5-15 訂正、何もさせて貰えない卿
◆5-15 訂正、何もさせて貰えない卿
「あ! 何もしない卿ですね」
言った瞬間、やっちまったと後悔した。
何もしない卿は私の脳内でのみ使っていた言葉だ。役職名だけ存在して、実際は何もしていない貴族を指す。ちゃんと中央貴族だし、名目上は他の何とか卿と同格みたいな扱いになっている。
学園にいるとき覚えるメリットを見いだせなかったので、そこそこの人数いる何もしない卿はほとんど知らない。護国卿も知らなかった。
完全に馬鹿にしきった造語を披露してしまった。
伯爵は怒るだろうかと身構える。しかし彼は煤けたオーラを漂わせ、力無く呟いた。
「…………せめて、何もできない卿と呼んでほしい」
「何もできない卿……無気力さはなくなりますけど、無能のようにも聞こえます。何もさせて貰えない卿の方が良くないですか?」
「では、それで」
彼は気力の抜けた声色で投げやりに言う。アーキアム伯爵、怒っていなかったが相当に傷ついていた。ごめん。
そうか、これでパトリックの理解に追いついた。彼が納得したことに納得。ちょっとつつけば、役職の剥奪なんて簡単だ。
貴族並びに国民が王国を内外から護る意欲を高める……だっけ?
そういう運動していましたか? と聞かれて答えられなかったら職務怠慢で剥奪。
護国卿って何すればいいんだよ! と真っ当な逆ギレをすれば、じゃあ護国卿って役職自体がいらないね……と話を持っていかれる。
仮に広報運動みたいのを頑張っていたとしても、効果がないとか難癖を付けられるだろう。活動内容が曖昧すぎて、実績の有無はどちらも証明できない。多数派に押し切られる未来が見える。
政治事情に疎い私でも、アーキアム家を失墜させる方法はこれだけ思いつく。中央のドロドロ政争大好きマンたちは、もっと悪辣な手法を隠しているだろう。
「絶望的ですね」
「そうだ。先祖が苦労して手に入れた中央貴族の座も私の代で終わってしまう。しかも、アーキアム潰しを企てているのは、あのプライナン侯爵だ」
王国には三つの侯爵家があり、その一つがプライナン侯爵だ。中央貴族を上から順番で言うと……王族、今は無きヒルローズ公爵、三大侯爵が同列くらい、そして上から下まで色々ある伯爵家……となる。
王家が先導して一介の伯爵を潰しにかかるとは思えないので、考えうる限り一番の大物に狙われている。確かプライナン侯爵は財務卿。どうしてそこまでの御仁が何もしない卿を潰しにかかるのか。
軍務卿が名ばかりの護国卿にムカついているとかなら、分からなくもないけれどね。
「財務卿に目を付けられるようなこと、しました?」
「個人的な確執も、家同士の諍いも無いが……王国の予算配分や恩賞について、我々は無理なことを騒ぎ立てていた。拡大派というだけで、彼に恨まれる理由はあるだろう」
「私怨ですか……そうですよね、護国卿を取っても利益はありませんもんね」
「そうでもない。少しでも敵対派閥の力を削げるだろうし、護国卿を子飼いの貴族に渡すつもりかもしれん。名ばかりの役職でも欲しがる貴族は大勢いるだろう」
え? 欲しい人いるの? 何もさせて貰えない卿だよ?
私は要らない。仮にレベル上げ卿とかあっても……うーん、いらない……いや、しかし、私以外に適任がいないし。適当な人がレベル上げ卿を名乗っているのは我慢できないし。
レベル上げ卿とかいう存在しない役職は置いておいて、護国卿は要らない。でも欲しい人はいるらしい……アーキアム伯爵も手放したくないみたい。
手放すデメリットも無い気がする。何もしない卿って国から支度金を貰えるわけでもなく、ただ単に名誉だけのものだ。一つも損しない。あげちゃえば? と思う。
「役職を失ったところで問題ないと思います。手放すのも一つの手ですよ」
「護国卿を足がかりにして、軍への影響力を持つのがアーキアム家の悲願だ。失えば当家の発展が一歩遠のいてしまう」
「……そうですか」
すっかり忘れていたが、アーキアム伯爵もまた過激派貴族であった。
彼らの野望の大きさだけには脱帽する。他の人達とは違うと思っていたのに……裏切られたと、会ったばかりの人に抱くのはおかしい感想が出てきた。
そして、彼は淡々と続ける。
「護国卿は、私の五代前が苦労して手に入れたもの。アーキアム家当主として、やすやすと明け渡すわけにはいかない」
「護国卿の名を受けるくらいですから、立派な功績を挙げられたのですね」
「いや、金で買った。数代前のヒルローズ公爵に近づき、領地から吸い上げた金で役職を買った。適当な功績をでっち上げ、公爵の圧力で護国卿という名ばかりの役職を新設させた」
「ふへぇっ?」
すごい変な声出ちゃった。
祖先を敬う心を否定は出来ないなあ……なんて考えていたのが馬鹿らしくなる。金で買ったと、あっけらかんに言ってしまう彼もおかしい。本当に手放したくないと思ってる?
