26 魔王の真実
「……魔王」
「そうか、今はそう呼ばれているのか」
意味ありげなことを呟いた彼は、ゲームに出てきた通りの見た目であった。全身を漆黒の甲冑で覆っていて、分かるのは性別が男であることくらいだろうか。頭を全て覆い尽くす兜で、顔すらも見えない。
「エドウィン殿下、下がっていてください」
「ほう、その男はバルシャイン王族の人間か。ただで死ねると思うなよ」
私が王子を下がらせると、魔王は怨嗟の声を上げる。どうやら彼は王族に並々ならぬ憎しみを持っているらしい。
ゲームでの魔王は人間や王国への恨み言を言うくらいだったが、現実でもそのままのようだ。ゲームでは語られなかった恨む理由はあるのだろうが。
私は腰の剣を引き抜き魔王と相対する。魔法を使いやすいように、闇属性の黒剣は片手持ちだ。
仕掛けるタイミングを伺っていると魔王が口を開いた。
「おい貴様、名前は?」
「ユミエラ・ドルクネスです」
「ドルクネス……聞いたことがないな、新興の貴族か。いや建国から続く家の方が珍しいのか。
さて、ユミエラ・ドルクネス。悪しきバルシャイン王国を裏切り、私の味方につく気はないか?」
おお、定番の質問をされた。世界の半分でも貰えるのだろうか。
「お断りします。そんなことをする理由はありません」
なぜ魔王は私だけを味方に引き入れようとするのだろうか。私の心に付け込んで戦力増強を企んでいるだけなのか、それとも――
「た、たすけ……」
魔王の後ろから、今にも消えそうな声が聞こえた。その声の発生源である魔王城の床は、魔法で抉れて私からは死角になっている。
「む、まだ生きていたか」
振り返った魔王が床から持ち上げたのは、ボロ布のようになったアリシアだった。
そうか、彼女たちは守護の護符を付けている。その護符は空間そのものを削り取る最上位魔法を受けても、一度だけは生き残れるらしい。
私の命を救ったそれは、彼女の命も救った。ウィリアムとオズワルドも生きてはいるはずだが、気絶しているのか物音一つ聞こえない。どちらにしろ回復手段の無い彼らは満身創痍だろう。
「アリシア!」
エドウィン王子が魔王に向かって駆け寄ろうとするので、また襟首を掴んで後ろに引っ張る。
魔王はアリシアの腕を掴んで持ち上げたまま、私たちに向き直った。
「話は聞いていたが、お前たち二人はよく分からないな。ここで寝ている三人がゴミだということはすぐに理解したのだが。
バルシャインの王子、お前はなぜそこまでコイツを気にかける。敵陣で味方を切る愚か者など捨て置けば良いだろう」
「アリシアは取り返しのつかないことをした。それでも、それでも私は彼女を愛しているのだ」
「くだらない、愛に何の意味がある。人は己の利害次第で愛する者すら裏切るのだ」
「そんなことは無い、私は愛する者を裏切らない」
「では、アリシアとやらが死ぬのを黙って見ていれば、我自身も死を受け入れよう。さすれば、バルシャイン王国は魔物の脅威から脱するだろう。さあどうする?」
「それは……国と個人を比べることなんて。そもそも魔王が約束を守る保証は……」
魔王に捕らわれているアリシアは、答えに窮するエドウィン王子を見て取り乱す。
「エド君、やだよ! 助けてよ!」
「黙っていろ。いや、アリシアとやらに尋ねよう。お前と王子と国、その三つの中の一つだけを救済しよう。さあ選んでみせよ」
魔王はアリシアに顔を近づけて凄む。彼女は恐怖のストレスで限界なのか、叫ぶように答える。
「わたし、わたしを助けてください!」
「ほら見ろ、バルシャインの王子よ。人とはこういうものなのだ」
「そんな……」
エドウィン王子は、アリシアのなりふり構わぬ命乞いを聞いて茫然自失となる。
王子曰く、アリシアは心優しい少女であったらしい、私を目の前にすると人が変わるだけで。彼女はゲームの主人公ということもあり、その話も本当なのだろう。
しかし、現実はゲームのシナリオとはズレてしまった。学園の一、二年目に様々な困難を乗り越えるはずの彼女は、そのイベントをこなさないまま今まで来てしまった。
それがアリシアの心が弱いままな理由だと思う。
「まあ、誰を殺すかという話は聞いてみただけだ」
魔王はそう告げてアリシアの首を締める。彼女は苦悶の声を上げた。
「アリシア!」
またエドウィン王子が駆け寄ろうとするが、魔王の行動に違和感を覚えた。魔王はアリシアをすぐに殺せるはずだが、ゆっくりと首を締めている。まるで私たちにその様子を見せつけるように。
「突き飛ばし緊急脱出!」
私はエドウィン王子の前に出て、彼を後ろに突き飛ばす。それと同時に私に向かって魔法が放たれる。ギリギリで私も魔法を放ち相殺した。
「ふむ、失敗か。まあいい、コイツは殺せた」
そう言う魔王の手の中にいるアリシアは、人形のようにダラリと手足を垂らしていた。
