだ」


 パトリックは懐から黒い小箱を取り出す。手のひらサイズのそれの中身は想像もつかない。

 彼は珍しくしどろもどろになっていた。視線を彷徨わせ、緊張している様子も愛おしい。すぐに彼は覚悟を決めたように目を合わせる。見つめ合っているだけで幸せ。

 普段は照れて隠していた想いを、そのまま開放する。


「パトリック、大好きだよ」

「なっ……」


 照れたパトリックはまた挙動不審になった。

 気持ちを言葉にしただけなのに多幸感に包まれる。笑いが抑えられなくなってきた。

 楽しいから一緒に笑おう、そう笑いかけると彼は真顔で言う。


「お前、酔ってないか?」

「全然、これっぽっちも酔ってないよ。ちょっと楽しくなっているだけ」

「酔っ払いは皆、そう言うんだ」

「分かる分かる、あれってみっともないよね」


 自分の酔いを認めない酔っぱらいには覚えが幾つかある。どうして自分を客観的に見られないのだろうか。アルコールで判断力が鈍っているとしても、そこまで到達する前にどうして酒を止めることができないのか。飲んだ量くらい把握しろ。

 何杯目か分からないワインを自分でグラスに注ぎながらそう思った。


「それで、その箱って何? お菓子? お菓子の箱?」

「これは……」

「ずるいずるい! 一人で食べるつもりでしょ!」

「ああ、これはもう……今日は辞めておこう」


 そんなに隠そうとするなんて余計に興味が湧くじゃないか。奪取を試みるも、伸ばした右手は見当違いの方向に伸びていく。む、いつの間にパトリックは残像を出せるようになったんだ。