「お陰で先代までは借金漬けで苦労していた。今は完済して余裕もあるが……それだけ苦労したのだ。金で手に入れたものであろうと、簡単に奪われるわけにはいかない」
「……はぁ、そういうものですか」
「それに手放してしまえば中央貴族ではなく、ただの地方貴族になってしまう。王都で中央貴族の夜会にでも出ようものなら、中央もどきと嘲笑われてしまう」
「ただの地方貴族になったのなら、ただの地方貴族らしく暮せばいいじゃないですか。たまに王都に来るくらいなら何も言われないでしょう?」
前もって聞いた限り、アーキアム伯爵は領地運営をちゃんとしている方の人だと思う。ドルクネス領よりずっと豊かな所領があるのだから、そこでの生活も悪くないはずだけどな。
しかし、彼もまた中央貴族。こういう話をして、彼らに同意を得られたことは無い。
今までの淡々とした、どこか諦めたような語り口から一転。彼の語気が鋭くなる。
「私は王都で生まれ、王都で育った。息子や娘も同じだ。領地での生活は耐えられないだろう。私が行く分には構わなくとも、子供たちまで不幸な思いをさせてしまう」
「結構いいですよ? 私は幸せです」
「それは、あなたがユミエラ・ドルクネスだから言えることだ。私の娘と同い年ではあるが、同じ感覚を持っているとでも!?」
失礼な! 意訳すると「都会育ちで繊細なうちの子と、蛮族ユミエラを一緒にするんじゃねえ!」となる。蛮族は私の被害妄想にしても、お嬢様とは掛け離れた存在だと明言されている。
特に心が苛立ったりはしないけれど、行け! パトリック! 美人な婚約者が酷い言われようだぞ。
君に決めたと彼を見たことで、口の動きが分かる。声には出していないが確かに彼の口は「たしかに」と動いた。
私も思った。「たしかに」
王都のご令嬢から田舎への適応を見せたエレノーラが希少なのであって、軟弱なお嬢様は環境の変化でストレスがすごいと思う。ドロシアは環境の変化に弱そうなイメージだ。
あーあ、護国卿を諦めてもらうのは無理そうだな。端から諦める気などないアーキアム伯爵は、声を荒らげたことを謝罪する。
「失礼、つい……」
「大丈夫です。最後まで役職にしがみつく覚悟も分かりました」
「当家の状況は理解してもらえたと思う。では改めて……どうか、ご助力をお願いしたい」
「嫌です」
「そうだろうな」
少し前のやり取りを繰り返す。
多少は同情の余地があることは分かった。しかし、縋り付いている物に価値は無いし、介入しては侯爵の不興を買うだろうし。
絶対に関わりたくない案件だ。彼も理解した上で助力を願い、断られて納得している。
「こちらの都合で長い話に付き合わせて申し訳ない。……ケヴィン、これで良いのだろう?」
そう言えば、彼自身は事情説明に乗り気ではなかったんだっけ。年上の家令に言われて仕方なくだったね。
伯爵に釣られて、私も腹黒家令が控えている一つしか無い扉の方を見て……いない。当主に忠言したんだから、せめて最後までは見守っていてよ。脱力しそうになるが、パトリックの鋭い声に引き戻される。
「しまった、注意していたのに!」
パトさんパトさん、そんなに慌ててどうしたの?
その質問の答えは、彼に聞く前に分かった。
注目していた扉からのノック音。回答は向こうからやってきた。
エレノーラと別行動をするときにパトリックは何を心配していたのか。アホアホな私はドロシアに冷たくあしらわれるのを憂慮していると思い込み、彼女の態度を見て大丈夫だと認識してしまった。
少し考えれば分かることだ。そもそも私がアーキアム邸を訪れたのは、エレノーラが行きたがったから。それを仕組んだ人物を私たちは野放しにしてしまった。彼が狙うのは私でもなければパトリックでもなく……。
ドアが開く。微笑むケヴィンと、悲しげな顔のエレノーラがいた。
ドロシアはいない。上手いこと引き離されたのか。
「ドロシアさんのお家……アーキアム家が危ないみたいですわ。ユミエラさんなら、どうにか、ならない?」
いくらエレノーラのお願いとはいえ、限度がある。これは無理だ。私の手に負えないし、面倒が過ぎる。
彼女のために貴族家を創設したり、公爵家を復活させたりは昨日考えたけれど、今回のはエレノーラ関係ないし。彼女の友人の話ですし。
私は心を鬼にして、ハッキリと断る。
「すみません、私ではどうにも」
「ごめんなさい。ユミエラさんには関係ありませんものね。ユミエラさんに頼らないで、わたくしの力で何とかできるように頑張りますわ! 出来ることを一緒に考えるのは……ダメ、かしら?」
エレノーラが潤んだ瞳で見つめてくるが絆されたりしない。泣いたなら周りが助けてくれるなんて大間違い。世間はそんなに甘く――
「ぜーんぶ、私に任せてください!」
これが安請け合いの例文です。
ということで了承しちゃった。何故かって? エレノーラちゃんの幸せが私の幸せだからさ。というパトリック超えのイケメンセリフはともかくとして、彼女に止まる気が無いからだ。
私が断れば、一人でどうにかしようと突き進んでしまう。そうなったときに放っておくなんて選択肢は無い。
エレノーラが目を輝かせる一方、パトリックは大きくため息をつく。私は改めてアーキアム伯爵に宣言した。
「少しは協力します。あまり期待しすぎないでくださいね?」





