12 病の功罪
領地改革についてパトリックと話し合った後、私はまたゴロゴロタイムへと突入した。ベッドから追い出した彼は椅子に座って本を読んでいる。我が聖域であるベッドは死守せねばならん。
パトリックはふと本から目を上げて言う。
「暇ならどこかに出かけるか?」
「天気もいいしね」
私は立ち上がって窓際まで移動する。王都の上には、雲ひとつ無い空が広がっていた。
青一色の天に一点、黒い影が現れる。この屋敷から飛び出したその影は、みるみるうちに小さくなっていく。
「あ、リューもお出かけだ」
放任主義が過ぎるかもしれないけれど、私はリューが普段どこへ行っているのか分かっていない。学園にいた頃も、授業中はどこかへと一人で飛んで行っていた。
ここ数日はあまりリューに構えていないこともあり、愛する我が子がどこへ向かうのかが気になってしかたない。
私は窓を開け放ち、外に身を乗り出す。
「私、リューの後を追いかけてくる。じゃあ行くね」
「だから窓から出入りするなと……夜までには帰ってこいよ!」
「分かった!」
パトリックの声を背中で聞きながら、窓枠に足を掛けて屋根へと飛び上がる。
リューはゆったりと飛んでいるが、すでに相当離れた空にいた。このまま地面に降りて、道沿いに追いかけたら見失ってしまいそうだ。
これは私も空を飛ぶしかないだろう。
私は屋根の頂点まで後ずさりして、助走をつけて駆け下り、隣家の屋根へと飛んだ。
隣家の屋根に着地し、また走って隣の屋敷へ。
屋根から屋根へと飛び移りながらリューの後姿を追いかける。
「あ、これ楽しい」
そうか、屋根を飛べば良かったのか。どうして今まで気が付かなかったのだろうか。
私に翼は生えていない。魔力を放出しての空中機動も、姿勢や勢いを変えるくらいで、空中へと飛び立つことはできない。
建物が乱立している場所でしかできないので、これは王都唯一の良いところかもしれない。
王都の空を跳びながら、リューの後を追いかける。
しかし、脆そうな建物は避けているので直線での追跡ができない。迂回を繰り返すうちに、空飛ぶ黒い影を見失ってしまった。
「まあ、大体の方向は分かったし」
距離が離れて見えなくなったわけではない。リューは王都の内部、外にでていても城壁のすぐ近くに降りたはずだ。
大体のあたりを付けて、王都の外周部へと向かう。
私がリューを発見したのは、王都をグルリと囲う城壁の外だった。四箇所ある門には衛兵が配置されているが馬車の積荷が調べられるくらいで、人は自由に出入りすることができる。
つまりは、有事以外は城壁に意味などないということで、大荷物が無い限り人の出入りは管理されないということで……何が言いたいのかというと、城壁をジャンプで飛び越えてもいいよね? という話だ。
家屋の屋根を飛び越えてきた私は城壁の上に着地した。よし、生きている。今の地面はマグマなので、落ちたら死んでいた。もし落ちても縁石や白線があったら助かったかもしれない。
「あれは……フィル君?」
フィル君は前に王都で出会った少年だ。こげ茶色の髪が原因でいじめられているところに出くわした。
城壁を一歩出てすぐの草原には、彼以外にも数人の少年がいた。
彼らは木の棒を振り回し、ワイワイ言いながら遊んでいる。ごっこ遊びか、子供らしくて可愛らしい。
何ごっこだろうか。流石にリューは敵役かな? とても可愛いけれど、あれでもドラゴンだし。そんな我が子は興味深げに少年たちのやり取りを眺めている。
「ぐうう、我が右手に宿りし闇の力が……」
「しっかりしろ、飲み込まれるな!」
……彼らは十歳にも満たない年齢だ。病の発症が早すぎる。眼の前の少年たちが、大人になるまであんな感じで過ごすと思うと、とても見過ごせない。
私は意を決して城壁から飛び降りて彼らに近づく。
初めにリューが、次にフィル君が私の存在に気がついた。彼は驚いた顔で言う。
「あ! ユミエラさん!」
「誰だよ、この姉ちゃん」
フィルを含めて三人の少年の一人が不躾に言った。その不躾な発言にフィル君は慌てて彼の口を塞ぐ。
大丈夫だって、子供に何を言われたって気にならないし怒らない。ふふん、これが大人の余裕だ。
「あ、お貴族様だからそんなことを言ったら――」
「大丈夫よ、いつも通りの言葉遣いで大丈夫」
「それで? 姉ちゃんは何しに来たんだ?」
金髪の少年は警戒の眼差しを私に向ける。私ってそんなに怪しかったり、怖かったり……心当たりが多すぎる。今までそういう勘違いだけで生きてきたし。
どう信用して貰おうかと考えていたところ、彼はさらに言う。
「リューはオレたちの友達だからな! 貴族なんかが連れて行くのは駄目だからな!」
私は今、猛烈に感動している。ああ美しきかな、人と竜との友情。我が子のことをこんなに思ってくれる子が現れるなんて。
当のリューは、顔の前をヒラヒラと舞っている蝶に夢中だ。あ、食べた。