「あれ?」

「もう酒は止めておけ、水はいるか?」

「そんな! 貴方は私からお酒まで奪うつもりなの!? 私のことがそんなに嫌い?」

「はあ、好きだぞ」


 彼は心底面倒臭そうに言う。ふへへ、好きだって。私も好きだぞ。


「じゃあ、どれくらい好き? 愛の大きさはどれくらい?」

「可愛らしいを通り越してうざったくなってきた」

「……私のこと嫌い?」


 うざったいと言われてしまった。どこからともなく涙が溢れてきて、水滴がグラスに落ちる。

 パトリックはため息をついて言う。


「好きだ、好きだから泣き止んでくれ」

「私って面倒くさい女だよね……って言う女が一番面倒くさいよね」

「その質問の方が面倒くさい」


 私の手が、彼の手に包まれる。もっと体温を感じられるように握り返す。


「これくらいまでとは言わないが、普段から素直だったらいいのにな」

「別に何時も通りだけど? 何か変?」

「……俺のことをどう思っている?」

「大好き」


 何を当たり前なことを。私の想いは平時と何ら変わりはないのに。

 パトリックは繋いでいない方の手で顔を覆い隠して言う。


「できれば素面のときに言ってくれ」

「いいけど……それより、俺のことをどう思っている、ってちょっと自意識過剰な感じじゃない? 恥ずかしー。でも好きだからいっか」

「……両極端すぎやしないか?」


 お酒のお代わりをしようとするも、もう片方の手も彼に捕まってしまった。お酒はもう少し飲みたいけれど、彼と手を繋いでいる方がずっといい。

 どうしようもなく楽しい気分なのはお酒のせいではなくて、パトリックと一緒にいるからに違いない。


 お互いの顔を見つめ合いながら時を過ごす。沈黙は苦にならなかった。



「そろそろ帰ろうか」


 上へ上へと昇る満月が遂に天頂へと到達した頃、パトリックが立ち上がって言う。

 私も椅子から降りて……あれ? 地面が揺れている。思わずふらついてしまうも彼が支えてくれた。どうにも歩くのが億劫だ。


「抱っこ」


 パトリックは無言で私を抱えてくれた。私は彼の首に手を回してしがみ付く。

 顔の距離が今日で一番近くなる。ならばやることは一つ。


「こっち向いて」

「どうした?」


 私を見下ろす彼の顔に狙いを定めて……。

 その後のパトリックの反応は分からない。私は腕の中で眠ってしまったのだ。


       ◆ ◆ ◆


 ふと目が覚めて天井が視界に入ってくる。痛む頭を抑えながら起き上がると、そこは私の部屋だった。


「……夢か」


 過激な夢を見てしまった。彼に想いをそのまま告げて、最後は自分から……。あんな非現実的なことが起こるはずない。

 それでも、夢での私はすごいと思う。心の中で幾ら想っても伝わることはないのに。夢の中で宣言したように、パトリックに好きだと直接言えたらいいな。


 そのとき、扉がノックされて彼の声が聞こえる。


「ユミエラ、起きてるか? 入っていいか?」

「大丈夫! 入ってきて」


 水差しとコップが載ったお盆を持って、パトリックが部屋に入ってくる。夢の出来事を思い出して赤面してしまいそうだ。

 彼は水を差し出しながら言う。


「昨日のことは覚えているか?」

「……昨日? 何の話?」

「いや、記憶がないならいい」


 あれ? 夢だけど夢じゃなかった?

 咄嗟に覚えていないと言ってしまった私は、それとなく探りを入れる。


「昨日って何してたっけ?」

「二人で酒を飲んだんだ、本当に覚えてないのか?」


 完全に夢じゃなかった。まじかよ。思わず着ている服を見下ろせば、昨日と変わっていなかった。脱がせるチャンスだろ! とか考えている場合ではない。

 私は思わず嘘をつく。覚えていないふりを続ける。


「うーん、そうだったような? 私、酔って暴れたりしなかった?」

「……一口飲んだだけで倒れるように眠りだしてな、これから酒は控えたほうがいい」


 パトリックの嘘つき。

 彼の嘘が優しい嘘だとしたら、私の嘘は何の嘘だろう。逃げの嘘とか? 想いを言葉にしようって、さっき決意したばかりなのに。


「分かった、お酒は飲まないようにするね」

「ああ、そうするといい。まだ本調子じゃないかもしれないから、もう少し横になってろ」


 嘘に騙されたのか騙されてくれたのか、パトリックはそのまま部屋を出ようとする。

 私はベッドから降りて、彼の後を追う。部屋を出て扉を閉めようとしていたパトリックは私に気がついて、手を止めた。


 そして半開きから、また開き出す扉、私はそれを思い切り閉める。


「待って!」

「どっちだ!」


 扉越しに会話する。目を見て直接は無理でも、木の板を一枚隔てているだけで、出来る気がする。

 決して扉が開かないように、ドアノブをギュッと握りしめて言う。


「好きだよ」

「……俺もだ」


 彼が遠ざかっていく音が、扉の向こうから聞こえる。

 言えた。ついに言えた。非常に婉曲的に伝えることはあったけれど、直接言葉に出して「好き」を言えたのは初めてかもしれない。


「この扉が無くても言えるようにならなきゃ、扉を壊さなきゃ」


 自分に言い聞かせるように呟くと、バキッという音が響いた。

 手元を見ると、握りしめていたドアノブが壊れている。壊すって、そういう意味じゃないんだけどなあ。

恋愛小説みたいだ。


書籍版の方、ご購入いただきありがとうございます!

これからもよろしくお願いします!

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 赤麹のアカ ・・・ ? [一言] 書籍やアニメからweb版に来た人は アリシア達の扱いに、絶句するんだろうなぁ 〜 ・・・
[良い点] 甘酸っぺぇ・・・(尊死) ユミエラ酒に弱かったんだな。 表情筋が死んでるはずなのに緩みっぱなしなのが容易に妄想出来ましたw ぜひとも2期を!やるんだったら当然このエピソード入れて欲しいです…
[良い点] こういうので良いんだよこういうので!
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