11 領地改革案
教会から帰った翌日、私はベッドでゴロゴロとして過ごしていた。どうせ今日もエレノーラが来るのだ。体力を無駄に消費してはいけない。
仰向けに寝転がり天井を見つめながら、空に向かって拳を突き出す。このシャドウボクシングに特に意味はない。本当になんとなくだ。
左左右。私の繰り出すパンチは本当にシュッと音がする。前世で幾度も戦った蛍光灯の紐も、これを受ければひとたまりもないだろう。
「そういう奇行をするから、お前は勘違いされるんだぞ」
「みんなするでしょ?」
会話もなく、ぼうとしていたから忘れていた。この部屋にはパトリックがいたのだった。彼はベッドの端に腰掛けて、私のパンチを見ている。
何だコイツ、乙女のベッドに平気な顔で入ってくるとかありえない。私は年頃の繊細な少女なのだ。そういうことはすごい気にする。
しかしパトリックは平静そのものだ。私、もしかして意識されてない?
いやいや、彼もなんやかんやで男なのだ。今も虎視眈々と私を狙う狼で……あれ、あくびした。リラックスしてます。
これは私の魅力を総動員して彼を誘惑する場面ですね。不意打ちは基本だ、食らうほうが悪い。
「ねえパトリック、私、酔っちゃったみたい」
「……何に?」
「……船、な訳ないからお酒じゃない?」
「飲んだのか?」
「飲んでないけど」
……おかしい。胸のドキドキに耐えられなくなったパトリックが、そのまま裸足で逃げ出す予定だったのに。何が悪かったのだろうか。
天井を見上げて己の敗因を考えていると、すぐ近くから声がする。
「今度は何を考えているんだ?」
ふと顔を横に向けると、眼前にパトリックの顔があった。彼は私と並ぶように横になっていた。添い寝というやつだ。
「うわあっ」
私は情けない声を漏らしながら、反射的にパトリックから離れた。転がりながら逃げた先に柔らかいマットレスは不在だ。ベッドから床に転がり落ちてしまう。
不意打ちとは卑怯な。裸足で逃げ出すのは私の方だったか。
「大丈夫か?」
「……大丈夫」
「そんなに驚かなくても」
「別に驚いてないけど? 何となく……何となく、転がりたくなっただけ」
私は何事も無かった風を装って立ち上がる。そう、何となく転がりたくなっただけだ。私の前世はパンジャンドラムだった。
すまし顔の私を、パトリックは心底呆れた顔で見る。
恥ずかしいので話を逸らそう。真面目な顔に切り替え、一転して真面目な話をする。
「パトリック、今は領地改革をどうするかの話でしょ?」
「……そんな話はしていない」
「あなたは領地が、領民が、ドルクネス家が、どうでもいいって言うの?」
「そうは言って……はあ、分かった分かった領地改革の話だったな」
パトリックは困ったように笑って言う。
よし、ごく自然な流れで真面目な話に逸すことができた。私は弁論の才能があるかもしれない。ただ、何故か、彼の優しい視線が痛かった。
「それで? ユミエラに何か考えはあるのか?」
あるわけないじゃん、咄嗟に出てきただけの話なのだから……などと言ったら流石に怒られると思うので、必死になって考える。
しかし、思いつかない。散々デイモンと話し合っても策は出なかったのだ。ここで天啓的に一発大逆転のアイディアは出てこない。
領地経営で絶対に上手くいく方法なんてそうそう無いのだ。そんなモノが存在したら国中の領主は困らない。ドルクネス領はこれといった特産も無いわけだし。
ああ、誰かのアドバイスが欲しい。どこかに地方の領地経営について詳しい人はいないかな。
「そうだ、アッシュバトン領はどうなの? 何か特別なことはしてる?」
「うちか? 特には何もしてないな。特産と呼べる物も無いしな」
「え? それで大丈夫なの?」
「ドルクネス領とは事情が違うからな。国境防衛のための支援金も中央から届くし、何より領の規模が違う」
なるほど、隣国と接している辺境伯領とでは役割自体が違うのか。アッシュバトンが国土の防衛を最優先にするなら、ドルクネスは……なんだろう? 領の繁栄とかかな? 領地が栄えて領民が豊かになれば税収も上がるし。
そして、規模が違うというのは領の面積の問題だろう。もっと正確に言えば居住可能な農耕地の面積だ。農業以外に産業の無い我が領では、畑の広さが人口に直結する。
要するに手付かずの豊かな土地があれば、食料の生産量も、人も、税収も増えるということで……。
そう考えたところで、冴えたやり方が思い浮かんだ。今のところはたった一つの。
「あ! 領を大きくしちゃえばいいんだ」
「……侵略戦争は駄目だぞ」
「違うってば!」
どうしてそんな物騒な方向に考えるのか。大きくするのは領地の面積ではなく、農耕地の面積だ。
