5-28 ゼロから始める親子関係
本日5月5日は「こどもの日」です。
祝日を定める法律によると「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」とのこと。
ユミエラと両親の冷めきった関係に少しでも変化があればと思い、この話を書きました。
◆5-28 ゼロから始める親子関係
御前会議の翌日。私は、ふと思った。
「レベル上げ卿って何? 意味分かんない」
「俺もそう思う」
寝て起きたら考えが変わっているなんて、よくあることだ。
昨日、王城から帰ってから、パトリックに散々レベル上げ卿はおかしいと説得された影響も受けているだろう。それを差し引いても、冷静に考えてみるとレベル上げ卿は意味不明だ。
「どうしよう? 御前会議で、ちょっと変なこと言っちゃった」
「ちょっと? ……まあ、いいか。護国卿の件は大丈夫だろう。廃止の方向で動くと、別れ際に陛下が仰っていた」
そうだっけ? レベル上げの話に夢中であまり覚えていない。
プライナン侯爵の企みも全て潰せたし、アーキアム家も良い方向に向かいそうだし、全てが上手くいったので良しとしよう。
「これで心置きなく帰れるね」
「少し長引いたな。明日あたりに出る予定でいいか? やり残したことは?」
やり残しは無いはず。
……いや、一つだけ胸に突っかかっている座談会での言葉がある。
『子から教わることは多いものだ』
『幼く未熟な者と向き合うことで、己の幼さも未熟さとも向き合える』
子育て経験の有無で人間の出来が左右されるとは思えないが、貴重な経験であることは確かだ。子供がいるのに、子育てを全く経験していない人を、私は知っている。この屋敷に住んでいる。
黒髪の子供が気持ち悪いからと、すぐに領地に追放したのがいけなかったのだろう。恐らく両親は、赤ん坊の私を一度も抱いていない。髪が黒くても案外かわいいじゃん……と思い直す機会も無かったのだ。
思い起こしてみれば、彼らに私から歩み寄ったことは無かった。どうにもならなくなっている親子関係も、私からアプローチをかけて、今からでも子育てを経験すれば改善するかもしれない。
私は意を決してパトリックに宣言した。
「私、改めて両親と話してみる」
「なぜ急に?」
「ちょっとね。準備する物もあるから、行くね」
驚くパトリックへの説明はそこそこに、私は準備を始める。
去り際にパトリックは「がんばれ」とだけ言ってくれた。うん、私、がんばる。
◆ ◆ ◆
昼も過ぎて時間が経った頃、用意を済ませた私は両親の部屋の前まで来ていた。
深呼吸して気持ちを落ち着けてから、ノックをして扉を開ける。
私の両親……両親と呼ぶのは堅苦しいから、パパとママと呼ぼう。
パパママはおやつの時間だったらしく、二人で仲良くパンケーキを食べていた。ちょっと会ったり、使用人から聞いたりする限り、私の父親と母親ってラブラブなんだよなぁ。愛し合う夫婦の間に生まれた娘が、仲間はずれにされるなんてね。
前に会ったときに比べて、彼らは少しふっくらした気がする。引きこもり生活が祟ったのだろう。
パパは私の姿を確認した途端、勢いよく立ち上がる。
「お前か! 何をしに来た!」
もうここは私の屋敷なんですけどね。自分の家で何をしようが勝手でしょう? なんて憎まれ口を叩いていた私だったが、今日は違う。
愛は貰うものではなく、与えるものなのだ。私は二人に初めて甘える。お恥ずかしながら、呼び方はパパとママ。
「ふぁふぁ! ふぁふぁ!」
「それは……なんだ?」
「ふぉれはふぉひゃ……」
喋りづらいので、私は咥えていたおしゃぶりを外した。おしゃぶりは赤ちゃん必須アイテムだと思っていたが、パパとママが両方ファファになってしまうのは計算外だ。
愛され赤ちゃん指数は下がっちゃうけど、外すのもやむ無し。
というか、この人たちはおしゃぶりも知らないの? 産まれた娘をすぐに外にやっちゃうと、こういう知識も手に入らないんだね。
「これは、おしゃぶりです」
「そんなことは知っている! なぜお前がそんなものを!」
