6-05右 目覚め再び
◆6-05右 目覚め再び
目が覚めると薄暗かった。
どうやら早く起きてしまったようだ。カーテンから外を見るとわずかな明かりが確認できる。今は太陽が出る前、段々と東の空が明るくなってきたくらいの時間だ。
こんなに早起きするなんて珍しい。冬だから冷えるけど、自然な寝覚めは清々しいものだ。
私の部屋、自分のベッド、体を起こして両手を伸ばし……あれ?
「痺れてる?」
両手を上にググッーと伸ばそうとしたが、左手はダランと垂れたままだ。感覚も無い。
睡眠中に変な体勢になって痺れちゃったのかな?
そう思い逆の手を使い揉んでみるが……本当に感覚が無いな。左手は指の一本すら自らの意思で動かせず、右にされるがままになっていた。
これは単に痺れているのではなく…………ちょー痺れているのだ。
「すっご……誰か! 見て見て、すごいから!」
このハイパー痺れを誰かに教えてあげたい。思い浮かんだのは私の最愛の人、パトリックだった。早朝だけど叩き起こして見てほしい。
彼の部屋へと走るべくベッドから飛び降りる。
しかし、私はバランスを崩して転んでしまった。
おかしい。ありえない。急いで転ぶほどヤワな平衡感覚は私らしくない。
「足もだ」
床に転がったまま足を検分して分かった。
左足もすごい痺れている。動かせる方の手で揉んでも感覚が全く無かった。そりゃあバランス取れなくて左側に倒れるよ。
その後、動かせる右手で調査して分かった。左半身は頭から爪先まで、感覚が一切ない。まさかと思い確認してみると、左目も見えていなかった。口も片側だけ動かないので喋りづらい。
「これは……脳が原因?」
ハイパー痺れとか言ってる場合じゃなかった。寝ているあいだに脳梗塞みたいな病気になってしまったのかもしれない。
こういうときは救急車を呼んで……電話どころか脳の血管を見てくれる病院すら無かった。でも大丈夫、あって良かった回復魔法。
細菌やウイルス、自分の免疫反応などが由来でなければ大体の病状に回復魔法は有効だ。私は有り余る魔力を使い、体全体に回復魔法を行き渡らせた。
これで私は元気いっぱい。私はスッと立ち上がり、そして左側に崩れ落ちる。左半身の症状は継続中、魔法は効かなかった。
私はようやく自分の体が緊急事態だと理解した。
「誰かー、助けてー」
私のSOSを受け取り、救いの手を差し伸べてくれたのはメイドのリタだった。
学園の寮から一緒にいる彼女は、ちょっとやそっとじゃ動じない冷静さを持っている。床に倒れ伏す主人を見ても顔色一つ変えない。
「おはようございます、ユミエラ様」
「おはよう」
「またベッドから落ちて起きたのですか? 寝相が悪いままだと、パトリック様と同衾するときに困りますよ」
忠義心の強い従者は、私が半身麻痺で倒れているのに全く心配していなかった。
朝に床でひっくり返っているのは日常茶飯事だけどさ、主従パワー的なので異常を察知してほしかったな。
このままでは危機的状況をスルーされそうだ。ちゃんと言葉にして助けを求める。
「たすけてー」
「はい、ただいま朝の紅茶をお淹れいたします」
考えても無駄な意味不明発言をするのは日常茶飯事だけどさ、助けてと言ったときは助けてほしかったな。
「リタ、真面目な話だからよく聞いて」
「大きなシュークリームを枕にするのはダメですよ」
「寝ぼけてたときの戯言じゃなくて! いや、あのときは真面目に言ってたけど」
「今日はどうされました?」
オオカミ少年の典型例みたいな状況に私は追いやられていた。
病状を伝えたいのに、向こう側は大きなシュークリーム枕くらいの認識で聞き流そうとしている。というか数日前の私は寝起きとはいえどうにかしてた。シュークリームは大きくなっても枕にできる形状ではないだろ。
「ジャンボエクレアの方がまくら向きよね。チョコで髪が真っ黒になりそうだけど」
「……そうですね」
「あ、真っ黒なのは元々か」
「紅茶の準備がありますので――」
「待って待って! 左半身が動かないの! 腕も足も力が入らなくて、立つのも難しいの」
◆ ◆ ◆
