6-02左 薄明の国の勇者
◆6-02左 薄明の国の勇者
目が覚めると薄暗かった。
いつの間に眠ってしまったのだろうと、左目を擦りながら起き上がってみれば、野外だった。ワイルドな寝起きだね。
寝ぼけて庭に出ちゃったみたいなテンションで周囲を見渡して、私は愕然とする。
「え? ホントにどこ?」
寝て起きたら、本当に知らない場所にいた。
知らないし、ここがどの辺かの見当もつかない。
自分の姿を確認してみれば、いつものワンピース姿だった。パジャマから変わって……あれ? 私って昨晩寝るときパジャマに着替えたっけ? 記憶が曖昧だ。
目の前には赤い荒野が広がっている。視界の中に、建物も植物も無い。あるのは赤茶けた岩と砂の大地だけ。
起きたら赤い砂漠っぽい場所にいた件について。
しかし、この場所の特徴として挙げた赤色……岩砂の大地のそれは、それら本来の色では無いのだと思う。
日が赤いのだ。地平線の向こう側から太陽の赤い光が漏れ出している。日輪そのものは見えないが、空と大地を真紅に染め上げている。
夕焼けか、はたまた朝焼けか。寝てた時間を考えると朝焼けかな?
起きたら別な場所という謎現象に巻き込まれている今、時間の感覚も信用しきれないとも思う。
赤い世界を眺めながら、色々考えた結果分かった。私には明らかな記憶の混乱がある。
昨日、昼過ぎまでの記憶はあるのだが、夜の出来事については一切思い出せないのだ。何かを食べたような記憶、化粧をした記憶、雑に寝かしつけられた記憶……ほんのりと思い浮かんだりするのだが、それらは全て夢のようにも感じる。
まあ、時間については待てば分かる。陽が昇ってくれば早朝、沈んでいったら夕方。確率的には二分の一、賭けをするノリで予想を口に出した。
「うーん……これは朝焼け!」
「君にはそう見えるのか」
突然、右から話しかけられた。
ギョッとして顔をそちらに向けると、金髪の青年が私のすぐ近くに立っていた。どうして今まで気づかなかったんだ? 警戒レベルを引き上げた上で、彼と対峙する。
謎の青年の服装を上から下まで観察してみると、王様だった。
軍服のような仕立てだが、ポイントごとに貴族の礼装の要素が盛り込まれている衣装。
腰にある西洋剣は装飾過多で儀礼用のものに見える。
そして何より、彼の頭上には金の王冠が載っていたのだ。絹のように柔らかそうな金髪も彼の高貴な出自を喧伝しているようだった。
「……どこから現れたんですか?」
「ずっとここにいたよ。君が落ち着くまで見守った方がいいと思った。ここに来る人は初め混乱するものだから」
「そうでした? 気が付きませんでした」
「少し後ろの方に陣取っていたのがいけなかったかな? 右側というのも間違いだったかも」
目覚めてすぐ、私は周囲を見回したはずだ。360度を確認できるくらいは首を動かしたと思うけど……死角が出来てたのかな?
間違いなく一般人ではないだろうけど、人に会えて良かった。ここがどこかを聞いて、まずは帰る方法を探さなければ。ワープか拉致か、睡眠中に移動した理由は後から調べれば良い。
私がそう考えているあいだ、彼は明かりが漏れる地平線をじっと眺めていた。自信に溢れた堂々とした立ち姿で、物憂げな顔で遠くを見ている。
私も黙って彼の顔を凝視してしまった。
ほどなく王様っぽい格好をした彼は、視線に気が付き口を開ける。
「あまり取り乱さない人は珍しい…………ようこそ、薄明の国へ」
「薄明の国?」
「その通り。人の後悔が集う、常に日の出前の国だ。そして、僕はこの国の王」
薄明の国……? 聞いたことがない。しかも、ずっと日の出前って……どういうこと?