「パパとママは赤ん坊の私に触れてないじゃないですか。大事な娘の一番かわいい時期を見られなかったのは、可哀相だと思いまして。ほら、存分に可愛がってください。あなたたちの赤ちゃんですよ」
無論、よだれかけも装備している。これらを買いに、使用人にお使いに行って貰ったときは気が早いと言われたが、むしろ遅いと思った。
私はパパの前まで行く。丁度立ち上がっていたので、向かいに座るママの所に行くように手振りで示した。
そして、パパが座っていたソファにごろんと横になる。もちろん仰向けだ。うつ伏せだと窒息の可能性があるし、まだ寝返りは打てない。
「おぎゃあおぎゃあ」
「な、な、なんのつもりだ!?」
「あなた助けて!」
ママがパパに抱きついた。いやいや、二人の仲は分かったから、さっさと泣いてる娘をあやしてよ。
ちなみに、乳児特有の泣き声は出せないので、口ではっきり「おぎゃあ」と発音している。ぐしゃぐしゃな泣き顔も再現不可だから無表情のままだ。
「おぎゃあおぎゃあ」
「ごめんなさい、こんな子を産んでごめんなさい」
「いいんだ。君は悪くない」
「おぎゃあ……早くあやしてくださいよ! 赤ちゃんが泣いてるんですよ!」
赤ん坊を放って、ママは泣き出すし、パパはママを慰めている。どうなってんだよ。
私が痺れを切らしたところ、パパはママを抱き寄せたまま言った。
「……要求を言え」
「いないいないばあ」
「いない……ん?」
「いないいないばあ……知ってますよね?」
「知って、いる」
「やってください。パパならパパらしく、娘を笑顔にしてください。おぎゃあおぎゃあ」
パパは「大丈夫だ、愛しているよ」とママに耳打ちしてから私の方に来る。
そして、顔を両手で覆った。来るぞ!
「いないいない……ばあ」
私はパパの笑顔が出てくると信じていた。しかし、対面したのは死人のように生気が抜けた顔だ。予想を裏切るなんて……めっちゃおもろいやん。
「きゃっきゃっ!」
私は赤子特有の、泣き声と判別がつきづらい笑い声を上げた。もちろん完全再現は不可能なので、無表情のまま平坦に「きゃっきゃっ」と発声している。
さて、パパとの親子の絆は深まったので、次はママだ。この人達に赤ちゃんの要求を察してもらうのは無理そうなので、ちゃんと口に出して言う。
「お腹が空きました」
「何か用意させて――」
「今すぐです」
「えっと……このパンケーキで良かったら――」
ママはテーブルに置かれたパンケーキを差し出す。まだ手が付けられていないパンケーキには、たっぷりのハチミツがかけれており……は!? ハチミツ!?
「赤ん坊にハチミツ食べさせたらダメなのは常識でしょうが!」
「常識!?」
「一人の子を持つ親なら、それくらいの常識知っておいてください」
一歳未満の乳児はハチミツを食べることでボツリヌス症になるリスクがある。甘くて液状だから赤ちゃんが喜びそうな印象でも、ハチミツは絶対にダメだ。
私は寝っ転がったままで呆れ返っていた。申し訳無さそうな態度を出しつつも、どこか納得のいかない表情をしているママに言う。
「ハチミツを取り除いてもパンケーキは無理ですよ。歯が生えてませんから固形物は食べられません」
「歯は……生えてるように、見えるわよ?」
「あの、赤ちゃんが何で大きくなるか知らないんですか?」
もしかして、育児放棄したせいで赤ちゃんそのものを見たことがない? そんな不安に襲われるほど話がチグハグで噛み合わない。
ママは両手で自分の体を抱き、胸元を隠しながら下がった。
「もしかして――」
「いや、流石にそこまでは無理っす」
ムリムリ。きついって。私は赤ちゃんだけど、もう大人だよ?
意を決した母上が超高度なプレイを始めても困るので、差し入れを登場させる。じゃじゃーん!
「これをどうぞ」
「それは……なに?」
この世界にも哺乳瓶はある。……あったのだから、あるのだ。ステータスウィンドウと自転車と海鮮丼は無いけど、レベル制と馬車と哺乳瓶はある世界観でやらせてもらってます。
哺乳瓶の中身には牛乳が満タンだ。これに牛乳を入れてくれたメイドさんには気が早いと言われたが、約二十年遅いと思います。
ママは哺乳瓶を見て、困った様子だ。え? 知らないの?