そこからリタの対応は早かった。
彼女ともう一人のメイドさんに手伝われてベッドに寝かされる。その頃には事態を知らされたパトリックも駆けつけていた。
程なくしてお医者さんもやって来る。
診察の結果は原因不明。脳や神経の損傷は高位のポーションで治るらしいので、回復魔法が使えない時点でそれ以外が原因。
そうなると肉体側が怪しいのだが、半分だけ急に動かなくなるなんて症例は聞いたことがないようだ。
意識もハッキリしているし、左半分以外は健康そのものだ。片足で跳ねながらであれば移動もできる。
日常生活に戻れそうだが、しばらく安静にするようにとパトリックから監視されて私は横になっていた。
「なんか大事になっちゃったね」
「体が動かないのは大事だろう」
「半分だけだし。あ、今だったら右側の私の方が強いね」
そういや昨日はそんなことを考えていた。互角に思われた左右対決は、結果が一目瞭然になっている。右ユミエラ大勝利、左ユミエラは最初から死んでいる。
「そんなこと言ってる場合じゃないだろ。王都に行って有名な医者を当たろう。きっと元通り動くようになるさ」
「そうそう、そのうち動くって。人間が半分だけ死んじゃうわけないんだから。私の左側は眠ってるだけ」
話の内容はポジティブでも、お互いにずっとこのままなのではと不安を抱えていると分かる。
私とパトリック、二人きりの部屋が嫌に静かだ。会話の途切れたタイミングが気まずい。
暗い雰囲気が漂う部屋に、正反対の明るい声が響いた。声の主はパトリックの足元、正確には彼の影から現れる。
「いえーい、お兄さんげんきぃ!? ボクは元気! だってお姉さんが死んだんだもん」
久々に見た気がする闇の神レムンは、かつて無いほどハイになっていた。しかし言葉の内容が不穏だ。
お姉さんが死んだって……どこのお姉さんがお亡くなりになったんだろう。レムンは徹底して人の名前を呼ばないから分かりにくい。でもお悔やみ申し上げます。
彼はハイテンションなまま、呆気にとられて無言のパトリックに語りかける。
「これで世界の秩序は守られるね! いやいや、邪神を倒してくれたのは感謝してるけど、お姉さんってそれ以上に危ないところがあるからさ。この前、翼を生やしたときはもう終わりかと思ったよ」
ケラケラ笑うレムンにパトリックは困惑したままだ。
私は右手だけを使い上半身を起こし、彼の肩を後ろから叩く。
「突然どうしたんですか? 普段は出て来ないのに」
「ん? ああ、お姉さんか。だからお姉さんが死んで嬉しいなって…………生きてる!?」
闇の神は顔を引き攣らせて私を見る。
どうやら彼の話に出てきたお姉さんは私を指していたようだ。……いや、普通に生きてるけど? どうして死んだと勘違いしたの?
レムンは幽霊を確かめるような調子で、私の体をツンツン触ろうとしてくる。それは右手でガードした。
「ホントに生きてる。なんで!?」
「どうして死んだと思ったのかが不思議です」
「だって薄明の国にいるはずなのに……」
そう言っている間も、彼はビクビクしながら私の右手を突っついていた。
ひとしきり手をツンツンした神様は、納得できなさそうに首をひねる。
「うーん、やっぱり生きてる」
「だからどうして死んだと思ったんですか。薄明の国? って所にも行ってませんよ」
「ボクの勘違いだったのかなぁ。ごめんね? 勘違いでこんなに喜んじゃって」
謝って欲しいのは、勘違いよりも私が死んだら喜ぶ事実なんだけどな。
世界の秩序を最優先するレムンとして、ユミエラという異常は邪魔なんだろうけど、せめて本心は隠せばいいのに。
私は呆れていたが、パトリックはお怒りのようだ。ピリッとした空気を察知し、レムンはあからさまに話をそらす。
「あれあれ? お姉さんはどうして横になってるの? どこか調子悪い? そう言えばボクはお見舞いに来たんだっけな」
調子の良すぎることを言うレムンにイラッとしたが、ふと現状を思い出した。左半身が動かないこの症状、彼なら何か知っているかもしれない。
怒りを飲み込んで、半身の異常を説明しよう。力なく垂れた左手を掴み、ぶらぶらと動かして見せる。
