09 光の神の教会
「ユミエラ、今日の予定はあるか?」
「特に無いかな、もう領地に帰らない?」
朝食の席で私とパトリックは今日の予定について話し合っていた。王都にいても良いことなど一つもないので、さっさと帰りたい。
「そろそろ王城から使者が来ると思うぞ。王城に顔を見せに行くのは必要だろう、本来はこちらから働きかけなければいけないところだ」
「陛下はご多忙だから、たかが地方貴族の一人に用事なんて無いって」
王城に出向いて国王様か王妃様に挨拶しなければとは考えていたが、できれば行きたくない。私が王都にいることは伝わっているだろうし、向こうからコンタクトがない限り私は動かない。
パトリックは呆れた声色で言う。
「たかが地方貴族の一人は単独で軍隊を追い払ったりしない」
「勝手に逃げただけでしょ? あと私だけじゃなくてパトリックとリューもいたし」
「まあ、視覚的にリューが一番の活躍かもしれないな」
「視覚的に? 可愛くて戦意を失ったってこと?」
リューの可愛さを見れば誰もが平和を愛する心になれるだろう。だがおかしい、隣国の軍は私たちを怖がって撤退したのだ。やはり私が原因なのか? リューが怖いはずないし。
一瞬だけ固まったパトリックはため息をついて言う。
「ああ、リューが可愛い所もあるというのは俺も分かっている」
「可愛い所しかなくない?」
「……それより王城に行くか行かないかだ。今日あたりに使者が来るだろうから諦めろ」
「そういうこと言うと本当に来るから辞めてよ」
絶対に来ると思うから来るのだ。私は王城からの使者が来ないことを全力で祈る。
すると、慌てたリタがノックも無しに部屋に入ってきた。相当、急ぎのようだ。
「お客様がお見えです」
「はあ、王城からのお客さん?」
「いえ、そうではなくて――」
よっしゃ、もう駄目かと思ったけど私の祈りは通じた。神様ありがとう。
それで一体誰が来たのだろうか? 私はリタに尋ねようとしたが、例のお客さんは勝手にダイニングに入ってきた。扉が勢い良く開け放たれる。
「遊びにきましたわ! 早い時間ならユミエラさんもいると思いましたの! 流石わたくし、大当たりですわ!」
エレノーラ・ヒルローズ、彼女の存在をすっかり失念していた。これなら王城に行くほうがマシかもしれない。
よしパトリック、追い返してくれ。助けを求めて視線を送ると、彼はエレノーラに言った。
「エレノーラ嬢、今日はユミエラと二人で出かける約束をしていたんだ。遠慮してもらえると――」
「え! ユミエラさんデートでしたの! だったら言ってくだされば良かったのに」
言うタイミングがあったのなら教えてください。まあいいか、厄介なお嬢様を撃退できた。やはりパトリックは頼りになる。
「エレノーラ様、そういうことですので是非またの機会に」
「もちろん恋の邪魔なんてしませんわ! それでお二人はどこに行きますの? あの、一応参考までに……」
エレノーラは顔を赤らめて言う。普段から王子と結婚すると言って憚らないのに、デートで赤面するなんて。こっちも恥ずかしくなってきた。
行く場所なんて決めていないので、適当に答える。
「ええっと……王都を適当にブラブラと」
「お二人でお散歩? 馬車もいいですけれど、二人で歩くのもいいですわね。教会のある辺りは閑静で素敵ですわ」
「教会、ですか? 行ったことないですね」
「え?」
エレノーラに本気で驚かれた。そう言えば教会って一度も行ったことがない。ドルクネスの街にも小さい教会があったはずだが、もちろん赴いていない。
この国で信仰が盛んなのはサノン教という光の神を崇める宗教だ。一応その他にも、水や火などの四大属性の神を崇拝する土着の宗教もある。
厳格な一神教というわけではないので、別に不信心でも問題は――
「一度も教会に行ったことがないなんてありえませんわ……」
エレノーラは口を手で覆って言う。そこまでショックを受けなくても……。
私と同様にパトリックも信仰に篤くはないはずだ。彼の方を見ると、エレノーラと同じく愕然とした表情をしていた。
「まさか、ユミエラは一度も教会に行ったことがないのか?」
「え、うん。まずかった?」
「駄目な理由は無いが、それはあまりにも……」
いや、行く機会が無いじゃん。教会に行って何をするの? お祈り? あいにく私は神様にお祈りをしたことが……さっきしてたな。神様、ごめん。
そこまでドン引きされるとは思っていなかったので弁明をする。