普通に混乱しているけど、私の場合は表情に全く出ないのだろう。彼は間髪入れずに続けて言う。
「僕は皆から王様と呼ばれている。たまに勇者と呼ばれたりもするが……好きな方を使って」
「はあ……。王様は知り合いにいるので、勇者様とお呼びします」
「分かった。では君の名前は?」
当然の流れでそう質問され、私は考えた。
正直にユミエラ・ドルクネスと名乗って良いものか。
理由は不明だが、睡眠中に見ず知らずの場所に来ていて、間違いなくバルシャイン王国ではない。隣国レムレストで名乗ったら混乱が起きるのだから、ユミエラの悪名が届いている土地では偽名を使うのが得策なのだ。
パトリックの兄ギルバートには、エレノーラと名乗った。でもエレノーラだと身近すぎて、呼ばれたときに反応しにくいから大変だった経験がある。
前世の名前……は何となく使いたくないから、前世でゲームしてたときのプレイヤーネームを使おうかな? でもリアルで「あんころもち」と呼ばれるのはオフ会みたいで恥ずかしい。
どうせなら、もっとカッコいい名前でも使おうか? 色々考えた末、あまり無言だと怪しまれるからと、私は焦って自己紹介をする。
「私の名はジョーカー」
やっちまった。ジョーカーは無いだろ、ジョーカーは。
ちょー恥ずかしい。痛すぎる。顔から火が出そう。
そんな痛い名前を、自称勇者は真面目に受け取る。
「よろしく、ジョーカー」
「ユミエラです。ユミエラ。ホントはユミエラって名前なんで、そう呼んでください」
「ん? ジョーカーは家名? ユミエラ・ジョーカー?」
「ユミエラ・ドルクネスです。ジョーカーは忘れてください」
あーあ。ジョーカーとか言わなきゃ良かった。
ジョーカーを名乗って許されるのは、道化師と怪盗とメタルバンドと……結構あるけどさ。中二病は何がトリガーになって再発するか分からないから用心しないと。
所在地は未だ分からぬ薄明の国、この地にユミエラの名は届いているのだろうか……?
しかしながら意外なことに、勇者が反応を示したのはユミエラではなかった。
「ドルクネスは聞いた覚えがある。どこだったか……確かどこか伯爵家の従士をしていたはずだ」
「それは名前が同じだけの家だと思います。バルシャイン王国という所の伯爵家でして」
「そうか! バルシャインのご令嬢だったのか!」
王国の名前を聞いて、彼は嬉しそうに言う。
ドルクネス家だったりバルシャイン王国だったり、変なところに反応する人だ。
反応は謎でも、王国を知っているようで良かった。バルシャインを誰も知らないくらい遠くにいるのではないかという不安が、一気に解消されちゃった。
地元一緒やで! みたいな感じで喜んでいる勇者を見るに、王国との関係がある人かもしれない。帰り道はすぐに分かりそうだ。
「バルシャイン王国、ご存知なんですね」
「もちろん。だいぶ昔のことだから、国が今どうなっているかは分からないけれど」
「薄明の国からバルシャイン王国まで距離はどれくらいですか? 帰り道が知りたくて」
「帰る? バルシャインに?」
「そりゃあ……あ、信じてもらえないかもしれないんですけど、目が覚めたらここにいて。バルシャイン王国にいたはずで」
非現実的な話をしているなと思う。帰り道が分かれば良いので、信じてもらえなくても問題ないけどさ。
しかし……やはりと言うべきか、彼は予想と違う受け答えをした。
「分かるよ。この国はそういう所だ」
「そういう、というのは?」
「薄明の国については長くなる。まずは休める場所まで案内しよう。集落までは歩いてすぐだ」
何もない砂漠みたいな場所だけど、近くに集落なんてあるのかな?
私が改めて赤い荒野を見渡していると、勇者は後ろの岩山を指差す。太陽が出ようとしている方向の反対側だ。
「あの後ろ、山の影になっている所に人が集まっている。大丈夫、変わった人が多いから君も受け入れられるはずだ」
「あー、ここでも黒い髪は珍しいんですね」
バルシャイン王国近辺は特に希少だという注釈はつくが、世界単位で黒い髪は珍しい。奇異な目で見られるのはどこでも一緒だ。
一人で勝手に納得していると、じっと見つめられていることに気がつく。彼の瞳は、私の頭に注がれていた。
勇者は髪をじっと観察しながら、ゆっくりと移動する。私の右側にいたのが前を通って左側へ。視線は私の頭部に釘付けのままだ。
そして、漏らすように呟いた。
「…………本当だ。本当に真っ黒だ」
「変わってても大丈夫って髪色のことでは?」
「髪よりもっと……いや、気にする必要は無い。薄明の国は全てを受け入れる」
髪と瞳の色以外で変わった所あったかな?
