02 アッシュバトン領へ
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パトリックの実家であるアッシュバトン辺境伯領へ行くことになった私だが、そのために準備すべきことがたくさんある。
「訪問日時を伝える手紙を書いて、馬車を手配して、あとはちゃんとしたドレスも必要ね」
「そのままの格好でリューに乗って直接行けばいいだろう?」
「そんな非常識なことできるわけないでしょう!」
「お前が常識を語るのか……」
部屋の中をブツブツと言いながら歩き回る私は、彼に呆れた様子で見られていた。
なぜパトリックはそんなに楽観的でいられるのだろう。ああ、パトリックの父親に「お前にお父さんと呼ばれる筋合いはない!」とでも言われたらどうしよう。
「父には手紙でそのままのユミエラを伝えてあるからな」
「そのままの私?」
「普段の様子や、いつも何をしているかだな。だから取り繕うのはもう手遅れ――」
「そのままね、じゃあ大丈夫……かな?」
多少は変なこともしているだろうが、致命的ではない範疇だろう。彼の両親に愛想を尽かされるレベルではないと思う。
「……そうか」
そのときの彼の形容しがたい表情を、私が忘れることはないだろう。
◆
結局アッシュバトン領へはリューに乗って行くことになった。私があれこれ悩んでいるうちにパトリックが手紙で連絡を取り、帰省の日取りまで決めてしまったのだ。
「ねえ、日にちの相談くらいしてくれてもいいんじゃない?」
「ユミエラは今のままだと、手土産を選ぶのに何年もかけそうな勢いだったからな」
「手土産!」
完全に忘れていた。婚約者の家を訪問するのだから手土産は必須だろう。何が良いのだろうか、お菓子? お酒? いや違う。些細な所作一つ、手土産一つで人柄が判断されるかもしれないのだ。私の全力を出すべきだろう。
「どうした? 突然大声を出して」
「パトリック、私頑張るからね!」
私がやる気を見せると、パトリックは顔を引きつらせた。
「頑張るな。何をしようとしているのかは知らんが、それが間違っていることだけは確かだ。絶対に頑張るな」
彼は揺るぎない確信を持っている様子だ。その自信はどこから来るのだろうか。
「パトリックの家に持っていくお土産を用意するだけよ?」
「何だ土産か……待て、何を選ぶつもりだ?」
土産と聞いて一瞬だけ表情の和らいだパトリックだが、すぐさま表情を硬くした。
何が良いだろうか? 私が貰って嬉しい物、それでいて私が全力を出せる物か。
「何って……ドラゴンの卵とか?」
人間に慣れたドラゴンは野生のドラゴンとつがいになることは無い。リューがお嫁さんを迎えるのは絶望的だったりするのだ。それは可哀相なので、私はドラゴンの卵が欲しい。それには私も全力を出さねばいけないだろう。
「絶対にやめてくれ」
パトリックは迫真の表情でそう言った。ドラゴンの卵はお気に召さなかったらしい。
「じゃあ……」
私が貰って嬉しい物か……レベル上限解放のアイテムとかがあればすごい欲しいが。あとは光属性無効化の防具とかも欲しい。弱点が無くなってまた最強に近づいてしまう。
しかし。パトリックの両親がそれらを貰って喜ぶだろうか……
「もしかして……私の感覚って世間とズレてる?」
「おお! それに自分で気がつくとは! 偉いぞユミエラ!」
とびきりの笑顔になったパトリックは頭を撫でてくれた。えへへ。……じゃなかった、話が脱線しすぎだ。
彼の私に対する認識については後でしっかりと話し合うとして、今はお土産の話だ。
「今はそれどころじゃないでしょ!」
パトリックの手を振り払おうとしたが、手を引っ込められて避けられてしまう。最近は彼のレベルが上がったことで、こうやってあしらわれてしまうことが増えた。誤ってぶっ飛ばしてしまうよりは良いのだが、なんだか悔しくも感じる。