「いやあのね、小さい頃に行く機会も無かったし、一緒に行く人もいなかったし」
あ、自分で言ってて悲しくなってきた。
パトリックは私の右手を両手で握った。エレノーラも私の左手を握って言った。
「わたくしが一緒に行ってあげますわ!」
「ああ、三人で行こう」
みんなに気を使って貰って、私は幸せ者だなあ。ただ光の神様の教会には行きたくないなあ。
◆ ◆ ◆
私たち三人はエレノーラが乗ってきた馬車で移動していた。私は出そうになったため息を、二人に気付かれないように押し殺す。
サノン教、光の神の教会、嫌な予感しかしない。光属性に嫌われることに関しては自信がある。光属性は私の弱点であり鬼門なのだ。
「私、大丈夫かな? 浄化されて消えたりしないかな」
「安心していいですわよ。光があったら闇が……あれ? まあ、そんな感じのことを大神官様が仰っていましたから」
何を言おうとしているのかが全然分からない。というか大神官? 彼女はそんなに偉そうな人と知り合いなのか。
「エレノーラ様は教会には良く行かれるのですか?」
「毎週欠かさず行っていますわ。もう皆さんと顔見知りですの」
エレノーラが信心篤い人だったというのは意外だ。パトリックはどうなのだろうかと顔を向けると彼は言った。
「王都の教会には一度行ったきりだな。領地の方では良く行っていたんだが」
「どうして行かなくなったの?」
「王都の方はサノン教の総本山だけあって煌びやかでな……貴族以外は通いづらい雰囲気が苦手だ」
今からそこに行くんですよね? 何だかお腹が痛くなってきた。
エレノーラが窓の外を見て言う。
「そろそろ着きますわよ。パトリックさんはそう言うけれど、教会は誰でも自由に入れますわ」
私も馬車の小窓から外を伺う。そこにあった荘厳な建築物は小窓に収まりきらないほどに巨大だ。ああ、遠くから見たことがある。あれが教会だったのか。
あれに庶民が入るというのは無理だな。ついでに私も入りたくない。
私たちが馬車を降りると、エレノーラは先頭を切って教会の入り口へと向かう。
「さあ、行きますわよ!」
せめてもの抵抗で出来るだけ遅く歩く。二人が中に入るのを見届けて、私は直帰するのも良いかもしれない。
だがパトリックは私の横をついて歩いていた。やめてくれ、歩みの遅い乙女に合わせてペースを落とすなんて紳士としてどうなんだ? 気遣いのできる男なら、さっさと先に進むべきでは?
「どうしたユミエラ、そんなに嫌か?」
「別に……どうせパトリックは扉も開けてくれるんでしょ?」
「扉くらいならいつでも開けるが……」
彼は椅子を引いてくれるし、ちょっと肌寒いときは上着を掛けてくれる。はあ、パトリックは女心を分かっていない。ただ優しくすれば良いわけではないのだ。好き。
そんな婚約者様と一緒に教会に……あれ? これってもしかして結婚式というヤツなのでは?
まだ違うことをアピールするためにパトリックとは別々に入ったほうが得策だろう。
私は足を速めて教会に――
「痛っ」
「ユミエラ?」
おでこを何かに強打した。不可解なことに結構痛い。不注意で物にぶつかっても、いつもなら物の方が壊れて私は痛くも痒くもないはずなのに。
手を前に突き出すと、見えない壁に阻まれる。
パトリックも私と同じように手を突き出すが、不可視の壁に触れないようだ。不思議そうに手を動かしている。
一向に私たちが来ないので痺れを切らしたエレノーラが戻ってきた。
「もう、いつまでわたくしを待たせますの……ユミエラさんすごいですわ! パントマイムがお上手」
「違います」
エレノーラも壁のある場所に手を伸ばすが、何かに阻まれることはなかった。
私だけが通れない壁、光の神様から拒絶されているのだろうか。いいだろう、その挑戦受けて立つ。
「ユミエラだけが通れない壁か、結界の魔道具か何かが……おい、何をするつもりだ」
「ちょっと殴るだけだから」
これが何かは分からないが、触れるということは実体があるということ、つまりは殴れるということ、もっと言えば壊せるということだ。
この私が、ユミエラ・ドルクネスが、見えない壁ごときに負けるなんてあり得ない。これは私の矜持の問題だ。
右手を固く握りしめて構える。
教会から若い神官が飛び出して叫ぶように言う。
「ま、待ってください! 結界魔道具を止めているところです!」
もう遅い。私は全力で、拳を突き出した。
活動報告にてキャラデザを公開しました。