18 こげ茶色の少年
学園の休日に今までの私は王都の散歩をしていた。貴族街よりかは庶民の街を中心にブラつくのは私の小さな楽しみであったが、リューが産まれて以降はご無沙汰となっていた。
今日もリューの相手をしようと思っていたのだが、あの子は王都の外へと1人で遊びに行っているらしい。私が呼べば帰ってくるが、わざわざそうすることもないだろう。案外、私の知らない所で仲の良い友達ができているのかもしれない。
そんなわけで、目的もなく王都を散策しているうちに庶民の住宅街に行き着いた。小さい家がひしめき合い、路地は複雑に入り組んでいる。
目印となる店なども無いので迷子になってしまいそうだ。来た道は覚えているが、それをただ戻ったのではつまらない。ただやみくもに進んで思いがけない場所に出るのが面白い。
小道を直感で曲がり、さらに入り組んだ場所へと入り込むと子供の声が聞こえた。喧嘩でもしているのか、何かを罵るような声色だ。
「お前の髪、気持ち悪いんだよ」
「俺知ってるぜ、こいつは悪魔の子なんだよ。こいつには父ちゃんがいないだろ?」
「うげえ、お前の母ちゃんは悪魔が好きなのか?」
罵られている子供の押し殺すような泣き声も聞こえた。子供の喧嘩に口を挟む気は無かったが、あまりに酷い悪口に気持ちが変わる。
声が聞こえるのは家を挟んだ向こうの通りだったので、一足飛びに家を飛び越えて音もなく着地する。
こげ茶色の髪をした少年を3人の少年が囲んでいる。年齢は7歳くらいだろうか。
「何をしているの?」
私が声を掛けると3人はギョッとした様子で振り返った。
「な、何だよ。お前には関係ないだろ」
「1人を寄ってたかって虐めるのはかっこ悪いわよ?」
私は簡素なワンピースに髪を隠すための帽子という、王都に繰り出す用の格好をしていた。まさかこんな所に貴族のご令嬢がいるとは彼らも思わないだろう。
「こいつの髪は黒いだろ? 悪いのはこいつで、俺達は悪くねえんだよ」
少年のこげ茶の髪は、私がこの世界で見てきた中で1番黒に近い色をしていた。白に近い灰色の髪のパトリックでさえ昔はそれを気にしていたのだから、彼が差別の対象になるのにも納得がいく。
「黒い髪の人全員が悪人というわけではないでしょう?」
「でも黒だぜ? お姉さんも悪者みたいだと思うだろ?」
彼らは黒髪を差別することに疑問を抱いていないようだった。それは彼らが子供だからというのもあるだろうが、大人も表に出さないだけで心の中で嫌悪感を持っているのかもしれない。
私はこの国の黒髪差別の深刻さを改めて実感した。今までは差別されることをしょうがないと諦めていたが、こげ茶色の少年を見てそれを何とかしなければいけないと思った。私自身に対するものは感覚が麻痺していたのかもしれない。
「私はそこの彼の髪が黒いとは思わないけれどね」
何を言っているのだとポカンとする少年たちの前で、私は帽子を脱いで髪をあらわにする。
「本当の黒っていうのはこういうののことでしょう?」
夜の闇のように黒い私の髪を見た少年たちは、信じられない物を見たという目をしながら騒ぎ始める。
「本物の悪魔?」
「魔王じゃないか?」
「おい! ビビるなよ、普通の人間だって」
リーダー格の少年が普通の人間だと言って周りを落ち着かせるが、普通の人間を差別しているという自己矛盾には気がついていないらしい。
「一部では魔王と呼ばれているわよ? これからは、こんなこげ茶色を黒なんて言わないでね? 一緒にされると不愉快だわ」
私が自分の周囲に魔法で黒い球体を浮かべながら言うと、彼らは顔を恐怖で引きつらせて叫び声を上げて逃げていく。
「助けてえええええええ」
これでこげ茶色の髪の少年に対する当りも軽くなれば良いのだが……
「あ、あの、助けてくれてありがとうございます」
おい、こげ茶の少年よ、彼らと一緒に逃げなければ私が嫌われ役をした意味がないだろうに。
「ほら、あなたも逃げて逃げて。あなたの髪は黒くないんだから」
「いえ、いいんです。悪いのは僕の髪なんです」
今にも壊れそうな儚い笑みを浮かべる少年。そうか、彼はもう諦めているのだ、昔の私と同じように。
「私はユミエラ、あなたは?」
「フィルっていいます、6歳です」
彼は6歳だったか、私が前世の記憶を思い出したのが5歳なので、そのときとそう大差ない。
