5-11 この世界で初めてできた、大切な家族
◆5-11 この世界で初めてできた、大切な家族
勝手に眠くならないだろうかと、隣に座るパトリックに体を寄せる。肩に頭を預けながら、私は言った。
「そういえば、パトリックって昼間はどこに行ってたの?」
「服飾店に行かせたのは悪かった」
「一生忘れ…………いま話、逸らしたよね?」
「……昼間か? 王都にあるアッシュバトンの屋敷に顔を出してきただけだ」
怪しい。私の隠し事は彼が見破ってしまうのだが、逆も成立する。何か隠してますね。
男が行き先を誤魔化す理由は一つだ。合コン、ギャンブル、止めると約束したはずの趣味、浮気相手との密会、などなど。いっこじゃなかった!
どれだ? 女か? あ、浮気相手は女と決めつけるのは早計か。
「浮気相手は男? 女?」
「……分かった、言う」
鼻をすんすんすんして、痕跡を探っていると彼は白状する気になったようだ。
浮気相手の性別ではなく、私を服飾店に取り残してまで行った場所についてだろう。私より先に屋敷に到着して出迎えてくれたことから考えるに、そこまで遠くまでは行っていないと思う。
しなだれかかっていた体勢を戻して見てみれば、彼は予想以上に言いづらそうにしていた。
「え? ホントにどこ行ってたの?」
「俺はずっとこの屋敷にいた」
彼は未だに言い淀んでいた。
この屋敷、王都ドルクネス邸、別に言いづらそうにする理由なんてないはずだ。私もエレノーラも服飾店にいたのだから、誰かを連れ込まない限り使用人以外は……ああ、そうか。私ははたと気がついた。
この屋敷には住民がいる。私の両親が、この家に住んでいる。
さっきまで装備のことで上機嫌だったのに、急に憂鬱に蝕まれる。
「そう。会ったんだ。何の話?」
「結婚の挨拶……のような」
「あまり会話にならなかったでしょ」
「ああ」
言葉を交わさずとも、彼らの間でどのようなやり取りが行われたのかは想像できた。
私の両親、父親と母親は、典型的なダメ貴族だった。領地や領民は自分のために金を生み出す機械としか思っていないし、この王都にて権力を拡大させることだけ考えていた。
中央の役職を持たぬドルクネス家は、過激派貴族と組んでいつかは成り上がってやると野望を隠さずにいたのだ。
政略結婚の道具にしようと思っていた娘は、なんと不吉極まりない黒い髪に黒い瞳。隠すように領地に飛ばして、なんやかんやあって私が無理に爵位を奪って、失意のまま家に引きこもっている……というのは今の状況だ。
爵位をぶん取ってから、私も会話はしているんだけど、どうにも噛み合わないんだよね。領地経営に専念するのは最大の屈辱で、中央で成り上がることだけが幸せ……みたいな価値観な人たちだ。言葉は通じていても、互いに相手の意思を汲み取ることが難しい。
私のテンションは下がった。でもそれ以上に、パトリックが気落ちしている様子だった。再び、彼の方に倒れ込む。
「誰でも無理だから。そんなに気にしないで」
「聞いてはいたが、まさか……その……」
「あそこまで酷いとは思わなかった?」
彼の濁した言葉を私が代弁する。肯定も否定もしなかったけれど、似たような内容を言おうとしていたんだろうな。
「ユミエラの事情は分かっている。前にいた世界に家族がいたことは理解している。それでも、赤ん坊だったユミエラに、彼らが酷い言葉を投げかけたと思うと」
「そんなに一緒に暮らしてないみたいだよ。生後一週間もしないうちに、乳母に連れられてドルクネス領に発ったらしいの。その乳母さんも、一歳前にどこかに行っちゃったみたいなんだけどね。覚えてないから伝聞」
前世の記憶が蘇ったのは五歳で、そこからはレベル上げの日々だった。完全に腫れ物扱いで、あまり話しかけられなかったはずなのに、五歳の段階で言語をある程度習得していたのは奇跡だと思う。
王都在住の伯爵令嬢だと好きにダンジョンにも行けなかったと思う。結果的にオッケーだというのが私の考えだけど、どうにもパトリックは違うようだった。彼は悲しげな顔で怒る。
「自分たちの子供だぞ!? 我が子にそんな仕打ちをする親を、俺は許せない」
「もっともだと思うよ。でも黒髪の子供が出てきた時点で、向こうも許容量が一杯になっちゃったんだろうね」
「理由は分かっている。それでも、ユミエラは自分の境遇を客観視し過ぎている」
五歳の時点で精神年齢が大人だったので、当事者意識を持つのは難しい。もしかしたら両親よりも私の方が、親子の認識を持ち合わせていない気もする。
つまり、彼らだけでなく、私も、パトリックの怒りを理解していない。一般論として育児放棄は良くないとは分かっても、被害者が被害と感じていないのだから胸中で思うことも無い。
「よそに私みたいな境遇の子がいたら可哀相だと思う。でも私は事情が事情だから。あまり怒らないで」
「……そうだな。いくら怒ったところで、仕方がない」
そう彼は言ったものの、どこか納得しきれない様子だった。
モヤモヤとした感情の行き場を探すように、指を小刻みに動かしている。
「日本では普通に家族がいたんだから。ちゃんとお父さんとお母さんがいて、親の愛情を受けて育ってる」
両親もいたし、妹もいたし、友達もいた。恋人も画面の中にいた。
当時は感じなかったけれど、今思えば理想的な家族に囲まれて私は育っている。生まれてからずっと一人だった……例えば2号ちゃんみたいな可哀相な子供は存在しないのだ。
私が何とも思っていないことを、パトリックがずっと気にかけている状況は嫌だ。私が顔を横に向けると、パトリックもこちらを見ていた。目が合う。
「家族、家族だ」
「だから前世では家族がいたんだって」
「この世界には? 戻れない世界に大事な家族がいるからこそ、会えない今は辛いんじゃないか?」
辛いかと聞かれれば辛いと思うけれど……。死んじゃったのは私の方だしなあ。あまり悲しいとか感じていないような?
