4-23 終末時計のシンデレラ
◆4-23 終末時計のシンデレラ
ソレは浮いていた。少しずつ高度を増していく。
ソレは背に翼を背負っていた。本来であれば流動的で、形も色も持たない魔力が固形化するという非常に珍しい現象。
六対、計十二枚の黒い翼は、グニャリグニャリと絶え間なく形を変えつつ大きくなっていく。遠くからなら、翼を目視できても中央にいるヒトガタのソレは見えないほどだ。
ソレは頭に輪を冠していた。またしても黒い輪は、幾重にもなり、土星の輪のように広がっている。
天使と呼ぶにはあまりに邪悪で、悪魔と呼ぶにはあまりに神々しくて、神と呼ぶにはあまりに冒涜的であった。
ソレの周囲にはレムレストの軍勢が控えていた。ソレが羽を伸ばし円環を広げているのを、ただ見ていた。
誰も逃げない。どこに逃げても無駄だと、どれだけ理解力が低くとも否応無しに分かってしまうから。
誰も悲鳴を上げない。肺から空気を吐き出し声帯を震わせる行為に、一片の価値も無いから。
誰も会話をしない。皆の思いは同じであり、わざわざ喋って共感を得る必要はゼロだから。
誰も遺書を書かない。遺言を残す相手すら消えてしまうのだから。
誰も戦わない。理由は記すまでもない。
絶望よりは諦観が相応しいだろう。何をしても無駄、この現象を受け入れるしかない。
しん――と静まり返ったソレの周囲。レムレストの兵たちが眺めるソレは、今も刻一刻と大きくなっていく。
黒翼は上へ上へ、円環は全方位へ水平方向に、ひたすらに巨大化を続ける。十二の翼はある高度まで到達すると、惑星を包み込むように動きを変えた。黒い輪は世界中の空を覆い包むように広がっていく……。
黒い翼と円環は、全世界で観測できた。世界中に動揺が広がっている。勘の良い者や感受性の高い者は、謎の現象を見てソレの存在まで想像してしまい、絶望の深淵に引きずり込まれた。
◆ ◆ ◆
王都バルシャイン。
曇り空が幸いして翼は見えない。しかし、雲の下に薄く広がる円環は目視できた。
空に浮かぶ縞模様を見た住民たちが不安を募らせる中、王城は事態の把握に追われていた。
各部署からまとめられた報告は国王まで報せられていた。
王国が抱える天候の専門家は、記録の限りでは初めての現象だと言う。
そこで、国王のもとに呼び寄せられたのは宮廷魔導師長であった。老体に鞭を打って大急ぎでやって来た彼は、息を整えながら見解を口にする。
「西から東へ、魔力の大きな流れが、空全体を覆っているのでしょうな。あれの原因は西方にあるはずじゃ」
国王は執務室の窓から外に目を向ける。確かに空の縞模様は東西を区切るように浮かび上がっていた。
「なるほど、魔力の流れか。王都の外から報告があってな、雲の上に巨大な物体が見えたらしい。黒い、葉や羽のような見た目だ。それも魔法関連の代物だろうか」
「見ておりませんので確かなことは言えませぬが、恐らくは」
「黒い魔力……どうしてもあの子を思い出してしまうな」
「ありえませぬ。規模からして国の域を超えた現象、いくら彼女が規格外でもここまでのことは出来ないでしょう」
老齢の魔法使いは、この現象の源が人智を超えた代物であると考えていた。人類にはどうすることも出来ないと。
この現象の源については見当もつかない。それこそ神が降臨したか、それとも世界終焉の序章であるか。
そのとき、執務室に新たな人物が現れる。治安維持を担当する騎士団の者であった。
国王と宮廷魔導師長の会話は一時中断となり、王は混乱に乗じた犯罪を警戒するように指示を飛ばす。
手持ち無沙汰になった魔法使いは、空の不気味な紋様を見て、ぶるりと震えた。
◆ ◆ ◆
遠く離れた別の大陸。時差により夜間である地にて、異変を察知したのは盲目の剣豪であった。二十四時間が暗闇の世界で生き続けた彼は、さらなる闇を感じ取る。
「そうか……終わるのか」
「お師匠様? どうかされましたか?」
「いいや、何でもない。お前はもう寝なさい」
「はいっ! 明日の稽古に備えて休みます! お休みなさい」
優れた聴覚にて弟子の心音が遠ざかっていくのを聞きながら、盲目の剣士は明日の稽古内容を考える。
「明日が来れば……な」
◆ ◆ ◆
とある街。教会の尖塔。
世界の終局を見ながら、闇の神が光の神に文句を言う。
「だーかーらー! ボクは早めに殺すべきって言ったじゃないか! 何度も何度も!」
「神は人を見守るものです。人を殺すなんてあってはいけない。ワタシは何度でも何度でも言いますよ」
「この惨状を見て、アレを人間と言える神経を疑うよね」
「人ですよ。彼女はワタシの愛する人間です。人の諍いは人が解決するものでしょう?」
話にならないとレムンはため息をついた。既に事態は神が介入できる域を越えてしまった。
足掻きは無意味で、傍観する以外の選択肢は無かった。後はサノンの言うように、人間に期待するくらいか。
「頼んだよ、お兄さん」
「こういうときくらい、名前を呼んだらいかがですか?」
「サノンは黙ってて! というか、キミこそ、こういうときくらい信条を曲げる気は無いの?」
「レムンは黙ってなさい」
◆ ◆ ◆
そして、領主不在のドルクネス領。
晴れ渡る空が災いし、そこでは全てを見ることが出来た。
事態把握のため慌ただしく人が動く領主の屋敷、恐慌が伝播する街並み。その中で一人だけ、普段と変わらぬ平静を保つ者がいた。
「またユミエラさんが、すごいことになってますわね」
「エレノーラ様! こんな所にいらしたのですね。早く安全な場所に――」
ぼけーっと空を見上げるエレノーラに、メイドの一人が声を掛ける。
逃げろと言われた彼女であったが、その場から動かずに窓の外を眺めたままだ。
「これ、安全な場所ってどこですの?」
「……確かに」
エレノーラに核心を突かれてメイドは固まった。
「これをやってるのはどう考えてもユミエラさんですし、あまり怖がらない方がいいですわ」
「やっぱり、ユミエラ様ですよね? 世界が滅ぶんじゃないかと思ってしまって……。ユミエラ様を信じないといけませんね」
いや、滅ぶ。このままでは世界は普通に無くなってしまう。正直にそう言いかけたエレノーラだが、不安を煽っても仕方ないと黙っていた。
エレノーラはユミエラを信頼している。自分の強さを証明するために、世界の一つや二つ簡単に破壊してしまうと信じている。
だがエレノーラは焦らない。彼女は、ユミエラと同じくらいに信頼している人物を思い浮かべた。
「パトリック様が止められたら良いけれど……わたくしが考えても仕方ありませんわね」
次回、感動のクライマックス「4-24 世界を救う言葉」
世界を救う「あの言葉」とは……?