「哺乳瓶ですけど……知らないんですか?」
「そういうことね。私が、飲ませればいいのね」
彼女は今から人を殺すくらいの覚悟を持った眼差しで、哺乳瓶を受け取る。
子育てに向き合ってくれて嬉しい。赤ちゃんがお腹を空かせているような場面では、やっぱり父性よりも母性の本能が刺激されるようだ。
父性の方はと言えば、私の空腹などどうでも良いというような発言をする。
「やめてくれ! お願いだ!」
パパは少し黙っていてください。ママはやる気になってますから。
寝っ転がる私の口元に、カタカタと震える哺乳瓶が近づく。私は差し出された吸口を咥えてちゅーちゅーと牛乳を飲んだ。
……なんか、頑張って吸っても口への流入量が少なく、とてももどかしい。
大して減ってないけど、これくらいでいいか。私は哺乳瓶から口を放した。あ、満腹なのでご機嫌になります。
「きゃっきゃっ」
「……終わったの?」
顔面蒼白になっていたママは、覚束ない足取りで下がる。
やっぱりね。赤ちゃんはミルクを上げて、後は寝かせておけば良いものではない。食後にはアレをしなければいけないのだ。
「すみません。起こして、背中を叩いてください。ゲップをします」
母性に目覚めたママは、すぐに私の側まで来た。
そして、涙まじりで声を震わせて言う。
「はい、やります」
彼女は、ソファに寝ている私の両肩を掴み引き上げる。
ママの細腕で私を持ち上げさせるのも酷なので、自分でも力を入れて起き上がった。
上体が起き上がったタイミング。
前触れもなしに私は、頭をグリンッと横向きにする。
「きゃああああ!!」
「失礼しました。首が座ってないもので」
ママは絶叫しながら後ろに倒れて、尻もちをついてしまう。
赤ちゃんは頭を支えて抱かないと、頭部がグリングリン動いて危険だ。これを機に変な抱っこをしないよう願います。
ママのすごい悲鳴は屋敷中に響き渡ったようで、こちらに走る足音が聞こえてきた。
悲鳴と尻もちから数十秒でパトリックが現れる。
「何事だ!?」
パトリックはドアを開けた姿勢で固まった。
よだれかけを付けて首が横向きの私、腰が抜けて立てないママ、彼女に駆け寄って抱きしめるパパ。家族団らんを絵に描いたような光景が、パトリックの目には映っているはずだ。
ほのぼの家族ドタバタコメディの一場面を目撃したパトリックの表情は、みるみるうちに無くなっていき……黙って退室してドアを閉めた。
「待ってくれ! 頼む! 助けて!」
「行かないで! お願いです!」
気を使って出ていってくれたパトリックを、両親は必死になって引き止める。
若干の間を置いて戻ってきた彼は、私を見て心底嫌そうな顔をする。
「何をしているんだ?」
「赤ちゃんだけど?」
「……それは、やらない方がいい」
「やらない方がいいっていうのはつまり…………私が赤ちゃんみたいに振る舞うのはキツくて見ていられないって意味?」
「どうして分かっているのに実行に移すんだ」
親子関係修復のためだってば。
もうやめるよ。かわいいー! って反応を期待していたのに手応えゼロだったし。親から見ても赤ちゃんユミエラ(19)はキツかったらしい。
親と子をやり直すのは諦めよう。生まれてから死ぬまで相容れない、そんな親子がいたっていいはずだ。
熱意を失った私は立ち上がって部屋から出た。
パトリックが来ないなと振り返ってみると驚きの光景が。父と母は両手を伸ばし、パトリックの手を包んでいた。そして、口々に感謝の言葉を述べている。
「ありがとう、ありがとう。あれを引き取ってくれて本当に感謝している」
「ごめんなさい、私があんな子を生んでしまったせいで」
四つの手から握られて、彼も戸惑っていた。
「いや、実の娘をあんな子呼ばわりは――」
「君がいてくれて良かった。結婚までしてくれるなんて」
なぁんで娘を差し置いて、義理の息子と仲良くしてるの?
両親のみならず、両親とパトリックからも仲間はずれにされてしまった私は拗ねてその場を立ち去った。
ただ私が恥の厚塗りをしただけかに思えた赤ちゃんユミエラ、両親とパトリックが近づくきっかけになったのなら、やって良かったのかなと思う。