私の死後、家族は悲しんだと思う。あ、私の遺影ってどうしたんだろう?
スマホは自撮りをするデバイスではなく、ソーシャルゲームをするために発明された物だし。ゲームセンターは奇声を上げながらプリクラを撮る施設ではなく、ロボット格闘ゲームで負けて奇声を発する場所だ。使える写真って、高校の卒業アルバムくらいしか無いんじゃないかな? アハハ…………はぁ…………。
笑い話として処理しようと思ったが、全く笑えない。一つも面白くない。
「ユミエラは学園で初めて会ったときもそうだった。一人でも平気な顔をして、ユミエラ自身すらも孤独に耐えられると思っていた」
「……そうかも。今じゃ、国を出奔して一人で適当に生きていくなんて考えられない」
「自分の心を偽るのは良くない……と俺は思う。本心はありのままがいい」
「うん」
「ユミエラが気にしていないから、俺も当たり前のことに気がつけなかった。ここの家族の話をして、前の世界にも家族がいることを、たったいま思い至った。親しい人たちと離れ離れになるのは……」
パトリックはその先を言わなかった。
他人が言語化したことで、「仕方ないでしょ」と軽く受け入れていた事実が、重くのしかかってくる。
家族の顔を今でもしっかり思い出せることに安堵しつつも、やはり悲しく寂しいと感じる。
「考えないようにしていたけれど、やっぱり悲しいね」
「辛いことを思い出させようとしたわけではなく、その」
「大丈夫、分かってる。無意識で頭の隅に追いやっても悲しさが消えるわけじゃないし。あまり考えないでいると、いつか忘れちゃいそうだし」
彼は、私よりも悲しそうな顔をしていた。
どうして張本人より悲観的なんだ、共感性が高すぎるのも考えものだぞ……みたいなことを普段であれば思ってしまいそうだけど、今は嘆くパトリックがありがたかった。
私の境遇を自分のことみたいに悲しんでくれる人がいるだけで、救われた気分になる。
家族との別れは辛い。しかし、仮に日本に戻れるとしても私はこの世界にいたい。私は彼を選ぶ。パトリックの側にずっといたい。
私の隣に座っている彼に、悪いことばかりじゃないものだと不器用に笑って見せる。
「私はこの世界に来られて良かったよ。両親には恵まれなかったかもしれないけれど、家族はちゃんと出来たから。……あれ? 結婚はまだだから家族じゃない? 家族の定義によるのかな」
「もう家族だ。定義は知らんが、俺は家族だと思っている」
「私も。パトリックは家族だよ」
家族の定義なんて、見当外れなことを気にしてしまった。家族が、パトリックがいればどれだけ悲しいことも乗り越えられると思えた。彼のありがたみを改めて噛み締めていると、先ほどの私と同じくらい見当外れな言葉が返ってくる。
「良かった。俺は、この世界で最初に出来たユミエラの家族だ」
「いや、最初に出来た家族はリュー君だから」
ああ、愛しの息子ドラゴンのリューにも助けられたなあ。親が子を助ける以上に、親は子に助けられているのかもしれない。
前世の家族、パトリック、リュー……諸々の思いがごちゃ混ぜになって少し泣いてしまいそうだ。涙を見られるのは恥ずかしいと思っていると、パトリックの瞳が月光でキラリと光る。彼もまた涙目になっていた。
「……ああ、そうだな。リューがいて良かったな」
「うん」
喜びも悲しみも共有できる人がいるのは、とても幸せなことだ。温かな幸福を感じて私の涙は引っ込んでしまった。
マイナス方向に心が傾いたものの、一度プラスに転じてしまえば後は大丈夫。明日作りに行く新装備のことまで思い浮かんできた。私は本当に幸せだ。
「じゃあ、明日は早いからもう寝るね。ごめんね夜に押しかけて」
「リューがいて良かったな」
「え? うん」
パトリックがリューについて二回繰り返した意味は分からぬまま、私はさっと立ち上がる。
しかし、最初の家族という表現も少しおかしいかもしれない。家族は順序を付けるようなものではないのだから。後日に機会があれば言おうと思いつつ彼の部屋を後にしたのだった。
いつも感想ありがとうございます! 誤字報告もありがたいです。日々助けられております。





