14 ヒルローズ公爵
ロナルドさんがエレノーラの兄、つまりはヒルローズ公爵の息子だと判明した翌日、私は王城に一人で来ていた。
迎えの馬車から降りた私は久しぶりの王城を見上げてため息をつく。まあ、仕方ない。王妃様とちょっと喋って帰るだけ、そう考えれば何も辛いことは無い。
城の上階、前にも来たことがあるこぢんまりとした部屋に案内される。ここは煌びやかな王城の中でも落ち着いた雰囲気なので結構好きだ。
部屋の中では王妃様が一人、ティーセットを前に待ち構えていた。
「あらユミエラさん、お久しぶりですね」
「お久しぶりです、王妃陛下」
「そんなに畏まらないで? 紅茶、飲むでしょう?」
王妃様は手ずから紅茶を淹れてくださり、私はさらに恐縮してしまう。彼女の所作は、紅茶を淹れていても高貴さを醸し出す。
私も前に、リタから紅茶の淹れ方を習ったことがある。そのときに「茶葉があまりに可哀想」と言われて以来、紅茶道からは足を洗った。
「お味はどう? お口に合うかしら?」
「はい、とても美味しいです」
毒入りの紅茶を普通に飲んでいた前科がある私の舌は、とても信用できない。でも美味しいに違いない、なぜなら王妃様の心が籠もっているから。よし、いいこと言った。
私の残念な味覚に気がついているのかは分からないが、彼女はクスクスと子供のように笑ってから口を開く。
「アッシュバトンまで行っていたのでしょう? 彼の実家はどうだったかしら」
「あ、そのことでご報告が。お陰さまで私とパトリックは正式に婚約者となりました」
「それは良かったわ、式の予定は決まっているの?」
どうして誰も彼も結婚式を挙げたがるのか。みんなそんなにケーキが食べたいのか? アレってそれだけを楽しみにするイベントじゃん。
もちろん式の日時は未定だ。開催するか否かも未だに決まっていない。なぜか、パトリックは無駄にやる気になっているけれど。
「まだ決まっていません。王都も国境沿いも騒がしいようですので、様子見です」
「ああ、レムレスト王国ね。もう王都まで伝わってきていますよ。ユミエラさんが撃退したみたいね。王妃として、ドルクネス伯爵の尽力に感謝します」
「いえ、私は何もしていませんので。感謝は辺境伯にお願いします」
隣国との小競り合いがあってから一週間は経っている。既に陛下や王妃様の耳に入っていてもおかしくはない。
国家同士の戦争が起こるかもしれないのに、王妃様はどこか落ち着いた様子だ。
「今朝、レムレスト中央の情報が入ってきました。王位争いが加熱して、もう出兵どころではないみたいですよ」
「それは……良かったと言っていいのでしょうか?」
「我が国にとっては良い知らせですね。まあ、うちもうちで揉め事が無い訳ではありません」
取り敢えず、隣国レムレストの危険度は下がったようだ。だが、もし何かあったらすぐに向かうつもりだ。国の危機だからとかではなく、パトリックの実家のために。
王妃様がこの国の問題、第二王子派について言及したので、私も例の件に触れる。
「エレノーラ様はしばらく殿下から距離を置くようですから、第二王子派も少しは落ち着くと思いますよ」
「それは良かったです。エレノーラさんね、あの子はいい子なのだけれど……」
王妃様が言葉を濁すとは、エレノーラは過去に何をやらかしたのか。
ついでに公爵についても聞こう。今になって考えると、彼女に過激派には気をつけろと言われたことはあるが、公爵に気をつけろとは言われたことがない。
「エレノーラ様は、エドウィン殿下に近づくのは父も反対していると言っていました。ヒルローズ公爵は何を考えているのでしょうか?」
「……ユミエラさんはロナルドのことも聞いたのですよね?」
「はい、知っています」
流石に王妃様はロナルドさんの正体を知っているか。昨日のことを既に把握していることには少し驚いたけれど。
彼女はゆっくりと、言葉を吟味するように口を開いた。
「ユミエラさんがヒルローズ公爵を警戒する必要はありません。もちろん距離を取ることをお勧めします。彼は多分、近い内に騒動を起こしますから」
「騒動ですか?」
「はい、私も陛下も止めたいのですけれど彼はきっと止まらないでしょう。昔からそういう方でした、未来予想も当たりましたし」
公爵の未来予想という言葉がまた出てきた。王妃様の口ぶりから、予想はたった今にでも的中するらしい。
一人息子を引き離す理由、近々に騒動を起こす理由、それはどちらも未来予想とやらが関係しているはずだ。
「未来予想とは何ですか? ヒルローズ公爵は一体何を予想していたのですか?」
「……魔王が復活することはヒルローズ家にも伝わっていました。その前後に起こる、国内の動乱について、彼は予想していたのです」
魔王、彼の名前がここで出るとは思わなかった。公爵家は初代国王の弟が興した家だったはずだ。彼の復活を知っていたことも納得だ。
魔王復活前後の動乱、既に彼は死んでいるので復活後と思って良いだろう。
そうか、第二王子派が台頭した理由は、魔王を倒したエドウィン王子こそが次期国王に相応しいというものだった。まさに魔王討伐後の動乱だ。
それを予見して……あれ? じゃあ公爵こそが第二王子派になって、エドウィン王子とエレノーラの結婚を進めないとおかしくないか?