私は平和的で生産的な案を披露する。それと多分、現実的だと思う。私ならできるはずだ。
「農耕地を増やすの。そしたら人口も増えて税収も増えるでしょ? みんな幸せ」
「ああ農地の開拓か、どこでもやっていると思うぞ」
「でもそんなに成果は上がっていないでしょ?」
「それはまあ……王国全体で見れば人口も食糧生産量も微増傾向だが、そこまで劇的な変化はしていない」
それは想定通りだ。王国ができて数百年、人類規模なら数千年はこの土地で農耕をしてきた歴史がある。農業向きの土地なんて粗方、耕し終えた頃合いだろう。
残っているのは不毛の土地や山岳地帯、それと魔物が出没する土地、とても人が住める環境ではない。それらを整えるのに、時間とお金を幾ら投資してもリターンは望めない。
だが一瞬で地形を変えることができれば? 私はそれができる。
「私パワーで、領地を真っ平らにするの! 山は消す、川は掘る、魔物は全滅させる!」
一分の隙も無い完璧な理論だ。このテーマで論文を書いたら一躍、学会の時の人かもしれない。
それに整地は得意なのだ。私の腕力と魔法を持ってすれば、ダイナマイトもピッケルも必要ない。
パトリックは引きつった顔で言う。
「おい、本気か? 冗談だよな?」
「ちょっとオーバーに言ったけれど、概要はそんな感じ」
流石に、領地をフルフラットにするは言いすぎだった。それで環境がめちゃくちゃになることくらいは分かる。高低差が無ければ川は流れないし、川の水量も有限だ。魔物だって場所によっては幾ら狩っても次々に湧いてくる。
ただ場所を選定すれば、手間やら予算やらの関係で手付かずの場所を見つければ、そこは有用な穀倉地帯となるだろう。
だがパトリックは渋い顔をしたまま言う。
「そんなことをする予算が無い。ユミエラがいれば開拓自体は上手くいくだろう。だがそれ以外にも村の設備や畑の整備で、金が幾らあっても足りない。新しい村の収穫が安定するまでの支援も必要だ」
「お金なら心配しないで」
別に私は税収が欲しくて新規事業の立ち上げをしている訳ではない。むしろ私が領主になってから税率は下がっている。
私の目的は領地全体を富ませること。そのために必要な出費なら糸目を付けずに出す所存だ。
「いやいや、金は大事だぞ。ユミエラなら他所からいくらでも借金できるだろうが――」
「借金なんてしないって。聞いてパトリック、お金っていうのはね……ダンジョンに潜れば無限に手に入るの」
「……否定できないのが悔しい」
レベルがカンストした私にとって、ダンジョンは金を産む工場だ。ダンジョンには教会にあった結界魔道具のような貴重なアイテムが眠っている。理屈は不明だが宝箱も入るたびに再配置されている。
もちろん国や世界の資本は有限なので、いつか限界は来るだろう。だが当面はダンジョン資金で領地のやり繰りはできる。
「ね? 問題ないでしょ?」
「ユミエラらしいと言えばらしいが……」
彼の言う通りだと思う。色々考えた末に結局は力技で解決、それだけで今までを乗り切ってきた。知恵を絞るのは弱者のすること、強者は知恵を使わずとも通用するのだ。ふはは。
私が悦に浸っていると、パトリックは何かを思いついたようだ。
「人はどうするんだ? 新規の村を開拓するにしても、そこの村民を集わねばならない」
「……あ」
土地は私が確保する、金も私が用意する、ただし人だけは用意できない。
やはり穴だらけの頭の悪い考えだったか。が、私は諦めが悪いので何とかできないものかと思案する。
「うーん、他所の村から移民を募集するとか?」
「そこまで人が余っている訳ではないだろ。別々の村からの寄せ集めが原因で村が分裂したという話も聞く」
安住の地を求めて彷徨う流浪の民とかいないかな。約束の地は我が領にある。
「じゃあ他の領から人を連れてくるのは? 土地が足りない所だってあるはずでしょ?」
「探せばあると思う。ただ、そこの領主にいい顔はされない。ユミエラなら直接文句は言われないだろうが――」
「それはちょっと……半分、脅しみたいになるから」
人を物みたいに言いたくはないけれど、領主にとって領地はもちろん領民も財産だ。それを勝手に持っていけば悪く思われるのは当然。私の武力を背景に強行するようなことはしたくない。
「難しいね。じゃあ今できるのは、今ある村を広げるくらいかな」
「そうだな、今現在の村々が飽和状態ではないのだから、それで十分な成果は出ると思う」
結論、やることは大して変わらなかった。いまある村の周囲を整備して拡張する方向で話はまとまった。
世界を真っ平らにするのはまだまだ先になりそうだ。
活動報告で書影 (カバーイラスト)を公開しました。