私が直接誤解を解くよりも、フィル君にお願いした方が良いだろう。視線を向けると彼は察してくれたようだ。金髪の少年に説明する。
「あのね、この人はリュー君の……お母さん? だから大丈夫だよ」
「え? あのドラゴン使いの人か!?」
「うん、多分そうだと思う」
「すげえ! 右手に闇の力が封印されてる人だろ?」
少年の訝しげな表情は一変、目を太陽のように輝かせて私を見る。その純粋な眼差しはあまりに眩しく、そして痛々しかった。
気のせいじゃなかった。例の病気は王都に蔓延しつつあるのかもしれない。
「……封印はされてないかな? そのお話、どこで聞いたの?」
「歌の兄さんが広場で話してるのを聞いたんだ。昨日の昨日くらいかな?」
私が例の吟遊詩人に会ったのが二日前、仕事が早すぎる。そして影響されるんじゃない。
金髪の子は子供っぽいから影響を受けやすいのだ、大人びたフィルならきっと大丈夫。
「フィル君も聞いたの?」
「はい! 歌を聞いてユミエラさんのことだってすぐに分かったんです。リュー君も出てきましたし! カッコいいです!」
違うんだ少年たちよ。お話というのは脚色されにされて、原型をほぼ留めていないのだ。情報リテラシー教育が必要かもしれない。
最後の望みはもう一人の少年だ。先程から一言も喋っていない彼は、無口なのか人見知りなのか。きっと二人の友達が恥ずかしいことをしていると理解しているはず。
「君は? お話を聞いてどう思った」
「……ずく」
「え?」
「……我が邪眼がうずく、宿命の時が来た」
一番重症だった。左目を手で抑えてブツブツと何か言っている。二日間でこのレベルになったの? 子供って成長が早いなあ。
彼らの将来のためにも、私が目を覚ます手伝いをしなければいけない。原因の一つである私が否定すれば、この局所的な流行りも収まるだろう。
「私はあまりカッコいいとは思わないな、もうちょっといい感じの何かがあるんじゃない?」
「姉ちゃんも混ざりたいのか?」
違います。
金髪の少年はしょうがねえな、とでも言いたげな様子だ。だから違うって。
待てよ、彼らを否定だけしてもしょうがない。何かしらの代替案を出してこそ、新たな流行を作ってこそ、この惨状が改善できるはずだ。
何か……子供向けな、子供向けな……。戦隊モノとか? あまり知らないんだよなあ。そっち方面で頑張ってみるか。
私はフィギュアスケートのジャンプのように、回転しながら高く飛び上がり、片足だけで着地する。四回転アクセル、右手は顔の前でピース。
「魔法少女、ユミエラ参上!」
……あ、死にたい。誰か私を殺してください。参上じゃなくて惨状じゃないか。
三人の少年は私の醜態を見て凍りつく。リューも、何やってるの? と少し不審そうに私を見ている。
地獄の沈黙の後、フィルがおずおずと口を開く。
「今までの僕たちって、周りからは今のユミエラさんみたいに見えてましたか?」
「うん、方向性は違うけど」
「……もう辞めます」
どちらも「イタイ」が別な痛さだと思う。どちらの方がより痛いかについては、お互いの傷を抉るだけなのでやめておこう。
かくして、彼らの中二病は完治した。
私はリューの体に登って遊ぶ少年たちを離れた場所から眺めていた。地べたに座って、膝を抱えながらため息をつく。
日曜日の朝みたいなことをしたら、月曜日の朝のような気分になってしまった。
「あの、大丈夫ですか?」
横からかけられた声の主はフィル君だった。本当に優しい子だな、こげ茶色の髪が原因でいじめられた過去があるのに、真っ直ぐに育ってくれて嬉しい。
「うん、大丈夫。それより良かったね、お友達ができて」
「はい!」
「いつくらいから仲良くなったの?」
「一昨日です」
一昨日!? 彼らは昔からの親友のようだったはずなのに……子供は仲良くなるのも早いのか、彼らのコミュニケーション能力が高いのか。
事情が気になったので尋ねると、彼は一昨日の出来事を話してくれた。
「二日前に広場でユミエラさんが主人公の歌を聞いて、その後に黒っぽい髪がカッコいいなって二人が声を掛けてくれて……だから、僕にリュー君以外の友達ができたのはユミエラさんのお陰なんです」
そうか、例の吟遊詩人が原因だったのか。どれだけ恥ずかしい内容の物語が流布されても、それで誰かが救われるのならば……。
中二病も中々に悪いものではないな、そう思った。
「あれ? でもそれなら、中二……黒がカッコよく思える時期が終わったから」
「それは……」
フィルは不安で顔を曇らせる。
まさか、とんでもなく余計なことをしてしまったのでは? しかし、私の不安はすぐさま解消する。
いつの間にか、二人の少年も私の近くまで来ていた。二人ともリューの尻尾に掴まり、引きずられながら言う。
「そんな訳ないだろ! 俺とフィルはもう友達だもんな、そうだろ!」