「この通り、朝起きたら体の左半分が動かなくなっちゃったんです」
「……左手、触ってみていい?」
許可を出す前にレムンはつついてきた。先ほど右手を触られたときと違い、全く指先の感触が無い。触診は早々に終わり、神様は一言呟いた。
「死んでる」
「はい?」
「そういうことか……半分だけ薄明の国に行ったんだ」
「さっきから言ってる薄明の国というのは――」
レムンはしばらく考え込んで、うんうんと一人で頷いて納得している。
彼が私は死んだと勘違いしたこと、左半身の症状。関係の無さそうな二つが関わっていることは何となく分かった。だが、たびたび出てくる薄明の国が何なのかは想像もつかない。
事実が判明したのなら教えて貰おうと思ったところ、レムンの真顔が笑顔に変わる。
「ボクなにも分からないや。力になれなくてごめんね。じゃ」
一呼吸でそう言って、彼は出てきたパトリック影に入ろうとする。あ、逃げる気だ。
まあ、非力なレムンの逃亡劇が叶うはずもなく、パトリックに首根っこを掴まれて影には潜れなかった。
レムンは諦め悪く逃げ出そうと手足をバタつかせたが、すぐに息切れして静かになった。観念してため息をつく。
首根っこを掴まれて宙に浮いたまま、パトリックの詰問が始まる。
「レムン、知っている情報を教えてもらおうか」
「いいよ、何から聞きたい?」
「ユミエラの体が動かなくなったのは何故だ?」
「お姉さんが半分だけ死んじゃったから。薄明の国にいたのは半分だけだったんだね」
「薄明の国? あの世のようなものか?」
「いーや。死なないと行けない世界だけども、死後の世界ではない」
どゆこと? 死んだ人が行く場所なら、それはあの世では?
パトリックが意味分かるかと視線を向けてくるが、ちんぷんかんぷんなので首を横に振る。
「訳の分からないこと言って、煙に巻こうとしてません?」
「違うって。本当は存在しないんだけど、この世とあの世の中間に確かに存在してて――」
死後に行けるけど、死後の世界ではない。存在しないけど、存在する。
明らかに矛盾した説明をされて私とパトリックは顔を見合わせる。
難しい哲学みたいに理解できない説明をレムンはさらに続けた。
「昼でもないし夜でもない。日は沈んでいるのに明るい世界。だから薄明の国」
「それは……分からなくもないですけど。その前の説明が意味不明すぎて」
「紙を使えばもう少し分かりやすく説明できるんだけど……」
「そういうこと言って、逃げ出そうとしてません?」
「もう逃げないよ。よく考えたら、お姉さんってボクを影の中から引っ張り出せるじゃん。無駄なことはしたくない」
パトリックから解放されたレムンは「物を取るだけ」と前置きして、影から紙を一枚取り出した。
説明する用の紙が用意されているのを不思議に思いつつ、差し出された一枚に目を向ける。
文字や絵があるものと思っていたが、紙上は至ってシンプルだった。真ん中を境にして半分が白色、もう半分が黒色だ。
白黒に塗り分けられた紙を使い、レムンは何を説明するつもりだろうか。それを指し示す彼の話に耳を傾ける。
「こっちの白い方が生者の世界、この世でも現世でもいい。逆の黒い方は死者の世界」
「黒が薄明の国ですか?」
「ううん。そこは死後の世界、何があるかはボクも知らない。薄明の国はこの紙で言うと、白でも黒でもない部分」
白黒二色刷りの、白でも黒でもない部分? グラデーションで灰色の箇所など無く、紙は真っ白か真っ黒……生か死かの二択しか見当たらなかった。
理解できずにまた顔を見合わせる私とパトリックを見て、レムンはクスクスと笑う。
「頭が固いなあ。こうすれば分かりやすいかな」
彼はそう言って白と黒の境目をなぞる。
すると指の軌跡に赤い線が浮かび上がった。白黒二色だった紙は、真ん中に赤い線が引かれ、線を境に白黒が分かれていた。
昼でも夜でもない、赤い夕方が紙上に出現したのだ。
「この赤い所ですね」
「そう。ここが薄明の国。この世とあの世の境目」
ふーん。そんな、三途の川の水中みたいな場所があったんだ。