「はあ、バカ王子が前に出なければ助けられたかもしれないんですけれどね」
後方からその王子の動く音は聞こえない。おそらく緊急脱出の衝撃で気を失ってしまったのだろう。
「お前には王族への敬意も感じられないな…… やはり私の側につく気は無いか?」
「ありません、先程からなぜ私にだけ裏切りの誘いをするのですか?」
「それは……」
魔王は質問に答えようとしているが、私は魔法を発動する気配を感じた。狙いは私ではなく、彼の足元にいるウィリアムとオズワルドだろう。
私も魔法で妨害したかったが、彼らを巻き込んでしまうかもしれない。前方に向かって砲弾のように走りだし、魔王に斬りかかる。
魔王の首を狙った斬撃に手応えを感じる。しかし魔法の妨害には至らなかったようだ。足元の彼らは既に息絶えていた。
「素早すぎる。お前だけ強さの格が違うな」
後ろに飛び退いた魔王は平然としている。おかしい、手応えはあったはずだが。
次の瞬間、魔王の被る兜が粉々に砕け散った。中から現れた魔王の顔は……
「私?」
いや違う、男だ。しかし黒い髪に黒い瞳、表情の乏しい顔、顔の造形すらも私にそっくりの男がいた。どこか雰囲気も似通っている気がする。
「確かに似ているな、貴様を見たときは驚いた。我に子孫はいないはずだから遠い血縁があるのかもしれんが」
魔王は人間なのか。人間だったと言うべきかもしれないが。
「まさか外見が似ているからという理由で、私に裏切りを持ちかけたのですか?」
「黒い髪のお前にこの国は、いやこの世界はさぞ生きにくいだろう? 今まで理不尽な目にも遭っただろう? 世界を憎め、国を恨め、人を嫌え、二人で全てを滅ぼそう」
「確かに今までの人生は不条理で生きにくかったです。まあ、私が抱いた感情は憎悪ではなく諦観でしたが。逃げようとは何度も思いましたが、世界の滅亡を、国の消滅を、人の死を願ったことは一度たりともありません」
無い……はずだ、無いと思いたい。現実的に私はそれが出来てしまうから。
「なぜそこまで……どうせ最後は裏切られるのだ。この国の成り立ちはどう伝わっている?」
「勇者と聖女が魔王を封印して国を作ったと」
魔王の秘密は国の成り立ちが関わっているのだろうか。
「ふははははは、勇者と聖女と来たか。あの俗物どもめ」
「俗物?」
「そもそも疑問に思わないのか? 魔王と言われる我が現れる前にも国は存在したはずだろう?」
確かにそれは私も気になって調べたが、建国以前の歴史に関する書物は一切見つからなかった。魔王との戦いの戦火で消失したのだと納得していたが……
「バルシャイン王国が成立する以前は、ここら一帯は群雄割拠の戦国時代だった。そこで戦に連戦連勝し、国を作ったのがバルシャインの初代国王だ。彼には優秀な部下が二人いた、光魔法の使い手と闇魔法の使い手だ」
「まさか……」
部下二人とは聖女と言われた初代王妃と……
「そのまさかだ。我はバルシャイン王に仕えていた。王を尊敬していた、敬愛していた、忠義は誰にも負けないつもりだった。黒髪の我を受け入れてくださったのだから」
初代国王の忠臣だったと言う魔王。しかし彼はその後……
「しかし国が安定するやいなや、私はこの僻地に飛ばされた。王は私の力を恐れたのだ。いや初めから力だけを目当てにしていたのだ。心の中では黒髪と闇魔法を忌み嫌っていたのであろう」
昔を語る彼の顔は意外にも穏やかだった。まるで昔を懐かしむようだった。
「……それで謀反を起こしたのですか?」
「断じて違う!」
突如、魔王は憤怒の表情へと一変する。
「断じて違う。我はそれも仕方ないと思った。王の民を思う心は本物だ、我はそれで十分だと考えた。王の活躍を人づてに聞きながら、僻地で余生を過ごすのも悪くないと」
しかし、そうはならなかったのだろう。そして初めに何らかの行動に出たのは……
「だが王は挙兵したのだ。我は兵を持たないから、どんな過酷な戦場に送られても良いから辞めてくれと嘆願もした」
私はなぜ反撃しないのか、勝機が無いのならなぜ逃げないのだろうかと不思議に思った。多分彼は、私と違ってこの国のことを……
「この国が、そしてこの国の民のことが好きだった、愛していた。しかし裏切られたのだ。王の流した噂を鵜呑みにした領民すらも、信頼していた部下さえも」
大好きだったからこそ、深く愛していたからこそ、その感情が裏返ったときはすさまじい憎悪へと変わったのだろう。
「そして我は全てを殺した、全てを壊した。気がついたときには魔物を操れるようになっていた。国と民を脅かす魔物は嫌いだったが、それすらも利用した」
私は魔王の物語を知らなかった。しかしその物語の結末だけは知っている。
「だが負けたのだ。彼らは直接対決を避け、我を古代の秘術で封印した。そして今に至るわけだ。この話を聞いてなお、バルシャイン王国の味方をすると言うのか?」
