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6-07左 夜に向かって旅立つ兄弟

◆6-07左 夜に向かって旅立つ兄弟


 さあ今すぐにでも出発という雰囲気の中、猫耳さんに水を差される。


「本当に行くのかニャ?」

「平気ですよ」

「日光に当たるのは良くない。気にせず出歩く王が特別なんだ。止めたほうがいい」


 語尾が取れるあたり、彼は本気で心配しているのだろう。



「これだけでも持っていくといい」

「香水……ですか?」


 小瓶を渡されてすぐに香水だと分かったのはエレノーラの影響だろう。

 好奇心を抑えられず、私はすぐさま手首にワンプッシュして香りを確かめる。猫耳おじさんからのプレゼント……。


「……犯罪の臭い?」


 罪状が分からないタイプの匂いだ。明確に法を犯してない分、おまわりさんも猫耳には苦労するだろう。

 そんな匂いはしないとて、何の匂いかは良くわからなかった。スパイシーな香りが花で包まれている感じだろうか。


「ここの香りだよ。薄明の国をイメージした」


 この砂漠って無臭だと思うけれど……。

 私の鼻がおかしくなったのかと勇者に視線をやると、彼は困ったように笑った。これは猫耳おじさん特有の感性であるらしい。語尾を忘れた彼はさらに続ける。


「夕暮れの不毛の大地ではあるが、そこに住む人達は穏やかに思い思いの日々を過ごしている。優しい死後の世界に着想を得たんだ」

「……ヨンラム氏?」


 あり得ないと思いつつも、私の口からはある人の名前が出てきた。

 不遇の調香師ヨンラム氏。エレノーラの尊敬する彼が、まさかこんなふざけた見た目をしているはずがない。


「どうして僕の名前を?」

「本当にヨンラムさんですか!? あの!?」

「何を勘違いしているかは知らないが、僕はそんな大層な人物ではない。小さい頃から父の言いつけ通り勉強をし、父と同じく官吏を勤め、結婚もできずに死んだんだ。弟のように自由気ままに世界中を旅したいと思ったが、引退後にそんな体力は残っていなかった。もう少し自由に振る舞えば、もう少し休んでいればと後悔しながら死んでいった男だよ」


 猫になりたくなっても仕方ない人生を聞いて、私はさらに確信をした。

 彼こそがヨンラム氏その人だ。私は、彼の老後に少しばかり詳しい。


「過労で倒れてお仕事を引退した後、香水を作り始めたんですよね?」

「少し憧れていてね。隠居老人の趣味だから、誰にも相手にされなかったが」

「死後に評価されるんです。あなたの香水は大人気なんですよ!」


 彼が不遇と評される所以は、世間に評価される前にこの世を去ったことだ。

 遅咲きのヨンラム氏は自分の作品が陽の目を見る瞬間に立ち会えなかった。


「そんなはずがない。だって僕が作った香水は――」


 私は香水に全く興味がない。それでも、同じ話を何回も何十回も聞いていれば覚えてしまうものだ。

 彼が続ける言葉が、私には分かった。


「「偽物の香り」」


 完璧に重なった言葉にひどく驚く彼に代わり、私はさらに続ける。


「ヨンラム氏の香水が偽物と呼ばれる理由は、知らない場所や物をモチーフにしているからです。世界を放浪した弟さんの旅行記を元にして、未知の景色や文化や花などをモチーフにした香りを作りました」


 大樹が乱立した深く暗い森、みんな陽気で音楽が大好きな国、一部の地域にしか分布していない珍しい花。

 誰も知らないモノの香りはすぐには受け入れられず、未知の世界への想像をかきたてられると話題になったのは調香師の没後であった。

 製作の動機まで言い当てられて、私の言葉を信じなかった彼は狼狽える。


「し、しかし……僕は街から出たことが数えるほどしかない人間で、文章だけで想像した香りはきっと的外れなもので……」

「そうですよ。本物は全く違う香りです。貴重な花は現地では悪臭で有名です」


 香水だけでしか知らない珍しい花があれば、実物が気になるのが人間だ。とある大貴族のお嬢様は大金を叩いて大陸外の花を取り寄せた。届いた花は、伝聞通りの特徴であったが耐え難いほどの悪臭を放っていた。

 弟の旅行記には花の見た目しか書いていなかったからヨンラムさんは知る由もないことなのだが、本人のショックは大きかったようだ。


「そんな、悪臭だなんて……弟はそんなこと」


 悪臭の花を届けられた貴族は失望などしなかった。しかし違和感を覚えた彼女は、旅行記まで取り寄せて徹底的に弟について調べ上げた。……いや、調べさせた。お嬢様に調査能力は無かったのだ。

