4-24 世界を救う言葉
たいへん! ユミエラちゃんを元に戻さなきゃ!!
画面の前のお友達もパトリックに協力して、一緒に「あの言葉」を叫んで!!! せーのっ……ユミエラ○○!!!
◆4-24 世界を救う言葉
場所は戻り、ソレの程近く。
レムレストの兵士たちはソレを直視している。空を見上げて不安の募らせる世界の人々を、彼らは幸せ者だと思うだろう。
音が一つも聞こえない世界終焉の中心地。
パトリック・アッシュバトンは、ソレの名を呼ぶ。
「ユミエラ!」
彼の呼びかけに、ソレは反応しなかった。
「ユミエラ、聞こえるか! 俺だ! パトリックだ!」
レムレスト兵の隙間を縫うように、パトリックはひた走る。
名を聞いて彼が辺境伯家の人間だと分かった兵もいたが、特に反応することはない。空に広がるソレに比べれば、敵軍であることは些事でしかない。無駄な労力をかける人間もいるものだと憐れみの視線すら向ける始末であった。
呼びかけに応じないソレに業を煮やして、パトリックは地面から翔び立った。
風魔法を駆使して、宙に浮かぶソレに接近する。
「何があった!? そんなに嫌なら結婚式はやらなくていいし――」
パトリックがソレのいる高度の半分ほどに到達したとき、泥が降り注いだ。空を埋め尽くす、泥、泥、泥。
漆黒の泥は、少しでも触れては駄目だと直感させられるものだった。
回避で精一杯。彼は身を捻って躱しつつ、地面まで押し戻されてしまう。
空を見上げて確認すれば、泥の発生源は当然ながらソレであった。背中、十二枚の翼の根本から、粘性を帯びた黒い物体がとめどなく溢れ出ている。
ぼたり、ぼたり……地面に叩きつけられて不気味な音を立てる泥は、不思議と人間にぶつからなかった。
そのまま大地に沈み込んでいくと思われた泥だが、どうも様相がおかしい。無数に降り注いだ一つ一つが、自我を持ったように動き出す。
光沢がないことから泥に見えたそれらは、スライムに近い性質なのかもしれない。ただ、スライムにしては動き方が異質すぎる。
それらは、絶えず形を変化させる。上に伸びては崩れ、横に伸びては崩れ……目指す形があるかのように、不定形のそれらは蠢く。
「これは……今回ばかりは駄目かもしれないな」
想像する地獄よりもおぞましい光景を見て、パトリックは本気で世界の終わりを覚悟した。ユミエラがその気になれば、終末を引き起こすことすら簡単に出来てしまう。
絶望的な状況下で、彼は再び空へと跳躍する。
空に座すソレを目指し、上へ上へ。
「ユミエラ! 俺は何度でも――」
そして墜落する。
「……一体、何が?」
彼は風魔法を用いて上昇していた。ある程度の高度も稼いでいたはずだ。
しかし次の瞬間、地面に突っ込んでいた。弾き返されたわけではない。確かに上へと向かっていたはずなのに、気がついたら真下に全力で進んでいた。
どんな事象が起こったのかを確認するべく、パトリックは小石を拾い上げて空に向かって投げる。
天に向かって直進していた石は、ある高度で真横に軌跡を変える。上、右、下、上……石は規則性を見いだせない動きでジグザグに動き、あるときは曲線を描き、勢いを落としていった。
少しずつ速度を削がれ下方向に動き、パトリックの顔の前でピタリと止まる。そして、今度は加速しながら上へと登っていった。また不規則な動きで宙を飛び回り、最後はまた彼の前に落ちてくる。
今度は地面で数回バウンドしてから動きを止めた。通常の物理法則に則っている。
「空間が歪んでいるのか?」
石の主観では、放り投げられ真上に飛んで、重力に引っ張られて真下に落ちてきただけなのかもしれない。
ソレ周辺の空間がグチャグチャに歪んでいると考えれば、パトリックが墜落したことも説明できる。
彼女の元に辿り着くには、狂った空間をくぐり抜けなければいけない。絶望的な事実を悟り、彼は呆然と空を見上げる。
「どうすれば……」
空間が歪めば、光すらも直進できない。こうして見えている彼女であるが、光の屈折により見かけ通りの場所にいるとは限らないのだ。
絶望するパトリックに、横から気の抜けた声がかけられる。
「君も頑張るね。でも分かるだろう? 無駄なんだよ」
「貴方は確か……」
「俺は……誰だったかな? もうね、どうでもいいことだから、思い出す必要もないね」
自分の名前すら思い出せない彼は、レムレストの第一王子だ。ほんの気まぐれでパトリックに話しかけた。
「そうだ。ユミエラがああなる前、最後に会話をしていたのは貴方だったはずだ。何があったのですか?」
「そうだな、原因を作ったのは俺だ……俺? 僕? 私? 私の一人称は何だったかな? まあ、いいか。僕が原因を作ったのかもしれないけれど、もうすぐ咎める人もいなくなるし、反省はもう遅いし、空は黒いし、俺は私だし……ん?」
正気を保っているとは言い難い王子の話であったが、彼に原因があるのは間違いない。
その元凶こそが、この状況を打開する鍵になるとパトリックは考えていた。
「ユミエラに何をした? 何を言った? あの温厚なユミエラが……温厚? まあ、ユミエラがあそこまでなるなんて、余程のことだ」
温厚と形容してはいけない気がするが、ユミエラが精神的に安定していることは確かだ。気分一つで乱暴になる人物であれば、とうの昔にバルシャイン王国は焦土と化していた可能性が高い。
そんな彼女がああなってしまう程の逆鱗とは何か。パトリックに問われた彼は、素直に禁忌の内容を答える。
