5-17 プライナン侯爵
◆5-17 プライナン侯爵
「こんにちは、失礼します」
私は自然に執務室へと侵入した。
奥の大きな机にいるお爺さんがプライナン侯爵で間違いない。前に招かれた王城でのパーティーで一言だけ挨拶をしたのを思い出した。まん丸な体をしている彼は、目もまん丸にして驚いていた。
「突然すみません。少々お話がありまして……」
驚愕で固まっているのは部屋の主だけではない。補佐官か秘書官かは分からないけれど四人の男女も私を見て硬直していた。初めに復活したのはそのうちの一人、妙齢の女性が腰が引けたまま言う。声は震えていた。
「こ、ここは財務卿執務室ですよ! あ、あまり、やってはいけないと――」
「アデル」
侯爵が穏やかな声色で女性の名を呼ぶと、彼女は言葉を飲み込んでヘナヘナと床に崩れる。それを確認してから、彼は優しい言葉を続ける。
「あのドルクネス卿が訪ねてくるくらいだ。大事な用件であるとワシは思う。みな、少し席を外してくれるかな。外にいる二人も入っておいで」
振り返ると、パトリックとエレノーラの両名は「マジで突入しやがった」とでも言いたげな表情をして引いていた。
二人は、侯爵の部下と入れ違いになって入室してくる。
「さあ、ここに座って。……ああ、飲み物を用意させよう」
彼は机の端に幾つも並んだ鈴の一つを鳴らす。
それは、心地のよい響きで……いや、おかしい。このお爺さん平常心すぎるぞ。私が突然押しかけたら、さっきのお姉さんみたいに腰が抜けるくらいの反応をしてもおかしくないはずだ。どうして普通に対応できるの?
彼が驚いて取り乱して、私に有利な感じに事を運べたら。なんて考えていたが主導権は既に向こうに握られてしまった。
にこやかに出迎えてくれた侯爵を見て、パトリックすらも呆気に取られていた。
ベルが鳴ってからすぐ。異常な速度で紅茶が用意され私たちの前に置かれる。
三人で並んで座り、正面にプライナン侯爵が腰掛けた。
「……あ、突然の訪問、大変失礼致しました」
「そんなに畏まらなくても大丈夫。ドルクネス伯爵は……うーむ、ワシの方も堅苦しくなってしまうな。……ユミエラと、名前を呼んでも大丈夫かい?」
「はい、お好きなように呼んで頂ければ」
「おおっ、ありがとう、ユミエラ」
こんなにグイグイ距離を縮めてくる人はエレノーラ以来でびっくりする。ただ、彼女のそれとはまた違った雰囲気だ。優しそうなお爺さんだと思う反面、心がどこか落ち着かない。
パトリックも友好的過ぎる彼に困惑していた。
「パトリック君、君は初めましてだったね。一緒になる機会は少ないがワシはアッシュバトン辺境伯家を尊敬しておる。何かのついでに伝えてくれると嬉しい」
「あ、ありがとうございます。必ず父に伝えましょう」
そして最後に、彼はエレノーラに顔を向けた。
ここに来てから既にベールは取ってある。間違いなく面識がある二人の視線が交わった。
「さて……久しぶりだね」
「は、初めましてエレノーラですわ」
「そうだった。初めましてエレノーラ。お父君のことは残念だったが、エレノーラが元気なようで嬉しい」
エレノーラを連れてきたことに苦言の一つでも呈されそうなものだが、侯爵は平然と彼女を受け入れた。
想定の反応と違いすぎて、こちら側が困惑してしまう。私が押しかけて、ここまで平然と対応されるとは思わなかった。心が広いのか、本心を表に出さないタイプなのか。
「さてさて、ドルクネス領の様子なども聞きたいところではあるが、よほど急ぐと見た。全く想像がつかないが、用件を言ってごらん。ゆっくりでいい」
彼に本題を言うよう促される。
雰囲気に飲まれてつい、直球でアーキアム家のことを話してしまう。
「ここに来る前、私たちはアーキアム伯爵家に行っていました」
「ほお! アーキアム家か……君たちの目的は分かったが、不思議だな。ユミエラは王都のいざこざに首を突っ込む子ではないだろうに」
一度は驚いた侯爵であったが、態度を悪くするでもなく穏やかに言った。
私に対する彼の人物評も正確だ。今回の私は私らしくないことをしている。だからこそエレノーラを連れてきて理由を察してもらおうと思っていたのだが……彼もすぐに気づいたようだ。
「なるほど、それでエレノーラも一緒に」
「すみません」
「謝ることではない。ユミエラとパトリック君の二人だったら、ワシも君たちの意図が分からず混乱していたかもしれん。良き判断だ」
