07 公爵令嬢、襲来
王都のドルクネス邸にエレノーラが襲来した。早すぎる来訪に私はもちろん驚いたし、パトリックも驚いた。だが一番驚いたのはエドウィン王子だろう。
慌てふためく彼を、パトリックが応接室の外へと手引きする。
「まずい、エレノーラ嬢もドラゴンを目撃していたか」
「殿下、ひとまず別の部屋へ。ユミエラ、俺は殿下からもう少し詳しい話を聞かせてもらう。エレノーラ嬢の相手は頼んだぞ」
え、嫌なんだけど。と言う暇もなく、応接室には私一人が取り残されてしまう。
私も逃げようかなと思案していると、部屋の扉が勢い良く開け放たれてエレノーラが現れる。王子とはギリギリ鉢合わせなかったようで、そこだけは安心だ。
「お久しぶりですわ! ユミエラさん、わたくしが来ましたわよ」
「お久しぶりです。いらっしゃることを前もって教えていただければ、もう少しちゃんとした歓待ができたのですがね」
「まあ、そんなにわたくしが来るのが楽しみでしたの?」
「……そうです」
来るなら前もって知らせろと遠回しに言ったのに、彼女には全く通じない。
学園で私が見た限り、エレノーラは終始この調子だ。私の嫌味をわざと無視しているわけではなく、本気で分かっていない。
さっさと追い返そうと思い、私の対面に座った彼女に用件を促す。
「それで、どんなご用件ですか? 突然押しかけるくらいですから、大事なお話があるのですよね?」
「用件? お友達の家に遊びに行くのに理由は必要ありませんわよね?」
「……ですね」
お友達……甘美な響きではあるが、騙されてはいけない。彼女はエレノーラ・ヒルローズ、過激派貴族の親玉である公爵家の娘さんなのだ。
もし仮に、彼女が打算なしに私を好いてくれる善良な人間だったとしても、仲良くするのは控えたい。
うーん、適当にエドウィン王子の話題でも振って、好き放題喋らせて帰ってもらおう。
「最近、エドウィン殿下とはどうなのですか?」
「聞いてくださる!? ……間違えましたわ、聞かせてあげてもよろしいですわよ」
目を輝かせたエレノーラは、急に冷静になって言い直す。上から目線になってるだけじゃん。
反応を見るに、元から王子の話をする気満々だったんだな。
私は感情を一切込めずに言う。
「ぜひ聞きたいです、聞かせてください」
「しょうがありませんわね! 特別ですわよ!」
分かったから、さっさと喋って帰ってください。
エレノーラは声を若干高くして語り始めた。
「どこから話しましょうか? では初めから、わたくしとエドウィン様の出会いは――」
「そこは十回くらい聞きました。最近の話、学園を卒業してからはどうなのですか?」
学園でやり過ごしてきたように彼女の話を聞き流しても良いが、情報収集も兼ねて探りを入れる。王都の現状やヒルローズ公爵の考えが少しでも見えてきたら儲けものだ。
わざわざ詳細を聞かずとも、エレノーラは勝手に詳しい話をしてくれるだろう。
しかし、彼女は表情を曇らせて言い淀む。
「最近……ですの?」
「はい、直近の話です」
話しづらそうにするエレノーラは珍しい。しかも大好きな王子の話でだ。
エレノーラは少し間を置いて、ポツリポツリと語りだした。
「学園を卒業してから、周りの皆さんは今が好機だと言いますの。今ならエドウィン様と恋人になれると、結婚できると。でも、エドウィン様は一年前に好きな人を亡くしていて……そんなときをチャンスだと言うだなんてわたくしは……」
彼女は、過去に泥棒猫とまで言っていたアリシアのことを気にしていて、エドウィン王子がアリシアのことが好きだったと理解していた。
それでも尚、王子のことは好きで。どうかと思いながらもアタックを続けるのは、周りに焚き付けられているからか。
エレノーラの取り巻きたちが聞こえの良い言葉を言って、彼女を誘導している様子は容易に想像できた。
エレノーラは本質的に優しく善良な人間だ。少し……少し? 中々に上から目線なところはあるけれど。
学園で彼女と接してきて、過去にアリシアへのイジメを指示したのは取り巻きに唆されてのことではないかと私は考えていた。それくらいに悪意と無縁であるし、周りの言葉を信じやすい。
「そうですか、ちなみに今が好機だと言っていたのはどなたですか?」
「ええっと……わたくしのお友達全員ですわ」
学園でエレノーラの周りにいたのは全員が過激派貴族の令嬢だった。彼女は過激派の政争に利用されていると考えて問題ないだろう。
その中にはもちろん、彼女の父であるヒルローズ公爵も含まれるだろう。
「ご家族はどうですか? ヒルローズ公爵は何と?」
「お父様はあまりエドウィン様には近づくなと。少し期間を空けるべきだと」
「え? 公爵がですか?」
第二王子に王位を継がせて、王妃をエレノーラとする。その計画の主導者はヒルローズ公爵に違いないと思っていた。しかし彼がなぜ計画に待ったをかけるようなことを?
