6-03左 ☓猫とおじさん ◯猫耳おじさん
◆6-03左 ☓猫とおじさん ◯猫耳おじさん
「そこは危ない! 早くこっちに来るんだ!」
何事かと目を動かせば、猫耳のおじさんが叫んでいた。
……え? 猫耳のおじさん? 猫耳おじさん? どういうこと?
「王様も早く! そこは危険だ!」
何度見ても猫耳のおじさんだった。人間のおじさんの頭部に、猫の耳が生えている。人間のものと合わせて四つある。
危ないって言ってるけど、あなたの存在が一番危険でしょ。
「何を突っ立っているんだ! 早くこっちへ!」
やっぱり猫耳おじさんだ。
しかし、中年男性だからという理由で猫耳を否定するのはよろしくないな。ファッションは人それぞれ。人に害が無い限り個人の自由であるべき。
でも猫耳おじさんは周囲を不快にする気がする。あ、これはスカートは不快だからズボンを履けっていう無茶な理屈と一緒か。じゃあ、すこぶる不快でも猫耳おじさんも許されるべきなのかな。
多様性の一つとして猫耳おじさんを受け入れる覚悟をした私は、まずは褒めてみることにした。
「その耳、素敵ですね」
「こっちに早く…………えへへ、そうかニャン?」
猫耳は許せても、語尾のニャンは犯罪だろ。逮捕されて牢屋から一生出てくるな。薄明の国の治安維持機構は機能しているのか?
仕草だけはかわいく照れてまた罪を一つ増やした猫耳さんは、キリッと元の厳しい表情に戻った。
「耳のことはいいから、早くこちらに来るんだ」
「はぁ」
先程から日陰に来るよう急かされている。この辺りは紫外線の量が即死クラスとかなら私も焦る。しかし勇者さんに慌てた様子が無いので、危ないという実感は沸かなかった。
とは言えこのままでは、影のギリギリにいる猫耳さんとまともな会話ができそうにない。……この人とまともな会話をするのも嫌だな。
しょうがないか。私は集落となっている山の影へと足を踏み入れた。
「これで大丈夫ですか?」
「ああ、良かった。身体に異変は……」
猫耳さんは私の体を上から下まで眺め、黙ってしまった。
え、すごい日焼けしてるとか? 左腕を見てみるが変化は無かった。
「顔に何かついてますか?」
「ああ、いや、ジロジロ眺めて申し訳ない…………申し訳にゃい」
「無理に猫の真似しないでください」
「お嬢さんは見なれない顔だけど、いつからここにいるのかにゃん?」
素の普通なおじさんが見え隠れする猫耳さんは、私のツッコミをスルーする。
これ以上彼に言っても無駄だ。変質者が出没しているので何とかしてください、王様の役目でしょ? 振り返ると勇者は私に遅れて影ゾーンに踏み入ったところだった。
彼は口を開くが、語尾については一切触れなかった。
「彼女は薄明の国に来たばかりだ。ちょうど現れたところを目撃した」
「また日向を出歩いて……王の身に悪いことが降りかかれば、皆は酷く悲しみます。もっとご自分の身を大切になさってください。どうか、山の影から出ないよう」
猫耳さん、普通に喋れるんだよなあ……。
もう無駄っぽいことは分かってきたので、私も口調について触れず質問をする。
「先程も影の所に来るよう言っていましたけど、日に当たるのは良くないんですか?」
「偉大な神様のお言葉だニャン。影の近くにいないと良くないことが起こるらしいニャン」
ああ、そういう宗教なのね。日光浴の禁止とは変わっている。
山の影に集まっている理由は納得……できないな。だってここが影なのって今だけでしょ?
「太陽が真上に来たらどうするんですか? 見たところ、屋根のある建物すらありませんが」
「……ここはずっと夕方なんだニャン」
「いいや違う。今は朝だ。日はこれから昇る」
「王様はまたそんなことを……日は必ず沈むニャン。そろそろ諦めるニャン」
ずっと夕方? 勇者からすればずっと早朝?