 そして彼女はある結論に至った。ヨンラム氏の香水が偽物と称されるもう一つの理由に。


「弟さんも知らないんです。花の外見だけしか知らなかったんです」

「どうしてだい? 弟の鼻は正常だ。鼻の匂いは書いていなかったが、航海中の潮の香りは詳細に記していた」

「潮の香りしか知らないんですよ。弟さんは世界中を冒険なんてしてません。家を飛び出した後はずっと港町で働いていたんです」


 弟は晩年に兄のもとに姿を見せ、旅行記を置いていった。だがそれは全て嘘だった。人から聞いた話を自分の目で見たように語ってみせただけだったのだ。当然、旅行記も偽物。

 どうして嘘をついたのか。

 真意は誰にも分からなかった。

 でも実の兄は理解できるようだ。


「アイツは……弟は、子供の頃から見栄っ張りだったんだ。喧嘩で勝ったとか、宝石を拾ったとか、そんな嘘ばかりついていた。どうせ港町でも詐欺師みたいなことをしていたんだろう?」

「いいえ。商会に勤めて帳簿の管理をしていたようです。船の積荷は毎日膨大なので激務だったとか」


 彼ら兄弟の生き様は似通っていた。

 どちらも書類と戦い、弟は偽物の旅行記を、兄は偽物の香水を作った。

 偽物の偽物は、本物よりもずっと心に残る香りだと、エレノーラは語る。興味が無くとも覚えてしまうほど彼女が良くする話だった。


 猫耳おじさんの猫耳がポタリと地面に落ちた。


「僕は、弟のように自由に、猫のように過ごしたかったと思っていたが勘違いだったようだ。本当は……弟と一緒に世界中を冒険したかった」


 その未練を解消するのは難しいかもしれない。猫になっちゃう方が簡単かも。

 どうしても伝えたくて言ってしまったが、余計なことをしてしまった。

 彼にかける言葉が思い浮かばず黙っていると、下の方から声が聞こえた。


「俺も勘違いしていた。漁師に魚をせびる猫のような生活がしたいと思っていたのは違うらしい」


 え? 誰が言ってるの?

 声の主が見当たらず、周囲を見渡すが三毛猫しか見当たらない。

 まさか君、喋らないよね? 猫ちゃんをじっと見つめていると、猫ちゃんの猫耳も取れた。そしてまたたくまに大きくなり人間へと姿を変える。ヨンラムさんに似たおじさんだ。


「俺も兄さんと一緒に世界を旅したかった」


 え、兄が猫耳おじさんで、弟が猫だったおじさん? おじさんと猫ってそんなに親和性あったの?

 猫が人間になったことに驚いているのは私だけだった。身近にいた猫が弟だった驚きそうなものだが、兄弟は再会の言葉も交わさずに連れ立って歩きだす。


「薄明の国を冒険すればいいじゃないか。どんな秘境よりも珍しい」

「そうだな。俺が旅行記を書いて、それを見て兄さんが香水を作ればいい」

「本物を見てるんだから嘘の旅行記はいらないよ」

「俺のだって今度は嘘じゃない」


 そっくりな兄弟は朝焼けの大地へと足を踏み入れる。

 あれほど恐れていた日光に照らされながら、二人は砂になって消えてしまった。


「消えちゃった……どうして?」

「彼らの生前の未練が解消されたからだ。先ほど消えた画家の彼女と一緒だよ」


 勇者は平然とそう言った。

 薄明の国では日常茶飯事なのかもしれない。でも、画家の彼女と彼らは違う。私は納得できなかった。


「でも! まだ二人は世界旅行をしてないですよ!」

「彼らの望みは……兄弟揃って未知への一歩を踏み出すことだったのだろう」


 そうか。生前の未練が二人同時に解消されたと思えば……喜ぶべきことなのかな?

 会ったばかりだが印象深い彼らとの別れに少しの寂しさを憶えつつ、私は一番強く抱いた心中を吐露する。


「三毛猫が……おじさんだった」

「僕はずっと言っていただろう。三毛猫の方が弟だと」


 猫耳だけ生やしたおじさんと、かわいいかわいい三毛猫が、まさか血の繋がった兄弟とは思わないじゃん。

 元の姿に戻る前に三毛猫を触れなかったことを後悔しつつ、私と勇者は日向への一歩を踏み出した。


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― 新着の感想 ―
[一言]  小瓶を渡されてすぐに香水だと分かったのはエレノーラの影響だろう。 > 好奇心を抑えられず、私はすぐさま手首にワンプッシュして香りを確かめる。猫耳おじさんからのプレゼント……。 半身まひ…
[良い点] いい話だった。
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