私と公爵とは魔王討伐後の式典で一度会ったきりだ。彼は簡単な謝辞を述べるのみで、それ以外は何も言わなかった。公爵の人物像は全く掴めていない。
私が考えに耽っているとエレノーラが言う。
「ユミエラさんはどう思いますの? わたくしはエドウィン様に会いに行ってもいいの?」
「……そうですね、ヒルローズ公爵の言うように期間を空けるのが良いのではないかと思います」
「じゃあ、そうしますわ! エドウィン様の前で悲しい顔をしないようにするのは大変でしたの! エドウィン様にご迷惑はおかけしたくありませんもの!」
今までも十分迷惑だったと思うが、彼女は彼女なりに考えているのだなと思った。
しかし、私は腑に落ちない点が一つある。
「決断、早くないですか?」
「ユミエラさんの仰ることなら間違いありませんわ!」
そんなに信用されても困る。というか、そんなに親しくない人の言うことを簡単に聞き入れてしまうから、今のような面倒な状況ができているのだ。
「私の言うことをそんなに信じるのもどうかと思いますがね」
「ユミエラさんは他の方より何と言いますか……本当のことしか言わない感じ? がありますの。自分のことを信用するな、なんて普通は言わないでしょう?」
いや、結構適当なこと言ってますよ。
何はともあれ彼女が王子から距離を取るのは私にとっても都合が良いから黙っていよう。するとエレノーラは続けた。
「それに、ユミエラさんはお兄様と同じ感じがしますの! 一見するとお顔が変わらないようでも、よく見ると表情豊かですのよ」
「私、そんなに表情が変わってます?」
「はい! とっても!」
私は自他ともに認める無表情のはずなのに……。パトリックも私の表情は結構変わると言っていたな。じゃあ彼女はパトリックと同じくらい私のことを良く見ていて……この話はやめよう。
「エレノーラ様のお兄様も表情が変わらないのですね」
「いつもニコニコしていて、怒るときもニコニコ顔ですの」
「そうですか」
常に笑っていると言われて連想するのはロナルド学園長だ。張り付いたような笑みの彼は非常に胡散臭かった。公爵家の跡取りもあんな感じなのか、嫌だなあ。
ただ兄と似ているからという理由で、私のことを信用するのはどうかと思う。話を聞く限りでは胡散臭そうな人だし。
エレノーラは私の両手を強引に取り、握りしめて言う。
「だからこそユミエラさんに、わたくしとエドウィン様の結婚は間違いない、と言っていただけたときは嬉しかったのですわ」
「……ああ、言った気がします」
あれはその場のノリというか、ただのご機嫌取りというか……。そこまで本気にされているとは思わなかった。どうしよう。
その後、彼女はひとしきりエドウィン王子の良い所を話し満足したようだ。
一息ついた彼女は声を潜めて言う。
「それで、ユミエラさんはどうですの?」
「私がですか? どう、とは?」
「パトリック様との仲に決まってますわ」
「つい先日、正式な婚約者になったところです」
声に出して言うのは恥ずかしいが、隠し事ではないので明言する。エレノーラは花のような笑顔になる。
「おめでたい事でございますわ! ああ、本当に良かったですわ!」
「どうも」
「それで、式はいつですの?」
自分のことのように喜ぶエレノーラを見て、学園でずっと避け続けていたことに、今もなるべく遠ざけようとしていることに、少し罪悪感を覚えた。
でもこれから仲良くするかと聞かれると、悩ましいところだ。家柄で人を遠ざけるというのは、私が一番嫌いなことだったのに。
「結婚式は未定です」
「じゃあ、ドレス選びもまだですのね? わたくしも一緒に選びますわ!」
おい、百歩譲って式に参加するのはいいだろう。だが準備段階から関わる気でいるのはおかしくないか?
何だか真面目に考えていたのが馬鹿らしくなってきた。彼女は私がどれだけ拒絶しようとも、気にせず突っ込んでくる気がする。今くらいの距離感が丁度いい。
「ドレスは自分で選びますから。というかドレスってやっぱり必要ですか?」
「当たり前ですわ、ユミエラさんって肝心なところで抜けてますわね」
「なっ!?」
なんと、彼女に抜けていると言われる日が来ようとは。
私だって結婚式にドレスが必要なことくらい知っている。私が言いたかったのは結婚式の必要性についてだ。パトリックも彼女も、式を開く前提で話を進めるのは辞めて欲しい。
「そもそもの話です。結婚式って必要ですか?」
「はあ、ユミエラさんは本当に……。パトリック様が可哀想ですわ。素敵な式を挙げるのは結婚に必要なことの一つですのよ?」
大げさにため息をついたエレノーラは結婚式について熱く語りだす。また長くなるやつだ。
◆ ◆ ◆
「――あ、でもお色直しをすれば何着でも着れますわね!」
「エレノーラ様、そろそろ……」
「あら、話しすぎたかしら? ではまた来ますわね!」
結婚式についてひとしきり演説して満足したのか、エレノーラは素直に帰ってくれた。
また来るのか。では明日は出かけることにしよう。
エレノーラが屋敷を後にして少し、私が脱力してソファに身を預けていると、応接室にパトリックと王子が戻ってきた。私を置いて逃げた裏切り者二人だ。
いつにも増して表情の無い私を見て、パトリックは気遣うように言う。
「すまんユミエラ、疲れたか? エレノーラ嬢は何と?」
「しばらくは殿下へ突撃は控えるって」
エドウィン王子にとっては朗報だろう。代わりにうちに来るので、私は嬉しくも何ともないのだけれど。
エドウィン王子は嬉しさよりも驚きが勝ったようで目を丸くして言う。
「あのエレノーラ嬢が? どんな手を使ったんだ?」
「特に何もしていないですよ。あ、彼女のお兄様ってどんな方ですか? その方と私が似ているみたいです」
「エレノーラ嬢の兄? 彼女は公爵の一人娘ではなかったのか?」
え? エドウィン王子が知らない?
そんな訳はない。同じ王都に住んでいる貴族同士で、しかも王族と公爵家だ。一度も会ったことが無いなんてあり得ないし、ましてや存在すら知らないなんて……。
書籍化の詳細情報(レーベル、発売日など)が発表されました。
詳しくは活動報告をご覧ください。
書き下ろしの紹介もありますので、ぜひ。