しかし闇の神様も意地が悪い。最初から赤い線を引いてくれれば良かったのにな。この赤い線がねぇ……何の気無しに手を伸ばし、この世とあの世の境目に指を走らせる。
すると、指先が触れた部分だけ赤線が消えてしまった。指でインクを拭い取ってしまったわけではない。色が移っていない指先を見ていると、レムンは自慢げに言った。
「ふふ、いいでしょ。この紙ボクが作ったんだ。消えちゃった部分をもう一度なぞってみて」
言われた通りに消えた部分の境界線に指を走らせると、消えていた赤線が再び浮かび上がった。
へー、おもしろ。不思議な紙を何度も触って遊んでいると、パトリックが口を開く。
「この細工に意味はあるのか? 最初から赤線があればいいじゃないか」
確かにそうだ。私は触って遊ぶのに必死で気づかなかった不思議な紙の制作理由は、すぐにレムンから明かされる。
彼は私から紙を取り上げ赤い線を消し、最初に提示された白黒の状態を再現する。
「赤線があった方が分かりやすいけど、本当は赤線なんて存在しない。もう一度言うよ、白でも黒でもない部分が薄明の国。今度は分かるよね?」
私は先ほど意味不明だったレムンの言葉を思い出した。
『本当は存在しないんだけど、この世とあの世の中間に確かに存在してて――』
白でも黒でもない部分は存在しない。でも今は見える。白でも黒でもない、何色でもない境界線は確かに存在していた。
「分かったみたいだね。この世とあの世の境目にあって、存在すらも不安定な世界。それが薄明の国」
どんな場所なんだろう。赤道が赤くないみたいに、本当に赤い世界ではない気がする。国名は生と死の境目って意味だから、実際は常に夕方でもないのだろう。
行ったことのない薄明の国を想像していると、パトリックが言った。
「人は死後、薄明の国に行くという認識で問題ないか?」
「全員は行かないよ。強い未練を残した人だけがしがみついて留まっているだけ。世界自体が不安定だから、住民も人間としての性質が変容していく」
強い未練がある人が死にきれないってのは分かるけど……性質が変わるとはどういう意味だろうか。私はレムンに質問した。
「住民が変容するというのは、具体的にどういう?」
「例えばだけど……働き詰めのまま過労死して、死に際に猫みたいにのんびり過ごしたかったと後悔した人がいたとする。その想いが薄明の国では自己に反映されるんだ」
「猫みたいにのんびり暮らせるんですか? 天国みたいな所ですね」
「ううん。根が真面目だから周りに世話を焼いてあまり休めない、猫耳を生やしたおじさんになる」
天国じゃなくて地獄だ。
ゆっくりしたかったが本質なのに、猫みたいになりたいって部分だけが叶えられちゃうなんて。
まあ、例えは地獄だったけど分かった。この世に対する未練みたいな想いの力で、肉体が変容するってことか。
しかしレムン君よ、ニコニコしながらする例え話では……例え話、だよね?
誰も幸せにならない悲しき猫耳おじさんなんていないよね? レムンに確認しようかとも考えたが、事実だとして悲しくなるだけなので質問はグッと飲み込んだ。
「そこにいて変わっていく人たちは、最後どうなるんですか?」
レムンは紙の黒い部分をトントンと叩く。
「満足するとこっちに行っちゃう」
「未練が解消されない人もいるでしょう?」
「そーいうのも時間が経つと勝手に消えちゃうよ。だいたい百年くらいかな? それ以上長く留まってたのは一人しか知らない」
薄明の国で変身できたところで、無くならない未練はたくさんあるだろう。それを勝手に消えちゃうと形容するあたり、人間個々人に興味が無いレムンの性格が表れていた。
漠然とだが薄明の国について分かったが、これは前提の説明でしかない。
天国とも地獄とも言えない世界と、私の左半身が動かなくなったこと。一見無関係な二つに関わりがあると考えると、一つの答えが浮かび上がる。
レムンは私の半身を触って確かに言ったのだ。死んでいると。
「私の半分は……」
「そうだよ。お姉さんは左半分だけ死んじゃって、左半分だけ薄明の国にいる」