「今は手土産に何を持っていくかを考えなきゃ駄目でしょ。つまらない物が本当につまらなかったらどうするの?」
「そんな物、適当な菓子とかでいいだろ?」
彼は本当にどうでも良いと思っているようだ。私たちの認識の乖離に衝撃を受ける。
「駄目よ、私が非常識な娘って思われて結婚に反対されたらどうするの?」
「もう非常識だと思われてる」
……よし、お土産は適当なお菓子を包んでいこう。
私は良く出来たご令嬢作戦から、評判は悪いけれど実際に会ってみたら意外にいい子だった作戦に切り替えるべきだろう。
◆
パトリックは高い所が苦手だ。何度もリューに乗っているが、一向に慣れる気配がない。リューにはゆっくり緩やかに飛んで貰っているが、彼の表情は優れない。
「そろそろ着くんじゃない? ……大丈夫?」
「ああ……いいか、絶対に急加速やら急降下やらはするなよ」
それはフリだろうか? ああ、本気で睨まれた。やらないって。
「あそこが領主の館のある街ね。あれ? 何か雰囲気が物々しいのだけれど」
アッシュバトン領の中央の街は武装をした人たちが多く見られた。彼らのピリピリとした雰囲気はまるで戦闘を前にしたような……
「あの旗は……緊急時を表す旗だな、しかも最上位の。まさか……レムレストが攻めてきたのか?」
パトリックは街で一番高い建物に掲げられている旗を見て言った。レムレスト? 隣国が攻めてきた?
「私たちの将来がかかっている日になんてことを……」
私は昨日の夜は一睡もできなかったのだ。これで今日、パトリックの両親に会えなかったら、また同じことを繰り返すことになる。私の胃に穴を開ける気か。許さんぞ、レムレスト王国!
「落ち着け、怒る気持ちも分かるが、ここは冷静に……」
彼は故郷が攻められているというのに、何を呑気なことを言っているのだろうか。ここは護国の鬼と成り、国を害するゴミ虫共を焼き払う場面だろうに。
「リュー、全速力! 私もブーストするわ!」
リューは全力で翼をはためかせて加速する。私も後方に向かって魔力を放出することでそれをサポートする。
ある程度スピードが出たら翼の空気抵抗が邪魔になる。リューは翼を後ろに畳み、戦闘機のような形状になった。ここからは私とリューの魔力の噴射だけで加速することになる。
下の景色が目まぐるしく変わる。森の木々があっという間に後方に流れていく。リューは衝撃波を発生させながら進む。これがソニックブームというやつか。
私たちは、音速を超えた。
「パトリック! 敵軍が見えてきたわよ! …………パトリック?」
後ろにいる彼は言葉を発さない。前人未到の速さに感動しているのだろうか? パトリックがスピード狂だとは思わなかった。光の速さを目指したいとか言い出したらどうしよう?
見通しの良い平野で二つの軍が睨み合っている。おそらくあの近くが国境線なのだろう。私たちはどちらの軍にもまだ見つかっていない。
リューは爆音を発しながら飛行しているが、音を置き去りにしているので彼らが音に気がつくのは、私たちが過ぎ去った後だ。
「被害を少なくするには……敵の大将を獲ればいいのかな?」
こういう戦争の定石に詳しそうなパトリックは何も答えてくれない。もう戦場の上空に到達してしまう。早く決断をせねば……。
よし、敵本陣に突っ込もう。……それで、本陣ってどこにあるんだろう?
「ああ、もう間に合わない! リュー、両軍のあいだに急降下!」
リューはガウと吼えて、アッシュバトン辺境伯軍とレムレスト王国軍が睨み合う中央に落ちるように進んでいく。
減速はしていたが相当な速度が出ている。アッシュバトン軍の目の前に着地したリューは、地面を抉りながらレムレスト軍の目の前で停止した。両軍の中央を縦断した形だ。
これは後から聞いた話。レムレストがバルシャイン王国に攻め入った所、空から黒い流星が降り注ぎ、黒き魔王が降臨したらしい。……また魔王扱いですか、そうですか。