「レベル13なら勝てると思ったんだが……あれに勝とうなんて思ったのが間違いだ」
「あー」
パトリックは納得した。
……というか、薄々気づいていた。
彼女が先日似たような状況になったのも、レベルの低さについて煽られたときだ。実際にはレベルの下二桁が13なのだが、お前のレベルは13で低レベルの雑魚だと言われるのは、ユミエラにとって耐え難いことらしい。
くだらない原因だったが、この惨状はどうにか収めなければならない。彼は憂鬱そうに深く息を吐く。
「そういう系統だとは思ったが……ユミエラは強いぞ!」
パトリックは腹に力を入れて彼女が強いと言うが、言葉が届いているかさえ定かではない。
月に行くなどと言い出して家を出ていったユミエラだ。パトリックの存在に気がつけば、何かしらの反応がありそうなものだが全く見られない。そもそも彼を認識していないのだろう。
パトリックは周囲を見回す。もう自分一人ではどうしようもない。リューかエレノーラあたりがいれば状況も変わるかもしれないが、どちらも不在だ。呼び寄せる時間があれば、それこそ世界が終わってしまう。
彼の目に入るのは、ぼーっと立ち尽くす王子と、同じ様子のレムレスト兵たち。ただ人数が多いだけで役に立ちそうにない。しかし、それでも――
「……彼らに頑張ってもらうしかないか」
パトリックはため息をついてから、改めて声を張り上げて言う。風魔法も併用し、声を全軍に届ける。
「聞け! 俺はパトリック・アッシュバトン! 空にいるアレの婚約者だ! 今から彼女を元に戻す。協力してくれ!」
声が響き渡るが、誰一人として反応しない。彼に視線を向けることさえしなかった。パトリックのみが声を張り上げる。
「ユミエラは強いぞ! 世界一だ! ユミエラ最強!」
そのときだ。パトリックの言葉を受けて、明らかな変化が起こった。
地面を蠢く奇怪な泥たちが動きを止めたのだ。人間が意思疎通を取れるとは到底思えないソレらが、彼の言葉を聞き入るように静止する。
目を見張る出来事に、レムレスト兵たちは互いに顔を見合わせた。
畳み掛けるようにパトリックは呼びかける。
「ユミエラは弱いと言われて暴走した! 逆に、強いと褒め称えれば元に戻る!」
戻る……はずだ。パトリックも確信は持てない。不安が伝わってはいけないと、自分を騙すつもりで自信満々に言葉を紡ぐ。
「皆で声を張り上げろ! その言葉がユミエラに届けば、世界は今まで通り続く!」
パトリックも世界の終わりを覚悟しているが、そんな様子はおくびにも出さない。
本気で世界は続くと信じる。本心でユミエラは戻ってくると確信する。世界の終焉なんて、ユミエラが望んでいるはずがないのだ。それを信じるくらい、パトリックには幾らでも出来た。
「皆で世界を救おう!」
彼の生み出す空気の震えに、レムレスト兵たちが反応しだす。
諦めの悪いヤツもいたものだと憐れんでいた。しかし、あの溢れ出る自信は何だ? アレを目撃して、誰もが一目見ただけで分かる終焉を目にして、何故あそこまで断言できる?
声に釣られて視線を向ければ、エメラルドグリーンの瞳は希望で燦然と輝いていた。
希望の光はレムレスト軍全体に伝播する。空を覆い尽くす闇色に比べれば矮小すぎる光だが、これこそが世界を救う光。
とあるレムレスト兵は体の震えが止まらなくなった。
先ほどまでは全てを諦めて、何ならリラックスした状態だった。しかし、生き残る希望があると、世界が継続する可能性があると理解した。それと同時、死ぬかもしれない恐怖が身を包んだのだ。死にたくない、生きたい!
自らの生存欲求。愛する人が住まう世界を守りたいという想い。世界救済に役立ちたいという虚栄心。
様々な人の心は、たった一つの言葉に集約される。
「ユミエラ最強!」
「「ユミエラ最強! ユミエラ最強!」」
誰が言い出したかも分からない単純な言葉。
世界中の人々の、世界を愛する気持ち。それらを背負い、レムレスト軍は喉が潰れるまで叫ぶ。
静止していた泥に変化が起こった。不自然に自立していたそれらが、だんだんと潰れ始めたのだ。ついには形を保てなくなり、地面に薄く広がる。
空にも変化が。天空に伸びる翼がゆっくりと倒れるように動き出したのだ。
それらの変遷で、事態が好転したのか悪化したのかも分からない。
だが彼らは叫び続けた。良い方向に進む未来を夢見て、ただ同じ言葉を繰り返す。
「「ユミエラ最強! ユミエラ最強!」」
そして、皆の想いと言葉が重なり……ついには、世界を救う。
「「「ユミエラ最強! ユミエラ最強! ユミエラ最強!」」」
不定形の泥は蒸発するように消えていった。
空を覆い尽くす翼は、はらりと解けるように霧散した。
漆黒の円環も姿を消して、暖かな陽光が降り注ぐ。
滝のような涙を流しながら叫ぶ隣国の兵士を眺めながら、パトリックはひとり冷静になっていた。何だ、この訳の分からない状況は。どうして俺がこんなことをしているんだ。
自分を客観視して恥ずかしくなりながらも、ユミエラを戻すにはこうするしかないと思い直し、パトリックは駄目押しとばかりに言う。
「ユミエラは誰よりも強い! 世界中で一番だ! 過去にも、未来にも、ユミエラより強い者は存在しない!」
「いやいやいや、そこまでじゃない……とも言い難いよね」
闇は消え失せ、晴れ渡った空の下、ユミエラが照れくさそうに言った。
ユミエラ最強! ユミエラ最強! ユミエラ最強!