あ、分かった! この国は今、白夜なんだ。地球でも北極圏などの地域では夏に太陽が沈まない。地平線にそってぐるぐる回るのだ。
だから山の周囲を24時間で一周するように移動を続ければ、ずっと日陰にいられる。夏季限定の宗教行事だと思えば納得もできる。王様は不信心者だったのか。
白夜であれば朝か夕方かで揉めるのにも納得だ。
謎多き集落について分かってきて、心にいくらか余裕が出てきた。
猫耳さんもキツくあたってごめんね。その猫耳と語尾も改めて考えれば……いや、変わらず嫌だな。
それにしても精巧な猫耳だ。細く艶のある毛の質感はまさに猫そのもので、今にも動き出しそうな――
「動いた!」
「ニャッ!?」
思わず出してしまった大声に驚いて、猫耳さんの猫耳が猫みたいにペタンとなる。
本物の耳だ! 私が知らなかっただけで、この世界には獣人的な種族が存在していたのか!? 今さら世界観に関わる設定の追加はやめてよね。
「その耳、本物ですか?」
「本当に頭から生えてる耳だニャン。ここに来たばかりの人には見慣れないはずニャン」
「触るのは……」
「や、優しくしてニャン」
なんだこの感情は。ヤッター嬉しい! と、殴ってやる! が同時に矛盾なく存在している。
どうしよう、許可も出たし触っとくかな。
差し出された猫耳おじさんの猫耳に左手を伸ばす。人差し指で突っついてみると、ひんやりとした手触りだった。これこそ猫の耳。本物だ。
耳を触られてビクッとなる猫耳おじさんのおじさん部分にドン引きしつつ、猫耳おじさんの猫耳部分に癒やされる。
「本物ですね」
「僕は六十年間、働き詰めだったんだニャン。だからこの国では猫みたいにノンビリ暮らしたかったんだニャン」
「……そうですか。その耳はどうして生えてきたんですか?」
「僕は六十年間、働き詰めだったんだニャン。だからこの国では猫みたいに――」
「もう覚えたんで大丈夫です」
猫になりたくて猫になるんだったら、私は今頃ティラノサウルスになっている。
語尾を除けば対話が成立していた彼と、話が通じなくなってきたので猫耳から目をそらし、何となく下を見る。
私の左足のかかとは、ちょうど日向と日影の境目にあった。この集落に入ったときと同じ位置だ。
「あれ?」
おかしい。昔、日時計を観察したことがあったが、あれは意外とすぐ動く。
少しのやり取りではあったが、ほんの数分で目に見えるほど影は動くものだ。正確には影が動いているのではなく、太陽の位置が――
「うそ」
私は急いで影から出て、太陽の見える場所に走る。
猫耳さんが戻るように言っているが無視して太陽を確認しに行く。
そして、太陽は見えなかった。昇っても沈んでもいない。ここで目を覚ましたときと同量の光を、地平線の向こうから放っている。
白夜であれば平行に移動することも……いや、であれば影は動くはずだ。
日影ゾーンから叫んでいる猫耳さんを意に介さず、薄明の国の国王がゆっくりと近づいてきた。私の隣に立ち、柔らかい声色で言う。
「何が気になっているんだい?」
「太陽が、太陽が全く動いていません」
「そうだ。ここは薄明の国。常に日が昇る直前。昼でも夜でもない、中途半端な国だ」
ここが惑星である以上、そんな現象が起こるわけ……まさか?
信じられない事象を前にして、私は左の頬を自らつねる。
「痛くない。ここはもしかして……夢の国?」
「いや、それは君の痛覚が鈍いだけだと思う」
夢の世界ではないみたいでーす。
確かに頬肉を引きちぎるくらいしないと、痛いって感じないかも。