何度も頷きながら彼は言う。
二つ返事で伯爵潰しを取り下げてくれそうな雰囲気の中、ここはストレートにお願いした方が良いと思った。
「ありがとうございます。それで、アーキアム家のことです。役職……護国卿を取り上げるおつもりと伺っています。どうか取り下げていただけないでしょうか?」
「であろうな。ただ……悪いことは言わない。聞かなかったことにしてあげるから、この件からは手を引きなさい」
温和な表情を変えずに侯爵は言った。
少しは交渉の余地があると考えていたが、バッサリと忠告を受けた。取り付く島もない。
護国卿が無くなり伯爵家が都落ちしたとて、彼にそこまでのメリットは無いはずだ。なぜ伯爵潰しに強硬的なのか。理由は本人の口から語られた。
「何もアーキアム家に恨みがあるわけではない。しかしだ、かの家が役職を奪われることは、既に周知の事実。それをひっくり返してしまえばユミエラに火の粉が降りかかる」
「これ以降は領地に引っ込むので、今回だけ何とか……はなりませんよね」
侯爵は困ったと顎をかき、エレノーラに視線を向ける。
「エレノーラ様がどうかしましたか?」
「ユミエラはエレノーラに様を付けるのだね。彼女は貴族でもないはずだったが、どうしてかな?」
「どことなく、高貴な感じがするので。明確な理由はありません」
「入城するとき、止められなかったかい?」
「顔を確認されましたが、衛兵には何も言われませんでした」
「見張りも災難だな……して、高貴に見える彼女はどこの生まれだったかな?」
「雨の日に橋の下で拾いましたので、生まれは良く分かりません」
今さらこの問答をするのは意味が分からなかった。
エレノーラがヒルローズ家の一人娘であることは、私も彼も……何なら見張りの騎士でさえ知っている事柄だ。
橋の下で拾ったと言ったところで、本気で信じる人物は一人もいない。
「え……わたくし、どこの橋で拾われたか覚えていませんわ。あとで聞かないと……」
エレノーラちゃんが誰にも聞かれていないと思ってした呟きは、無視するものとする。
侯爵はうんうんと大きく頷いた。
「ユミエラがそう言うのであれば、そうなのだろう。ワシが異を唱えるつもりは無いし、国王陛下も納得されるであろう」
ここで侯爵はようやく表情を変えた。優しさはなりを潜ませ、真剣さを滲ませて続ける。
「誰も反論しないであろう、だが皆が嘘だと分かっている」
「それはそうですけれど……」
「ああ、責めているわけではない。ユミエラには嘘を真実とするだけの、無理を通す力がある。だが……その力を使いすぎてはいけない。エレノーラの件は許されている、今回の件もユミエラの意見が通るであろう。しかし、無限に無理を通せるわけではない。理解しているね?」
「我がままであるとは、分かっているつもりです」
エレノーラの件はどうにかなったし、護国卿の件も何とかなるとして。
ユミエラパワーを使えばいくらでもワガママを押し通せそうな気になるが、決して無限ではない。比較的小さな、他者に不利益を与えないことだからどうにかなるのであって「明日から私を王様にしてください」と言っても決して認められないだろう。
ただ武力のみで世界を手にすることは出来ない。恭順したふりをしても内心では恨まれるだろうし、破滅を覚悟して死ぬまで抵抗する勢力が現れることも容易に想像できる。
平行世界でユミエラ2号が大陸統一を成し遂げているが、彼女より強い私には同じことが出来ない。認めたくないが2号ちゃんにはパワー以外の長所があるのだろう。私の方が強いけど。
「ワシら穏健派の貴族はユミエラを好意的に思っている。それは、ユミエラが中央の権力争いに興味が無いからだ。自分の宝が奪われるやもとなれば友好的な態度も変わってしまう」
「護国卿は重要視されていませんよね? そんなに影響はありますか?」
「ユミエラ自身に関係のない部分で、政治に口を出すのは大事だろう。今までは無かったはずだ」
「そう、ですね」
私は今までの記憶を辿る。婚約話を片っ端から断って、伯爵位を継いで、エレノーラを居候にして……貴族の頭を悩ませるようなことをしてきたが、確かに全て自分に関係することだ。
そうなんだよなあ……侯爵の言う通り、今回の私は私らしくない。普段なら伯爵のお願いを断っていたところを引き受けてしまったのが間違いだったかな?