私は前世の記憶があった分、精神的に安定していたし、差別が根拠のないものであろうことも理解していた。フィルはそれが無いのだから、彼の心の傷はとても深いものだろう。
「フィル君は、お友達はいる?」
「いえ、いないです」
「家族は優しくしてくれる?」
「お父さんはいないですけれど、お母さんは優しいです」
母のことを話すときだけ彼は穏やかな表情を浮かべていた。優しい家族がいる。それだけがフィルの心の拠り所なのだと思う。
「私の両親は私の顔も見たくないみたいでね、実はまだ会ったこともないの」
「えっ、それは……」
「でもね、最近お友達ができたんだ。あと、可愛い子供もね」
「えっ、ユミエラさん子供がいるんですか!?」
あ、そこに食い付くのね。
そうだ、彼がリューのお友達になれば良いのではないだろうか。フィルとリューは友だちができる、私は息子に友だちができて安心、誰もが得をする名案だと思う。
「私が産んだ子供ではないけどね。その子も友だちがいないのよ、良かったら会ってみない?」
「は、はい。僕で良ければ……」
「黒い子なんだけど大丈夫?」
「はい! 僕は髪の色なんか気にしません」
黒いのは髪ではなく全身なのだが、まあいいだろう。
「どこまで行くんですか?」
私はフィルを連れて王都の外壁の外まで来ていた。よくよく考えれば、知らない人に着いていく彼は警戒心が薄いように思う。
「じゃあ、ちょっと待っててね。5分くらいで来ると思うから」
私はリューを呼ぶために上空に闇魔法を花火のように打ち上げる。
「あ、さっきも魔法を使っていましたけど、もしかしてユミエラさんって貴族様ですか?」
意外と鋭い。彼は話し方もそうだがずいぶんと大人びている。これくらいの時期の男の子は暴れん坊なイメージだが、もしかしたら彼の環境が原因かもしれない。
「一応ね、あまり気にしないで爵位も低いから」
伯爵は一応は上位貴族に位置づけられるが、言わなければバレることもないだろう。
「あ、来たみたい」
まだ3分もたっていないのでリューは案外近くにいたらしい。周囲をキョロキョロと見回すフィルに、私は遠くの空を指し示す。
「え、ドラゴン? 最近、王都にやって来たやつだ」
「うん、あの子が君に会わせたい子。リューは優しい子だから安心してね」
私に向かって一直線に飛んできたリューは、轟音を立てて地面に着地する。
「リュー、この子はフィルくん。仲良くしてね?」
リューがよろしくという意味でフィルに向かってガウと吼える。それを見たフィルは腰を抜かして後ろに倒れてしまった。
「あ、ああ」
フィルは恐怖のあまり言葉も出ないようだ。うーん、やはり駄目だったか。リューはよく見れば愛嬌があって可愛いのだが、その良さが伝わることは少ない。
「よ、よろしくお願いします。リュー君」
驚いたことに、フィルは腰を抜かしたままリューの鼻先に手を伸ばした。鼻を触られたリューはくすぐったいだろうがジッと動かないでいる。
「フィル君、大丈夫? 怖くないの?」
フィルを後ろから抱え上げて立たせてやると、彼はポツリポツリと語りだす。
「僕は見た目で嫌な思いをしてきたから…… えっと、だから僕は見た目で嫌いになったりしたくないなって。リュー君は見た目は怖いけど、僕が触っても何もしなかったし、もしかしたら友達になれるかなって……」
「フィル君は強い子だね」
パトリックは前に私の心が強いと言ったが、本当に強いのはフィルのような人のことを言うのだろう。
「ユミエラさんはお友達がいるんですよね?」
私達はリューの背に乗って空を飛んでいる。初めは怖がっていたフィルも今は景色を楽しむ余裕があるようだ。
「うん、パトリックって言うの。彼がどうしたの?」
「僕は友達を1人で作れなかったから、ユミエラさんはすごいなって」
それは違う。初めて話しかけてくれたのも、歩み寄ってくれたのも全部パトリックの方だ。
「私もフィル君と同じよ、向こうから声を掛けてきてくれたの。私は人と仲良くするのを半分諦めていたからね」
フィルは私の諦めていたという言葉にハッとする。やはり彼も健全な人付き合いを半ば諦めていたのだろう。
フィルのような子供を増やさないためにも、この問題はどうにかしなければいけないと思った。
しかし、差別ってどうやって無くすんだ?