私が不思議に思っていると王妃様は続ける。
「彼には彼の考えがありますから。ユミエラさんはあまり気にしないで、断言はできませんが火の粉がかかることはありませんから」
「……分かりました」
すごい気になるが、私が首を突っ込んでも面倒なことになるに決まっている。私に被害が無いのなら、大人しくしているのが吉だ。
その後は領地の様子やアッシュバトン領に行ったときのことについて話し、王妃様とのお茶会は終わった。
彼女と別れた私は王城の中を歩いている。王城は面倒な貴族とのエンカウント率が高いので、すぐに出たい。
やはり厄除けのためにも、帰りの案内を付けて貰った方が良かっただろうか。でもセットで馬車が付いてくるからなあ。迎えが来たので行きではしょうがなく乗ったが、馬車はあまり好きではない。乗り心地が悪いし、何より走ったほうが速い。
窓から脱出すれば、誰とも会わずに済むだろうか。いや、窓からの出入りは最近になって禁止されたばかりだった。ここは目撃者が多いので、パトリックにバレる確率が高い。
普通に出るか、会いたくない人に会う確率などそんなに高いものではない……などと思っていた時期が私にもありました。
私は王城の廊下で、ヒルローズ公爵と鉢合わせた。彼は平然と私に声をかける。
「おや、ドルクネス伯爵か。一年前の式典以来だな」
「……その節はありがとうございました」
「私は何もしていないとも、魔王を討伐したのは伯爵だ。伯爵を称える式典だったはずだが?」
ヒルローズ公爵は老いこそ感じさせないものの、どこか暗い雰囲気を放っている。人を見下したような表情を浮かべていて、とても良い人とは思えない。
警戒の必要はないと言われたものの、あまり近づかない方が良いとも助言されている。しかも、近い内に騒動を起こすらしい。
「式典の主役はエドウィン殿下だったはずですよ?」
本当は早々にこの場を立ち去るべきなのだろうが、第二王子派のことについて探りを入れてしまった。
彼はクツクツと笑いながら答える。
「真っ当な感覚を持ち合わせ、最低限の知性があるのならば、あの王子が魔王討伐の立役者だとは思うまい」
「……殿下は国内でも有数の実力者ですよ?」
「ふ、世界一の実力者に認められるとは、あの王子も幸せ者だな」
公爵は心底面白そうに笑う。
魔王討伐の実情について予想されているのは想定内だ。彼の言うように、事情通なら簡単に分かることだと思う。
有用な情報は手に入らなかったが、この場は立ち去るべきだろう。私は公爵の脇を通り抜けようとする。
「そうですか、では私は失礼しますね」
「待て。一つだ、一つ質問がある」
振り払って立ち去ることも出来る。だが特に何をされたわけでもないので、私は素直に立ち止まった。
「何ですか? 公爵様の派閥につく気はありませんよ?」
「あんな愚か者どもの仲間になる必要はない。私が聞きたいのは、この国が好きか否か、それだけだ」
自分の派閥の人たちを愚か者と切り捨ててしまって良いのか? それで肝心の質問は、この国が好きか。愛国心の無さそうな人に、愛国心について聞かれた。
正直に言って、そんなモノは欠片も持ち合わせていないが、無難に答えることにする。
「私もバルシャイン王国貴族の一員ですから、当然ながら王家への忠誠を誓っています」
「違う、違うな。その発言の真偽はともかく、意味が違う。私が聞きたいのは国を、領土を、国民を、愛しているかということだ。王家など、甘ったれの王などどうでも良い」
やっぱヤバイ人だ。王政が敷かれる国の、王の居城で、王を甘ったれ呼ばわりって。
誰かに聞かれていないか怖くなって、周囲を見回してしまう。どうして公爵ではなく私の方がビビっているのか。
国が好きか、国民が好きか、貴族なら好きであるべきなのだろう。だがイマイチ、愛国心と形容するであろう感情が理解できない。
早く帰るために質問には早々に答えるべきなのに、言葉が出てこなかった。私は国が好きとは言い難い。しかし、我が身のために貴族でいるわけではない。
答えに窮した私に見かねたのか、公爵は質問を変える。
「……では言い直そう、眼の前に飢えに苦しむ村があったとする。そのとき、君はどうするかね?」
「何も無い所から食べ物を作ることはできませんので――」
「違う、行動指針を聞いている。何を目指して行動を起こすかだ」
「それはもちろん、食糧不足を解消するために手を考えます」
何を当たり前のことを。私だってそれくらいの良心は持ち合わせている。
すると彼は意地悪そうに口を歪めて言う。
「そうか……今も世界の何処かには、飢えに苦しむ人間がいるはずだ。彼らのために行動は起こさないのか?」
「世界中は無理です。私の手の届く範囲でやります」
私は神様ではないので、世界中の不幸な人を救うなんてやってられない。取り敢えずは私の近く、自領や王国のために力を使う。
意図の分からない質問をする公爵は、さらに意地の悪そうな笑みを深くする。
「素晴らしい、その歳で身の程を理解しているか。甘ったれとはまるで違う。そのまま精進してくれたまえ」
「はあ、じゃあ私は行きますので」
ヒルローズ公爵は本当に機嫌が良さそうにニタニタと笑う。不気味に笑う彼、人受けの良い笑みを貼り付けたロナルドさん、感情がそのまま表に出るエレノーラ、家族でこうも違うなんて。
彼は意味が分からないことしか言わないし、もう付き合っていられない。私は今度こそ帰るべく、公爵の隣をすり抜けた。
数歩歩いたところで、またしても引き止められる。私は顔だけ振り返って対応した。
「待て」
「今度は何ですか?」
「エレノーラと仲良くしてやってくれ」
そう言った公爵の微笑みは先程とはまるで違う、まるで優しいお父さんのようなものだった。
私が答える間もなく、彼の方が立ち去ってしまい一人取り残されてしまった。