「その件は全面的に初代国王が悪いと思います。でも今は違います」
「我が殺した者どもはお前を受け入れていなかったようだが?」
「まあ、彼らは私嫌いの中でも苛烈と言いますか……国王陛下や王子殿下はそんなことはありませんよ?」
「我の復活を見越して甘言を囁いていただけだ。我を殺して帰っても、お前の居場所は無いだろう」
魔王の話を聞いて、国王陛下が言っていた「第二の魔王」発言の意味も分かった。私が魔王の正体を知らないほうが良い、という言葉の意味も。
「私は黒髪が差別されることを廃絶したいと考えています。後に生まれてくる黒髪の子供たちのためにも」
だから私が人類の敵になるわけにはいかない。そうなれば黒髪差別は加速するだろうから。
「それを聞いた国王陛下は、第二の魔王を生み出さないためにも応援すると仰りました。多分ですが、王族に継承される話ではあなたは悪とされているでしょう。
しかし、陛下はあなたが謀反を起こしていないことを悟っているのではないでしょうか。魔王は差別や忌諱感から生まれ出た存在だと」
私は正真正銘の魔王になりうる存在だろう。しかも目の前にいる彼よりずっと強く恐ろしいそれに。
「人の心は移ろうものだ。今は良くても何十年も経てば状況は変わる」
「そのときは逃げ出します、国外でも大陸の外でも。それに私を殺しうる、もしくは封印しうる存在は死んでしまいましたし」
歴史上でも最高峰の光魔法の使い手であろうアリシアは死んでしまった。あとは光属性の剣を壊してしまえば、私を殺すことはまず不可能になるだろう。
私の発言を受けて、魔王の怒りの表情がわずかに和らいだ。
「貴様は何というか、冷めているな。愛する者はいないのか?」
「い、いますけど……」
「その彼が裏切ったらどうする?」
愛しているのが男だとは一言も言っていないのだが。まあ、男ですけど。
もしも、パトリックが裏切ったら? やっぱり私は逃げ出すと思う。彼を傷つけたくないから、彼を傷つけることで私自身が傷つきたくないから。
「逃げる……と思います。彼が私を裏切るというのなら、それで彼が幸せになるのなら、それを受け入れます」
「我も初めはそう思った。王と仲睦まじげな彼女を見て、それで良いと思った。二回目の裏切りではそうはならなかったがな」
もしかして魔王と初代王妃は恋人だったのだろうか。恋人を取られても主君に仕えるとか、この人の忠誠心はすさまじい。
「私には逃げるという選択肢がある、それがあなたには無かった。ただそれだけの違いだと思います」
魔王には向き合う勇気があって私には無い、とも言い換えられる。
「逃げる……か、考えもしなかったな。もしも我が逃げていたら別な歴史も存在したのだろうか……」
別な人生を想像する彼を見て、私の戦意はだんだんと無くなっていく。パトリックの言う通り、私はどこまでもお人好しなのかもしれない。
「今から逃げる、というのはどうですか? あなたは死んだことにして、どこか遠く――」
私の逃げの言葉は遮られてしまう。彼はどこまでも向き合い続けるらしい。
「これほどのことをして逃げるわけにはいくまい。貴様の差別を無くすという理念は尊いと思う。だが我はこの世界を滅ぼすべきだと考える」
話し合いでは相容れない二人が最終的に行き着く先は一つ。殺すか殺されるかの戦いだ。
「分かりました。戦うしかないようですね」
それを皮切りに私と魔王の戦闘が始まった。
お互いが同時に後ろに飛び退き、遠距離で魔法を撃ち合う。私の方が威力も手数も上だが、後ろで寝ているエドウィン王子に流れ弾が行かないよう、全てを迎撃して相殺する必要がある。
遠距離戦は不利か。私は接近戦に切り替えようとするが、魔王は私の足元を床ごと攻撃する。
跳躍して回避すると魔王はニヤリと笑う。空中では身動きが取れないと思っているのだろう。だが残念、空中機動は私の十八番だ。
魔力を後方に噴射して魔王に迫る。その速さに魔王は目を剥くがもう遅い。
「取りました」
私の斬撃は魔王の右腕を切り飛ばした。すかさず剣を首元まで持っていく。
「……どうした? 早く殺せ」
「やっぱり逃げる気は……」
私は覚悟したつもりになっていたのだが。彼の話を聞いてしまったのが原因だろう。陛下の助言は的を射ていた。
「くどい! その強さだ、数多の魔物を殺してきたのだろう? それと同じだ、我は最早魔物のようなものだ」
「違います。あなたは人です」
私よりずっと強い人だ。私よりずっと芯のある人だ。
「優しさのつもりかは知らんが、それは将来、己の首を締めるぞ」
分かっている、人を殺せないのが私の弱点だと。それでも、このままでも良いのではとも思ってしまう。
「最後に一つ、あなたの名前を聞かせてください。あなたは魔物でも魔王でもありませんから」
魔王はカッと目を見開き、呆れたように微笑した。
「我の名は――」
その日、私は初めて人を殺した。