顔に何かついているのかもと、左頬をペタペタ触ってみるが違和感は無かった。体を見下ろしてみるが同様だ。左手も左足も、なんら異常は無かった。
言いかけたなら最後まで言ってほしいんだけど……伝える前に、街のある方向へ歩くようにうながされる。
「こっちだ。早く行こう。あまり日に当たるのは良くないとも言う」
「まだ出てませんけどね」
「そういう場所だ」
会話がいまいち成立していない感もありつつ、私たちは岩山の裏側を目指して歩き始めた。
赤い荒野の硬い地面をひた歩く。今気がついたけど、靴はちゃんと履いていた。服もパジャマから着替えているし……何者かが着せ替えたのか、記憶がないだけで自らやったのか。目覚めたら知らない場所だった謎は未だに謎のままだ。
景色も代わり映えしないし、いつ履いたのか分からない靴を見つめながら歩き、ふと顔を上げた。すると少し前を歩いていた勇者と目が合う。彼は気遣うような目で私を見ていた。
「すごい歩き方をするね」
「ああ、はい。ちゃんと前を見て歩きますね」
「そういう意味では――」
勇者はそこで口ごもり、前を向いてしまった。
さっきも変わっていると言われたし、何か変なところあるかな?
言いたいことがあるならハッキリお願いします。と問いただすべきか考えていると、彼は頭を前に固定したまま言った。
「僕の旧友にもね、いたんだ」
「……はい?」
「真っ黒な髪をしていた。光とか向きの関係で最初は分からなかったけど、本当に真っ黒で驚いた。君は雰囲気も彼に似てる。ああ、本当にいいやつだった」
口ぶりからして故人なのだろう。
彼は明るく喋っているが、今どんな顔をしているかは見えない。黒髪の友を懐かしむ後ろ姿はどことなく――
「面白いやつでね。もう会えないと思っていたのに最近になって再会したんだ」
死んでないのかよ。さっきまで故人を悼む雰囲気だったじゃん。
少しの会話しかしていないが天然な人だ。勇者と名乗るあたりもそうだし、何なら王様も自称かも。
「あ、生きてるんですね」
「……誰が?」
「その私に似ているお友達です」
「最近また会ったんだよ? 分かりきったことじゃないか」
やっぱり勇者は天然で、会話がズレてる感じがする。
結構遠くまで飛ばされちゃったのかな。そういう雑談の感性が違う所まで来ちゃったね。
岩山の脇を通り抜ける。
日の影になっている部分……今は日の出前だから、つまりは山の西側。そこに集落はあった。
薄く照らされた赤い大地を避けるように、山に隠れた黒い地面に人が集まっている。
「これが、集落……ですか?」
山影に人はいた。人はいたが、私の知る集落のイメージとはかけ離れた光景だった。
まず、建物が無い。地べたに座る人がまばらにいるだけだ。壺のような物など、人工物もあるにはあるのだが、あまりに数が少なかった。
校庭に人を集めただけみたいな景色に、私は絶句する。
どうやらとんでもない国に来てしまったらしい。そこの王様は振り返り、笑顔で握手を求めて右手を突き出した。
「ようこそ薄明の国へ。ここは集まっている人が一番多いから、僕たちは首都と呼んでいる。ここの人たちは日光に当たるのを嫌うから、だいたいここで過ごしているんだ」
どこかに家があって、朝はラジオ体操をするから山陰に集まって、その集会所を集落と呼んでいる……みたいな、都合の良い想像は全て否定されてしまった。
脳の処理能力が追いつかない私は、握手を求められたことも忘れ、ただ出された手を見つめる。
すると勇者は、ハッとして手を引っ込めた。
「……ああ、失礼。じゃあ改めてよろしく」
今度は左手が出された。右手を握るのは嫌だとか、そういうんじゃないんですよ。
指摘する余裕はもちろん無く、私は現実感が無いまま彼の手を握った。
「よろしくお願いします」
半分だけ照らされた勇者の顔を見上げる。その王冠に相応しい、優しい王様然とした顔はずっと崩れなかったが、私はどこか不安定なものを感じた。
さて、集落と言っても地べたに座り込んで休憩するくらいしか出来ない所だ。
早くバルシャイン王国の方向を聞いて、変な国から脱出しよう。
軽く握った手を放し、地理について尋ねようとしたところ、私たちは横から声をかけられる。山陰に集まっていた住民の一人だ。
「そこは危ない! 早くこっちに来るんだ!」