不干渉を徹底することで成り立っていた私と穏健派貴族の友好関係も崩れてしまうかもしれない。これから王都に来るたび、今度は俺の計画の邪魔をするのではと痛くもない腹を探られるのは面倒だ。
「アーキアム家のことはワシも不幸だと思う。しかし、表立った場所ではないが既に議題に上がり役職を取り上げるところまで話が進んでしまっている。もう少し早ければやりようがあったが、どうにも難しい。ユミエラがらしくないことをしている理由も分かっているのだが……」
そう言って侯爵はエレノーラを見る。
悲しげな彼女を見て、彼の表情も悲痛なものに変わった。
「あまり期待されても困ってしまうが、ワシもやれることはやってみよう。明日になれば状況も変わっているかもしれない。なあに、ワシも孫娘の我儘には困らされている」
「すみません、突然押しかけて無理なことを言って」
「いいや、困ったことがあればいつでも遊びにおいで」
穏やかなムードのまま会談は終わる。
もっと刺々しい波乱の展開を予想していたので、それは良かった。だが結果は芳しくないものであった。
伯爵潰しのメリットは無くとも、それを中断するデメリットを想像できなかったのが敗因だろうか。私も侯爵も、面倒なしがらみが多すぎる。
その後、パトリックとエレノーラも交えて雑談をして、財務卿の執務室から退出した。
帰りの馬車。温和なお爺さんに毒気を抜かれた私たちは、嬉しくも悲しくもない気の抜けた空気に包まれていた。
「駄目で元々だったけど、やっぱりダメだったね」
「あんなに上手く躱されてしまうとなあ」
「親しげすぎて、逆に強く出れなかったわ」
「あれは彼自身の人柄でなく、全て計算づくの作戦だろうな」
これからどうしよう?
伯爵に「交渉は失敗です」と報告して……終わりかな? 始めから本気で動くつもりはなかった。私はそもそも乗り気ではなくて、エレノーラがどう思うかが重要だ。
「エレノーラ様……どうします? とりあえず交渉はしてみましたけれど」
「もう出来ることはありませんわよね? 仕方ない……のかしら?」
納得はできないが、納得するしかない。
アーキアム家の方々は最後の最後まで納得できないと思うけれど、私はそういうものと納得して諦めた。後はエレノーラちゃんが納得してくれさえすれば解決はする。
「これ以上に動くのは難しいですね」
「そうですわよね……わたくしの我儘を聞いてくださってありがとうございます」
「気にしないでください。私もアーキアム伯爵が大変そうだとは思いました」
伯爵家も可哀相ではあるのだが、これ以上の働きを期待されても困る。
この件はここが引き時かな。これだけやれば、アーキアム伯爵もエレノーラも諦めが付くでしょ。王国の重鎮と表立って争う事態も避けたいしね。
何とも消化不良ではあるが、護国卿の件はこれで終了だ。
アーキアム伯爵の所に戻り王城まで行ってきたことを報告すると、彼から申し訳無さそうにお礼を言われた。私が直接出向いて無理ならと諦めがついたのだと言う。
そして帰宅。朝から伯爵の使者が来て、装備を作れないと知って、伯爵邸に行って、王城にも行って……慌ただしい一日だった。今日のうちに用件は全て済んだのが幸いか。
ただしエレノーラは未だに割り切れていない様子であった。





